シンプル
安価・お題で短編小説を書こう!9
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☆お題→『船団』『一筆書き』『ケチャップ』『戦車』
「お待たせいたしました。ご注文の……」
彼女はそこで少し恥ずかしそうに言葉を切ってから、元気よく続きを口にした。
「『恋のふわトロ☆きゅんきゅんオムライス』でございます、ご主人さま」
たどたどしいな。新人さんなのかな? そう思いながら、僕はただ「あ、はい」と言った。
「それではご主人さま。美味しくなるおまじないをかけさせていただいてもよろしいでしょうか?」
ケチャップの入った大きなチューブを両手に抱え、メイドさんは作ったような可愛い声でそう言うと、語尾に「くしゅっ」というような照れ笑いを加えた。
ツインテールのよく似合う、僕好みの女の子だったけど、なんだか無理をさせてるみたいで気の毒になりながら僕は「お願いします」と言った。
「それでは失礼します」
彼女は一礼すると、オムライスの上にケチャップの一筆書きで何かを描きはじめた。明らかにハートとかじゃなかった。なんだか鼻をピンとまっすぐに伸ばした象のような絵だった。
彼女の名札を盗み見ると『てろ』と書いてある。
てろちゃんて、どういう名前? と心でツッコミを入れながら、僕は黙って絵の完成を見つめていた。
ぞうさんみたいな絵はゆっくりとした動作ながらもあっという間に完成し、てろちゃんはおまじないを唱えた。
「美味しくなーれっ! もえ、もえ、きゅーんっ☆」
「わー……」
と僕は、当たり障りのない感嘆の声を漏らしてから、どうしてもこれだけは聞きたかったことをてろちゃんに聞いてみた。
「ところでこの絵、何を描いたの?」
「戦車ですよっ」
と、すぐに答えが返って来た。
「な……」
僕は勇気を出して聞いてみた。
「なぜ……戦車?」
「私の名前はてろたんです」
またすぐに答えが返って来た。
「てろたんだから、戦車です」
声には自信が籠っていた。
「なるほど」
僕はよくわからなかったけど頷いてあげた。
「てろちゃんじゃなくて、てろたんなのかー」
「それではご主人さま、ごゆっくりどうぞ。ご用事がありましたらお呼びつけくださいませ」
そう言ってぺこりとすると、てろたんはカーキグリーンのメイド服を翻し、あっちへ行ってしまった。
僕はトマトケチャップ色で戦車の描かれたオムライスをじっと見つめた。
崩すのがもったいなかった。
どう見ても鼻をまっすぐ前に伸ばした可愛いぞうさんにしか見えないけれど、彼女はそれを戦車だと言う。
よれたところのまったくない、それでいて真っ直ぐな線が鼻の部分しかない、綺麗な丸っこさながら、機械では決して描けない絵だと思った。
それはとてもシンプルな一筆書きながら、世界で彼女にしか描けない絵のように思えた。
暫くその絵と心の中で対話をしていて、僕はあることを思いついた。ケチャップだけをスプーンで掬って舐め、うっすらと残っている赤色を皿を持ち上げて全部直接舌で舐め取ると、彼女に向かって手を挙げた。
ちょうど単独で立っていたてろたんは、呼ばれると嬉しそうにメイド服をはためかせ、チョコチョコと小さい歩幅でやって来た。
「ご用でございますか? ご主人さま」
元気な声と笑顔になるべく無表情を崩されないようにしながら、僕はオーダーをした。
「あの……。絵のお代わりって出来ますか?」
戦車が消えてまっ黄色になっている僕のオムライスを見ると、てろたんはすぐに答えた。
「あっ、はい! 今、ケチャップをお持ちしますね!」
そう言って向こうへ行くと、彼女はすぐにまたあの大きなチューブを抱えてやって来た。早速また戦車を描こうとするらしき彼女を僕は止める。
「絵のリクエストとか、出来るんですか?」
「あっ、はい! でもあんまり難しいのは無理ですけど」
「難しいやつじゃないです。むしろ凄く簡単なやつです」
「なんでしょう?」
てろたんは目と口を同時に丸くして僕を見つめた。
「一筆書きで人間を描いてみてください」
「にんげん……」
てろたんは暫く唇に指を当て、天井を見つめて考え込んでいたが、すぐに得心したように笑い、言った。
「わかりました!」
そしてまたゆっくりとした動作ながらもあっという間に彼女は絵を完成させた。
それは手足のあるてるてる坊主のような絵で、まさに僕が望んでいた通りのものだった。
「もっと美味しくなーれっ! もえ、もえ、きゅーんっ☆」
「あの……」
僕は彼女のおまじないが終わると、お願いをした。
「僕も描いていいですか?」
「えっ……? はい。ご主人さま、お絵描きしたくなっちゃったんですかあ? いいですよっ」
てろたんが重そうなケチャップのチューブを僕に渡してくれる。
「どーぞっ」
僕は失礼のないよう、彼女の手に触れないようにそれを受け取ったつもりが、てろたんの押しが強くて、あっちのほうから触れられてしまった。
手袋を着けていない彼女の手は真っ白で、少し冷たかった。伸ばしたネイルが軽く掌の表皮を引っ掻くと、僕は頭の中にぞうさんみたいな戦車をたくさん乗せたふわふわの船団が浮遊して行く夢を見た。
「何を描くんですかあ?」
と、真横に彼女の声を聞き、僕は我に返ると、答えた。
「同じやつ」
そして彼女の描いた人間の隣に、同じく手足のあるてるてる坊主を描いて行く。
一筆書きで、丸を描き、続けて左手、左足、右足、右手、そしてケチャップの赤い線が頭に戻る頃には胴体も自然に出来ており、そこにシンプルな人間の絵が出現していた。
完成した二人の絵を乗せたオムライスを僕は暫く無言で眺めた。
てろたんも僕にほっぺたをくっつける勢いで、並んで暫く眺めていた。
「不思議ですね」
と、てろたんが言った。
「こんなにシンプルな絵なのに、全然違う」
彼女の言う通りであり、僕が思っていた通りでもあった。
彼女が描いた人間は丸っこく、線が太くてブレがなく、小太りな可愛いオッサンみたいだ。
僕が描いた人間はシャープな体型で、線が細くてヨレている。なんだか神経質なくせにいい加減な印象がする。
シンプルだから、多くを語るんだ。
シンプルだからこそ、そこにその人間のすべてが表れるんだ。
そんな風に思えた。
そしてそれは僕が見たかったものだった。
僕は彼女の描いた人間を見ながら、彼女がどんな子供だったか、何が好きで何が嫌いだと思って生きて来たか、毎晩眠る前に行っているルーティンまで、彼女のすべてを知ったような気持ちになった。
どんな風に歯を磨き、お風呂ではどんな順序で体を洗い、どんなパジャマを着てどんな寝相で眠るか。動物園ではゴリラの檻の前で釘付けになり、ソフトクリームはチョコとバニラのミックスを注文し、仕事でない時にはどんな顔で笑うのか。
夕暮れの海を眺めただけで涙を流し、5年前に死に別れた愛犬の写真を今でも大切に携帯電話の待ち受けにしていて、お喋り好きだけどこっちの話も真剣に聞いてくれる。
そんな彼女のすべてがその絵から浮かび上がって来たのだった。
同時に自分の描いた絵を見られながら、彼女に僕の生きて来たすべてを見られているような、恥ずかしいような嬉しいような、そんな気分になった。
黄色い卵色の上に、元気でしっかり者だけどどこか自信なさげなオッサンのような女の子と、小うるさそうなことを言いそうなわりに口数は少なそうな細身の男が、仲良さそうに並んでいた。
僕が何も言わずにその絵に目を奪われていると、てろたんは屈めていた腰をすいと伸ばし、お決まりの口調で言った。
「それではまたご用がありましたらお呼びつけくださいませ、ご主人さま」
「あ……」
と僕は手を伸ばしかけたが、彼女は背を向けて、行ってしまった。
そんなことで傷つくのはおかしいと自分でも思うのに、僕は彼女の背中に、深く、心の底のほうまで、傷つけられた。
店を出ると3月の夜の肌寒い風が吹く現実が広がっていた。ビルの明かりは消えはじめていて、仕事帰りらしき人たちがつまらなそうな顔をして通って行った。今まで夢の中にいたような気がする。
振り返ると今出て来たばかりのメイド喫茶『みりたりぃ』と書かれたピンクと水色の看板が目に入った。そういうコンセプトの店だったのか? と、今さら気づく。ネットで調べてやって来たのに、気がつかなかった。
普段はこういう店に入ることはなかった。社会勉強のために入っただけだ。
ハマるつもりはなかった。僕は財布の厳しい学生だ。
僕はてろたんともう二度と会うことはない。僕がこの店にまたやって来ない限り。
そして僕は再びこの店を訪れるつもりはなかった。ただ小説を書くための取材みたいなもので、実際、居心地はよくはなかった。
ただ、帰り道を歩きはじめると涙が出た。
彼女のいる店から離れるごとに涙は止まらなくなった。
もう二度と彼女と会うことはない。
そんな当たり前のことに、僕は晴れた夜空に黒い雨傘を差した。
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