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1 ~小さな不思議の始まり~

 

 ただ、少しふらっとしただけ。

 そう思った次には視界がぐわんと回る。

 彼は閉じていく視界の中で、ただ天井を見ていた。


「おい! 大丈夫か? ……お前ら救急車を呼べ!」

「もう山田さんが呼んでます!」

 マネージャーの的確な指示だし。同僚がバタバタ走り回る音が聞こえる。

 彼の聴覚はいつもより研ぎ澄まされていて、視覚を失っても、まだ意識は残っている。


「誰か緊急連絡先見れるやつは――」

「田中さんが調べてます! 私は念のためAEDを用意します!」

 頼りなかったはずの後輩が、最善を考え自ら行動している。――いつの間にか成長したものだと彼は感心する。

 そんな風に周囲の様子は手に取るようにわかるのに、自分の体は動かない。


「おい! 黒木!! しっかりするんだ!」

 あー、そんなに体を揺すっては気分がさらに悪くなってしまうと、彼は心の中で訴える。

 救急車のサイレンを遠くに聞きながら、黒木冬弥(くろきとうや)は――意識を手放した。


 ▼▼▼


「いやぁ……さすがに暑いなぁ」


 洋館が立ち並ぶ、小高い丘の下のオフィス街。

 丘からやってきた蝉が、電柱にへばりつきうるさく鳴いている。


 黒木冬弥はポケットからスマホを取り出し、天気予報アプリを確認する。

 只今の気温は38.5度。7月も始まったばかりだというのに、なんということだ。

 冬弥はネクタイを外し、打合せ資料の横に詰め込んでこの日差しに抵抗する。

 

 少しはマシになったのだろうか。いや……あまり変わらないようである。

 

 冬弥は先ほどまでいた取引先のオフィス、程よく冷房が効いた場所を、名残惜しいように見つめる。そしてオフィスビルを背に、丘を見上げると空は青く、大きな白い雲が浮かんでいる。

 鮮やかな緑と様々な色の洋館が立ち並ぶこの丘眺めていると、不思議なことに暑さを少し忘れてしまうようであった。

 今日は直帰と伝えてあるし、冬弥は久々に丘を散策してみることにした。


 坂の始まりには小さな個人経営の店が立ち並ぶ。花屋に魚屋、文房具店に中古書店……。

 近くに大型ショッピングモールがあるのだが、この一帯は様々な店がこの丘と共に観光地として共存できている。


 冬弥は汗をかきながらゆっくりと坂を登り始める。

 片側2車線の道路の中央には1本のレールが走っている。所々位置する停留所はレールで囲まれ、交互運行でトロリーが走っているのであった。

 ちょうど1台の登りトロリーがカンカンカンと音を鳴らし、停留所への侵入を知らせている。

 冬弥は丘の上までトロリーに乗るか迷うが、いやしかし、今日は歩くのだと誘惑を振り払う。


 汗を噴出させながら、丘の中腹ほどまで登ってきたところ、冬弥はある一軒の洋館に視線を奪われる。


 その洋館は赤褐色のレンガで作られた外壁が、所々蔦でおおわれていた。

 古い建物であるようだが、手入れは行き届いており、薄い色がついたカラフルな窓が不思議な雰囲気を醸し出している。

 洋館と同じレンガで外構が作られ、敷地を囲っている。

 重たい雰囲気の鉄門は開かれており、来るものを拒む様子はない。


「喫茶店 -Colors-」


 鉄門のそばに置かれた黒板にはメニューが白チョークで書かれている。


「本日のおすすめ ~アイスコーヒー~ 暑さを忘れてホッと一息入れませんか?」


「それは冬に使う売り文句じゃないのか?」

 冬弥は心の中で突っ込みを入れつつも、暑さを忘れたい気持ちと、この不思議な雰囲気を持つ洋館の中を見てみたい気持ちが勝ち、歩み始める。


 様々な石像が庭に飾られている。

 冬弥がふと小さな猫の石像に目をやると、その石像の影で子猫がくつろいでいた。

 子猫は冬弥に目をやると、この暑さを何とかしてくれと言わんばかりに恨めしそうな鳴き声を上げた。


 冬弥は、いや、どうにもしてやれないんだ、すまないと心の中で考えつつ手を伸ばす。

 子猫のあごの下を優しく撫でてやると、嫌がるそぶりも見せず、嬉しそうにゴロゴロ喉を鳴らす子猫。

 冬弥はそういえばと、カバンの中を見ると先ほどコンビニで買った、自分の好物の魚肉ソーセージを取り出す。


「あまり体に良くないからほんの少しだけな」


 冬弥はフィルムを開け、ひとかけらは子猫の足元に置き、残りは一気に食べてしまう。

 子猫が嬉しそうにニャーと鳴き声をあげてから食べる様子を後に、冬弥は喫茶店の入口まで進む。


 両開きの古びた木製の扉には1枚ずつ楕円形のステンドグラスが飾られている。

 金色のドアノブをこちら側へと引くと、カランコロンと入店を知らせる鐘が鳴る。


 涼しい空気と程よく落ち着くライティングに、冬弥は目を細めつつ中へ入る。


「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」


 店内の2階へ続く階段には「Staff Only」の看板があり、飾り棚には様々な色の美しいガラス製食器が置かれている。ライティングによって更に魅力増す食器の数々を眺めながら奥へと進むと、色のついた窓のそばに人影がある。

 着席はまばらではあるものの、人々が思い思いの時間を楽しんでおり、どうやらゆっくり過ごせそうだと冬弥は思う。

 一番奥には暖炉が飾られており、暑さを感じてしまうはずなのに、なぜか心惹かれる冬弥。その暖炉の近くの席に着く。


「おしぼりをどうぞ」


 おしぼりとお冷を渡しにくる女店員。

 30代前半ぐらいだろうか? ほかに店員はおらず、彼女一人で切り盛りしているようだ。

 淡い緑色のレンズの丸眼鏡を少し鼻先にずらしてかけた彼女は、穏やかに微笑んで給仕している。


「ご注文がお決まりになられましたら、お手元のベルでお呼びください」


 メニューを開き置くと、卓上ベルを示す。

 軽く会釈をしてから静かにカウンターに戻っていく彼女。

 落ち着いた雰囲気の店内には、ジャズ風アレンジの聞いた有名曲が静かに流れており、どうやら彼女の接客を含めこの店の魅力を作っているのだと冬弥は思った。


「はぁー、快適快適」


 冬弥がメニューをいたずらに眺めながら冷たい水を口にすると、先ほどまで垂れ流していた汗がスッと引いていくのを感じる。ホッと一息入れてみようじゃないかと、卓上ベルに手を伸ばそうとしたところで……


 ――手元のスマホの着信音が店内に鳴り響く


 この喫茶店に似合わない騒音が、冬弥の心拍数を急上昇させる。

 マネージャーからの突然の着信に慌てて、冬弥が通話を取る。


「はい――」

「すぐに戻れ」

「え、何かあったんですか?」

「いいから、後で話すから、1分でも早く戻ってくるんだ」

「今ちょっと――」


 一方的に伝えたいことを伝えると、マネージャーは通話を終了していた。

 冬弥はアイスコーヒーに心残りを感じながら、女店員に一言入れ、日差しを感じながら丘を駆け降り始めた。


 ▼▼▼


「山田! なんでもっと早く報告しなかったんだ!」

「すみません」

「手が空いてるやつはいるか?」

「田中さんが今駅に着いたそうです」


 冬弥が会社のキンキンに冷えたオフィスに戻ると、マネージャーが仁王立ちしながら山田に状況確認しながら、メンバーに指示を出している。

 バタバタとした雰囲気で、冬弥が戻ったことに気づき声をかける人は誰もいない。


「黒木、戻りました」

「おう、ちょうどよかった。山田が受け持っていた結婚式場の見学会なんだが、プランの納期が過ぎていてな。手が空いているやつでフォローしてほしいんだ」


 マネージャーは仁王立ちしたまま、冬弥に有無を言わさない圧力のこもった笑顔を向けてくる。

 別に手が空いているわけじゃないし、今日ももう朝早くから仕事し終えているし、正直帰りたいと冬弥は思う。

 しかし、周りの皆が走り回る姿、山田の申し訳なさそうな表情、マネージャーの体育会系手腕に、いつものことながらつい流されてしまう冬弥。


「俺でよければ、手伝います」

「そうだな、頼んだぞ」

「黒木さん、ありがとうございます」


 山田が情けない声で感謝を伝えてくる。

 冬弥は今すぐ帰りたい気持ちを抑え込み、デスクに着くと、山田から情報共有と分担内容の説明を受ける。


 話を聞いていると、冬弥は急に鳥肌が立ち始める。

 徐々に体が震え始める。

 いよいよ山田の話を集中して聞けなくなってくる。


「……黒木さん、大丈夫ですか?」

「あ、ああ。すみません。急に体が冷えたからかな? 少し冷房を弱くしてくるよ」


 席を立つとなんだか、少しふらついた。


 それから冬弥は――意識を失った。


ゆっくりですが、更新していきます。

よろしくお願いします。

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