感情の色〈白縹色〉
しろはなだいろ/淡く青がかる白
―――じっと見ちゃうんだよね。
今日は木曜日。学校が終わったらすぐに帰らないと。
先生にさようならってあいさつしたら、みんなにバイバイってして。走って帰らなくても間に合うけど、なんとなく急いじゃう。
今日のおやつは何かな。おにぎりかな。りんごかな。お菓子はゆっくり食べちゃうから、木曜日には出ないんだよね。
―――木曜日はピアノの日。
先生のところへ行く前に、自分でちゃんと練習しなきゃ。
おやつはフレンチトーストだった。食べやすいように、ちゃんと小さな四角に切ってくれてる。
急いで食べて、楽譜を置いて、ピアノの前に座った。
なんか楽しそうって思って始めたピアノだったけど、ほんとはちょっといやになってた。
手はこんな形で。ここはこの指で押さえて。やらなきゃいけないことも覚えなきゃいけないこともいっぱいで、全然弾けなくて。
もっと好きに弾けると思ってたのに。
つまんなくなって、やめたいなって思ってた。
そんな時に先生のリサイタルを聴きにいって。ものすごくびっくりした。
手だって指だってぼくの倍くらいあるんじゃないかって思うくらい、たくさんの音が次々鳴って。いつもぼくが弾くのと同じピアノだって思えないくらい、バーンってきたり、ふわふわってしたり、キラキラってなったり、色んな音が鳴って。
ぼくの出せる音とは全然違う。
それに、舞台の上の先生もいつもの先生じゃないみたい。にこにこ優しい顔じゃなくて、本当に真剣な顔をしてた。
リサイタルが終わって。ロビーで待っててくれた先生は、来てくれてありがとうって笑ってて。いつもの格好じゃなかったけど、いつもの顔で。なんだか不思議だった。
ぼくが弾いてるのも同じピアノなのに。なんでこんなに違うんだろ?
先生の言うことをちゃんとできたら、先生みたいに弾けるようになるのかな?
先生みたいに弾けたら、きっと僕だって好きなように弾けるんだよね。
そう思って、その次の練習の時に、ぼくも先生みたいになれるかなって聞いてみた。
先生は、どうなれるかはぼく次第だけど、できる限りのお手伝いはするよって言ってくれた。
それからぼくは変わった。先生の言うことを一生懸命聞いて、できるようにいっぱい練習した。
できないこともあったけど、ちょっとずつがんばった。
あれから変わったことはもうひとつ。
今まではぼくが弾くだけだったけど、時々先生が弾いてるところを見せてくれるようになった。
その日も先生はぼくの目の前でピアノを弾いてくれた。
ぼくの隣じゃなくてひとりでピアノの前に座る先生は、リサイタルの時みたいに真剣な顔をしてる。
手だって指だってぼくと同じだけしかないのはもうわかってるのに、これだけ近くで見てもどう動いてるのかがわかんない。
だからいつもじっと見る。
ただすごいなぁってだけじゃなくて、先生がどんな風に、どんな顔をして弾いてるのかもちゃんと見る。
先生のどこがすごいかわかるようになったら、ぼくも先生みたいに上手に弾けるかな。
先生がどんな事を考えながら弾いてるのかわかるようになったら、ぼくにも先生みたいに色んな音を出せるかな。
そんなことを思いながら。
いつでも思い出せるように、じっと先生を見ていた。
弾き終わった先生は、にっこり笑って僕を見て。
いつも真剣に聴いてくれてるねって、言ってくれた。
ぼくのためだけのリサイタルなんだから当たり前だよって思ったけど。ちょっと恥ずかしくて言えなかったから。
いつも先生だってぼくのピアノを真剣に聴いてくれるからだよって答えた。
嬉しそうな先生に、ぼくまで嬉しくなりながら。これからもがんばろうって思う。
先生みたいに大きな舞台でリサイタルなんて、ぼくにできるかはわかんないけど。
先生がぼくにしてくれるみたいに。
せめていつか、先生のためだけのリサイタルができたらいいな―――。
読んでいただいてありがとうございます。