リヒトドゥンケル兄弟
繋ぎ回です。
後日。アグニ達は冒険者ギルドで昇格の手続きを済ましていた。ただレイだけは諸事情で仲間達とスケジュールが合わなかったらしく、翌日に手続きをすることになった。
「では、こちらが白金階級のプレートになりますね」
「ありがとうございます」
レイが笑みを返せば居合わせた受付嬢達が赤面になりたじろいでしまう。渡されたプレートはその名の通り白金でできており、表面は細かく美しい細工が施され、真ん中に自身の名前が刻まれている。
『マジで金剛大蛇を倒したのか……!?』
『いや、倒したっていうよりは鱗だけを上手く採取したらしいぞ?』
『それだって簡単にできることじゃないだろ……』
遠巻きから眺める冒険者達はヒソヒソと話ながらも驚きを隠せないでいた。手にしたプレートを首から下げ、レイはギルドの扉から外に出る。
「お待たせアグニ」
「おう」
扉の横で壁に寄りかかるアグニの姿を見つけ声をかけるレイに、アグニは手をあげて返す。アグニの首からも白金のプレートがかかっていて反射している。アグニは笑顔を見せてレイを祝う。
「これで俺達も白金だな」
「うん……」
だがそれに対してレイは、首から下げたプレートを指先で弄りながら考えこむように押し黙った。なんとなくその様子が気になったアグニはレイの顔を覗き込む。
「どうした?」
「………なんていうか、正直いまだに実感が持てなくてさ。俺なんかが白金階級の冒険者になれるなんて」
目を伏せて口元に薄く笑みを浮かべるレイに、アグニは首を振る。
「んなことはないだろ。レイがそれだけ凄かったからだって」
大蛇に攻撃を当てられたのは、レイとアルバが拘束をしてくれたからこそなし得たことである。レイは功労者として評価されてしかるべきなのだと語るアグニに、レイはありがとうと素直に述べる。
「でも俺がここまでこれたのは、アグニのおかげなんだと思う」
「え?」
ふとレイが空を仰げば、二羽の鳥が空を飛ぶ姿が見えた。吸い込まれそうな青空を自由に羽ばたく姿にどことなく憧憬の念を抱き、レイはありし日のことを追想する。
「あの時アグニに出会ってなかったら……俺は冒険者になることも、弟とまた一緒に暮らすこともできなかったと思うから、本当に感謝しているよ」
アグニを見るレイの目は、万感の思いが込められているのが理解できた。
「もちろんメル達にもだけどね」
「お、おう」
ニッコリと笑うレイに対しアグニはつい上ずった声を出す。気持ちは大変嬉しいのだが、こう改めて言われるのは正直気恥ずかしい。
「あとさ、その『なんか』って言い方やめろよな。そうやって自分を卑下されると逆に腹立つって言うか……」
「うん、わかったよ」
レイが苦笑すれば、なんだかアグニもつい可笑しくなっしまう。
「アグニさん、レーベルさん!」
「ん?」
そこへ呼ばれて振り返れば三人組の冒険者達、そのうちの黒髪の少女が駆け寄ってくるのが見えた。頭にバンダナを巻き、浅葱色の動きやすい武闘着姿から見て武闘僧と思われる。
「おお、シンシアじゃん」
「みなさん白金に昇格したんですよね。おめでとうございます! 」
走って少し早くなった呼吸をしながら少女、シンシアは二人に深くお辞儀をした。
「シンシアも鉄から銅に上がったんだっけな」
「はい! おかげさまで」
「やっと初心者卒業って感じだね」
「いや~私なんてまだまだですよ」
えへへと頭を掻く少女、シンシアは嬉しそうに頬を緩ませている。
「おいレーベル、あんまりうちの後輩を甘やかすなよ。すぐ調子乗るからさ」
「あはは、ごめんごめん」
そこへ後の二人が追い付いてきた。金色の羽毛を持つ隼の鳥人がシンシアの頭を軽く小突く。滑らかな絹の布でできた赤い衣服の上に緑色のプロテクターで纏い、凝った装飾の槍を肩に担いでいる。
「でもこれでアグニ君達も有名冒険者か~。なんか妬けちゃうね」
やや間延びした口調で話すのは、緑色の鱗を持つ大柄な竜人だ。背中に大盾を背負い分厚い鎧に身を包んだ姿は盾使いのそれだが、左腕の露出した部分には覇竜の印がある。つまりは彼も覇竜族である。
彼らは金階級の冒険者コンビで、アグニ達とは旧知の間柄である。
「ナバとヤズナはどうなんだよ?」
「俺らはまずまずだな。まあ後輩の指導は忙しいけど楽しいし」
「私はキツいですよ……」
「がんばれ~」
槍使いのヤズナがニヤリと意地悪く笑えば、シンシアは初心者時代のスパルタ訓練を思い出してしまったのかやや顔が青ざめ、盾使いのナバが大きな手で頭を優しく撫でる。
のほほんとした雰囲気の四人を穏やかな笑みを浮かべて見守るレイだったが
ーーーーーーー!
「っ!」
ゾクリ、と首筋にナイフを突き立てられるような鋭い殺気がレイを襲い、目を見開き身体が硬直する。目線だけで周囲を見渡せば、辺りは一般人や冒険者ばかりで異常はないようにみえる。だがレイには理解できた。前職の勘から、すぐ近くに『いる』ことに。
チラリとアグニ達を見れば、彼らは気づいていないようでたまに爆笑しながらお喋りに興じている。拳を握る手に力を込めながらも、レイは平静を装っていつもの笑みを作る。
「……アグニ、じゃあ俺はもう行くよ」
「ん? ああ、レイはこの後どうするんだ?」
「今日はラヴィが買い出しに行っているから、これから合流するつもりなんだ」
「わかった」
アグニ達がレイの挙動に不自然さを感じていないことに安堵しつつ、レイは努めて笑顔を崩さずその場を後にしたのだった。
去っていくレイの後ろ姿を見送り、ヤズナは小さく息を吐く。
「なんていうか、レーベルも丸くなったよな」
「そうだね」
「え?」
ナバもうんうんと頷くが、シンシアだけはキョトンした顔で二人を見ている。それを見て二人は気づいたように見合った。
「そっか、シンシアちゃんはまだこっちに来てから日が浅いから、知らないんだっけ?」
そう言ってナバが語った駆け出し時代のレイの話は、シンシアにはとても信じられない内容だった。
レイが冒険者ギルドにやって来たのは、アグニ達が銀階級になって間もない頃。依頼先で知り合い、職に困っていた彼をアグニが冒険者に誘ったのきっかけだった。あの頃の彼は視線だけで相手を殺せるんじゃないかと思えるくらい鋭く、また他者との馴れ合いを好まず常に周囲と壁を作っていたらしい。比較的社交的なナバでも現在のような関係になるまで苦労したのだという。
「ええ! あの優しいレーベルさんが!?」
シンシアの中ではレイは常に穏やかな笑顔を絶やさない好青年だ。悪漢相手にも笑顔と話術でいなす様はコミュニケーション能力に長けていて、とても二人が語るかつての彼と結び付かない。
「確かメンバーの中ではアグニが最初に出会ったんだっけか?」
「そうなんですか?」
シンシアに急に話を振られ、ギクリとアグニの肩が跳ねて顔がひきつる。
「ああうん……まあな」
「?」
目を泳がせつつアグニは肯定するが、なにやら歯切れの悪い言い方で掠れるように呟く。どことなく後ろめたげな反応に、三人は不思議そうに顔を見合わせる。
「あ~、そうだシンシア! お前がどれだけ強くなったかちょっと手合わせしてやるよ」
途端に話を切り替えるように手を叩き、アグニは笑顔を見せてきた。だが対するシンシアは慌てて首を横に振る。
「ええええ!? いやいや白金になったアグニさんとじゃ話になりませんて!」
「お、そいつはいい。アグニ、そいつにちょいと世間の厳しさってやつを教えてやってくれ」
「ヤズナさああん!」
悪ノリするヤズナもニヤニヤしながらシンシアの頭をポンポンと叩く。残る先輩に助けを求めようとするも
「な、ナバさん助けて!」
「まあでも、最近のシンシアちゃんはちょっと緩んでいるから、ちょうどいいと思うよ」
いつもと同じ穏やかな笑顔。だが今だけは、鬼の顔に見えたのはシンシアの錯覚ではなかったことだろう。
「ナバさああん!」
涙目になりながらも、シンシアは子猫のように首根っこを掴まれて模擬戦場に連行されていった。
アグニ達と別れてから、レイの足は人通りの少ない林に向かっていく。なるべく他者を巻き込まないように、これから起こるかもしれないことを知人に見られないために。
「冒険者になったという話は聞いてはいたが、随分羽振りがいいみたいだな」
不意にかけられた低い声に、レイは立ち止まる。
「……」
ゆっくりと背後を振り返れば、いつからいたのか黒い外套を纏った五人の男が立っていた。冒険者とも騎士とも違う出で立ちと雰囲気、恐らくは暗殺者と呼ばれる人間達だ。特に驚く素振りも見せずに彼らと向き合うレイは、先ほどの穏やか表情とはうってかわって冷たい眼差しで見る。それは先ほどナバ達が話していた『冒険者駆け出しの頃のレーベル』そのものだった。
「………わざわざ配下まで連れてくるなんて、随分大がかりなことをするんだね」
会話する声からも普段の温かみが感じられず、それどころか明確な嫌悪と威圧が静かながらも相手に伝わる。背後に控えていた四人が思わず身を震わせるも、先頭に立つ男だけは一切動じず険しい目で睨み返す。
「黄昏、今一度言うぞ。再び我らの軍門に下るというなら、これまでの反逆は不問のものとする」
「……嫌だと言ったら?」
「ここで死ね」
言うや否や、背後の男達が身を低く構える。懐に忍ばせた暗器をいつでも取り出せるように身構えるが、
「……仰々しく言ってくれたけどさ、正直君達で俺を殺せるのかな?」
「!?」
暗器に伸ばした指があと数ミリというところで動かない。いやそもそも身体全体が動かせなかった。まるで固いロープでグルグル巻きに縛られたように固定され、身をよじってみても筋肉が引っ張られる痛みで苦悶の喘ぎが漏れるだけだ。ふと視線を足元に落とすと、レイの影から何本もの長い影が伸びており、それらが男達の影に巻き付いているのが見えた。しかし眼前のレイの周りには長い影にあたる物体は何もない、おそらくは彼が得意としている影魔法なのだろう。しかしそれなりの手練れと思われる彼らが、対象の予備動作もARMSを起動させた素振りすら感じることができなかったのだ。
「このくらいも対処できないようじゃ、俺を殺すのは無理だと思うよ」
サクサクと草を踏みしめて先頭の男に歩み寄ると、男を縛る影の一本が男の影の首に伸びて巻き付く。
「っ………!!」
すると男の首がまるで透明なヒモに巻き付かれたようにへこみ気道が狭まる。窒息するほどの力ではないようだが、取り込む酸素の量が急激に減り男の口がはくはくと浅く呼吸し声も出ない。
殺される。なす術なく命が奪われる恐怖に男のみならず背後の四人も冷や汗を流し小刻みに震える。
「大丈夫だよ、今の俺は殺し屋黄昏じゃない。冒険者黒獅子は人殺しなんて絶対しないよ」
だがレイはいつもと同じ社交的な笑顔を見せ、彼らを縛る実体なき影を消した。自らを縛っていた力が無くなり男達は思わず脱力し、首を絞められていた男はゼエゼエと酸素を取り込もうと深呼吸を繰り返す。
「まあ……正当防衛であれば、別だけど……」
いつも通りの穏やかな声色で語りかけるレイだったが、その目は笑っていなかった。ヒイと情けない声を上げたのは誰だったか、男達は蜘蛛の子を散らすようにその場から全力で逃走する。レイは男達の後ろ姿が見えなくなるまで静かに睨み続けていた。
「………?」
買い出しを終えて帰路につくラヴィは、ふと気配を感じて立ち止まる。ほんの僅かながらに感じたそれは魔力が高まる感覚で、魔力の質から見て日頃から感じている実兄のものに違いなかった。だが基本的にことなかれ主義者な彼が、戦闘中以外でこんなにも攻撃的な魔力を出すことなど滅多にないはずだが……。
「兄ちゃん待ってよー!」
「早く早くー!」
どうしたことだろうかと首を傾げていると、子供の元気な声がラヴィの耳に入る。見れば焦げ茶の毛並みの狼人の少年が手を振っており、その少年のもとに灰色の毛並みの狼人の少年が駆け寄る。毛色以外はそっくりな二人が駆ける先には両親と思われる男女が両手を広げて待ち、兄は父親に弟は母親に抱きつく。親子はしばしのあいだ笑顔でお互いを抱きしめあうと、子供達を真ん中にして仲良く手を繋ぐ。今日のご飯はシチューよ。やったー! と微笑ましく談笑しあう親子は帰り道を歩いていった。
「………」
その絵に描いたような幸せ親子の後ろ姿が、ラヴィの記憶の中の家族の姿に重なったように思えた。思えば最後に家族全員で手を繋いで歩いたのも、自分達があの兄弟ぐらいの年の頃だったではないだろうか。
次いで脳裏を過ったのは、血に染まった両親の姿。冷えて物言わぬ骸となってしまった最愛の家族を目撃し、呆然とする幼い自分自身と、家から姿を消してしまった無二の兄弟。
「ラヴィ、お待たせ」
「っ!」
いつの間に自失していたのか、背後からかけられた声に思わず身構えてしまう。だが振り向いた先にいたのが兄だと理解すると肩の力を緩めた。
「どうかした?」
「ああ……いや」
心配そうに顔を覗きこむレイに、ラヴィは首を振ってなんでもないと答える。まがりなりにも白金階級に昇格したばかりだというのに、背後に立たれるまで気配に気づかないとはなんというざまだろうか。ほんの少しだけ自己嫌悪し、ため息をついてしまう。
「ラヴィ」
「?」
そんな弟にレイは何か言いたげな目を向けていたが、やがていつも通りの微笑みを浮かべるとラヴィの頭にポンと手を置く。
「帰ろっか」
「………子供扱いするなって言ってるだろ」
ラヴィはムスッとした顔になるも、やんわりと手をどけてレイと並んで歩きだした。太陽のオレンジと夜の紫が混じりあった夕暮れが、光と闇の兄弟の道を照らしていた。
ラヴィと暗殺者のバトルも書こうかと思いましたが没りました。