2 ~頭に響く! ファンファーレ~
――ぱんぱかぱ~ん! ぱんぱんぱ~ん!
頭の中でけたたましく鳴り響くファンファーレによって目を覚ます。
冬弥は見慣れない病室のベッドの上にいることに気づいた。
なぜファンファーレ? どうして? 不思議に思っていると、声を掛けられた。
「おう黒木、目を覚ましたか!」
「はい、えっと――」
マネージャーの声がするほうを向くと、顔が「黒いもや」で濃くおおわれた男がそばに座っている。
「熱中症らしいぞ、全く心配かけてくれるなよ……」
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
どうやら自身のマネージャーであろう声の主に、反射的に謝罪する。
冬弥はまだ、自分でも状況がよくわからない、ふわふわとした気持ちでいた。
「とりあえず、点滴を打って安静にして、回復したら帰っていいそうだ」
「色々とありがとうございます」
いや、顔が見えない。なにこれドッキリ? 誰かスモークでも炊いてるの? どういうこと?
冬弥は頭が混乱し、徐々に気持ち悪くなってきた。
「で、明日の勤務なんだが――黒木?」
「すみません、まだちょっと気持ち悪くて……」
「そうか……。明日は休んでよい。が、体調の報告は忘れるなよ」
「わかりました」
「じゃ、お大事に」
マネージャーの後姿を見送ると、冬弥は再び眠りについた。
「とーやー!!」
バタン!
と、大きな音を立てて名前を呼びながら入室してくる男に、冬弥は体をびくりと反射させながら目を覚ます。
「冬弥!! よかったちゃんと冬弥に見える……」
「父さん……」
全力疾走してきたことが良く分かる、汗を垂れ流した父親の姿にため息をつく冬弥。
久々に見る父親の顔は心配で心配でたまらなさそうなものであった。
あ、ちゃんと顔が見える。良かった。
きっと体調のせいで、ちょっとまぁ、視界が悪くなっていただけなのだろう。
冬弥はホッとした。
「久々に会うのが病院で、ごめん」
「全く! どれだけ心配したと思っているんだ!!」
「だからごめんって」
怒っているふりをしているのが良くわかる。表情がちゃんと見えれば、家族であることも手伝い、なんとなくふざけて居るのが伝わってくる。
「軽い熱中症だって?」
「そう、だからそろそろ家に帰れるはず」
「何よりだ」
うんうんと頷きながら、父親がベットの横に置かれたイスに腰かける。
「っていうか、冬弥にみえるってなんだよ、父さん」
「え? あ、ああ……てっきり顔の判別もつかないほど、大きな事故にでも巻き込まれたんじゃないかって不安で不安で仕方なくてな。気が動転してたんだ」
「熱中症だってば」
「いや、それは分かってたんだけどなぁ」
バツが悪そうにポリポリと頭をかきながら父親に、思わず笑ってしまう。
「黒木すわぁ~ん、体調はぁ、いかがですかぁ~?」
「あ、大分落ち着きましたー。ありがとうございました」
ノックをし、体をくねらせながら入室する看護師に、冬弥は絶句した。
「良かったぁ~。それではぁ、準備が出来たらぁ、手続きに向かってください~」
看護師にも、「黒いもや」がかかっていた。
▼▼▼
父親に車で送ってもらいながら外を眺めていると、どうも、もやに覆われた人が多いことに気づく。
冬弥は不気味だと思い、手元のスマホに視線を移すが、つい興味本位でまた外を見てしまう。
しばらくスマホと外と視線を移していて、分かったことがある。
人によって「黒いもや」の濃さがどうやら違うのだ。
……いや、そんなことが分かって何になるのだと冬弥は頭を振る。
「なぁ、冬弥」
「なに?」
「最近どうだ?」
父親からの質問は、久々の親子の会話に何から聞こうか迷ったに違いないものであった。
就職してから2年ちょっと。特段遠いわけでもないのに、まともに実家に帰った覚えもなければ、電話だって家族の誕生日にするくらい。別に仲が悪いわけじゃない。ただ、冬弥が仕事に没頭するあまり、自然と家族のつながりが薄くなっていただけである。
「まあ、普通」
「無理してないか?」
「そんなには」
そうか……。父親はその後につながる言葉を見つけられず、ドライビングミュージックを流しお茶を濁す。
冬弥はその聞き覚えのある曲を聴きながら、まだ幼かった頃の事を思い出す。
よく家族旅行の時に、助手席に座りたがっていたなぁ。なんであんなに助手席が好きだったんだろうか。運転している気分になれたから? 前も横もよく見える特等席だったから? いや、違うな……。冬弥は父親の横に座って、ずっと話せることが嬉しかったのだ。
今では後部座席に座り、特に話すこともなく、ただ懐かしい曲を聴いているだけ。
何が変わったわけでもないはずなのに、何かが違うのだ。でもよく分からない。これが大人の階段をうんたらかんたらということなのか……いや、違うな。
冬弥はくだらない思考が広がっていく自分に、自嘲気味にため息をつく。
「ここであっているか?」
カーナビの案内終了の声と共に、父親が長屋風アパートの前に車を止める。
「ありがとう」
「たまには母さんに顔を見せに帰って来るんだぞ」
「わかった」
父親は素直な返答と目の前の光景につい頬を緩ませる。
年齢に相応しくない住処を選んだ目の前の息子。
温泉旅行が大好きで、古い町並みをただ歩くのがお気に入りであった。
そんな幼い頃の息子の姿を思い出し、重ねたのであろう。
冬弥は父親が運転する車を見送ると、自身の住処へと向かう。
▼▼▼
翌日目が覚めると、すっかり体調は元に戻っていた。
テレビをつけると情報番組でコメンテーター達が、ああでもない、こうでもない、なんなんだ日本、と大きな口をたたいている。
冬弥は興味なさげにチャンネルを回すが、めぼしい番組もないため電源を切る。
ふと自身の住む部屋の中を見渡す。
築50年越えとなかなかに古いものの、手入れがしっかりされており、冬弥は特段気にならない。
自身が生まれる前から建っているだけあり、水回りに関しては少し――風呂場なんてガスの元栓をあけてから種火を付けて、そして火力調整をするなんていう年季の入ったものであるのだ――不便ではあるのだが、それすら気に入ってしまっている。
ダイニングと和室を洋室に作り替えた部屋と和室。和に偏った和洋折衷2DK。小さな庭付きである。素晴らしい! 冬弥は、ここに住むと決めた自身の選択を自画自賛する。
冷蔵庫からコーヒーを取り出し、庭に向かう。少し手入れの行き届いていない庭には雑草が伸びている。
夏はどうしても手が回りきらないのだ。昨日の今日だから手入れは出来ない、仕方がないと自分に言い聞かせながら縁側に座る。
チリンチリンと風になびく風鈴の音を聞きながらコーヒーを飲む。
別にコーヒーに関して明るいわけではない。ただ、何故か手放せなくなってきた相棒であるのだ。
無意識にスマホで動画アプリを開くと、あなたへのおすすめ動画がラインナップされる。
猫ねこネコ、子猫こねこコネコ。
ただ、猫の様子を垂れ流すだけ。そんな動画を見ていると、冬弥はいつも癒されてしまうのであった。
ああ可愛い。なぜ登れないと分かっていて、繰り返し棚に向かってジャンプするのだろう。カーテンに爪をひっかけて登る姿のなんて無意味で愛らしいことか。
昔、冬弥は猫を飼っていたこともある。大好きな猫であったが、小学生の時に体調を崩し天国へ行ってしまったのだ。あまりにも悲しい思いをしたため、それから父親も母親も、冬弥自身も猫を飼いたいとは二度と言わなかったのだ。
動画に没頭するあまり、気が付けばもう昼を過ぎていた。
冬弥はマネージャーに、明日から通常出勤できる旨を連絡した。
▼▼▼
覚悟はしていたものの、酷かった。
なんせ満員電車の中で、人の顔全てに、もやがまとわりついているのだ。
冬弥は2度途中で降り、駅のトイレに駆け込んだ。
「なんとか遅刻せずに、到着っと……」
オフィスに着くと、すでに同僚たちがキリキリと動いていた。
山田のフォローに回った分、自分の仕事の遅れを取り戻そうとエンジンフルスロットルである。
「おはようございます! 先日はご心配をおかけして申し訳ありませんでした!」
オフィス中の顔が一度にこちらを向く。
すべての顔にもやがかかっていた。
冬弥は今にも吐きそうなくらい気持ち悪さを感じたものの、なんとか押し込んで自分のデスクに向かう。
「心配しましたよ!」
「大事なくてよかったですね!」
「あんまり無理すんじゃねぇよ。これ以上フォローする相手が増えちまったら、こっちがまいっちまう」
「田中さん、それって俺のことですよね? ねえ?」
田中がけらけら笑いながら山田をいじる。
みんなにとっては、いつも通りのオフィスのはず。
冬弥にしてみれば、全く表情が分からず、不気味である。
いつもと同じように努めて笑顔を作り、会話に参加するも、頭に入ってこない。
「始業時間過ぎてるぞ!!」
マネージャーの大声に助けられ、自分の業務に取り掛かる。
不気味がっていても、仕方がない。仕事は仕事でやるべきことが沢山あるのだ。
冬弥は頬を両手で叩くと、目の前のパソコンにかぶりついた。
▼▼▼
1週間ほど経った今も、相変わらずもやがかかって見える状況に変わりはない。
冬弥は既にあきらめの境地である。
「あらぁ、おはよう! ……冬弥君、顔色悪いけど、ちゃんと寝てるのかしら?」
アパートの大家さんが、家の前を掃除する手を止め声をかけてきた。
もちろん、もやがかかっている。
「大家さん、おはようございます。熱帯夜が続くと、どうしても寝つきが」
「もう、いやだわ冬弥君。大家さんじゃなくて陽子さんって呼んでって言ってるじゃないの~」
大家の陽子さんは、肩をバシバシ叩きながら笑っているようであった。
「ちゃんと寝れるときに寝るのよ~! いってらっしゃーい!」
手に持っていた箒をぶんぶんと豪快に振り回し、陽子さんが見送ってくれた。
今日はここ数日迷っていたことを上司に伝えなければならない日でもある。
カバンの中に忍ばせた封筒が、ちゃんとそこにあることを確認し、冬弥は駅に向かう。
▼▼▼
昼休憩の時間。
マネージャーの手が空いたことを確認してから、冬弥は自分の席を立った。
手には朝カバンに忍ばせた封筒を手に持って。
「すみません、マネージャー。少しお話したいことが」
「おう、黒木。ミーティングスペースに行くか?」
「ありがたいです」
冬弥の表情を見たマネージャーは、すかさず気を使い場所を移してくれた。
「ご迷惑をおかけし、申し訳ないのですが、一身上の都合で退職させてください」
「そうか……。ちなみに、倒れてからずっと顔色が悪いが、それも何か関係が? 答えたくなければ答えなくていいんだが」
冬弥は返答に迷いつつ答える。
「体調が芳しくなく、一度仕事から離れようかと思いまして」
「休職するという手もあるぞ? 有給使ってももちろん良いし、そのあと判断してみるのはどうだ?」
あるかもしれないと思っていた、提案だ。
うちのイベント企画会社は人手が足りない。案件が重なる時期は猫の手も借りたくなるほどなのだ。
「先行きが自分でも不透明でして……。またみなさんにいつ迷惑をおかけするかもわからないですし」
「いや、熱中症だろ? あの一件だけで、そんなに周りに気を使う必要はないんだぞ?」
「はぁ、まぁそうですよね……」
冬弥は自分にしかわからないこの問題を、マネージャーに伝えるべきか、伝えるにしてもどのように伝えるべきか、思い悩んでいた。
「うーん……。分かった、受理する。有給は消化すること。手持ち案件は引継ぎを完了させること。何か困ったことがあれば、いつでも俺に連絡してくること。以上」
言葉に詰まる様子をみたマネージャーは、決心は固いと受け取ったのだろう。
無理に引き留めることはしなかった。
「ご配慮いただきありがとうございます」
その後冬弥は、少しずつ有給を消化し、山田や田中さん、同僚たちに担当を引き継いでいった。
そうして取引先への挨拶回りも終えた7月末。
冬弥は第一志望で入社したはずの会社を、辞めた。