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4 ~子猫は魚肉の魅力に揺らぐ~

 

 8月下旬。もうすっかり常連になってしまった喫茶店の門前。

 冬弥は立ち尽くしていた。


 子猫が昼寝をしている。


 ちょうど門の中央で昼寝をする子猫の周りには、小学校低学年くらいの子が集まってワイワイしている。


「お前、なんかえさもってる?」

「もってねぇよ! 祐樹は?」


 いや持ってない。

 祐樹と呼ばれた少年は、あまり興味なさそうに一人、店の外構に寄りかかりながら言葉を返す。


「あ、おきた!」

「悠馬、さわったら、かんでくるかな?」

「いや、わかんねー」


 子猫は迷惑そうに伸びをすると、しっぽを振りながら冬弥のもとにやってくる。

 どうやらカバンの中に入った魚肉ソーセージの存在がばれているのかもしれない。

 足にまとわりついて、少し離れると、靴をたしたしと叩いてくる。

 にゃぁと鳴きながら上目遣いで見つめられると、もう、どうにでもしてくれと思ってしまう冬弥。


「すげー、なかよしだ!」

「なあ、どうしたらなかよくなれるの?」


 子供たちが話しかけてくる。

 こんなに元気いっぱいな子供にも、もやはうっすらと浮かんでいる。


「たぶん、食べ物を持っているからかなぁ」


 そういいながら冬弥は、例の魚肉ソーセージを取り出す。


「すげー、ソーセージだ」

「すげー、魚のやつだ」

「すげー、肉じゃないやつだ」

「うそのやつだ」


 キャッキャと笑いながら、子供たちは冬弥と子猫を取り囲む。


「あまり食べさせちゃいけない食べ物なんだけどね、たまにほんの少しだけあげるんだ」


 人の食べ物は猫にとっては毒になるものもあるから、本当はだめだよ。

 冬弥はそう言いながら、ほんのひとかけら子猫に渡す。


 子猫はペロリと食べてしまうと、また、足にまとわりついてくる。


「えづけだ! えづけ!」

「えづけってなに?」

「かーちゃんがとーちゃんにごはんだしながらいってた!」

「えー、なにそれ?」


 子供たちの言葉に苦笑しながら、冬弥は子猫を優しく撫でて離す。

 店へと進むと、子猫も後を追ってきた。


 子供たちは興味を失ったらしく、丘を駆け降りていく。

 その走り去る音に冬弥が振り返ると、一人だけボーっとした様子で、まだこちらを見ていた。

 が、冬弥の視線に気づくと、すぐに後を追って行ってしまった。


 と、突然子猫が飛び上がった。


 ああ、これか。

 冬弥はテラス席にあった散水用ホースの側で驚いている子猫を宥めてから店へ入る。




 ▼▼▼




「……あの子猫、このお店で飼ってるんですか?」


 冬弥はカウンターを挟んで、女店員に話しかける。

 今日のお供は『本日のおすすめ ~きゃらめるまきあーと~ あの店ほど甘くありません』である。

 あの店とはどの店なのだろうか。喧嘩売り気味な売り文句。

 ただ、確かに程よいキャラメルの甘みとコーヒーの苦みがマッチしていて飲みやすい。


「え、いや野良ちゃんだと思いますよ?」

「そうなんですね。……完全に居ついてますね」

「ええ、でもおかげで猫につられて入ってくる人も居ますからね」

「……それは誰のことでしょうか」

「……ねぇ、誰のことでしょうね、黒木さん」


 ふふふと笑いながら女店員、もとい、青井彩はグラスを洗い始める。


 毎日のように通う中で、黒木冬弥は青井彩と軽く会話を交わす仲になっていた。


 話を変えようと、冬弥はコホンと軽く咳払いしてから再び話しかける。


「そういえば、この店って青井さん一人で回してるんですよね?」

「ええ、だから水曜日は休ませてもらっているのよ」


 ごめんなさいね、と彩は言いながら蛇口を閉める。

 冬弥は、次の言葉を探しながらコーヒーを飲み進める。


「店を引き継ぐ前は、定休日なかったんだけどねぇ」

「そうなんですか……」


 頭の中で日常会話辞典を猛スピードでめくりつつ、ズズズッとコーヒーを飲み終えると、冬弥は彩と視線を合わせる。


「ということは、今は先代さんに雇われているんですか?」

「いえ、まるっと譲ってくださったのよ。道楽で始めたものだから、俺は客で来るのがいいんだって」

「太っ腹ですねぇ」


 冬弥はその先代の財力に感嘆しつつも、はて、それらしき人が来ている様子は見たことがないと不思議に思う。

 デリケートな問題かもしれないと考え、その先を聞いてみたい気持ちにふたをする冬弥。


「黒木さんもここ最近ほぼ毎日来てくださってるじゃない? 私からしてみたら十分太っ腹よ」

「……いやぁー、いつまで来られるかもわからないような、寂しい懐具合です」

「あら? そうなの?」


 彩は目の前の青年をじっと見つめる。

 出会ったときはスーツ。

 次に会った時は、小綺麗にしているにもかかわらず、まるで別人のようにやつれた姿。

 不思議なもので、会うたびにやつれた姿は鳴りを潜めていった。


 彩が、淡いピンクの丸眼鏡を少し下にずらし、青年をさらに深く見つめる。

 冬弥は恥ずかしそうに視線を手元のスマホに移す。


「いっそのこと、働いちゃいません?」

「……はい?」

「そう来なくちゃ」


 冬弥の疑問を肯定と受け取った彩は、書類を準備してくるわと言い残し2階へと立ち去ってしまう。


 正直、この喫茶店は店員としてではなく、客として楽しみたい冬弥にとっては急展開である。

 青井彩、もとい、――突然の提案を事もなげに振ってくる――女店主が戻る前に、どう断りを入れるか考え始める。



「お待たせ」


 彩はカウンターに契約書を置くと、優雅に微笑んでくる。


「いや、あの、飲食店で働いた経験はないので……」

「そんなの誰だって最初は同じよ。だから、心配しないで平気よ」


 間髪入れずに勢いよく、しかし穏やかに冬弥の不安を拭おうとする彩。

 別に不安を感じているわけではないが、それを口にすれば墓穴を掘ることは目に見えている。

 冬弥は次の断りを考える。


「あの、実は前職を、体調を崩して離れた身でし――」

「土日以外はそんなにお客様が多い店でもないし、激務っていうわけではないと思うわよ」


 ここ最近の店内の様子を目の前の女店主に次いで把握している冬弥は、その言葉が嘘ではないことを誰よりも理解していた。

 しかし、そうなればこの店の資金繰りが気になってくる。

 冬弥は抜け道を探す。


「お世話になっている喫茶店に、これ以上ご迷惑をおかけするわけに――」

「あら、お店の心配? 大丈夫よ。別に喫茶店のお客様だけが収入源っていうわけではないから」

「それはどういう……」

「先代から丸ごと譲ってもらったと言ったでしょ? 元々は店にガラス食器なんて飾っていなかったのよ」


 そう言ってカウンターの上に置かれた、アンティーク調の卓上時計を引き寄せる彩。


「元々店内に飾られていた時計、カメラ、楽器。今もまだ2階に保管してはあるのだけれど、少しずつ処分してお店の運営に貢献してもらっているのよ」

「はぁ……」


 失敗した。まるで深い沼にはまっていくようである。

 しかし冬弥は、あっけらかんと、決定事項のように話す彩に少し違和感を覚える。


「働くの、嫌ではないのでしょう?」

「いや、確かに嫌ではないんですが……」

「うーん、煮え切らないわね。何が気になるの?」


 丸眼鏡を上にくいっと押し上げながら、彩は決めの一手を取りにかかる。


「正直に言ってしまえば……そんなに目をかけていただく要素がないというか」

「それはね、私が興味を持ったから。ただそれだけのことよ。あなたが考える必要はないわ」

「いや、やっぱりありがたいお話ではあるのですが――」

「休みたい時は、いつでも休んでもいいわ。まかないつき」


 冬弥は彩の突然の提案に言葉を失う。


「お客様のご要望がないタイミングなら、カウンターの座席に座ってコーヒーを飲んでいようと本を読んでいようと動画を見ていようと自由よ」

「いや、さすがにそれは……」

「子猫との触れ合い自由。あ、手指消毒とコロコロは忘れずして頂戴ね」


 彩はいたずらっぽく冬弥に笑いかける。


「さぁ、いかが?」

「いかがと言われましても……」


 彩はいまだ煮え切らない冬弥の様子を見て、ある提案をする。




 ▼▼▼




「本当に、こんなことやって上手くいきますかね」

「やってみなければ分からないじゃない」


 二人の視線の先には絶賛毛繕い中の子猫。

 足元に置かれているのは『働く』『働かない』と書かれた――その上には魚肉ソーセージのかけらも用意されている――2枚のコピー用紙。


「さあ、子猫ちゃん。ご託宣、おねがいします」


 彩の声に反応した子猫はゆっくりと起き上がり、こちらに向かってくる。

 猫は彩の足元にある――『働く』――餌と、冬弥の足元にある――『働かない』――餌をゆっくり観察している。

 二人の顔色を窺うように、のそりのそりと左右に歩いていたが、ふと足を止める。

 子猫は冬弥の顔をじっと見つめながら、意を決したように餌へと進む。



 そして――『働く』側の餌を食べた。

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