第三話 エリーゼ
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エリーゼの部屋は海を閉じ込めたような空間だった。流石に室内を水で満たされていはいないけれど、「動く水」を閉じ込めた涼し気な家具が目につく。心なしか部屋の温度も低い気が。いや、ゾンビの体は温度の感知はできないか。私は透き通った椅子に腰を降ろした。
「紅茶とか飲めるかしら?」
「多分…」
灰色の手を見て答える。手をぐっぱぐっぱと開いたり握ったりして、やはりこの体は血が巡っていないのだと肩を落とす。紅茶で体を温めたりしても平気かな?
「私もリザリーの状態は分からないから、一口だけ試してみて。異変があったらすぐに言って頂戴」
「…おいしい」
甘みのある美味しい紅茶だった。エリーゼは私が甘党なのを知っていたのだろうか?
エリーゼを見ると、目を細めて「良かった」と笑っている。
彼女は私の目の前の椅子に腰かけ紅茶を啜り、口を開いた。
「何か聞きたいことはある?私からはあまり多くを語れないの。私が答えられる範囲ならば、何でも答えるわ」
「聞きたいことは多すぎるんですが…。あの厳重に封印された扉は何があったんですか?危険なものが封印されているとか?」
「あそこは…」
エリーゼが視線を逸らし、何かを考え込む。やはりヤバめの何かが封印されているのだろうか。あ、そういえば。
「この国って200年前に何か事件が起こっていますよね?それとあの扉が何か関係があったり…?」
【ある事件】。その言葉にエリーゼが明らかに体を強張らせた。肩の揺れに合わせ、水を含んだ髪がフワリと浮き上がる。彼女は嘘を吐けないタイプだろう。
エリーゼは、はっきりと言い放つ。
「関係無いわ。貴方がそれを知る必要はない」
とても、冷たい声だった。
「あの扉は過去で止まっている。私がリザリーに伝えられるのはそれだけよ。申し訳ないけれど、この話をこれ以上するつもりは無いわ。…ごめんなさいね。意地悪で言っているのではないのよ」
「そう、ですか」
「扉のこと以外に聞きたいことは?」
「えっと、じゃあ…、どうしてエリーゼさんはここに住んでいるんですか?エリーゼさんと死者の国ってミスマッチな感じがして…」
「エリーゼさん、なんて止めてよ。リザリーからはエリーゼって呼んでもらえると嬉しいわ。質問の答えだけれどそうね…。『私の大好きな国だから』。ルドガルド王国が大好きだから私は何があってもここに留まるの。それにね、とても会いたい人がいるの」
エリーゼは過去を懐かしむように私を見た。紅茶を飲み、コップのふちをそっと手でなぞる。
「さっきいた噴水でね。その人とよく歌ったのよ。いつもみたいに歌っていたらひょっこり現れてくれないかしら、って思っていたら貴方が現れた。凄く驚いたんだから」
「会いたい人ってもしかして…」
「えぇそう。リザリーよ。…でもその反応からしてまだ記憶が曖昧みたいね。無理して思い出さなくてもいいわ。貴方のペースでいいのよ。むしろ全てを思い出そうとする必要はないかもしれない」
――何も言えなかった。私はリザリーだけど、リザリーじゃない。
エリーゼと話すのだって初めてだし、彼女が懐かしむ過去を何1つ知る由も無いのだ。どれだけ足掻いても無い記憶は生み出せない。私じゃ、エリーゼの求めるリザリーには決してなり得ない。
今は記憶喪失という言葉で片付けてくれているけれど、中身が全く違う人間だって気付いたら彼女はどれだけ悲しむだろう。
…早く、元の世界に帰りたい。落胆される前に。そう思った。
カツ、カツ…――
「あれ?エリーゼ、誰か来た」
扉の前で誰かの足音がピタリと止んだ。そして扉がノックされる。
「エリーゼ?いるか?リザリーが目を覚ました。案の定、俺の顔を見た瞬間に逃げられたから探しているんだが見かけてないか?」
―――セトだ!!
心の臓が跳ね上がった…気がする。
「開けるぞ」
無情にも戸が開いていく。
こうなったら一か八かだ。窓を睨み、グッと足に力を込め、一気に跳躍する。
「ちょ、リザリーっ!?ここ何階だと思って――…」
「エリーゼ!ごめん!!」
透き通るようなガラスの窓を乱暴に開け放ち、後先考えずに飛び出した。大丈夫。死んでいるから痛覚は無い…はず。骨が折れてもきっと動くしすぐ直せる…はず!
迫りくる地面と衝撃に備え、浮遊感を感じながらギュッと目を瞑った。―――その瞬間。
横から大きな翼に掬い上げられる。
「わぁ!誰かと思ったらリザリーじゃない!起きたの?!起きた!!嬉しいなぁ!」
大きな鳥人間がリザリーを抱えて曇天の空に舞い上がっていたのだ。
急上昇したせいか、内臓がふわっと浮き上がる感覚がした。
「おはよう!!また会えたね!」
オレンジのポニーテールが風に揺れ、大きな丸い目が私を見つめていた。
「じゃ、このままマロノのところへレッツゴー!ちゃぁんと捕まっててね~!」
「ちょ、う、わ!!」
鳥の少女は私の言葉を聞かず、城から離れた塔に直行した。
紫の霧を裂きながら、陽気な少女は空を駆ける。彼女もまた死者の国には似つかわしくない雰囲気の明るい女性だった。
「マロノ、びっくりするだろうなぁ!ルルドには会った?あっ!その前にセトに会ってあげないと!!あいつ、驚いて腰抜かしちゃうんじゃない!?あははっ!」
びゅうびゅうと耳に風の音が入る。しかし、彼女の高い声はよく聞こえた。あまりにも楽しそうに話ものだから、何だかこちらまでつられて笑ってしまいそう。
そう考えているうちに目的地に着いた。
「とーちゃーく!!マーロノっ!あーけーてーっ」
と言いながら、彼女は器用な羽捌きで宙に留まり、頑丈そうな鳥の脚で古びた窓をガンガン蹴り続ける。すると窓に黒い影が近付き、徐々にその形が露となる。
「あれ~~??さっきまでマロノいたのになぁ?」
「いや、もうすぐそこにいると思う…。窓開けてくれるんじゃないかな…」
未だ硬い足でボロい窓を蹴り続ける彼女に忠告しようとした、が。
一歩遅かった。
彼女が空中で助走をつけて勢いよく脚で窓を突こうとした――その時、乱暴に窓が開け放たれる。
「おいコラ、ケッピー。いつも窓から人を呼び出すの止めろっていってるだ―――…うわぁあ!?」
「わっ!いきなり開けないでよ!!!」
突然開いた窓によって、スピードに乗ったケッピーの体が室内に突っ込んでゆく。突然の出来事だというのに、咄嗟に大きな翼で私を守るように包んだケッピーは見事本棚にダイブした。
本棚が倒れ、ドサドサと大量の本が落下する音だけが聞こえた。
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