しあわせになれよ、王子様
新しい小学校に転校してきたばかりだったころ。
転校してそうそうに、アタシはお節介でミーハーなクラスの女子に連れられ、となりのクラスをのぞきにいった。
なんでも、となりのクラスには王子様がいるらしい。
まじかよ。王子様って。
おまえら少女漫画の読みすぎじゃね?
内心そう思いながらも、まあ転校してきたばっかだしなー。
クラスに馴染んどかないと、ハブられたらダルイしなー。なんてかんじで、素直についていった。
意気揚々とアタシの手をひっぱっていた女子は、となりのクラスのとびらの前で、ぴたりと足をとめた。
それから、教室のとびら半分上にはめこまれているガラスから、教室の中をのぞきこんで、「ほら、あそこ」と指をさした。
「あの子、ハーフらしいよ。アメリカ? だったかな。カッコいいよね」
そう言う声も指もふるえている。
ぽうっと浮かれたかんじで、口は半開き。
王子様ってどれほどのもんだよ。
アメリカとのハーフだったら、なんでもカッコいいんか。
日本だってイケてるわ、ボケ。
そんなふうにますますしらけた気分になって、アタシはポケットに手をつっこみながら、教室をのぞいてみた。
なるほど。王子様とやらは、クソみたいに目立っている。
王子様はギャーギャー猿が暴れまくっているような、動物園とかわりない教室で、ぽつんとひとり。
窓際の席におとなしくすわっている。
肘をつき、ぼんやりと校庭をながめたりなんかしちゃって、キラキラオーラ全開だ。
窓からさしこむ光が、王子様の髪を金茶色に輝かせていて、それがまた、なんというか。繊細な美少年然とした横顔をそれっぽく見せている。
スカした野郎だ。
王子様の気取ったかんじだとか。
王子様が転校生でもないくせに、ぽつんとひとりぼっちなことだとか。
王子様が気になってたまらないのに、ぜんぜん話しかけもせずに遠くからアレコレさわいで、アタシをここまで連れてきては浮かれてるだけの女子とか。
なんもかんも、ぜんぶ気に入らない。
むかむかして、足取りあらく、ズカズカと教室に入っていった。
アタシをここまで連れてきた女子が、うしろでなにか言っている。ひそひそ声をどうにか大きくしようと工夫してみました、みたいな、中途半端な音量で。「なにしてんの」とか「ちがうクラスに入っちゃダメ」とか。
うるせー。
「あんた、城田優にまじソックリじゃん」
そう言って、窓と王子様のあいだに割り込み、王子様の顔をのぞきこむ。
初対面の女がとつぜん話しかけてきたことにめんくらったのか、王子様は目をまるくした。
へー。横顔だけじゃなく、正面から見ても、きれいな顔してるじゃん。
まじまじと観察していると、王子様は居心地悪そうに体をゆすった。
それから、聞き取れるギリギリくらいの小さな声で、ぼそりとつぶやいた。
「シロタなんとかって、だれ?」
「えっ。知らないの?」
王子様のちっちゃい声に対して、アタシの声は教室中に響きわたるくらい、バカでかかった。
アタシを連れてきたはずの女子は、ヤバイと思ったのかなんなのか。
とびら前でひょこひょこ頭を出していたのもなくなり、すっかり姿をくらましている。
あいつ、逃げたな。
「知らねえよ」
王子様は不機嫌そうに鼻の頭にシワを寄せた。
見た目のイメージより、口が悪い。
王子様なんてキャーキャー言われて、スカしてるのかと思えば。
へー。いいじゃん。
「あんた、ドラマ見ないの? 男子って『ROOKIES』好きなんじゃないのー?」
アタシがそう言えば、王子様は「日本のドラマはあんまり」と肩をすくませた。
そのポーズが、いかにもカッコつけてるみたいで。
ふつー、こんなポーズとる? 小学生の男子が。
それともギャグ?
『ディラン&キャサリン』のなだぎ武かよ。
つーか、『日本のドラマは』ってなんだ。
外国人みたいな見た目してるからって、日本バカにしてんのか? おん?
「なんで?」
イライラしてたから、アタシの声は、すごく冷たかったと思う。
王子様は気まずそうに「わりい」と言った。
「なんか、俺、マズイこと言った?」
しかられて耳をぺたんとした犬みたいなかんじ。
おそるおそるといったふうに聞かれてしまえば、いっきに罪悪感がわきでた。
たしかにイラっとはしたけど、アタシの態度はよくなかった。理不尽ってやつだ。
「べっつにー」
ぶっきらぼうに、そう言ってから、アタシは気を取り直して、「ドラマ見ないんなら、なに見んの?」とたずねてみた。
王子様はホッとしたのか、へにゃっとほっぺたをゆるめて、「映画」とこたえた。
ぱっと見、繊細な美少年ふうなくせして、わかりやすいじゃん。
これのどこが、『孤高に咲く高嶺の花』なんだろ。
ふつーに話しやすいじゃん。
「どんなやつ?」
教室のまんなかにかけられている時計をチェックしてから、あたしは王子様に聞いた。
十二時四十五分。
五時間目が始まるまで、まだあとちょっとある。
「古いやつ。『ターミネーター』とか。知ってる?」
王子様はソワソワしながらこたえた。
「知らなーい。なんで古いの見んの? おもしろい?」
「ランさん……いや、ハハオヤが映画が好きでさ。まあ、それなり、おもしろいんじゃね」
「げえっ。マザコンじゃん」
そう言ってアタシがからかうと、王子様はニヤリとした。
「まあな」
昼休みが終わり、その日はそれでおしまいになった。
クラスに戻ると、それまで転校生だとアタシをチヤホヤしてくれた女子から、めちゃくちゃにらまれた。
次の日、登校すると、王子様が昇降口で仁王立ちしていた。
靴を履き替えもせず、黒いランドセルを片方の肩にダラーンとぶらさげて、腕を組み。
なんだあれ。
もとから目立つ見た目してんのに、なにやってんだ。
ほかの子たちが、王子様を遠巻きにして下駄箱に向かいながら、ちらちら覗き見しているのがわかる。
へんなやつ。
ていうか、アイツは友達いないんだろうか。
昨日もひとりだったけど。
そんなふうなことを考えながら、のんびりと昇降口に向かう。
そこで王子様と目が合った。
「やっと来たな」
王子様はそう言って、アタシをにらんだ。
朝からなんなんだ。
「おはよー」
アタシはいちおう片手をあげて、挨拶をした。
王子様は肩すかしをくらったように目をまるくしてから、「おう」とか「はよ」とかモゴモゴと言った。
「なに? なんでこんなとこでつっ立ってんの?」
そう聞いてみれば、どうやら城田優をテレビかなにかで見たらしい王子様が、アタシに文句つけたくて、登校してずっと、待ちかまえていたのだそうだ。
アタシのクラスがどこかわからなかったらしい。
やっぱりコイツ、友達いなそう。
ふつー、転校生がどこのクラスになったのかくらい、友達がいたらすぐにわかる。
もしかしたら、ちょっとかわいそうなやつなのかもしれない。なんてことを考えていたら、王子様は眉間にシワを寄せて、ずいっと詰め寄ってきた。
「アイツと俺、どこが似てるんだよ。ぜんっぜん似てねえじゃねえか」
ヤバイ。地雷ふんじゃったのかな。
ケンカするために待ちかまえてたとか?
内心あせりつつも、アタシは「ほら、あんたも城田優も、ハーフじゃん。あれ、あんたハーフだよね?」と言いわけをした。
「おまえの中では、ハーフはみんな同じ顔してんのかよ」
ぶっきらぼうな言い方だったけど、本気で怒っているかんじではなかった。
だからべつに、アタシも謝らなかった。
「俺のチチオヤはコイツ」
そう言って、王子様はズボンのポケットから、まるまった紙切れを取り出した。
紙切れはボロボロですり切れている。
そこに印刷されていたのは、城田優より、もっと王子様に似ている男の人。城田優より、もっと外国人。
ぴたっとした赤いロンTにシルバーアクセサリーじゃらじゃらつけた、いかにもロックスターですってかんじの、スカした大人だった。
「なにこれ。雑誌の切り抜きみたい」
アタシは冗談だと思って、からかうつもりで言った。
「あんた、有名人のムスコだったんだ?」
「そうらしいぜ」
王子様はニヤリとして言った。
「まあ、俺もよく知らねえけどな」
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王子様のハハオヤ、ランさんってのが、また強烈なヒトで。
すこしずつ、すこしずつ。王子様の複雑な家庭環境が見えてきて。
ときどきポツリと漏らすグチを聞いたりとか。
「いろいろ大変だね、あんたも」なんて、他人ごとみたいに言えば、王子様はニヤリとして「まあな」と返す。
そのころにはアタシも、だいぶ王子様のことがわかるようになっていた。
ニヤリとカッコつけるのは、ただの強がりだっていうことにも、気づいていた。
そんなかんじで、ぜんぜん友達のいない王子様に同情して、なんとなく友達やってたら、年ごろになった気の合う男と女。
自然とそういうことをするようになったりして。
でも結局、うまくいかなかった。
おたがいに、友達でいるほうが居心地がいいことに気がついた。
ロマンチックな気分にひたろうとするには、友達期間の、妙なテレが足を引っ張ってしまった。
それから、王子様は目立つ見た目をクズっぽく利用するようになった。気がつけば、会うたびに連れの女が変わっている。
かと思えば、今度はホストまでやり始めた。
やばい。コイツ、本格的にクズを極め始めた。
つーか、ランさん――いちおうは産みの母であるはずの――が客になってるとか、さらにやべー。
ヤバさが大気圏脱出している。
ダイジョブか?
幼馴染の悪友が、どんどんヤバいウサギの穴へと落ちていくことに、危機感を抱きながらも。それでも、なんにもできないでいたとき。
なんと、お姫様があらわれた。
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その日は、通いのクラブにいた。
ダンサーの友達がステージに出るってことで、その子の出番がくるまで、カウンターでイエーガーマイスターのショットをもらって、ひとりちんたら飲んでいた。
そしたら、ひとごみのなか、頭ひとつぶんデカい金髪が見えた。
おっ。ひさしぶりじゃん。
赤と青と黄色に緑、あとはなんだろ。
けばけばしい色の光がぐるぐる回転して、踊ってるやつらを照らすのを横目に、ひとごみをすり抜ける。
「いっしょに踊んない?」なんてナンパを笑ってかわして、たどりついたさきにいたのは、落ちぶれまくってすさんだ王子様。
昔はキラキラ、きれいなオーラだったけど、最近じゃギラギラとかギスギスとか。そんなかんじ。
ガタイもいいし、ガラも悪いし、いわゆる王子様ってやつじゃねーな、なんて。しつれいなことを考えながら、ショットグラスで、王子様の胸をたたいた。
「ひさしぶりじゃん。元気してた?」
「まあな」
王子様はすこし前からアタシに気がついていたようで、おどろく様子はなかった。
でも、アタシはおどろいた。
だって、すごく優しい顔をして笑ったから。
最近じゃ、ぜんぜん見なかった表情だ。
ひねくれて、斜にかまえて。歪めた口から出てくる言葉といえば、冷めきっていたり、トゲトゲした皮肉ばっかだった。
おん? どうしたよ?
思わず首をひねる。
そうしたら。
「あれ? めずらしー。最初から女連れ?」
思わず口にしてしまった。
そう。コイツにしてはめずらしく、最初から連れている女がいた。
いつもはテキトーにむらがってきた女をそのまんま持ち帰ったり、はべらせたりしているだけなのに。
もしかしてホストやってるときの客だろうか。
店外デートでもしてんのか?
はじめて見る顔だった。つっても、見るたびに違う女を連れているから、それ自体は、ぜんぜんおどろくことじゃない。
おどろいたのは、その女――いや、女性というのが、とびっきりの美人で、そしてクラブなんて一度も来たことがなさそうな。すれたところのすこしも見当たらない、キラキラきれいなお姫様そのものだったことだ。
「こんにちは」
にこっと笑って挨拶すれば、すこし緊張したような面持ちで、「こんにちは」と返ってくる。
えっ。こーいう子をだましたらダメじゃね?
めちゃくちゃ純粋そう。
たとえホストと客の関係だったとしても。それでも、ぜったい傷つく。死ぬほど傷つく。
猛烈に腹が立った。
どんなに落ちぶれたとしても、こんなふうにやっちゃいけない一線まで越えるやつだとは思わなかった。
くたばっちまえ。
呪いをかけるような気持ちで、王子様の肩に手をかけ、わざとらしく上半身を近寄せて、かわいそうな女の子にわざと見せつけるようにした。
ごめんね。
いやだよね。悲しいよね。
でもコイツ、最低な男だから。
あなたみたいに素敵なお姫様には、ぜったいにつりあっていない男だから。
傷が深くならないうちに、早く縁をきってね。
そう思いながら王子様の耳元にくちびるを近づけて、「もしかして、店外デート?」と聞いてやった。
お姫様にちらっと横目をやると、不安げな顔が見えた。
胸が痛い。ごめん。ホントにごめん。
「違う。客じゃなくて本カノ」
王子様はアタシの手をふりはらうようにして、アタシから距離をとった。
「本営でもねーから」
真剣な顔つきで、そう言った。
それからすこし言いよどんで、「コイツしかとなりに寄せねーって言っといて」とつけ足した。
「まじで?」
アタシはほとんど叫んでいた。
本カノ!
まさかの!
言っといてって、まさかランさんに「子離れしろ。今度は本気だぞ」って伝えとけってこと?
王子様の表情やふるまいからは、これまでのすさみきってダレた雰囲気がすっかり取りはらわれている。
疑う余地もなかった。
アタシは嬉しくなって、お姫様を見た。
なにがなんだかよくわからない、といったかんじで、あいまいにほほえんでいるお姫様。
この子なんだ。
この子が、本当のお姫様なんだ。
王子様はお姫様に、ようやく出会えたんだ。
ハグしてキスしたい気持ちでたまらなくなった。
とはいえ、初対面でハグとキスしてくる女なんて、ヤバすぎる。ここは日本だ。
「そっかー。そんじゃ邪魔して悪かったね。オシアワセにー!」
どうやってもニヤニヤしてしまう口元を、からっぽのショットグラスで隠すようにして、もうかたほうの手を振った。
それからくるり、幸せそうな恋人ふたりに背をむけて、DJブースに向かった。ダンサーのあの子も、そこにいるかもしれない。
あたりまえだけど、アタシを引きとめる声はかからなかった。
うーん。祝い酒に、いますぐ、もう一杯飲みたい気分だ。やっぱりバーカウンターに行こう。
ああ、よかった。
本当によかった。
しみじみそう思いながら、アタシはからっぽのショットグラスをくちびるにおしつけた。
ほんのちょっぴりだけ、ハーブ臭いしずくが残っていて、それをなめる。
いつもより、苦いような気がする。とかなんとか、なんだよ。使い古しのダセー失恋ソングかよ。
カウンターでもう一杯、イエーガーマイスターのショットを頼んだ。
いかにも遊んでますってかんじの、アタシと同類な雰囲気の女性バーテンダーが、「どーぞぉー」と甘ったるい声でショットグラスを差し出す。
ああ、この子、アタシに気があるんだろうな。
悪いねー。アタシ、女の子と遊ぶのはもうやめたんだよね。
でもどうしようかな。今夜くらいはいいかな。
そんなふうにグダグダ考えながら、目の前のショットグラスをいっきにあおった。
のどが焼けつくように熱い。
甘い薬草液が、胸のまんなかを流れ落ちて、傷んだところをすみずみまで癒してくれる気がする。
バーテンダーの女の子がチラチラ、こちらを見ているのがわかる。
その視線をさえぎるように、グラデーションに赤く染めた毛先をつまんで、枝毛チェックみたいに鼻先でブラブラさせた。
いや、今夜くらい遊んでもいいんだけどさ。
でもさ、王子様はついにお姫様を見つけたんだし。
アタシだって、もういい加減、ダラダラしてるのもさ。
最初の一杯と、それから急にあおった二杯目のおかげで、頭の中がいいかんじにフラフラしてくる。
イエーガーマイスターは、高校をサボって、王子様と一緒に私服でフラフラしていたとき、ナショナル麻布だったか成城石井だったかで見かけた酒だ。
そんで有栖川宮記念公園の、池周辺の石橋が架けられたあたり。背の高い木々に囲まれた、大きな岩にすわりこんで、ふたりで飲んだ。ついでに買ったプラカップで、こっそり乾杯した。
ふたりとも、初めて飲む酒だった。ふたりして、独特の薬草っぽい甘さが気に入った。
それから、酒で火照った頬をかすめる風が心地よくて。
木々を通り抜ける、すがすがしく澄んだ空気は、まるで異世界に迷い込んだみたいな気持ちになった。
未成年の飲酒も、異世界ならオッケーだよね。
うん。まあ、現代日本だったけどさ。
そっか。そっかー。
王子様はお姫様に出会ったんだ。
ホントのお姫様に。
よかったな。
ホントに、本当によかった。
カウンターからぐるりとフロア全体を見渡してみる。
ちょうど王子様とお姫様が出ていく、その後ろ姿が見えた。
「しあわせになれよ、王子様」
頼んでもいないのに、いつのまにか新しく提供されたショットグラスをつかんで、アタシは王子様の背中に向けて、祝辞を送った。
三杯目のイエーガーマイスターで、アタシは完全に落ちた。らしい。
とりあえず言えることは、ダンサーの友達のステージを見た記憶はない、ということだ。
(了)
ご覧いただき、ありがとうございました!
今作は『ダフネはアポロンに恋をした(https://ncode.syosetu.com/n0879hg/)』の関連作です。
併せてご覧いただけると、とても嬉しいです。
ちなみに今作は、『10 クラブで踊ったあとには金目鯛(https://ncode.syosetu.com/n0879hg/11)』で登場する幼馴染の話です。
冒頭は、2008年あたりを想定しています。