2話
「なあ。沙織は彼氏とか興味ないのか?」
ある休日の昼下がり。
ちょうど俺も沙織も一緒にいるタイミングだったから、俺は彼女に尋ねてみた。
「彼氏? それはどういう意味ですか?」
どういう意味ってどういう意味?
「そのままの意味だけど。ほら、沙織は美人だからモテるだろ? クラスメイトに彼氏を作りたいとかは考えていないのかなと」
「ありえません」
俺の言葉に対して、沙織は即答した。
「クラスに彼氏なんていませんし、考えてもいません。クラスの男子なんて興味ありません」
沙織はきっぱりと言う。
「私、年上好きなので」
「そ、そうか。じゃあタイプなのは高校の先輩とかか? それとも大学生の彼氏が欲しいとか――」
「高校の先輩も、大学生にも興味はありません」
「私はもっと年上の人が好みなんです。例えば、社会人とか」
「そ、そうか……。ずいぶん年上がすきなんだな」
「はい。いいですよね、社会人の恋人って。経済的に自立していて立派ですし、包容力があって頼りにもなりますし」
「スーツ姿がかっこいいですよね。毎日会社に行くときの後ろ姿がほれぼれしてしまいます。それに会社から帰ってきて疲れてきた姿は可愛すぎます! 私が癒してあげたいって母性がわいてきちゃいますね。ネクタイを外している時のしぐさなんていったらもう……! はぁぁ、かっこいいのに可愛いなんて、反則です」
沙織は頬に手を当て、恍惚とした表情でつぶやく。
「私はそういう大人の男の人を支えられる女性になりたいですね」
「そ、そうか。それは……がんばってくれ」
俺は彼女の勢いに圧倒されながら、小さな声で応援をする。
すると――、
「何を他人事みたいに言ってるんですか? 私は修一さんのお嫁さんになりたいっていってるんですよ?」
沙織は距離をつめ、俺の目を見つめながら顔を俺に近づけてそう言った。
「だって、修一さんのことが好きなんですから」
「俺のどこが好きなんだ。俺はもうおじさんだぞ」
「気になりませんよ。年上好きって言ったじゃないですか。まあ、修一さんが好きだから年上好きになったんですけどね」
「それとも、修一さんの好きなところを挙げた方がいいですか?」
「それならいくらでも言えますよ」
沙織は指を曲げて一つずつ言っていく。
「優しいところ」
「頼りがいのあるところ」
「かっこいいところ」
「ふとした仕草が可愛いところ」
「私がさみしい時にいつも構ってくれるところ」
「私が辛いときに、そばにいてくれたところ」
「も、もういい。やめてくれ」
気恥ずかしくなって彼女を止める。
「……本気で言っているのか。結婚したいなんて」
「当たり前じゃないですか。というか私たち、むかし婚約しましたよね?」
「え?」
「約束しましたよ? 私と結婚してくれるって」
「どのとき!?」
「小学生のころです。大きくなったら修一さんのお嫁さんになりたいって言ったじゃないですか」
「あ」
その言葉をきいて、俺は思い出した。
沙織が小学生の頃。
彼女が両親の死のショックから立ち直り始めた時ぐらいかな。
その当時に言われたことがある。
大きくなったら修一さんと結婚する、と。
その時俺は、子供の頃の結婚の約束だと思って了承した記憶がある。
「いや、でも小学生の頃の話だし」
「子供の頃の話だからって、なかったことにはなりませんよ?」
「いやでも、あれは父親に向かって結婚してくれみたいな。そういう時が経てば冗談になるやつかと思って」
「本気ですよ。当たり前じゃないですか」
沙織ははあ、とため息をつく。
「小学校低学年ならともかく、当時の私は六年生だったんですよ? もう『父親と結婚する』なんて言う時期は通り過ぎてましたよ。私の修一さんへの言葉は本気に決まっているじゃないですか」
「でも、俺と沙織は十歳以上も離れているし」
「今どき十歳程度、別に珍しいことじゃないですよね。まあ例え珍しくても結婚したいという意思は変わりませんが」
そして沙織はさらに顔を近づけてくる。
キスができるくらい近くに彼女の顔がある。
やはり美人だ。
その美貌に、不覚にもドキドキしてしまう自分がいる。
くそ。
こういうところがいけないんだよな。
そうわかっていても、感情は止められなかった。
「修一さん」
「な、なに?」
沙織はささやく。
「私、おおきくなりましたよ。16歳になりました」
「もう結婚できる年ですよ」
「修一さんと結婚できるようにいっぱい頑張ったんですよ?」
「料理も、勉強も、美容にも気を使って」
「全部修一さんの奥さんになりたいからです」
「大好きです」
「ねえ、修一さん。私と結婚してください」
「でも、沙織――」
「今からキスをします」
俺の言葉を最後まで言わせずに、かぶせるように沙織は言う。
「嫌なら、私を押しのけて下さい。でも受け入れてくれるなら、このまま私とキスをして」
沙織は目をつむって口を突き出した。
キスをするときのように。
まるで誓いの口づけのように。
その姿に、俺は――。
「いいいやいくらなんでもそれは不味いというか、ていうかまだ沙織は16だし結婚は早いと言うか」
慌てて沙織を押しのけようとするが。
でも不思議と俺の腕に力が入らない。
押しのけることが、できない。
あれ?
なんで力が入らない?
ひょっとして、俺は本気で嫌がってはいないのか?
このまま沙織とキスしたいと思っているのか?
ひょっとして、俺も彼女との結婚を受け入れて――?
「なーんて、冗談ですよ」
唇があたる直前、パッと沙織は離れた。
「じ、冗談?」
俺は目を丸くしながら、間抜けな声を出す。
その姿をみて、彼女は「ふふ」と笑った。
「はい。冗談ですよ。そんな今すぐ結婚を申し込むわけないじゃないですか。私はまだ高校生ですよ? 法的に結婚できるからって、すぐに結婚をしたいと思うほどせっかちじゃありません」
「そ、そうか。それは――」
よかった、と呟こうとした。
しかし。
「結婚を申し込むなら、きちんと大学を卒業して、社会人になって、私も経済力を得てからするべきです。その方が私たちと、私たちの子供のためですからね」
沙織の言葉を聞いて、結婚自体は全く冗談ではないことがわかった。
まったくよくない。
「やっぱり今の時代は共働きですよね」
結婚することが、既に彼女の中で確定してしまっている。
現実的なプランを既に考え始めている。
どうしよう。
彼女が埋める外堀に、俺は抵抗できるのだろうか……。
だが……。
「大好きですよ。修一さん」
その魅力的な笑顔に、俺は見とれてしまう。
……抵抗するのは、無理かもしれない。