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消失っ!!(後)

 1階の南側面、東端に立って廊下全体を見わたす安双(あそう)にとっては左手側にも、上階と同じように部屋がならんでいる。倉庫から西へいくに連れて空き部屋、もうひとつ空き部屋、調理室とつづき、調理室の向こうには校庭へと出る昇降口がある。昇降口をすこし越えたあたりが校舎中央で、4階視聴覚室のちょうど真下といった塩梅だ。


 そして廊下の北側、安双からみて右手にはちょうど空き部屋2つと向かい合うようにして、他よりも大きめの部屋があった。それが職員室だった。ほかの階には存在しないスペースで、1階のこの部分だけ、北側へ向けて突き出していた。職員室より向こうの北側壁には本館裏に面した窓が連なっており、わずかばかりの夕方の陽光を1階廊下に取り入れていた。


 安双はまず、昇降口へ向かうことにした。その途中横目で確認したところ、昇降口までの間にある本館裏に面したスライド式の窓は、むし暑い時期にもかかわらずすべて閉ざされ、内側からクレセント錠が降ろされていた。時間が時間だけに、用務員が部分的に戸じまりを済ませてしまったのだろう。つまり、番長は廊下の窓から外へは出ていない。


 となれば、状況を考えると、番長が昇降口から外に出た可能性が一番高い。廊下の東端から昇降口までは結構距離があり、自分たちが目を離したわずかな隙にたどり着くのはむずかしいように思えたが、身体能力に長けた番長だったら可能かもしれない。しかし昇降口直前まできたとき、何やらそちらの方角から話声が聞こえてきた。


 昇降口には生徒用の下駄箱が複数ならんでいたが、安双がきた方角からみて一番手前、つまり一番東側の下駄箱の前で、女子が2人おしゃべりに興じていた。その1人に、見覚えがあった。同じクラスに所属する、前嶋(まえじま)里美(さとみ)という少女だった。髪が長く、ずんぐりした体型をしていた。アニメに出てきそうな甲高い声で有名だった。もう1人は名前こそ思い出せなかったが、隣の組の生徒であることはたしかだった。髪をおさげに垂らし、前嶋より長身だがなんだか幼い印象の女子だった。


「ねえ、ここに今さっき、誰かやってこなかった?」


 安双が2人にたずねると、両者ともぽかんとした表情になった。


「あたしたちは10分くらいここで話していたけど、その間昇降口にはいってくる生徒も、ここの前の廊下を通る生徒も、1人もいなかったよ」


 話を聞くと彼女たちは元から友人だったが、共に先日おこなわれた中間テストの数学で赤点を取ってしまい、この日は遅くまで肩をならべて補修を受けさせられていた。やっと終わっていっしょに帰ろうと下駄箱前まできた時、ふと前嶋の方が彼女たちに補修の指導をしたいけ好かない数学教師への文句をぽろりと口にしたら、2人とも悪口が止まらなくなり話しこんでしまったらしい。


 それでも然程大声で話していたようではないし、廊下を誰か通って気づかないということはないだろう。では、2人の証言が正しいとすれば、番長は昇降口まで来なかったことになる。


 東端階段から昇降口までは一直線の廊下。番長が昇降口まで来ておらず、ここまで通り過ぎた廊下の窓もすべて内から施錠されていたということは、途中にあるいくつかの部屋のどれかに入ったと考えるしかない。でもどれに?


 困惑した顔を見合わせた木村と安双は、前嶋たち2人に礼を告げると、廊下の東端までもどった。前嶋たちは要領を得ない表情だったが、くわしく説明する余裕はなかった。


 安双はまず、東端の部屋-倉庫のドアに手をかけてみた。その倉庫は当時、“総合予備倉庫”と呼ばれていた。大層な呼び名だが、要は体育倉庫や音楽室、図画工作室それぞれにおさまりきらなかった余分な備品を雑多に詰め込んだ、学校の“物置”みたいなものだったらしい。


 ドアには鍵がかかっていて開かなかった。ドア上部には窓があったが()りガラス状になっており、中の様子まではわからない。しかし鍵がかかっているということは、番長も中には入れなかったことになる。ここにいる可能性は捨てていいだろう、と判断した。


 次に2人は2つの空き部屋を調べた。どちらもドアには鍵がかかっていたが、これらのドアの上部には透明なガラス窓がついていて、中の様子が丸見えだった。しかしガラス窓から覗いてみたものの、両部屋とも内部はがらんとしており、人がいないのは一目瞭然だった。室内に人がかくれることができるスペースがないのも明らかだった。そして外の校庭へ通じる窓の錠は、すべて中から降ろされていた…


 それを確かめて、安双は木村を連れて空き部屋2つの向こうの部屋、昇降口手前にある調理室を訪ねた。そこの扉は施錠されていなかった。中では生徒が3人ほど帰り支度をしていた。話を聞くと調理部の面々で、2年生の女子が2人に1年男子が1人。部活動でクッキーを焼いていたらしい。室内には依然甘い香りがただよっていた。


 その女子の1人はやはり安双のクラスメイト、柳沼(やぎぬま)敦子(あつこ)だった。眼鏡をかけた知的な風貌に、まだつけたままの三角巾が不釣り合いだった。風紀委員をつとめており、取り締まりがきついということで男子からは敬遠されがちだが、一方で特技がお菓子作りという愛嬌のある一面があることも、女子の間では周知の事実だった。


 もう1人の女子についてはその場で柳沼に紹介されたが、以前からの調理部員だということ以外、安双はほとんど覚えていないとのこと。一方で1年の男子生徒の方は、印象につよく残った。風邪気味だったのか鼻と口をマスクで覆い、しかも物もらいだとかで左目に眼帯をしていた。おまけにぼさぼさの前髪を右目に垂らしていたので、面相(めんそう)はほぼ見えなかった。「ひどく陰気な印象を受けた」というが、その風貌では無理もない。名前は失念したが、苗字は”後藤(ごとう)”だったのははっきり覚えているとか。すでにいつでも帰宅できる恰好でカバンも背負っていたが、その男子がエプロンをつけてお菓子作りをする姿が、安双にはどうしてもイメージできなかった。


「ここに誰か入ってこなかったか?つい2,3分前によ」


 パンチパーマの木村が、直立不動の姿勢になった後藤を見下ろすようにしてたずねた。後藤は怯えたように柳沼の背中にかくれた。


「ちょっと、木村くん。うちの後輩をこわがらせないでよ」


 柳沼は厳しいところもあるが姉御肌で、調理部でも3年生がいないこともあって部長をつとめていた。一応“ツッパリ”の端くれだった木村にも、まったく物怖じした様子はなかった。


「あたし達3人はHRが終わってすぐからずっとこの部屋でクッキーを焼いていたわ。その間、あたしたち以外には誰も入ってこなかったわよ」


 調理部部長は、そうきっぱり言い放った。


 その一言を聞いて、安双と木村は途方にくれた。昇降口の前嶋も、調理室の柳沼も、嘘を言っている様子はなかった。空き部屋2つに人がかくれるスペースはなく、倉庫には鍵がかかっていて入れなかった。となると、番長は一体どこへ消えたのか?


 なお、当然のことなので敢えて記さなかったが、ここまで2人が1階で出会った生徒たちはすべて制服姿だった。誰も改造などしておらず、校則どおりの服装である。ただ7月も近いむし暑い日だったので、女子は全員半そでのセーラー服姿。調理部唯一の男子である後藤は、長そでの開襟シャツのみを上半身に着用し、詰襟は持ってきていなかった。


 安双と木村は、混乱する頭で調理室内を探索しはじめた。「ちょっと、どういうことよ!」と憤慨する柳沼をなかば強引に押し切って、人がかくれられそうなスペースをしらみつぶしに調べたが、すぐに徒労だと悟った。いくつかの調理台の下もそうじ器具用ロッカーの中も無人で、他には人が隠れられそうなスペースはどこにもなかった。棚の中も一応引き戸をあけて確認したが、どこも調理器具で満杯で、人はおろか猫一匹入る隙間はなかった。調理室内には安双と木村、それに調理部員3人以外、誰もいないのは間違いなかった。


 2人は柳沼に追われるようにして、調理室を後にした。何も本気で調理部が番長をかくまっていると疑ったわけではないが、どうしても調理室内に一縷(いちる)の望みをたくさずにはいられなかった。何せ東端から昇降口までの間で、もはや残った部屋は1つだけだ。そのドアの前に来ると、木村はやや後じさりした。そこは間違いなく、校内で不良がもっとも苦手な一室だった。


「…なあ、本当に行くのか?アニキだってこんなとこに入るはずねえよ」


「でももうここだけなのよ、調べるしかないじゃない!」


 尻込みする木村を無視して、安双は職員室の扉をあけた。もう彼女も、半分自棄(やけ)だった。すでに番長の正体どうこうよりも、目の前で起こった不可解な現象に何とか説明をつけたい心境だったという。心の奥底では、その説明がつかないことを願っていたかもしれないが。


 職員室に残っている教師は、3人だけだった。そのうちの1人が、入り口ドアを開けた2人の方へと向かってきた。木村が「げっ」と声をあげた。天敵ともいうべき、生徒指導担当の体育教師だった。


「お前ら、こんな遅い時間に、どうしたんだ?」


 胡散くさそうな眼を、主に木村に向ける体育教師は、田所(たどころ)という名前だった。ホームベースのような四角い輪郭をした顔の中に、40半ばという実年齢を考えても老けて見えるいかつい面相が張りついている。あごの回りにはゴマのような無精ひげがまばらに生えて、不潔な印象をあたえていた。ごつい体躯(たいく)を紫色のジャージで包み、両腕の袖をまくり上げていた。全身から煙草の匂いを発散させていた。


 その後方には、化学の浪川(なみかわ)の姿がみえた。その年大学を出たばかりの新任教師で、眼鏡に長髪、あご全体を覆う(ひげ)といういかにもな風貌から“博士”のあだ名が定着していた。その時はトレードマークの白衣は椅子の背にかけ、Yシャツに黒いスラックスのいで立ちで机上の書類と格闘していた。よほど集中していたらしく、安双たちに眼を向けることもなく、かがみこんで右手のペンをうごかしていた。


「いや、あの、つい数分前にこの職員室に、生徒が入ってこなかったかなあ、なんて…」


「生徒?何という子です」


 職員室隅の席から、柔らかい女性の声がした。音楽教師の、白石(しらいし)文代(ふみよ)だった。


 ようやく知っている名前が出てきた。この白石先生は、現在も和泉(いずみ)二高に在籍していて、去年は俺も音楽の授業を受け持たれた。現在では数年後に定年をひかえた小柄な“おばあちゃん”といった感じの先生だが、この回想譚の当時はまだ若く、おだやかな美貌が男子生徒から人気だったらしい。服装はアイボリーのブラウスに濃いブルーのスカート、シックなよそおいの中で唯一、音符の形をしたイヤリングが印象的だった、と安双はいう。長い黒髪はポニーテールにまとめていた。


「え…いや、名前はわかんない、んですけど…」


 木村がしどろもどろに応えた。人を喰ったような返事だが、ややこしいのはこれが真実だったということである。また木村としては、教師に向かって“番長”という形容を使う気にもなれなかったのだろう。目の前の生徒指導教諭はたちまちすごんだ。


「おい、わけわからんこと言ってんじゃねえぞ。この部屋にはさっきから、俺たち3人以外、誰も入ってきてねえよ」


 生徒指導教諭は時として、不良よりもガラが悪くなる。この辺は今も昔も変わらないようだ。「あ、そっすか」と早口で応えて、さっさと出ていこうとした木村だったが、襟首を田所につかまれて目的を果たせなかった。


「おい、お前、煙くさいな」


 自らも身体中に煙草の匂いを染みつかせているにもかかわらず、敏感にそれとは違う煙の臭いを木村からかぎ取ったらしい。すぐさま木村は身体検査にかけられ、改造制服の内ポケットにしまった煙草の箱とライターを発見された。


 そこから延々と、木村は田所にどやされ続けた。同伴していた安双も、それに巻きこまれた。「自分は煙草とは関係ない」と申し開くタイミングを逃し、木村とならんで四角い顔の教師が口から飛ばす唾を浴びつづけることになった。


 恨みがましく横目で木村をにらみながら、なおも安双が考えていたのは番長のことだった。疑問符で頭が埋めつくされている。この自分を頭ごなしに怒鳴りつけている教師の証言が本当ならば、やはり番長は職員室にも来ていない。まあ、いくら切羽詰まっていたとはいえ、不良の親玉が教師の巣窟(そうくつ)を訪ねるとは最初からあまり信じていなかったが…となると、いよいよ可能性が尽きてしまった。番長は一体、どこへ姿を消したのか?


 さらなる事態の急変がもたらされたのは、田所の説教がはじまってから30分ほど経った頃だった。職員室に新たな来訪者があったのだ。それは安双も見覚えのある、中年の用務員だった。でっぷりした体型を、ねずみ色の作業服に包んでいる。頭にはつば付きの帽子をかぶっていたが、その帽子の下に禿げあがった頭があることを、安双は知っていた。軍手をはめた右手にはふくらんだ、半透明のビニール袋を下げ持っていた。


「こんな時間に、どうしたんですか…その袋は?」


 安双たちへの説教で忙しい田所に代わり、浪川が応対した。この時、浪川も白石も、まだ職員室に残っていたのだ。


「いや、こんなもん拾っちまってよ。どうしたもんだか、一応先生方に届けた方がいいと思いましてね」


 そう言って用務員はポリ袋の中身を取り出した。それは1着の詰襟だった。丸められた状態でも一見二高指定の学生服らしかったが、それにしてはどこか違和感があった。しかも遠目にも、その詰襟全体がぐっしょり濡れているのがわかった。よくみるとポリ袋の中にも水がたまっている。


「ど、どうしたんですか、これ」


 浪川は甲高い声をあげると、用務員から詰襟を受け取り、床に水が滴るのもかまわず手につかんで広げた。それをみて、安双は違和感の正体に気づいた。同時に背筋に冷たいものが走った。


 その制服は校則に記された規定のものではなく、丈を伸ばした長ランだったのだ。


「いや、もうすぐプール開きでしょ。一応プールを点検しとこうかと思って中に入ったら、プールの水の上にこんなのが浮かんでたんですよお。これ学生服でしょ、どうしたもんかねえ」


 用務員が呑気そうに答えたが、安双はその長ランを横目で見ながら視線をはずせなくなった。既視感が、彼女を支配していた。


 木村も同じだったらしく、なおも怒鳴り続ける田所に構わず、浪川が広げた長ランへ駆け寄った。「おいコラ!」という生徒指導教諭の注意も耳に届かない様子だった。


「アニキの長ランだ」


 木村は長ランを目の前にして、呆然とつぶやいた。


 番長は装いで派手さを演出することは好まない性格だった。髪型も周囲の舎弟たちに比べれば地味なツーブロックだし、いつも着用している長ランも派手な意匠のない地味めの代物だったが、一点、胸元に”仁愛”の二文字が白く縫ってあるという特徴があった。番長が好きな言葉で、店にオーダーメイドでほどこしてもらったと日頃から子分たちに言っていたらしい。そして今、浪川が広げている長ランの胸元にも、たしかにその二文字があった。この日の間違いなくこの長ランを着ていたはずだと、後に木村は断言した…


 安双は混乱の極みに達した。一階の廊下で姿を消し、しかも外部に出ることは不可能だったとしか考えられない番長が着ていた長ランが、校舎外のプールに浮かんでいた。これはどういうことだろう。噂通り、番長は本当に幽霊だったとでもいうのか。実態を消して一階の壁をすり抜け、長ランだけを残してプールの水に沈んで消えた。そうとしか、解釈のしようがないではないか!


 ホラー好きの安双も、その時ばかりは背筋に寒いものが走るのを抑えられなかったという。

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