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なんにでも裏はある 1

 そろそろストールを巻かないと首元が寒くなってきた、ある日のこと。


 すごいんだから、最初はびっくりすると思うよとルイさんから聞いていた、店長の指名予約が入る日がついにやってきた。

 それは予約の電話からしていつもとは違った。


「縫代さぁーん」


 店長が奥の個室から出て、あたしのいる事務所にやってくる。

 律儀に事務所手前であたしの返事を待っている店長に、なんですか、と返すと彼は相変わらずかわいいチュールとフリルのワンピース姿で現れた。


「あのね、僕のお客様がいらっしゃることになったから」

「はい!」

「ちょっと予約状況見せてもらっていい?」

「はいどうぞ」


 店長はあたしの真横でパソコン画面をのぞき込む。

 そうか、店長のお客様は店にじゃなくて、店長に直接連絡をとって予約するんだとあたしは理解する。

 店長は少し考えていたが、とある日を指さして、ここに予約を入れてくださいと言った。


「そしてここ、ルイと葵の予約は入れないで」

「わかりました」


 やや緊張気味にあたしが答えると、店長はちょっと笑って大丈夫ですからー、と言った。


「ちょっとお客様が不安定かもしれないし、支払金額が高めですけど、それだけです」

「はい」

「この一カ月を見させていただきましたけど、いつも通りの縫代さんで受付してくれたらそれで十分。なんにも心配いりませんよー」


 わかりましたとあたしは答えた。


 そしてその日の朝、いつもより少し丁寧に身支度を整え、髪をきちんとまとめ上げて出勤したのだが、来店されたお客様は拍子抜けするほど普通だった。


「あの……予約しました小林ですが……」

「お待ちしておりました小林様。そのままこちらへお入りください」

「あ、はい、すいません……」


 かぼそい声の人だった。年齢はおそらく、30代半ば。


 店長に言われていた通り、あたしはその人を個室へと案内した。

 中肉中背……というには多少ぽっちゃりした女性である。背中が丸くなって猫背気味なので余計にそう見えるのかもしれない。

 仕事帰りなのか、大きめのトートバッグを左肩にかけて、その持ち手を両手でぎゅっと握りしめている。長めの前髪に加えてうつむきがちなので、視線はほとんど合わない。歩き方も心なしか歩幅が小さく、全体に縮こまっている印象だった。


 このかたが店長とのカウンセリングで少しでも楽になるといいなあと思いながら、あたしは個室の前でいつもと同じように頭を下げた。

 そして思った。

 今日も店長の服装はかわいい。

 しかも今日はいつにもまして気合いの入った、エンジェルハートロリータの青ドレスである。これはコスプレ衣装などに特化した中国発のブランドで、レースたっぷり、フリルもたっぷり。それなのに安っぽくは見えないという、細部までこだわって作られた一着で、ステッキを持たせたらそのまま魔法少女として通用しそうなやつである。


(店長、やっぱりあの格好でカウンセリングするんだな……)


 お客様がどう思うか、他人事ながら心配になる。

 だが1時間たって出てきた小林様は、ちゃんとあたしの目を見てお支払いをしていった。今日は本当にありがとうございましたと丁寧なお礼つきで。

 丸まっていた背中も少しだけ伸びている。


「あの……明日の予約ってとれますか?」

「はいお取りできます」


 あたしは答えた。

 前もって店長から言われていたのである。小林様が予約したいと言ったら、明日でも明後日でも無条件にお受けするようにと。


「これ、お支払いです」

「はっ……いっ」


 いかにもおろしたてといった新札を10万円、ぽんと出されてぎょっとした。

 金額そのものにというよりも、その金額を当たり前に支払うことのほうに驚いたのだった。


(1時間……10万円のカウンセリングって、どんな)


 だがそれを確かめる機会はなかった。

 小林様が帰られてからというもの、店長はずっと個室から出てこなかったからである。


「大丈夫でしょうか」

「ほっときな」


 葵さんに相談すると、肩をすくめてそう言われた。

 だけどあたしは心配だった。

 いつもはこんなにずっと個室にこもることはない。

 店長はなにげに人と話すのが好きなのだ。

 おやつの時間になるといそいそとあたしのいる事務室にやってきて、丁寧にお湯を沸かし茶葉を選び、楽しそうに今日の一杯を淹れながらあたしとちょっとした雑談をしていくのが店長のルーティンなのである。


「あいつ、予約が入るといつもああなるから」


 葵さんが付け加えた。


「縫代さんなら入っても大丈夫だと思うけど、なにか用事でもあるの?」

「いえ、そういうことでは……」


 ただ、心配なだけだった。

 だが一介の従業員が踏み込んでいいのかどうかもわからないまま、あたしはその日の業務をつつがなく終えたのだった。

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