プロローグ
前作から1年以上経過してしまいましたが、米丸兄妹シリーズ新作をお届けします。
1作目を読んでくださった方、お久しぶりです。
「んなもん知らねえやい」という方、はじめまして。
本作はシリーズ②となっておりますが、単品としても問題なくお楽しみいただける仕様にしたつもりです。
その点はどうかご安心してお読みください。
それでも以前の経緯が気になるという方は、1作目もお付き合いいただければさいわいです↓
『くれぐれも誤解のないように―米丸兄妹シリーズ①―』
https://ncode.syosetu.com/n8121fq/
市立和泉第二高校の第二部活棟は、別名を”旧本館”という。こちらの方が校内では通りがいいので、以後この建物の呼び名は“旧本館”で統一することとするが、その裏の東端にあるスチール製ドアをひらくと、目の前に教員・来客用の駐車場がひろがった。アスファルトで舗装された小ぎれいな地面が、春の陽を反射してまぶしい。普通車が十数台はとまれる、けっこう大きめの駐車場だ。
べつに最近竣工されたというわけでもなく、その駐車場も単独でみればそこまで新しい印象もいだかないのだろうが、なんせ周囲の風景というのが去年創立50周年をむかえた我が校の誕生以来、ほとんど変わり映えしないといわれる年季の入った代物だ。日当たりが悪く苔生した旧本館裏の小路、さびの浮いたフェンス、コンクリート壁の所々にヒビが入った体育館などの中にあってみれば、やはり駐車場はまだまだ"新参者"で、地面の白さが際立っていた。
駐車場の東側、俺から見て右側が体育館だったが、その間に車1台がやっと通れるくらいのコンクリートの小路が通っていて、我が校の北門―通称”裏門”まで伸びていた。門の脇には桜の樹が1本だけ植えられていたが、既に桃色の花びらは散り去って青葉が芽吹きはじめている。
その裏門から、1つの人影があらわれた。旧本館東裏のドアから裏門までの間には駐車場が横たわっていたが、今日は遮蔽物となる車もほとんど停まっておらず、俺の位置からでも裏門の様子が丸見えだった。
ポロシャツにデニムのジャケットを羽織り下はチノパン、というラフな格好をした中年女性だった。肩から無骨なグレーのバッグをさげている。髪はうすく茶色にそめられ、かつパーマがかけられている。厚めの化粧でもそろそろ小皺をかくすのが厳しくなってきた年輪を感じさせる容貌は、俺が予測したとおりの人物だった。
向こうも俺に気がついたらしく、右手を振りながら「お〜い」と声をあげ、こちらに向かって早足であるいてくる。俺は彼女に向かって、あわてて人差し指を口の前に垂直に立ててみせた。反射的に「しぃ〜っ」と声も漏らしたが、距離があったので聞こえなかっただろう。
相手は俺が示した注意を気に留めた様子もなく、足音を響かせながらガランとした駐車場をななめに渡り、俺の元へと直進してきた。
「静かにしてくださいよ、安双さん。誰かに見られたら面倒なことになるんだから」
俺は目の前までやってきた中年女性に一言苦言を呈して、昇降口からあらかじめ持ってきていた来客用のスリッパをドアのすぐ内側にセットした。
「なによ、人を不審者あつかいして。OGが母校をたずねて何の問題があるってのよ。誰に見られたって後ろめたいことはないわ」
「いくらOGだって、日が高いうちから部外者が許可もとらずに校内に入ったらあやしまれますって。安双さんがいた昔とちがって、今の学校はそういうのすごく神経質なんだから」
「ちょっと待て、あたしがいた頃を"昔"と形容するとはどういう了見だ。誰が行かず後家のババアだ、ああ!?」
「誰もそこまで言ってませんって…」
「最近職場で誰かに言われたんですか?」と余計な一言を続けそうになり、あわてて飲みこんだ。わざわざ自ら被害を拡大させる必要もあるまい。
安双哲子は現在俺が部長をつとめる和泉第二高校・探偵小説研究会ー通称"探研"のOGである。どれほど前に在校していたかは、本人の意向をくんで伏せさせてもらうが…まあ、年号のアルファベット表記がまだ”S”の時分、とだけ言っておこうか。現在は地元の新聞局につとめて記者をしていると聞いている。だからといって今日来校した目的が母校の取材かというと、そんなことはまるでないのだが。
卒業したOBやOGが部室に顔をだすことは探研の伝統らしく、昨年もたびたびあったことだ。俺が部長をつとめる今年になってからは、これが初の”卒業生来訪”となる。今日の放課後、用があるから来校すると事前に連絡を受けていたので、帰りのホームルームが終わるといそいでこの校舎裏まで走ってきたのである。部室をおとずれるのに一々学校の許可をとるような連中ではないので、表の昇降口から堂々とはいらせるわけにもいかない。
去年も勝手に校内をうろついている探研OB・OGたちが見つかり、教師から素性を問いただされたり「あまり他所の大人を校内に入れるな」と前部長に苦情がもたらされたりしたことが何度かあった。世間では10代をねらった妙な事件が後を絶たない物騒な昨今、教師陣が見慣れない大人に神経をとがらせるのは当然だろう。俺が部長の椅子に心ならずも座っている間は、そんなことで探研が目をつけられるのはごめんである。正直今日の訪問も遠慮してもらいたかったのだが、相手が言いだしたら聞かない性分なのもすでにに熟知している。なのでせめて、この招かれざる客をなんとか人目につくことなく部室まで誘導せねばならなかった。
「人目につくなと言われてもねえ。”見えない男”になれるわけじゃなし、たまたま目撃者がいたらどうしようもないじゃない」
スリッパに履きかえ校舎に足を(無断で)踏み入れながら、安双は半ば開きなおったように不平を言う。ここでチェスタトンの名作を例に出してくるのは、さすが探偵小説研究会のOGといったところか。せめてその大声だけでも、なんとか低めてもらいたいものだが。
周囲に人目がないのを確認して、ドアのすぐ脇にある階段を2人で昇りはじめた。我らが探研にあたえられた部室は、この先の3階にあるのだった。
「そういえば、ちょうどこの階段だったわねえ…」
2階と3階の間にある踊り場に差しかかった時、俺の後ろで安双がふいにつぶやいた。
振り向くと、自称年齢不詳OGは階段を昇りかけた足をとめ、視線を宙にさまよわせている。リノリウムの階段やさびの浮いた手すり、脇のうす汚れた壁のあり様を隅から隅まで眺めているようだった。その様子は懐かしいものを確認しているようにも、何かを必死に探しているようにもみえた。
踊り場に立ってそんな安双を見下ろしていた俺の頬を、四月末の生あたたかい風がなでた。ちょうど真横に北側へと面した窓があり、開けっぱなしになっていたのだ。安双が1人の世界に入ってしまい手持無沙汰となったので、何とはなしに窓から首をだし、外の風景に眼をやった。まず眼下手前に例の駐車場がひろがり、その奥にある裏門をこえると、地元の住宅街がどこまでも続いている。色とりどりの屋根がまばらにならび、やわらかな陽光を控えめに照り返している。少しはなれたアパートのベランダに寝具用の白いシーツが干され、風にはためいていた。
「外なんかみてる場合じゃないわよ、むらっけの多い子ね」
刺々しい声に窓から顔をもどすと、いつの間にか踊り場まで上がっていたOGが不機嫌そうに俺をにらんでいた。自分は俺を放っておいて周りを眺めていたくせに、勝手なものである。
「ここが”現場”だからね、よく観察しておきなさい」
ミステリマニア特有の言い回しで、安双が注意を喚起してくる。厚化粧の下に、いたずら小僧のような笑みが浮かんでいた。
「現場って…一体、何の現場ですか」
「あの日、まさにこの階段で、”番長”は消失したのよ」
芝居がかった調子でそういわれても、この時の俺には何のことやら皆目見当がつかなかった。ただ、「どうも面倒な話になりそうだな」という、漠然とした不安だけが胸に浮かんでいた。