命の順位
作中、ベアドッグ導入を反対する描写がありますが、軽井沢などで活躍するベアドッグを否定する物ではありません。
専門的なトレーニングを受け、懸命にハンターとともに任務にあたる彼等については、無事に頑張って欲しいと思っております。
頭の痛い話が聞こえて来る。
「近年、熊の被害は増大する一方で、我が市を中心とした区域でも出没や痕跡の発見は増加の一途だ。そこで、日本でも成功例があるというベアドッグの導入を考えているんだが、どう思うかね? 」
市議会の議員が訪ねて来たと聞いて、何の用かと思ったが、まさかこんな話をされるとは思ってもみなかった。
八重樫ドッグトレーニングセンター、様々な用途に合わせた職業犬の訓練を行う専門性の高いドッグトレーナーたちが働くこの施設で、所長をしている俺の元に市議会からアポがあったのは数日前だ。
八重樫 渉、当年四十五になる俺は、かつては警察犬の指導員もこなし、今は地元に戻り、このトレーニングセンターを開設、設立時より所長として働いている。
「〇〇県✕✕町でカレリアン・ベア・ドッグが活躍しているのは報道などで知っていますが、あの町は観光地、そして別荘地として財源となる税収があり、専属のハンターを雇い入れた上で訓練されたベアドッグを活用しています。ベアドッグのノウハウを学び、育てた上で、専属のハンターと共に夜回りを徹底するには時間も金もかかりますよ」
熊の駆除に関して苦情が相次ぎ、ハンターに対しての対応を間違えたことで、地元猟友会との確執が出来たことも知っているが、それは話すことは避けた。
かく言う俺も猟友会のメンバーだが、目の前にいる市議会議員たちは、その事は知らないようだ。
まぁ、最近になって、やっと猟銃の所持許可や、狩猟免許も取得した新米なので仕方ない。
「しかしなー、殺さずに共存できるなら、それが一番だと思うんだが」
「理想論とすればそうでしょうが、私にはベアドッグとして育てるノウハウがありません。ベアドッグ専属の専門的な知識とノウハウを持つトレーナーの宛もありませんから、うちでは調教はムリです」
政策協議のため、専門家に話を聞きに来たという体だが、この感じでは、中身はどうあれ、既に決定事項な気がしてならない。
「その点は有賀ドッグ訓練所から、色良い返事を貰っておるので心配しなくても大丈夫だ」
聞いたこともない名前が出てくる。有賀ドッグ訓練所? どこか有名なベアドッグのトレーナー施設だろうかと訝しむ。
「ベアドッグの実績があるところなんですか? 」
そう訊ねた俺にたいして、議員の一人が返してくる。
「新興の組織らしいですが、犬の訓練に関しては専門家が揃っているそうで、ベアドッグ導入を持ち掛けて来たのも、この訓練所の代表です」
いよいよ怪しい。話題のある話で市から助成を得ようというのでは無いか?
取り敢えず、当方としては慎重に考えるべきだと意見を述べて、お帰り頂いた。
気になって有賀ドッグ訓練所を調べてみる。設立年は3年前で、ドッグショーなどへの出場が明記されているが、あまり聞いたことのない大会だ。
「地元主催の小規模な大会じゃないか」
聴導犬や盲導犬などの実績もなく、職業犬の訓練施設ではなく、ドッグショーや、放送現場でのモデル用の犬の訓練を主としている団体のようだ。
代表の有賀 麻理恵所長の言葉が公式のホームに載っているが。
〜動物と人間のより良い関係構築と共存を目指しております〜
成る程、ベアドッグへの参入をビジネスチャンスと見ているんだろうかと呆れる。
「犬はあんたのキャリアアップや思想実現の道具じゃないんだがな」
連絡先を交換した市議会議員の1人に連絡し、有賀ドッグ訓練所はベアドッグの訓練のノウハウも実績もない、畑違いの施設であると警告した上で、改めて、ハンターとの関係改善と、ベアドッグ導入に対しては、ノウハウのある人物から指導を受けた上で、じっくりと予算その他の計画を審議するべきであると進言した。
それから、数週間後、ローカルニュースで市がベアドッグの試験的導入に踏み切ったとの報道を見て、慌てて、情報をかき集めた。
ローカルニュースを発端とし、全国地上波や、ネットニュースにも話題が上がったことで、この一件は一気に注目を集めた。
取り組みに賛同する声もあったが、俺は自身のSNSで発信すると共に、既存メディアへ実態についての報道を求める嘆願を送った。
市は有賀ドッグ訓練所と、動物愛護団体を名乗るピースフル・アニマルなる、活動の実態が良くわからない団体二つと共同し、熊との共存を目指して様々な対策の実施を行うと発表していた。
高齢化するハンターたちとの間でトラブルを抱え、ハンターの不足に加えて、実質的な出動要請に対する拒否を宣言されたのが半年前だ。
各地でそうした動きがある中で、予算を投じて現実的な対策協議をし、自前でハンターに代わる対策を講じねばならないというのは理解するが、何故、実態もわからぬ団体、それも明確に熊の駆除に反対する団体と共同しているのか。
住民説明会に参加した俺は、市議会の説明に対して声を上げた。
「お伺いしたいのは何点かありますが、まず何故、駆除反対を掲げる団体と共同しているのかです。駆除を最初から視野にいれない協議では選択肢が狭まることになりませんか? 」
これに同席していた団体の代表が答えた。
「野生動物との共存のため、駆除ではない方針を打ち出すことは素晴らしいことです。これは他の自治体に先駆け、モデルケースとなります」
「そのために、人が犠牲になってもいいと、そう仰るんですね」
俺の間髪入れぬ返しに、周りの住民がそうだと声を上げる。
「そうではありません」
俺は御高説を述べる代表の言葉を遮り、次の質問をする。
「ベアドッグ導入に植樹や、ドングリなどの食料の撒き餌により、熊の都市部への侵入を防ぐ、絵空事にしか思えませんし、植樹や撒き餌は逆効果です。ベアドッグも、訓練と管理のノウハウを持った組織とは連携出来ているんですか? 」
議員たちが押し黙る中、有賀麻理恵が立ち上がった。
「ご心配頂かなくとも、私どもの施設では、犬の訓練において多くの実績を持っております」
「ショー用のですよね? 警察犬やベアドッグの訓練実績はないんじゃありませんか? 私は元は警察犬の指導員でしたし、ベアドッグの訓練施設の方とも先日連絡を取り、お話しましたが、貴女の施設を知っている方は皆無でしたよ」
俺の言葉に顔を赤くした有賀所長だったが。新興組織ではあるが、ノウハウなら問題ないと強弁した。
不満の続出した説明会だったが、結局は市の熊対策への方針と、様々な施策への試験的導入は実行された。
それから3ヶ月も経たない内に、有賀ドッグ訓練所の犬が熊に連れ去られたらしいとの情報が聞こえて来る。ローカルニュースにも載らず、全国ニュースにもならないが、現場で見ていた人間がいた事で俺の耳にも入った訳だ。試験的導入から一ヶ月も経たない中での失態だった。
「犬の散歩も出来なくなるぞ、襲って連れ帰っちまった熊からすれば、餌が餌を連れて歩いてるって記憶しちまったんだ」
市議会へと問い合わせ、直ちに周辺住民へ注意喚起するべきだと申し立てたが、無視される。
それから数日後に愛犬と散歩中の老人が襲われた。
主人を守ろうと必死に吠え立てた犬のおかげで、熊は逃走し、愛犬と老人に大きな怪我は無かったが、逃走した熊は近くのスーパーに逃げ込んだために大騒動となる。
「猟友会のメンバーだったようで、出動要請に応じて貰えるよう、説得お願いできませんか」
俺の元に来た議員は開口一番、そんなことを言うが。
「キャリアの浅い私じゃ説得できませんし、免許を所得してまだ日が浅いですから、熊を仕留めることの出来るライフルの所持も使用も私では許可がおりませんから、私に頼まれても無理です」
「そこを八重樫さんの伝手で」
言い募る議員にイライラしたが。
「そもそも、麻酔銃の使用による捕獲を目指していたんじゃないんですか? 」
そう問いかけると。
「いや、ピースフル・アニマルの代表の方の案だったんですが、団体の中で麻酔銃を扱える方はいないそうで」
当たり前だ。麻酔銃を扱うには猟銃免許、狩猟免許、獣医師、ないし医師免許の最低3つの資格が必要であり、さらに場合によっては麻薬研究者免許、危険狩猟免許、などが使用する薬剤や状況に応じて必要になる、そして猟銃などの発砲訓練による技能の習得がなければ発砲許可がおりない。
実際に現場で麻薬銃を撃てる人材など、かなり限られている。
だいたい、市街地に出た熊を麻酔で昏睡させたとして、誰がそれを箱罠に入れて、山に連れて行ったあと野に放つのだという話だ。
移送中に起きた熊が暴れれば箱罠を壊して襲いかかって来る危険だってあるのだ。
「事態が事態ですし、警察関係や公安関係にいる知り合いを通じて、ハンターの立場を守って貰うよう話を通した上で、猟友会の方に掛け合ってみますよ」
そうして、ベテランハンターの方の出動で、事態発生から1週間、なんとかスーパーに立て籠もった熊の駆除に成功した。
結論から言えば、くだんの団体二つと市議会議員との間で癒着があった。市の予算を中抜きした議員と、予算をかけずに対応できると受けおった団体、そして、市から委託事業として助成の確約を得た団体の3者の思惑が合致した結果だった。
予算の横領を隠したい議員に、自身のイデオロギーの宣伝を目的して近づいた団体と、自身の組織に委託事業者としての支援金を目的として近づいた団体が相互に関与した結果、三方それぞれの利害から、合意が結ばれた訳だ。
ハンターからの出動拒否への対応を迫られていたことや、それに聞こえのいい対策で目線を逸らそうとした意図もあったと思う。
ただ、自分たちの私利私欲のために、日々格闘し、人々の安全のために死地へと赴くハンターや、厳しい訓練を耐え抜き、トレーナーたちの想いと覚悟を受けて現場で活躍するベアドッグを下に見て、熊に怯える市民の命を軽視し、自分たちはさも特別な人間であるかのように振る舞った者たちに、命に順位をつける資格はない。
野生動物との共存をうたい、パートナーとして、犬と人の連携をうたいながら、市民の生活を守るとほざいて、結局は己の欲望と自己の承認欲求や顕示欲のための道具としか思っていないのなら、彼等は自分以外の命を下にランク付けている。
そんな愚か者に、平等を語る資格など無い。
とある自治体が出したという、ハンター向けのガイドラインを見たところ、熊に2メートルまで近づいて、弱弾頭での発砲で処理するように…こんなふうに書いてあって、正気かっ、ってなりました。
2メートルって、時速40キロくらいで走れる熊相手じゃ、一瞬で間合い詰められるし、弱弾頭じゃ、毛皮を貫通出来なくて、効果ナシですし、そもそも、それで何とかなるなら、警察で事足りるんですよ。
現場知らないなら、知らないでハンターから知恵を貰えよって話ですし、自己保身が最優先なら、ハンターも市民も下に見てんだなーと思ったため、こんな話が出来ました。
小学校の同級生の父親が、熊に食い殺され、全国ニュースにもなった身としては、熊が可哀想とか言う方たちには、是非とも俺の目の前で言って欲しいですね。
もれなく一発殴ったあとで、「ラジオ抱えて鈴鳴らしてたのに、食い殺さちまった人の娘や息子、奥さんに同じこと言えんの? 」そう怒鳴りつけたい気分です。




