5話
「佐伯君。松野さん。お疲れ様」
「お疲れ様です」
「お疲れさまでーーす!」
夜。
繁華街。
俺は就業後、先輩社員と後輩社員と一緒の三人で飲んでいた。
帰りが一緒になったから飲んでいこうという話になったのだ。
6時ごろから飲み始め、2時間ほど飲んで解散となった。
時刻は8時を少しまわったくらいか。
飲み会の解散には少し早いかもしれないが、明日は平日だ。
明日も定時で出社しなければいけない。
ほどほどにしておいた方がいい。
俺と後輩は帰りの方向が一緒だが先輩は違う。
そのため俺たちは居酒屋を出て、先輩と別れた。
そして後輩なんだが。
「松野。大丈夫か?」
「だーい、じょうぶですよー」
あははは、と大きな声で笑う後輩。
名前は松野由美。
俺の一つ年下の会社の後輩だ。
「飲みすぎだぞお前。明日も会社あるんだが」
「しょーーがないじゃあないですかぁ。誰かと飲むの、ひっさしぶりだったんですもーん」
なにがしょうがないんだ。
久しぶりなら、なおさら慎重に飲むべきだろう。
自分がどれだけ酒を飲めるか把握しておけ。
というような正論は、酔っ払いには意味がない。
こいつとは少し前まで頻繁に居酒屋で一緒に呑んでいたんだが、ここ最近は一緒に飲んでいなかった。
というか、松野自身がしばらく誰かと飲んでいなかったらしい。
久しぶりの飲み会でテンションあがって酒を飲みまくって、ベロベロに酔っ払ってしまっていた。
「せんぱーい! もう一軒行きましょう。もう一軒!」
「ええ……。明日会社あるっていってるだろ」
「いーいじゃないですか。それとも、私の酒が飲めないっていうんですかーあ?」
「飲めないよ。だから明日会社あるんだって。これ、お前のために言ってるんだからな?」
「えー、行きましょうよー?」
松野が腕を組んでくる。
こいつは酔うとダル絡みしてくるのだ。
めんどくさい奴だな。
悪い奴じゃないんだが。
「おい、離せ」
「いーいじゃないですか。それとも、私の腕が組めないっていうんですかーあ?」
「そんな、私の酒が飲めないのかみたいに言われても」
絡んでくる松野の腕を外そうとするが、しかしがっしりと組んでいるためかなかなか外せない。
このままだと無理矢理連れて行かれそうだ。
こいつが飲みすぎて明日に響くのも問題だが、それに俺が巻き込まれるのも勘弁したい。
松野の拘束から脱しようと苦心していた時。
「何をしているんですか?」
よく、聞きなれた声が聞こえてきた。
というか、毎日聞いている声だ。
聞き間違うはずもない、沙織の声だった。
だがなぜだろう。
いつも聞いているよりも、なぜか声が冷え冷えとしているような。
「あ……、沙織」
声のした方を振り向くと、そこにいたのは九条沙織。
俺が一緒に住んでいる、16歳の少女だ。
「沙織、なんでここにいるんだ」
時刻は夜の八時すぎ。
高校生が出歩くにしては、少し遅い時間帯だ。
ましてや沙織は、夜に友達と遊ぶタイプではない。
夜の繁華街にいるとは、思ってもいなかった。
「なんでもなにもありませんよ。今日はたまたま友達の家に遊びにいっていたんです」
「ああ、その帰りか……」
「問題なのは私がここにいることではなく、修一さんの方じゃないんですか?」
え? 俺?
「私がちょっと目を離したら、こんなところで女の人と遊んでいるだなんて」
沙織はこちらを睨んでくる。
なんか、いつもと違う雰囲気だ。
というか、怒っている。これは。
「ええと、沙織。なんか怒ってる?」
「怒っている? 当たり前じゃないですか!」
語気を強めながら、ズカズカとこちらにやってくる。
「な、ん、で! 私の修一さんと腕を組んでいるんですかこの人は!」
沙織が強引に俺と松野が組んでいる腕を外してくる。
「うおおお、何をするー」
勢いよく腕を外され、松野がよろめく。
さすがに転びはせず、数歩よろめいて立ち止まる。
「ひどいなあ、もう」
「ひどい、はこっちの台詞ですよ。なんなんですか、あなた? わ、た、し、の、修一さんですよ!?」
「私は先輩の後輩だけど?」
「意味がわかりません!」
「ああ。えっと、こいつは松野っていって、俺の会社の後輩なんだよ」
話が進まないから、簡単に松野について沙織に説明する。
「せんぱーい、この女の子はいったい誰ですか? 知り合い? 妹?」
「あ、ああ。この子は俺の――」
「未来の妻です」
そう言って、沙織は俺の腕をとって自分の腕とからませてきた。
「つ、つま……?」
沙織の言葉に、目を丸くする松野。
「ええ。婚約者なんです、私たち」
「婚約者」
「そうです。婚約者です。というわけで、たかが会社の後輩にすぎない貴方が、私たちの間に入る余地なんてありませんので」
そして沙織は、ふふんと笑い、挑発的な顔をする。
「勝手に人の未来の夫とベタベタしないでくださいね?」
その顔を見て、その言葉を聞いて、松野が打ちのめされた様に一歩下がった。
「せ、先輩。婚約者いたんですね。このあいだ彼女いないって言ってたのは嘘だったんですか」
あ、やばい。
さっそく松野が勘違いし始めてる。
「いや違うぞ。こいつは別にそういうんじゃないっていうか」
「それでは! 失礼します!」
俺の言葉を遮り、沙織はぐいっと俺の腕を引っ張る。
「私たちはこれから、家に帰って寝ますので! 一緒に住むような間柄なので!」
「わかった。わかったから往来でそんな大声で叫ばないでくれ」
周りの人たちが何事かとこっちを見ている。
修羅場だとでも思われているのかもしれない。
「一緒の家。すんでいる。やっぱり婚約者なんだ……」
「違うんだ。あ、いや一緒の家に住んでるのは別に間違っていないんだが――」
「行きますよ修一さん。これ以上ここにいてもいいことありませんので」
そう言って、沙織は強引に俺を引っ張って歩き始める。
「わかった、わかったから。おい松野! 明日はちゃんと会社来いよー!」
沙織に引っ張られる形で、未だに唖然とする松野と別れて俺は繁華街を進んでいった。
引っ張られること数分。
人通りの少ないところまで黙って進んだあと、沙織は足を止める。
「浮気ですか? 修一さん」
「浮気じゃないだろ、別に」
ようやく口を開いたかと思えば。
浮気って。
松野とはそんな関係ではない。
もちろん沙織とも違う。
「まったく。私という者がありながら。あんな人と腕なんか組んじゃって……」
「あれは酔ったあいつが無理矢理してきたことだよ。別に変な関係じゃない」
俺がそう言うと、沙織はクスッと笑った。
「冗談ですよ。私だって、あれだけで浮気と思うほど狭量じゃありません」
「浮気もなにも、そもそも恋人もいないぞ?」
「婚約者はいます」
沙織がぴしゃりと言う。
「それに、あれを見て嫉妬しちゃったのは本当です」
「だから私の機嫌を直すために、少しの間だけでもこうさせてください」
沙織は組んだ腕を解こうとせず、そのまま進む。
今度はさっきみたいに強引に引っ張るのではなく、横に並んで歩幅を合わせて歩いていた。
その姿は、側から見れば、まるで恋人の様に見えるだろう。
「離れなさい」
「いやです」
「でも周りの人に見られているから」
「見せつけているんですよ?」
「見せつけるのはダメ」
「イチャイチャするのは二人っきりの時で、ということですか?」
「そういうわけじゃない」
「ダメです。腕は組んだままです」
取り付く島もなく、彼女は腕を離さない。
「私を嫉妬させた罰です。このまま家まで一緒に行きますから」
「……今日だけだぞ」
沙織の勢いに負け、俺は許可してしまっていた。
いつもなら、断っているのに。
少なくとも、もう少し抵抗するのだが……。
くそ。すぐに許してしまうあたり、どうやら俺も酔っているらしい。