21話 小学生編8
水族館に行き、そして沙織ちゃんの家に行ったその夜。
「疲れた……」
俺はふうとため息をつき、ソファに深くもたれかかる。
体に疲労がたまっていることがはっきりとわかった。
沙織ちゃんが日記を読んだ後も部屋の整理を行ったからな。
整理の後にも書類とかを運ばなきゃいけなかったし。
今日一日、動き回ってしまった。
眠い。
もう寝てしまいたいが、せめて自分の部屋で寝たいところだ。
ソファの上でぐうぐうと寝ているだらしない姿を沙織ちゃんに見られたら、幻滅されてしまうかもしれないからな。
幻滅まではいかなくとも、だらしのない奴だと評価されてしまうかもしれない。
それは嫌だ。
だからこんなところで寝るわけにはいかないのだが……。
「修一さん」
起き上がろうとしたら、後ろから声をかけられる。
沙織ちゃんだ。
いつの間にか後ろに来ていたらしい。
「疲れていますか?」
「あ、ああ。少しね」
あははと軽く笑いながら、俺は自室へ行くために立ちあがろうとする。
「待ってください」
しかし、その行動を沙織ちゃんは止めた。
「ん?」
不思議に思って後ろを振り向くと、そこには沙織ちゃんはおらず、ソファを回って俺の隣に座った。
「ん? 座る? それなら――」
――どくよ。
そう伝える前に、沙織ちゃんが俺の肩をつかんで自分の方へと引き寄せた。
「え?」
倒れこんでしまう。
いや、小学生の女子に肩を引き寄せられたくらいで倒れるなんて。
どんだけ疲れているんだよ。
というかこの状況。
倒れたときに沙織ちゃんの足に頭が置かれてしまって、膝枕の状態になっている。
「ごめん、倒れちゃって。今すぐどくよ」
「どかなくていいです」
俺が体制を戻そうとすることを防ぐように、沙織ちゃんは頭を押さえつけた。
ん?
なんだこの状況?
「どかないで、このまま、膝枕したいです」
沙織ちゃんが頭を押さえつけたまま、耳元で囁く。
「ええと」
「膝枕したいです」
もう一度。
そして先ほどよりもはっきりと大きい声で言われる。
「もしかして、ご迷惑でしたか?」
「いや、迷惑じゃないよ」
俺はすぐに否定して、彼女の要求に身を任せることにした。
本当に迷惑じゃない。
むしろ横に慣れて気持ちいいくらいだ。
それに、この膝枕も沙織ちゃんが俺に心を開いてくれたからやってくれているのだと思うと、嬉しくて断ることなんてできない。
心を開いたからって膝枕するとは限らないが……。
まあでも、信頼していない相手に膝枕もしないだろう。
そう納得することにした。
「…………」
だがしかし、冷静に考えると。
小学生に膝枕されているこの状況。
傍から見ると、どう考えても事案だな。
なんだか死にたくなってしまうから、そこに関して深く考えるのはよそう。
とりあえず、会話でもして気を紛らわせよう。うん。
「それにしても、なんで膝枕を?」
俺は横になったまま、沙織ちゃんに話しかける。
「修一さんが疲れていましたから」
沙織ちゃんがそれに答える。
「でもなんで膝枕?」
たしかに疲れていたけど、でもだからといって膝枕とは。
小学生なら、こういう時は肩たたきとかを思い浮かべそうなものなのに。
「お母さん言っていたんです。男の人を癒すなら膝枕だって」
「……そうか」
沙織ちゃんのお母さん。
確かに言葉の内容は間違ってはいないけど、それを小学生に母親が言うのは間違っていると思う。
「それにお父さんも、お母さんの膝枕で気持ちよくなっていましたし」
沙織ちゃんのお父さん。
別に夫婦で膝枕するのはいいけど、娘の前でそれをやるのはちょっとどうかと思う。
というかあの夫婦、娘の前でいちゃついていたのかよ。
昔話したときには真面目そうに見えたけど、実はけっこう自由な人たちだったのか?
「修一さん」
「ん?」
「今日は本当にありがとうございました。修一さんのおかげで、いろいろと楽になりました」
「どういたしまして」
改めてお礼を言われると、なんだか照れくさくなってしまうな。
「これからも困ったことがあったら言ってくれ。俺にできることなら何でもするよ。ほら、いっしょに過ごしていることだし。もう家族みたいなもんじゃないか」
だから安心して頼ってくれ、と付け加える。
「なんでも……」
沙織ちゃんが俺の言ったことを小さく復唱する。
「なんでもしてくれるんですか?」
沙織ちゃんが、さっきよりも食い気味に尋ねてくる。
「ん? うん。なんでも言ってくれていいよ」
あれ? 思ったより食いついてきたな。
てっきり「ありがとうございます」と一言も貰って終わる、軽口の一つだと思っていたけど。
ま、別にいいけどね。
彼女の頼みなら、なんでも聞いてあげるくらいわけない。
沙織ちゃんくらいの年なら、変なことを要求することはないだろう。
これが20歳超えたら、高いバッグとか服とか要求されることになるからなあ。
友人が高価な物を彼女にねだられて、金銭的に苦労していることを聞いている。
「あの」
考え事をしていると、沙織ちゃんが口を開く。
「修一さん。私、修一さんのことが大好きです」
「? ありがとう」
いきなり好きだと言われて、俺は驚く。
そして続く言葉に、もっと驚くことになる。
「だから、私が大きくなったら結婚してください」
ん?
結婚?
結婚!?
いきなりのプロポーズに、俺はぎょっとする。
いったい急に何を……。
ああ。これはあれか。
小学生の娘が父親に対して言う、「大きくなったらお父さんのお嫁さんになる」というパターンだ。
俺は沙織ちゃんの父親ではないが、まあそこはそれ、似たような調子だと捉えていいだろう。
年上の親戚に対して恋愛感情を持つことは珍しいことではない。
幼い子供が初めて相対する大人の異性に対する憧れを表しているに過ぎない。
幼稚園の先生に憧れたとか、初恋は従兄だとか、そういう類の話はよくあることだ。
大きくなったらそういうこともあったな、と懐かしい笑い話になるだろう。
ここは別に本気で返事をしなくてもいい。
断らずに受け入れるのが、大人の答えというものだ。
「ああ。いいよ」
沙織ちゃんにそう答える。
「……! ほんとうですか!」
「ああ、大きくなったらね。楽しみに待っているよ」
「嬉しい! ありがとうございます!」
嬉しそうな声が上から聞こえてくる。
まあ、こういうのもいい思い出になるだろう。
もしくは恥ずかしい黒歴史かな?
何年か後には、俺にプロポーズしてきたとからかう時がくるだろう。
「あの時は俺に結婚してくれと言ってくれたのになあ」という風に。
そのときのことを考えて、俺は「ふふ」と笑った。
そしてこの不用意な発言のせいで五年後に俺は大きな苦労をするのだが、そのことをこの時の俺はまだ知らなかった……。
短編投稿しました
『高1の夏休みがループするようになった。ループでどうせ記憶なくなるからと色んな女の子を口説きまくって付き合ったらそこでループが終わって、いま修羅場』
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