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葉桜の季節に怪談を語るということ(後)

 安双(あそう)が語るには、その日の5限目は安双の隣のクラスが校庭で体育の授業を受けていたのだが、終わった後生徒の一人が体育教師に備品を倉庫までもどすよう命じられた。ここで言う倉庫とは、例の1階東端にあった"総合予備倉庫"のことである。


 その体育教師は、安双と木村に延々と説教をした、あの田所(たどころ)だった。備品がなんであるかまではわからないが、結構な量と重さのものだったそうだ。田所は1人だけで片付けるよう頭ごなしに命令して、その生徒に倉庫の鍵を放り投げた。その生徒は“ツッパリ”でこそないが従順なタイプではなく、以前から田所とそりが合わなかったらしい。


 生徒は言われたとおり1人で備品を片づけたが、相当頭に血がのぼっていたようだ。片づけ終わった後、誰もいない倉庫の中で体操着のポケットにかくし持っていたガムをしばらく噛むと、やがて外から倉庫の鍵をかけ、口の中で粘着性を増したガムを丸めて、鍵穴の中にねじ込んだ。そして鍵穴を使用不能にすると、何喰わぬ顔で倉庫の鍵を職員室にもどした。体育の授業がある時などは別として、その鍵は普段から職員室の壁に、他の鍵類とならんでかけられていたらしい。それが生徒の、精一杯の腹いせだった。


 ただその行動は衝動的なものだったようで、6限目が終わる頃にはその生徒は自分がやったことが怖くなった。友人たちに所業を告白しながら「どうしよう…」と青い顔で頭を抱えていたらしい。反抗的だが、同時に小心者でもあったのだ。


 放課後になるとその噂は隣のクラスまで聞こえてきて、安双も3時台に教室を出る頃には耳に入れていた。だから倉庫に鍵がかかっているのを確かめた時、それ以上そこを詮索しようとしなかった。鍵穴にガムが詰め込まれて誰も倉庫の開閉ができない状態だったからには、その鍵は5限目の休み時間からかかっているはずのもので、番長が扉を開けられたはずがない。あるいは扉をぶち破れば中には入れたかもしれないが、その場合元通りの閉めた状態に戻すことは不可能だった。


 それが事実なら、なるほど小夜乃の「番長は一時的に倉庫に身をかくした」という説は根本からくずれることになる。


「あの日はそのガムのいたずら以降倉庫を利用した人間は誰もいなかったみたいで、先生たちが鍵をあけられないことに気づいたのは翌日だったの。経緯が経緯だからそのいたずらした子―名前は忘れちゃったけど―の仕業だってすぐにバレて、もう大目玉よ。田所なんか例によって顔を真っ赤にしてね。ガムを詰めた鍵穴に鍵を差し込んでもまったく回せなくて、先生たちも用務員さんも手に負えなくなって業者を呼んで直してもらったみたい。番長の消失事件よりそっちの方がよっぽど騒ぎになってたわねえ」


 安双は不服そうだった。消失事件の方は濡れた長ランが登場してから安双と木村(きむら)が教師陣にそれまでの事情を説明して、ともに1階をひと通り捜索したが、結局影も形も見当たらなかった。仕舞いには田所が“溜まり場”である4階の視聴覚室にまで乗り込んだが、そこにも当然番長の姿はなく、残っていた数人の不良たちも行方についてはまるで知らないの一点張りだった。それとは別におそくまで残っていた不良たちと田所の間で口論が勃発し、ただでさえ混沌とした事態に余計な喧噪がプラスされることになった。


 田所などははじめから安双たちの作り話だと思っていたようで、最後には「何かの見間違いだろう、くだらんことにかまけてないで早く帰れ」と吐き捨てるように言って捜索を切り上げたという。浪川(なみかわ)白石(しらいし)も、疑わしげな視線を2人に向けていた。


「ま、よく考えたら校舎内を探しても無意味だったんだけどね。番長の長ランが外のプールで発見されたってことは、番長は遅くともその時点では校舎から出ていたことになるんだから」


「その長ランは、本当に当日番長が着用していた長ランだったのでしょうか」


 小夜乃がすかさず疑義を投げかけた。


「どういうこと?」


「番長が、あらかじめ普段着用しているものとそっくりの長ランを、プールに浮かべていたのかもしれません。当日着用していた長ランと用務員さんが持ってきた長ランは、別のものだったのです」


「なんでそんなことをする必要があったの?」


「もちろん、自分を追ってくる安双さんを欺くためです。長ランが外で見つかれば自分は校舎から出たと思い込ませることができる、でも実はまだ校舎のどこかに身をかくしていたとしたら?」


「ちょっと待って。一体どこに身をかくす場所があったのか、という問題はいったん置くとして…その説だと番長はあの日あたしが尾行することをあらかじめ知っていたことになるじゃない。でもあたしはその計画を、第三者には漏らしていないわよ」


「1人いるじゃないですか、事前に安双さんの計画を知っていた人が」


 安双はピンときたようだ。


「なるほど、小夜乃ちゃんは木村が番長に告げ口したと思ってるのね」


「はい、木村さんは前もって番長に、安双さんが帰り際に尾行しようとしていることを伝えていたんです。だから番長は事前にその尾行を回避する策を練っていた。普段自分が着ているのとそっくりな長ランをもう1着用意して、プールの水に浮かべて…」


 話しているうちに、小夜乃の声はどんどん小さくなっていった。さすがに無理があると、本人にも自覚があったのだろう。


 仮に番長が安双の尾行をはぐらかすつもりなら、わざわざそんな面倒な仕込みをする必要もない。後ろからつけられている時に、廊下なり階段なりでおもむろに振り向いて「ナニ尾けてきてんだ、コラ」とすごんでみせれば良いのだ。大抵の人間はそれで恐れをなして引き下がるだろうし、安双にしたところで少なくともその日は尾行を続ける気にはならなかったろう。


 そもそも、学ランを水に浮かべたのが番長が意図的にしたことだとしたら、何故そんな怪奇じみた演出をする必要があったのか。


「それにねえ、この件に関してはこれまで何度となく木村と話し合ってきたけど、あたしに何かかくしているそぶりは露ほども見せたことないわね。もともと肝の小さい男だもの、長年にわたって嘘をつき続けるなんてまず不可能よ」


「その木村さんという方とは、卒業後もご交流があったんですか?」


「もとの旦那よ」


 思わぬ地雷だった。俺が安双とはじめて会ったのは去年で、その当時から現在の苗字だった。離婚したのはそれ以前なのだろう。小夜乃が知らないのも無理はない。


「…申し訳ありません」


 あきらかに不可抗力だったが、小夜乃は律儀に謝った。安双は頭をさげる小夜乃を軽くあしらうと、俺に目を向けた。


「妹がこんだけ頑張ってるのに、部長がさっきから何黙ってんのよ。あんたはなんか意見ないの?」


 そう急かしてくる。


「そうですね、ひとつ確認しておきたいんですけど」


「ほう、何よ」


「番長を階段で追っていた時、踊り場の窓は開いていました?」


「窓ぉ?」


 安双は意外そうな声をあげた。


「そんなの覚えて…いや、うん、開いていたかな。階段降りてる途中で、外からの生あたたかい風が吹いてきた覚えがあるわ。用務員が閉めるのを忘れてたか、踊り場の戸締まりは後回しにしていたのね。でもそれが一体何だって、」


 OGは言葉を切らせると、胡乱(うろん)そうな眼を俺の方に向けてくる。


「まさかあんた、番長が踊り場の窓から校舎裏に飛び降りたとか言うんじゃないでしょうね。それはダメよ、追っかけていた足音がちゃんと1階まで降りきったのを、あたしの耳が確認しているんだから」


「たしかですか」


「疑うっての?」


 耳の錯覚というのは往々にして起こるものだし、そもそもン十年前の記憶を完全に信じる気にもなれないが…まあ安双がそう言い張るなら、それを前提に考えるしかあるまい。


「大体飛び降りると簡単に言っても、1階と2階の間の踊り場だって結構な高さよ。仮に飛び降りることに成功したとしても、着地の際にはかなり大きな音がするはずでしょ。それに気づかないなんてことは、まず有り得ないわね」


「別に疑ってませんって…でもわかりました、窓から飛び降りた線は完全に消せるわけですね」


「やっと口を開いたかと思えば…そんな可能性くらい、昔のあたしだってとっくに考えてたわよ。速攻であり得ないと悟って捨てたから、今まで思い出しもしなかったわ。もっとマシな推理はないの?」


「残念ながら、今のところは」


 安双は力の抜けたため息をついた。俺を見る目つきの温度が下がっているのは、気のせいではないだろう。


「小夜乃ちゃん、こんなやる気のない兄貴より、あなたが部長やったら?その方がこの部も活発になるでしょうに」


 明らかに俺に聞かせるための嫌味なセリフを、OGは小夜乃に向けてはなった。まあ、そう言いたくなる気持ちはわからないでもない。俺も時々、俺よりしっかり物でミステリの知識も豊富な妹の方が部長にふさわしいのではないか、という考えが頭をよぎる。兄の沽券にかかわるので口にはしないが。


 小夜乃はといえば、OGに向かって儀礼的に頭をさげただけで、何も応えなかった。


 安双は椅子から立ち上がると、ショルダーバッグを抱え直して帰り支度にかかった。テーブルの上に積み上げた膨大なノートは、持ち帰る気がないらしい。


「とにかく!この件は真剣に考えてみること。資料のノートは貸してあげるから、長年の学校の謎を解き明かして校内のヒーローになりなさい。そうすれば新入部員もわんさかやってくるわよ!」


 誰も知らない七不思議を解いても校内のヒーローになれないし新入部員もこないだろう、とは思ったが口には出さなかった。言っても無駄だということが、これまでの経過から十二分に察せられたからである。


 俺が送っていくと申し出る間もなく、安双はせかせかした足取りでスリッパの音を響かせながら、部室を出て行ってしまった。俺は一瞬腰を浮かしかけ、脱力してまた椅子に座った。仕事の予定が押していたのかもしれないが、こうなったらもう、“不審な部外者”がこの旧本館内に残っている生徒たちの目につかないよう祈るしかない。来客用のスリッパは、ちゃんと昇降口にもどしてくれるだろうか。まさかそのまま持って帰ったりはしないだろうが…


「俺も新聞部にもどるよ。面白い話も聞けたしな」


 (きのと)が言い、こちらはゆっくりと椅子から腰をあげた。


「“消えた番長”の真相、期待してるぜ。わかったら俺にも教えてくれ、部長にかけあって壁新聞で一番大きく報じてやる」


 そう聞いて、こいつの前で以後この話題を口にすまいと固く心に誓った。


「…勝手に期待されても困る。何十年も前のそんな些細な事件、検証の仕様もない。俺の手にはあまる」


「謙遜するなよ。去年いくつかの事件を解決に導いた見事な推理力、あれがあれば決して不可能じゃないぜ。今年もお前さんには探偵の力量を十分に発揮して話題をふりまいてほしい、と俺は思っているんだがね」


 言いたいことをいって、招かれざる客2号も部屋を出て行った。


 乙は重大な誤解をしている。俺は昨年、校内のいくつかの事件について知恵を働かせたのは確かだが、“解決”に導いたものはひとつとてない。一見事件を解きほぐしたようで、虚像をつかみ、良い様に踊らされ、もつれを一層深めただけだった。乙は表層しか見ず、錯覚しているに過ぎない。そうして、俺は己に”探偵の資質”がないことを、嫌というほど思い知らされた。


「肩の力を抜けよ、真実なんてそんな大層な代物じゃないぜ」


 前部長から投げかけられた言葉が、鼓膜の奥でよみがえる…


 ふと気づくと、横に座った小夜乃がじっと俺の顔を見つめていた。その瞳には、突然黙りこくった兄を気づかう心情が揺蕩(たゆた)っている。


「…ああ、悪い。何でもないよ。」


 妹に―それも懸想(けそう)をしている相手である―あまり心配をかけるわけにもいかない。多少ぎこちない動きになったが、俺は招かれざる客たちがテーブルの上に残していったティーセットを片づけにかかった。


 ティーカップの中身は、どちらも空になっていた。小夜乃が入れた紅茶は、安双、乙両名の口にも合ったらしい。今日の放課後をむかえてから初めての満足感を、俺は覚えていた。

◆読者への懇願状◆


問題編は以上となります。

次回から解答編にはいります。

安双が番長を追いかけたあの日、一体何が起こったのか。

番長はどこへ消えたのか?

皆さま、是非よく考えて…


(…いや、よく考えられたらすぐに解かれてしまうか…)


…や、やっぱりあんまり考えないで、ふわっとした気持ちで続きを読まれることをお勧めします、はい。

お願いします!!(ジャンピング土下座)

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