第98話 光の手助け
何年も見ているだけだった生活。
それでもあの祠の中での生活よりは何倍マシ、いや楽しかったことか。
デルフの生き様を眺めていること。
それはまるで遙か昔に読んでいた本の物語のように心躍る物であった。
本当ならばもう出てくるつもりは無かった。
私との同化は決して進ませてはならない。
デルフに私と同じ重みを背負わすわけにはいかないと考えた。
それに私はもう死んだことになっている身じゃ。
デルフを影ながら支えること。
それだけが私のできることじゃろう。
役割なのじゃろう。
そう思っていた。
だが、このままではデルフは死ぬ。
それもデルフにとって不本意な状況で。
影ながら支える事が私の役目じゃ。
私のことは一切悟られないように手助けする。
今までもそうしてきた。
じゃが、今回ばかりはそう上手くはいかないじゃろう。
可能な限り止めていた同化を進める必要がある。
致し方ないとはいえデルフには悪いことをする。
恩を仇で返したと思われても否定はできない。
しかし、お前にはまだ果たさなければならないことがある。
お前はまだ死んではならない。
先に旅立っていった者たちの意志と覚悟をお前が受け継いだのじゃから。
じゃが、今は今だけはゆっくりと休んでおくといい。
この場は私に任せよ。
リラルスはデルフの身体に魔力が宿っていくことを感じていく。
いや、リラルスからすれば戻っていくという感覚のほうが正しいだろう。
それとともに血流の動きが激しくなり止めていた同化が進み始める。
身体の作りが根本から変わっていく感覚を覚えたが不安や焦りなど一切ない。
リラルスにとってそれは初めてではないからだ。
リラルスはふらつきながら立ち上がる。
高速で変質していた身体の動きがようやく止まりゆっくりと顔をあげた。
クライシスとウェルムの驚きの声が聞こえる。
リラルスからすればそれは虫の羽音のように耳障りな声だった。
しかし、その動揺を利用しない手はない。
苛つきを抑え冷静を装って笑いかける。
「クックック。久しぶりじゃの。サムグロ王」
そこからリラルスはウェルムとの言葉をぶつけ合いながら急速に変化した身体の反動を抑えに掛かっていた。
昔の、デルフに会う前のリラルスならば問答無用でウェルムに襲いかかっていただろうがそうはならなかった。
仇を目の前にしてリラルスが平静を保てたその理由は新に守る物ができたからだ。
昔のように後先考えず最低でも道連れにすれば良いと言う考えは既にない。
(この身体はデルフの物。私の役目はこの場を離脱するか殲滅の二択じゃ……。取り敢えず試してみるかのう)
リラルスはウェルムとの会話の言葉を打ち切り強く地面を蹴った。
一直線に向かっていき左手に魔力を込めてウェルムに近づける。
剣で防ごうとするがリラルスは動じない。
そんなことに意味が無いからだ。
手から溢れた魔力を剣に触れさせた後、すぐに後ろに飛び退いた。
だが、クライシスの声によりウェルムは持っていた剣を捨て事なきを得た。
捨てた剣は黒く染まりやがて灰となっていく。
(持ち続けてくれればそのまま身体に広がったのじゃが…。そう上手くはいかぬか。それはそうと右手が無いのは少し不便じゃのう)
リラルスはデルフの中から眺めていたときの記憶を辿り視線を移す。
そして、その先にあった義手の拳を掴み再び装着する。
「魔力を流せば動くと聞いたが……おお、動く動く」
リラルスは試みが上手くいったことに満足する。
「さて、次はこの服装じゃのう」
リラルスは指を鳴らして自身を魔力の瘴気で包み込み衣服生成を発動させる。
数秒もせずにリラルスは鎧姿からいつもの自分の格好に変化した。
長くなった自分の髪をかき上げ生成したコートの上に乗せる。
「やはりこの格好の方が断然やる気が出るのう」
リラルスは改めて冷静に分析する。
(いつの間にか敵が増えているのう……。一つ、二つ、三つ……多い。どうしたものか)
リラルスは自身の魔力の残量を確かめる。
(一人、二人だったらなんとか勝てたじゃろうが……見たところどいつもサムグロ王に引けをとらない傑物たち。昔の私ならば道連れ覚悟で突撃していたが……無理はできぬな)
その敵の中に見覚えがある者が目に入った。
「確か……お前はソルヴェルと言ったかのう。生きていたのか」
リラルスはヒクロルグに指を向ける。
ヒクロルグは首を傾げた。
「ソルヴェル?」
「先輩、その身体の元の持ち主の名前です」
クライシスがヒクロルグに小声で囁く。
「元の持ち主じゃと? なるほど、なんとなくカラクリが分かってきたぞ」
そして、不敵な笑みを浮かべる。
しかし、それは虚勢でこうして言葉を並べることで時間を稼ぐ目的があった。
先程、久しぶりに魔力を使ったせいか少し違和感を感じていたのだ。
幸いなことに敵がリラルスを警戒して全く動かないでくれたためその違和感も気にならなくなってきた。
(しかし、カラクリが分かったとはいえこの場の解決には少しも役に立たん。まぁ、撤退一択じゃな。取り敢えずやつらを適当に掻き乱して離脱するとしよう。っとその前にデルフの腹心にも伝えておかなければな)
リラルスはこの場の誰にも聞こえないような小声で囁く。
「ウラノと言ったか急ぎ逃げ道を用意して置いてくれ。頼んだぞ」
これでよしとリラルスは左手と右手に魔力を溜める。
「ん?」
リラルスは義手がぎこちない音を発していることに気が付く。
その原因はすぐに分かった。
「そうか。私の魔力ではこいつは保たないか。急がなければのう」
リラルスは動こうとしたそのとき視界の端で何かが動いたことを見逃さなかった。
「あれは……」
リラルスは一瞬で移動しもはや動かなくなってしまったフレイシアを手で触れるとまだ温かく微かにだが息があった。
「デルフ、早とちりをしおって。しかし、重傷には変わりはない。守りながら戦うのは厳しいのう。じゃが、お姉様の子孫じゃむざむざ見殺しにするわけにはいかん」
リラルスはわざと残念そうな顔をして敵の注意をフレイシアから逸らす。
「よし、適当に暴れるとするか」
リラルスはフレイシアを置いて姿を消した。
敵たちは決して油断などするはずもなくリラルスを目で追いかける。
しかし、そんなことリラルスは気が付いている。
何も策なしに向かうはずがない。
「ルー。帰ってきておるじゃろう」
その声で黒刀となったルーが飛んできた。
「あれは……母上の……」
ルーを初めて見たはずのウェルムは小声で呟いた。
「全くどこに行っていたのじゃ。お前がおればデルフももう少し楽に戦えたものを」
しかし、ルーは何も反応しない。
「まぁ、よい。ルーいつものを頼む」
その声と共に黒刀となったルーにさらに変化が生じた。
黒刀の周りに魔力の煙が発生し霧散した後に出てきたのは人が一人分の大きさがある刀身の大太刀だった。
リラルスはそれを見て満足そうに頷き大きく振り上げる。
大太刀の切っ先に魔力を凝縮した球体を生み出し思い切り振り下ろす。
その球体から黒色の雷撃のようなものが放たれ一直線にウェルムに向かっていく。
シフォードがウェルムを守るために立ち塞がったがウェルムはすぐさま叫ぶ。
「受けるな! 躱すんだ!!」
シフォードは何も言い返さず素直にウェルムの言葉に従った。
地面に放たれた攻撃が地面を抉り跳ね飛ぶ瓦礫は黒に染まった後、静かに崩壊していく。
「おい! ウェルム!! 全部躱せたってどう攻撃をすれば良いんだ!!」
クロサイアがウェルムに叫ぶ。
「奴の魔力が尽きるまで待つんだ!!」
「そんな時間が来ると思っておるのか」
リラルスがウェルムの背面に周り義手の拳を放つ。
だが、ウェルムに直撃しそうになったとき義手が急に黒に染まり灰となって消えてしまったのだ。
「くっ……」
それを見たリラルスは立ち退こうと飛び上がるがそれを狙っていたようにヒクロルグが既に構えを取っていた。
距離は大分離れており両手には何も持っていないがヒクロルグは奇妙なポーズを取り人差し指をリラルスに向けて突き出す。
「悪に鉄槌を“紫末の綻び”」
すると、その指先から紫色の光線が飛び出した。
クロサイアと言い合いをしていたときよりもその光線は大きく速度も格段に違う。
そんな攻撃をリラルスは防御の姿勢も取らずに直撃した。
だがリラルスに触れた途端、その光線は黒く染まりリラルスに傷を与える前に消滅してしまった。
「やはり無駄だったか……」
「いや、その調子でどんどん攻撃を放っていくんだ!! とにかく消耗させろ。この場で必ず仕留めるんだ!!」
リラルスは地面に着地し距離を取ろうとしたとき身体が大きく揺れた。
そして、身体が宙に浮きある方向に勝手に動く。
この現象は先程デルフが受けた技の一つでリラルスには心当たりがあった。
引き寄せられる先には思った通りクライシスが剣を構えて待っていたのだ。
このままではデルフの二の舞となってしまうがリラルスは笑みを浮かべていた。
「ふっ、軽率じゃの」
「!!」
剣を構えていたクライシスは迫ってくるリラルスが左手を伸ばそうとしているのを見て寸前で魔法を解除する。
リラルスは自身に掛かる力がなくなると同時に後ろに飛び退いた。
「クライシス!! 何で止めたんだ!!」
タイミングを見計らってクロサイアも迎撃しようとしていたようで途中で止めたクライシスに怒鳴りつける。
「無茶言わないでくださいよ!! あのまま続けていたら俺死んでましたよ!!」
リラルスは着地して右手に目を向ける。
「ふむ、やはり保たなかったのう」
右手には先程付けていた義手はなかった。
リラルスの魔力に耐えきれず灰となって消えてしまったのだ。
「しかし、こうも連携されると厄介じゃのう」
リラルスは左手に魔力を集めて残量を確かめる。
(もはや悠長にはしてはいられないのう。しかし、あやつらに隙は全くない。どうしたものか……)
悩んでいたそのとき不快な音が頭に響き始めた。
「な、なんじゃ?」
リラルスは戸惑いこめかみを手で押さえる。
だが、そのノイズは段々と鮮明になっていきやがて綺麗に澄んだ声に変わった。
『リラルス様、今すぐ全力でこの場から離脱してください。ここは私にお任せください。さぁ早く!』
(お前は誰じゃ? 名を名乗れ)
『もう時間はありません。後で必ず全てを説明いたしますのでこの場を早く。今の私ではあの子を抑えるだけで精一杯です。急いで』
(……そうか、ならいい。今は猫の手でも借りたいときじゃお前のことを信じるとする)
『感謝します』
リラルスは持っていた大太刀に深く地面に突き刺す。
「サムグロ王。この場はお前に勝ちを譲ってやる。じゃが次は無いぞ」
「僕たちから逃げ切れると思うのかい! 君は今ここで消え去るんだ!!」
リラルスはウェルムの言葉を無視して魔法を発動させる。
地面に刺さった大太刀から黒の瘴気がじわじわと発生し始めた。
ウェルムは何かに気が付いたように急接近を試みようとするがもう遅い。
湧き出てくる黒の瘴気の勢いが急激に強まりリラルスを覆い隠してしまった。
「くっ!」
ウェルムたちは飛び退きその瘴気から大きく距離を取る。
その間にリラルスはルーをリスの姿に戻して走る。
倒れているフレイシアの下に近づき左手で抱え上げた。
「よし、今のうちじゃ。ん? どうした? ルー」
リスとなったルーが立ち止まったまま動かなかった。
そのときルーが白く発光する。
そして、その白の光がルーから飛び出して敵の方向に飛んでいった。
「……ルーよ。お前の秘密は多すぎるのう。まだ私でも知らないことがあったようじゃの。どうやらあの声は味方のようじゃ」
リラルスは笑みを浮かべ走り始める。
「殿!! こちらです!!」
丁度到着したウラノが壁にできた穴に中から顔を出しリラルスを手招きする。
「さすがデルフの部下じゃのう。仕事が早い」
「殿……? 本当に殿ですか?」
ウラノは変わり果てたデルフの姿をしているリラルスを見て戸惑っている。
「安心するのじゃ、デルフは無事じゃ。今はとにかく行くぞ」
「殿が無事……? は、はい!」
ウラノはデルフの雰囲気が全く変わっていることに疑問に思いながらもリラルスが隣を通り過ぎ駆けていったため慌てて追いかける。
ウェルムは魔力でできた黒の霧が晴れたときにリラルスの姿がないことに苛つきを隠せないでいた。
「皆! まだそんな遠くに行っていないはずだ! 今すぐ追いかけて必ず仕留めろ! 至急魔物も向かわせる」
皆はこくりと頷き至急追跡を始めようとするが動けたのはクロサイアだけであった。
「何が起きているんだ!? とにかくクロサイアは早く追撃を! あの攻撃でもうジョーカーは魔力を使い果たしている!」
「ああ、了解した!!」
クロサイアは頷き棍棒を肩に乗せ高速に走って行く。
地面を蹴る勢いが強くクロサイアが通った道には足跡が残るほどだ。
「一人、逃してしまいましたか」
突然、この場の誰でもない声が急に聞こえウェルムは振り向くと驚きに染まった顔をする。
そこには整えた長髪に豪華絢爛なローブを身に纏っている女性がいた。
しかし、その身体は不自然なほどに輝いている。
目を見開いて驚いているウェルムだったがなんとか口元に吊り上げて言葉を紡ぐ。
「あなたでしたか……母上」




