美少女だと思ったらそうじゃなかった 2
「わぁー、嬉しいですいらして頂けて! ほんとにほんとに嬉しいですー」
満面の笑みで出迎えてくれたのはあの日の美少女だった。
面接フリーフォール状態だったあたしには、その言葉だけでなんだか胸がきゅんとなってしまう。
ちょろすぎるってわかってはいる、だけど、自分の存在を喜んでもらえるって、なんていいんだろう。
「どうぞどうぞ、座ってください」
彼女の服は今日もかわいい。
今日着ているのはヘッドドレスつきのワンピース。真紅と深緑のタータンチェックが秋らしい。スカートはひだが多めにとってあって、下に重ねたペチコートの飾りレースが足首のあたりで揺れている。
まるで、児童文学の挿絵から抜け出してきたようだった。
そしてやっぱり見間違いでもなんでもなく、きらきら輝くエメラルドグリーンの瞳をしている。
(こんなカラコン、ある??)
あたしはふと冷静になってまた思う。
「コーヒー飲みます? 紅茶がいいです?」
「おかまいなく……」
「僕もちょうど飲みたいなと思ってたんですよ。せっかくですからなにか飲みながらお話ししませんか」
そう言われてしまうと断り切れず、あたしは手間がかからないであろうブラックコーヒーを頼んだ。
「はぁい、お待ちください」
美少女はエスプレッソマシンのボタンを押した。見間違いでなければあれは、デロンギ。
「濃いやつ平気ですかぁー?」
「え、あ、はい」
「よかったー」
その人はあたしに背中を向けてマシンを操作している。
まさか、面接に来て本格エスプレッソを出されるとは思わなかった。
あたしは恐縮しながらあたりに視線をめぐらせた。
オフィス内部はグレーと濃紺でまとめてあり、HPの印象そのまま。片隅には大きな冷蔵庫がある。
ホストクラブほど華美ではなく、弁護士事務所というには洗練されている。
まぁ、ホストクラブにも弁護士事務所にも、あたしは行ったことがないのだけれど。
「どうぞ、飲んでくださいねー。さて履歴書拝見しますね縫代さん」
「あっはい」
「改めまして、僕は二王頭一臣と申します、どうぞよ」
「ええぇぇえ!!!」
よろしくお願いします、までその人は言えなかった。
「いただいた名刺が間違ってると思いましたが!」
本音そのまま口走るあたしに、その人はちょっと目をぱちくりさせたものの、すぐに温和な表情に戻る。
「ですよねー。僕、初対面ではまず男に見られないもので」
「えっ男性なんですか、ほんとに? お名前が男らしいだけの美少女じゃなくて?」
「あはは、美少女って言って下さってありがとう」
「えっ、あ…………ごめんなさい」
かなり遅れてあたしははっとする。
明らかに今のは言うべきではなかった。
「す、すみません、先日に引き続き失礼なことを」
「全然いいんですよー」
エスプレッソを飲みながら、その人は鷹揚に答えた。
「正直言われ慣れてますし。というか、はっきり言ってくれる人はとても少ない」
「すすすみませんでした」
「謝らないでくださいよ、褒めてるんですよ。大体みなさん、僕のことをおかしなやつだと思うだけで、表面だけ当たり障りなく接してそれでおしまいです。だからはっきり言って下さるほうが僕は助かります」
どうぞ、と促されたのであたしもエスプレッソを口に含む。
濃くて香り高く、余韻が続くエスプレッソだった。
「縫代さんが正直に尋ねてくださったので、僕もきちんとお答えすることができます。僕は正真正銘男で、そして縫代さんより年上です」
「見えないですね……」
「この服装はまぁ、半分趣味で半分は実益と申し上げておきます。縫代さんがうちで働いてくれることになれば、その理由もおいおいわかってくるでしょう」
「事情はさておき、とてもお似合いです」
ありがとう、と彼はにっこりした。
「縫代さんがうちに来て下さることになったら、この僕と毎日顔を合わせることになります。そういうの、おいやではないですか?」
じっと見つめられて、あたしは一瞬真剣に考えた。
「──あのそれは」
「はい」
「そういうお洋服を、あたしも着なければいけないということですか?」
「まさか」
「そうでないなら、あたしの方は問題ありません」
「よかった」
そう言って、その人はエスプレッソをゆっくり飲んだ。
あたしが落ち着くだけの時間をつくってくれたのだとわかったのはかなり後、この人の性格をよく知ってからのことだ。
「さて、縫代さん」
「はい」
「質問はありますか?」
面接でありがちなこの問いかけも、なんだか今は別のものに思えてあたしは口をつぐんだ。
聞きたいことは山ほどある。
どうしてあたしにあの時声をかけてくれたのか?
どうしてこんなに条件がいいのに(むしろ良すぎるほどなのに)今まで誰も決まらなかったのか?
事務員と電話番募集と書いてあるけれど、本当のところはどうなのか?
そのきれいすぎるエメラルドグリーンの瞳はカラコンなのか?
だが、どれも今聞くことではない気がして躊躇していると、その人はやさしく言葉を続けた。
「初めての質問ですし、なんでも正直にお答えしますよ」
「なんでも……」
「はい」
どこかいたずらっぽくその人は言う。
「最初の質問にはなんでも正直に答えるって、僕、決めてるんですよね」
「それじゃあ困ります」
考えるより早く、あたしの口が動いていた。
「一緒に働く上司の言葉が本当なのか嘘なのか、いちいち裏読みしなくてはいけないのは困ります。今だけでなく、いつでも正直に答えてもらいたいです」
「……それは、そう、ですね」
「そこを踏まえて、ひとつお伺いします」
「は、はい」
「拝見したところ、条件はとても良いですよね。これで募集が来ないはずがないと思うんです」
「確かに募集だけは山のように来ましたね……」
彼は遠い目をして答えた。
「日常業務が滞るくらいにね……」
「だと思います。それなのに、どなたも決まらなかった理由はなんですか?」
「僕の見た目がこれなので、おそらく信用していただけないんでしょうね」
この答えが嘘だというのは、のちにわかる。
あたしはこの人をこれから店長と呼ぶのだが、店長は嘘をつくとき、きちんと語尾を押さえた話し方をするのだ。
「条件がいいから面接には来たものの、キワモノの上司がいるとわかって、皆さんきっと躊躇されるのでしょう」
「──そうですか」
だが、この時のあたしにそんなことまでわかるはずもなかった。
「縫代さん……」
店長はあたしの履歴書を改めて手に持つと、どこか厳かな声音で繰り返した。
「縫代いちかさん」
「はい」
「これは強制ではないのですが」
「はい」
「僕のほうでなにか、知っておいたほうがいいことはありますか?」
「……というと」
首をかしげるあたしに、その人はとてもやさしい声を出した。
「僕はぜひ、縫代さんにうちに来てほしいと思ってます」
「……ありがとうございます」
「なので知っておきたいんです。たとえばアレルギーとか。大きな声を出す人が苦手とか。偏頭痛持ちだとか」
「あ、偏頭痛あります」
わかりました、と店長は目を細めた。
「他にもあれば教えてください。──というのは、縫代さんの得手不得手を把握したうえで仕事をしてもらったほうが業務効率がいいと思うからです」
「あ」
履歴書の短所と長所の欄にはけして書かないことを、あたしはひとつ思い出した。
「ひとつあります」
「なんでしょう」
「先ほどの発言ですでにおわかりかもしれないんですが」
「はい?」
店長は軽く首をかしげた。やわらかそうにカールした長い髪が頬にかかる。
どこから見ても美少女である。
かわいい、可憐だ、でも男性。しかもあたしより年上の。
あたしは雑念が沸き上がるのを押しとどめて、なるべく言葉を選びながら、かつ正直に話しはじめた。
「思ったことをそのまま口にしてしまう悪いくせがあるんです。さっきもそうでしたよね」
「ふむふむ」
「自分でもよくないとは思っているんです。直そうと努力もしています。……でも、お話ししておくべきかと思って……」
ふむ、と店長はもう一度うなずいた。
「以前の職場でお客様になにか失言をしたことはありますか?」
「お客様にはないです」
「なるほど。では電話対応では?」
「ありません」
来客応対や電話対応では失敗したことはない。
失敗するのはいつも、同僚とのちょっとした雑談のなかでだった。
「というと?」
「全部小さなことなんですけど……」
職場の女性たちと雑談の最中、自分が口をひらくと場が静まり返ったこと。多分また、なにか言わないほうがいいことを言ってしまったのだと思って、あまり業務外のおしゃべりはしないようにしていたこと。自分が通りかかると、女性陣のおしゃべりがぴたりと止まる時があること。
あたしは彼に促されるまま、かつてのエピソードをいくつか語った。
「あたしが余計なことを言ってしまう時があるので、そのせいだと思うんですよね」
「なるほど、なるほど」
話を聞き終えて、店長は興味深そうに言った。
「いいですね、思ったことをそのまま言う人」
「よくありません、これでも悩んでいるんです」
「そうですか? 僕はそれ、とてもいいと思いましたけどねえー」
「そんな、まさか」
「本当です」
店長はにっこり笑った。鮮やかなエメラルドグリーンの瞳が輝く。
「いつか理由を説明することもあるかもしれないですね……さてと、それでは、いつから勤務可能ですか?」