美少女だと思ったらそうじゃなかった 1
──待ってなにこれなにこれっ。
あたしはその日、控えめに言ってパニックになっていた。
どどど、どうしよう。どうしたらいいのこんな時。誰か助けて。
なにがあったのかというと、五年間勤めた会社がいきなり倒産したのである。
昨日まで普通に仕事していたのに、今日はもう扉に張り紙が張ってあって、入れなかったのだ。
──まさかうそでしょ、倒産するなんて。
あたしは呆然となったけれど、やがてふらふらハローワークに出かけた。
こういう時にじっとしていると、よくない思考回路に入ってしまうから。
人間とはそういうものだ。
だからこういう時は、心はさておき体を動かす。
考えても仕方のないことは、なるべく考えない。
そのかわりに自分がやるべきことをやる。それがあたしなりのピンチの切り抜け方だ。
だけど心の中では、追い払っても消えない不安がもくもくとたちこめていて、あたしはずっと思っていた。
──ほんとにもう、どうしたらいいの、誰か助けて。
そんな心の声が、まさか聞こえたわけではないだろうけど、必要な手続きをするために出掛けていって……そして、ハローワークの入り口で声をかけられたのだった。
現実離れした美少女に。
◇◇◇
「お姉さん、お姉さん」
呼び止められた気がして、あたしは足を止めた。
「あの、もしかして、お仕事探されてますかー?」
「えっ」
振り向くとそこに、アイボリーの日傘をさした小柄な美少女が立っていた。
こちらをじっと見上げる瞳はカラコンなのか、きれいな緑色だ。
「えっ……と」
あたしはそのままの態勢で思わず固まってしまった。
ハロワに美少女。
はろわに、びしょうじょ。
はろわに。
頭の中がゲシュタルト崩壊を起こしそうになって、あたしははっと我に返る。
整った顔立ちもレース日傘も場にそぐわないものではあったけれど、よりインパクトがあったのは彼女が着ているドレスだった。
秋らしいプラム色のワンピースに四角い飾り襟のついたブラウス。ブラウスの袖はシフォン素材で、華奢な二の腕がうっすら透けて見え、ブラウスの袖口にもやわらかそうなレースがついていて小さな手がちょこんと覗いている。
その装いは彼女の雰囲気にしっくりなじんでいて、見ているだけで胸がときめく。
自分じゃ絶対着ないけど、いいな、かわいいな、この服もこの子も。
それで、あたしはつい、口に出して言ってしまった。
「くっそかわいいですね、服もあなたも」
「えっ」
美少女の緑色の瞳が驚いたように見開かれたので、あたしははっとした。
「ごめんなさい、不躾なことを……」
まただ。またやってしまった。
これはあたしの悪いくせで、油断していると思ったことをついそのまま口から出してしまうのである。
学生時代はまだよかった。
『いちかは裏表がないから、付き合っててらくだよ』
そう言ってくれる友達もいたが、社会人になると、これではさすがによくないとわかる。
くそかわいいって。もう少し言葉を選べ、自分。
だが美少女は気を悪くしたそぶりもなく、
「ありがとうございますー。僕ね、かわいいお洋服が大好きなんですよー」
にこにこ笑ってそう言った。
──僕っ娘だ、はじめて見た。
あたしは再び思ったけれど、さすがにやらかした直後だったので言葉に出すのはぐっとおさえた。
美少女は日傘をくるくるまわしながら続ける。
「で? お姉さんはお仕事探してたりなさいますかー?」
「あっはい、そうです」
「わあっ、やっぱり!」
美少女は胸の前で手を合わせた。小さな指先が可憐である。
「僕はですね、求人募集をかけに来たんですよー。こう見えて経営者でして。お姉さんはパソコン使えます?」
「あっはい」
「事務のご経験はありますか? 電話対応は?」
「どちらもあります」
「よかった、それなら」
美少女は嬉しそうに言うと、一枚の紙をとりだして神妙に差し出した。あたしもつられて両手で受け取る。
「これ、うちの業務内容と各種条件です。よかったら目を通してみてください」
「あ、はい」
「それとこれ、僕の名刺」
「あっどうも……」
社会人としての条件反射で名刺を受け取ってしまいながら、あたしはとあることに気づいていた。
美少女はにこにこ笑いながら、決してあたしから目を離そうとしないのである。
緑色だと思っていた瞳も、改めてみるときれいなエメラルドグリーンだ。
(待って、こんなカラコンてある……?)
あたしは無性に一歩下がりたくなるのをぐっとこらえた。
「よかったら、これから面接来られますか? 今からお時間ありますか?」
なにやらほのかな圧を感じて、あたしは首を横に振った。
いやいやいやいや、否。
まさかですよ、まさか。
だってそんな、明らかにあやしいし、急だし、なんか怖いし。
「お声かけてくれて本当にありがとうございます、あたしこれからやることあるので、失礼しますね」
「あっお姉さん、せめてお名前を」
「名乗るほどのものではないので! それではーっ」
なる早で、その子の前から逃げたのだった。
◇◇◇
だがしかし。
就職活動を始めたあたしに立ちはだかったのは、かなり厳しめの現実だった。
受けては落ち、受けては落ち、受けては落ち。
というか、書類選考でことごとくはねられて、あたしは面接にこぎつくことすらできなかった。
書類選考なしで直接履歴書を持ってきてくださいと言われた会社に行ってみると、社内に入る事すらためらうようなプレハブの赤錆だらけの社屋だったりして、それでも勇気を出して中に入ってみると、事務所の机の上に銀の灰皿がいくつも置かれており、この会社に履歴書を置いて帰りたくないと思える気配だった。
そうでない会社からはザクザク落とされる。
これでもかと。悪い呪いでもかかっているみたいに。
前の会社からなにか悪い評判でも流れてるんだったりして。ふふ、まさかね。でもあたしの名前がなにかのブラックリストに乗っちゃってるんだとしたらどうしよう、なーんてね。うふふ、うふふふふ。
なんて、ありえないようなことを考えてしまうほど、書類選考で落とされ続けて二十日ばかりが過ぎた頃、あたしは落ち込んでいた。
仕方ない、面接なんて落ちる方が多いんだから、いちいち気にせず次に行かないと。
そう思う気持ちと、それとは真逆のどうしようもない気持ちが交互に襲ってきて、じっとしていると苦しいくらいだった。
がんばれ自分。
やるべきことを粛々とやろう。
そう決めてはいても、ここまで落とされ続けるとなんだかどんよりしてしまう。
なんでだろうなあ、世の中に会社はこんなに多いのに、どうしてこうも次の仕事が決まらないんだろう。高望みしているつもりもないし、まじめに働くタイプだと自分では思ってるんだけど。
ふとあたしは、クリアファイルにはさんでおいた紙を取り出す。
あの日出会った美少女に渡されたものだ。
あれから何度も見たものだが、あらためて目を通してみる。
『カウンセリングサロン・レストフィア』。
完全予約個室制のカウンセリングサロンらしかった。シンプルなHPからはそれ以上の情報は得られなかったが、実在している会社ではあるようだ。
カウンセリングねえ、とあたしは思う。
ここ条件はすごくいいのになあ。
それなのに、検索してみると今でもまだ求人はかかったままである。
好条件なのに、どうしてまだ人が決まらないんだろう。
渡された名刺を手に取ると、そこには二王頭一臣と印字してある。
におうずかずおみ。
かずおみ。
何度見ても男性の名前だ。
この名刺を見るたび、あたしは一瞬思考停止してしまうのだけれど、多分間違えて別の人の名刺を渡しちゃったんだろうと思うことで自分を納得させていた。
代表取締役、二王頭一臣。うん、きっとそうだ。
──きっとなにかの間違い。
もしもし、お嬢さん、他人の名刺渡してますよー。
心の中で語りかけつつ、あたしは求人票に書いてある電話番号に電話してみた。これはほんとにもう、気の迷いに近かった。
だってほら、彼女が気づかないままよそでも同じことをしていたら大変だし。
事務員としては破格のお給料に心が惹かれたなんてことは、多分、きっと、ちょっとしかない。
だけど2コールめの途中で電話はつながり、とても若く見える女性からこんな名刺をいただいたんですが……とあたしが告げると、あれよあれよと会社に伺う日時が決定された。
「お名前よろしいですか」
「縫代いちかと申します」
「ご年齢も伺っても?」
「28です」
「それでは一度面接させて頂きたいんですが」
やけに甘く耳に心地よい声である。
あたしは思わず、はい、はいと返事をしそうになって、すんでのところで思いとどまった。
「あのっ面接希望というわけではっ」
「では縫代さんは、現在どちらかにお勤めなんでしょうか?」
「あ、いえ、それはないんですけれども」
「でしたら一度面接を」
「でもっ……」
「うちの二王頭は、誰にでも自分の名刺を渡す人間ではございません。ご連絡いただけたのもなにかのご縁と存じます。履歴書をお持ちになって、ぜひとも面接にいらしてください」
その人の声は低く落ち着いているのに、言いようのない甘さがあって、聞いているだけでふわふわと気持ちよくなるものだった。
「は、はい……それではよろしくお願い致します」
「お待ちしてますね」
そんなわけで、あたしは微妙に押し負けた格好でそのカウンセリングサロンに面接に行くことになった。
そして、行ってみたら、大歓迎されたのだった。