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年号"S"は遠すぎる(後)

 安双(あそう)が語った当時の学校の様子を思い出す。校内暴力の全盛期で、不良たちは無軌道に好き勝手ふるまい、教師のいうことなど誰もきかなかった。俺の今までの小・中・高と過ごしてきた学校生活はそこまで荒れたためしはなかったが、それでもやたらと反抗的で教師にたてつく()()()()クラスメイトにはちょくちょく出くわした。そしてそういう生徒は、大人に上から目線で(さと)されても素直に頭を下げることはしないが、同学年や上級生の自分より喧嘩のつよい相手に対しては、得てしておとなしくなるものだった。


 教師や大人と違って自分たちと同じ年代のそういう相手は、まだ大人になり切ってない分限度を知らない怖さがあることを、彼らは本能で感じ取っているのだ。また大人たちより自分にはるかに近しい存在が腕力にすぐれているという点は、悪ぶった連中にとってはそれだけで充分崇拝の理由になるものらしい。安双の現役当時、はみ出し者のレッテルを貼られ独自のコミュニティを形成していた”ツッパリ”たちにとっては、そのような意識は一層強かっただろう。


浪川(なみかわ)は教師のいうことをきかないツッパリたちを大人しくさせるために、彼らと同じ立場のツッパリに変装して彼らを腕っぷしで屈服させ、過度に暴れることを抑止していたんだ。実際、番長は義理人情の人で、廊下でカツアゲしている子分を見つけたら怒鳴りつけるようなことは頻繁にあったらしいじゃないか。これは教師が不良を注意する行動と、どう違う?おこなう主体が教師から不良に変わっただけだ。また番長がにらみを利かせるようになってからツッパリたちも統制がとれ、普通の生徒も学校で過ごしやすくなった。これこそ、教師陣にとっては願ったりの効果じゃないか」


 俺の説明を聞きながら、さすがの小夜乃も目を点にしている。


「新米教師だった浪川先生が、独断でそのようなことを…?」


「いや、この件にはおそらく当時の学校のトップ、校長もかかわっているだろう」


 当時の校長はやたら校則、特に身だしなみにうるさく、生徒の服装チェックにまで自ら顔を出すほどの徹底ぶりだったらしいが、そのような校長の元では当然教師たちの身だしなみも厳しく制約されるはずだ。でなければ、生徒たちへの示しがつかない。当時は大人が煙草を吸うのは当たり前だったと聞くので、田所(たどころ)のヘビースモーカーぶりは大目に見られただろうとしても、新米教師があごを覆うほどの(ひげ)をたくわえることを黙認されていたというのはどうにも不自然だ。


 しかし校長が浪川の学校への献身を知り、変装のためにあえて許していたとしたら。いや、この場合は逆か。赴任したての新米教師に、そこまで学校を(うれ)える理由があるとも思えない。悪化の一途をたどる校内風紀に頭を抱えていた校長が、赴任してきた新米教師に”番長を演じながら不良たちを統御してほしい”という苦肉の策を提案をして、新米教師がその突飛な頼み事を承諾して実行した。そう考える方が自然だろう。


「他の教師陣はこの企てにはたずさわっていなかったのだろう。もし職員室ぐるみで仕組まれたたくらみだったとしたら、浪川が職員室に戻る時にあわてて長ランを始末する必要がないからな。ただ少なくとも校長だけは、浪川の行動を黙認ないしは主導していたと考えた方がいい」


「でも…でも番長は、他の不良たちと殴り合いのケンカをすることもめずらしくなかったんですよね。それは、体罰じゃありませんか!」


 小夜乃は怒気をはらんだ声を張り上げたが、表情はそれとは不調和で、戸惑った風だった。おそらく内心で、今俺が話した内容をどう消化したものか、決めあぐねているのだろう。


 番長の正体が化学教師だとしたら、不良とはいえ他の生徒と殴り合うことはまぎれもなく"教師による体罰"だ。浪川が番長に扮していたのには、そのような醜聞を避けるため一生徒の立場を隠れ(みの)にしようとの魂胆もあったのだろう。教師が生徒を殴るのは問題だが、不良同士が殴り合う分にはそこまで騒ぐことではないという印象になるのは、考えてみれば妙な話ではある。


 しかし浪川は、殴り合いにかんしては"教師"という優位な立場を振りかざすことなく挑んでいたわけで、その点権威をかさにきて抵抗できない生徒を一方的に打ちのめすような"体罰"と比べれば、陰湿さがだいぶ薄れる感は否めない。また、そのおこないによって校内暴力吹き荒れる当時の学校に、一定の秩序を回復したのはたしかなのだ。


「安双も、番長がにらみをきかすようになって随分学校が過ごしやすくなったと言っていた。断言はできないけど、番長が姿をみせなくなってからは、不良たちは統制を失って、校内はまた相当荒れたんじゃないかな」


 浪川が番長を演じることをやめたのは当然、図らずも消失事件なんてものを起こしてしまったためだ。安双が噂を広めるにつれ、校内ではますます番長の素性について興味と疑念が集中したにちがいない。このまま続けていては安双以上に好奇心のつよい生徒の手によって真相が暴かれる日がくるのは必至だ。足を洗うしかなかっただろう。あるいは校長から指示がおりたのかもしれないが。


 いずれにせよ、”番長”を演じた新米教師の行動をどう評価したものか、俺の中でも明確な答えは出せそうになかった。だから妹の困惑もよく理解できた。


「兄さんが」


 しばしの間をあけて、小夜乃が俺に聞いてきた。


「兄さんが今おっしゃった考えを、安双さんや(きのと)さんの前では口にしなかったのはなぜですか。浪川先生のことを、庇おうとしたのですか?」


「まさか。顔をあわせたこともないン十年も前の教師に義理立てする理由は、俺にはないよ」


 俺には浪川の行動を全肯定するつもりは更々ない。番長という仮面をかぶって生徒に暴力を振るったとしたら、それは間違いなく卑劣な行為だとも思う。今どうしているのか、教師を続けているのかとっくにやめて別の道を歩んでいるのか、あるいは生きているのか死んでいるのか、それさえわからない遠い人間に、そこまで入れ込めるほど感受性豊かな人間では、俺はないのだ。


 ただ。死体に鞭打つほど酷薄な人間でもない、と自分では思っている。


「正体がばれそうになって番長を演じられなくなった浪川が、その後どうなったか考えてみたんだ。フィクサーの校長にしてみればもう用無しどころか、これほど厄介な存在もない。何せ浪川の所業が発覚すれば、芋ずる式に自分がそれを黙認ないし主導していたことがばれるんだから。いくら本人に口止めしても、リスクは完全には消せない。とすれば、校長がとるべき手段は限られてくる」


「…」


 小夜乃の表情が曇った。俺が言わんとすることを察したらしい。


 おそらく校長は、新米教師を学校から追い払ったことだろう。己の権限やコネクションをフルに活用して、可能な限り遠くへ…


「卑劣です」


 小夜乃の声は苦かった。俺も同意見だが、いくら俺たちが憤ってももうどうしようもないことだ。未熟な俺たちが手をのばすには、その時代はあまりに遠すぎるのである。


「そう考えると、浪川という教師には非難すべき点はあったにせよ、もう相応の罰は受けている気がしたんだ。今更母校で、しかも本人の知らないところで壁新聞のネタにすることはないだろう。安双にしたって、もう浪川と会うことは多分ないだろうけど、それでも浪川を直接知っている人間だ。そんな人間の前でおこないを暴露するというのもね…」


 ひどく後味の悪いものがある、そう思ったまでだ。まして俺にとってこの”消えた番長の怪”は、いわば完全な他人事なのである。他人事にムキに首を突っ込んで、嫌な気分になるのも馬鹿馬鹿しいではないか。


「いずれにせよ、今ここで話したことには何ら確証も物的証拠もあるわけじゃない。安双や乙には、真相は解明できなかったとだけ告げるつもりだ。七不思議のひとつは、依然不思議のままだ。探研を宣伝するプランは、ご破算になってしまうがな」


 最後につけ足した言葉は、もちろんこの場にいない安双への皮肉である。


「…わかりました。私も、異存はありません」


 やがて、小夜乃がゆっくりとうなづいた。いつの間にか、電灯をつけていない室内は闇がだいぶ濃くなっていた。


「とても、兄さんらしいご判断だと思います」


 小夜乃は薄闇の中で小さく微笑んだようだったが、それを褒め言葉として受け取っていいものか、俺にはわからなかった。

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