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甘やかしのすすめ 2

 ここレストフィアでは1時間のカウンセリングが終わると、担当がお客様を入口までお見送りするシステムになっている。


「帰り道気をつけて帰るんだよ。寒くなってきたからあったかくね」


 とやさしく送り出すルイさんもいれば、


「それじゃね。なにかあったらまたおいで」


 とそっけなく言う葵さんもいる。

 だがどちらのケースも共通しているのは、お客様がふたりに全幅の信頼をおいて、来た時よりもはるかに落ち着いて帰ってゆかれるということだ。


 はじめのうち、あたしはルイさんと葵さんが姿を現すたびにどぎまぎしていたのだが、それにはすぐに慣れた。

 慣れなかったのはむしろ、他のことだ。

 なにせお客様は、毎回ぎょっとするような額を払っていくのである。

 1時間のカウンセリング料金が普通どれほどのものかあたしは知らない。

 だけど、3万円とか4万円とか、現金でポンと払っていくのだ、うちのお客様は。

 なるべく内心を顔に出さず、粛々とお会計をしていたけれど、真新しい一万円札を何枚もまとめて受け取るのは正直、いまだに、慣れていない。


(1時間3万円て……いったいなにしたらそんな金額になるの)


 勤務初日で、あたしの頭には疑問がぐるぐるまわっていた。

 個室の壁はしっかりしており、中でなにが行われているかまったくわからないから余計に。


(まままさか、あんなことやこんなことが、いやまさか)


 考えないようにすればするほど、あられもない妄想が渦巻く。

 1時間きっかりでそこから出てくるお客様の様子を見ていると、なおさらだ。

 今出てきたお客様もそうだ。ルイさんの横を歩きながらうっすら涙ぐんで、目の下から首筋までをほんのり赤くして、時折しゃくりあげながらもルイさんを信用しきって見上げている。


「私、ルイさんじゃないとだめなんです。ルイさんがいなくなったら私、どうしたら」

「大丈夫、僕はずうっとここにいるから。いなくならないから安心してて」

「でも……」

「大丈夫だよ。あなたより先には死なないよ」


 ルイさんが言うと、お客様は魔法にかけられたみたいに笑顔になった。

 そして、テキパキ支払いを済ませると、さっきまでしゃくりあげていたのが嘘のように扉の向こうに消えていく。


(これはなにを見せられてるんだろう……)


 あたしが呆然としていると、お客様をお見送りしたルイさんがくるりとこちらを向く。


「こんなのでびっくりしないでよ」

「えっ」

「店長指名、まだ取ったことないでしょ」

「ないです。店長って、指名とるんですか」

「とるよお。たまーに」


 そう言うと、ルイさんはいたずらっぽく目を細めた。


「店長の客はもっと高額、僕らのとは桁が違うんだから」


 ルイさんが消えてひとりになって、あたしは考えた。

 なにしろお客様が出入りするとき以外ほとんどすることがなくて、考える時間は山ほどあったので。


(これだけ客単価が高いからこそ、この洗練されたサロンが維持できてるんだ……そしてそこから、あたしのお給料も出ているわけで)


 あたしが、従業員としてこの客単価に見合うなにかを提供できるとしたら、なにがあるだろう。

 そんなことを毎日考えて、あたしはいくつかのことを少しずつ変えていくようになった。


 たとえば、服装と髪形。

 特にうちの会社に服装規定はないけれど、あたしはある時から、おろしていた髪形をきっちりコンパクトにまとめて出勤するようにした。

 そのほうが、きれいに頭を下げることができるからだ。


 個室に向かうお客様に、行ってらっしゃいませと頭を下げる。深めに、頭の角度を決めて。

 お客様はだまって廊下を歩いていく。その姿が消えるまで、あたしは頭を上げない。

 たとえ、そのあたしの姿がお客様には見えないとしても。

 ただそれだけのことなんだけれど、それをするようになってからというもの、あたしの気構えが違ってきた。

 うちのお客様に奉仕する気持ちが湧いてきて、自分でなにかできることがあるなら本当に嬉しいです、光栄です、と思えるようになってきたのである。

 そうなると、泣きながら出てきたお客様にそっと箱ティッシュを差し出したりも自然とできるようになった。


 服装も少しだけ変えてみた。

 淡いグレーやアッシュがかったブルーのブラウスに、黒のパンツにしてみたのだ。ブラウスはとろみのある素材で、体のラインを隠すデザインのものを。

 アクセサリーは最小限に。メイクはあえて眉とファンデを中心にして、リップの色は控えめに。


 どんな人に受付されたらほっとできるだろうと考えたら、こうなった。

 カウンセリングに来る人で、元気いっぱいな人はいない。やる気に満ちている人もあまりいない。

 いつもより落ち込んだ状態で、人によってはぎりぎりで体裁を保っていることがわかるほどボロボロな人が、びしっとメイクをしてきらきらのラメをまとわせた人に会いたいかな? と思った。

 目に鮮やかなトップスや、体の線を引き立たせるようなミニスカート(そもそもそんな服は持ってなかったけど)で装った人に出迎えられたら嬉しいかな? と思ったのだ。


 誰にも相談せずはじめてみたことだったが、その接客を始めてから、お客様に「ありがとう」と言われることが増えた。


(あ、伝わってるのかも──)


 お客様がそんなふうに言ってくれると、ひそかな工夫が報われたように思えて、嬉しかった。

 そんなこんなで初めの一カ月はあっという間に過ぎた。


 店長予約が入ったのは、そのすぐ後のことだ。

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