第96話 絶望の時
引き寄せられるデルフ。
「クライシス……?」
予想外の人物の登場に呆気を取られてしまいデルフはクライシスが鞘に手をかけていることを見落としていた。
そして、無防備に急接近したデルフに向けてクライシスは剣を引き抜く。
その剣は腹部に直撃し鈍い音が広がると同時に引き寄せられていた謎の力はなくなりデルフは吹っ飛ばされ地面に転がってしまう。
「くっ……」
デルフはしばらく動けないでいたが剣を直撃したにしては比較的軽傷に済んでいた。
それも前にウラノに鎖帷子を鎧の下に着るようにと言われて以来、ずっと装着していたのが幸いしたからだ。
鎖帷子はすっぱりと斬られていたがその役目を十分に全うし身体は無傷に済んでいた。
だが、引き寄せられる力と逆の剣を引き抜いた力の間に生まれた衝撃は想像を絶するものでありすぐに立ち上がろうとするが立てなかった。
「クライシス……。お前もか……」
「すまないな、デルフ。いや、副団長。俺はずっと前から陛下の味方なんだ。ああ、陛下というのはウェルム様のことな」
クライシスは全く悪気のない、それどころか本当に申し訳なさそうにそう言ってウェルムの下に向かっていく。
「陛下、危なかったですね」
「……助かったよ」
「ですが、その同一体の力…本調子じゃないですね。陛下の半分の力も出てないんじゃないっすか?」
クライシスは倒れているウェルムは同一体を見ながらそう言う。
ウェルムは空笑いした後、同一体は光となって霧散し刺さっていた剣が地面に落ちた。
「理由は大きく分けて三つ。天人の力はそんなに酷使することはできないんだ。使いすぎると自身を滅ぼしてしまう。二つ目は先生との戦いで魔力は殆ど尽きかけていること。少しでも余力を残しておかないと仕上げができなくなってしまう。最後はまだ支配が行き渡っていない魔物を支配するための余力が欲しかった」
「あれ? 魔物って陛下の分身が作りだしていたんですよね?」
「確かにそうだけど、それだけじゃないんだ。想定外で魔物となった動物から生まれた子どもも魔物化をしていてね。そこまで僕の支配が行き届いていないんだ」
「ああ、道理で至る所に魔物が発生していたんですね。何か考えがあると思っていました」
「僕を買いかぶりすぎだよ。戦力が増え”悪魔の心臓”を作り出す必要がなくなったのはいいけど一匹ずつかけていくのは少し骨が折れるよ」
「まぁ、そうだとしても死んでは元も子もないですよ。無理しすぎです」
「デルフを驚かせることで戦意を削ぐつもりだったんだ。まぁ、返ってやる気を出しちゃったみたいだけどね。うん、気をつけるよ」
「それで計画は順調に進んでいるのですか?陛下に申しつけ通り二番隊が管理していた魔物は王都に解き放ちましたが」
「うん。今のところ上手くいっているよ。一つ誤算は……」
ウェルムは言葉を止めて地に伏して睨み付けてくるデルフに目を向けた。
「デルフの力が予想以上に強くなっていたということだね。先生と引き離すため挑戦の森に向かわせたのは正解だったよ。二人同時に来られたら恐らく負けていた」
「それほどっすか……。片腕と魔力もなしにそこまで」
「ところで、来たのは君だけかい?」
「そうですね。見たところ俺が一番乗りのようです。ですがもうすぐ皆も来るでしょう」
「全く君たちは協調性があるんだかないんだか……。今日この日が僕たちの悲願に向かう道を出発するときだよ。盛大にしよう」
「ええ」
デルフの事を既に忘れているような素振りで話を続けているウェルムとクライシス。
ようやく刀を杖代わりにして立ち上がることができたデルフ。
立ち上がったことにウェルムたちはまだ気が付いていない。
「今がチャンスか?」
「デルフ……もういいです。早く……早く逃げてください」
掠れる声でフレイシアがそう言うがデルフはゆっくりと首を振る。
「そういうわけにはいきません。俺はあなたを守るためならば命は惜しくありません。俺よりも……フレイシア様がお逃げください。この話を聞いているウラノが必ずフレイシア様を安全な場所まで匿ってくれるでしょう」
デルフはその言葉で話を打ち切って刀を構える。
杖代わりしていた刀を構えたため支えを無くした身体はふらつくが全身に力を入れて踏ん張る。
そして、その力が失われる前に地面を蹴った。
ウェルムの下まで向かっている途中、横目でいまだに壁に背を預けているジュラミールに視線を向けた。
(フレイシア様に逃げろと言ったが……睨みをきかせているな。一人で逃げるのは不可能。俺一人じゃ守りながら逃げることは……無理だな。この場を打開する方法は……全員を倒すしかない……か)
思いついた打開策を成功させるのは絶望的。
しかし、デルフは口元に不敵な笑みを浮かべてさらに加速する。
デルフはウェルムたちが気付かないうちに“死角”を使った。
思い切り地面を蹴り方向転換することによりウェルムの背後に一瞬にして回る。
ウェルムの背後には大きく刀を引くデルフの姿があるがウェルムはまだ気付かずにクライシスと話していた。
(いける!!)
だが、デルフの背後から声が聞こえてきた。
「気付いていないと思ったかい? 君の攻撃はワンパターンだから分かりやすいよ」
その瞬間、どすっと軽い衝撃が走り腹部に冷たい感触を感じた。
恐る恐る腹部に目を向けると剣先が突き出ていた。
「がは……ッ」
血を吐き出し力が失われていく感覚に襲われるデルフ。
デルフの背後を取っていたウェルムの分身は突き刺していた剣を勢いよく引き抜きデルフを足で蹴飛ばした。
凄まじい勢いで仰向けに地面に衝突しその後も勢いは衰えずに地面を引きずっていく。
「一番油断するときは勝ちを確信したときだって……リュースさんから教わらなかったのかい?」
ウェルムは笑いながら言ってくるがデルフはそれどころではない。
もはやデルフに立ち上がるどころか引きずっていく勢いに抗う力さえもない。
腹部にできた穴からどくどくと血が流れ落ちていきさらに力が抜けていく。
もはや、痛みすら感じることなく妙な浮遊感に襲われる。
(もう指一本も動かない。もう駄目か……)
意識も定かではなく転がりながらそう思っていたとき重く鈍感になっていた身体が急に軽くなった。
先程まで全く動かなかった身体に普通に力が入る。
「!? ……フレイシア様?」
デルフが目を向けると少し離れたところでフレイシアが涙混じりに手を翳していた。
フレイシアの両手から雪のような淡い緑の光が複数出現し少しずつデルフに身体に溶け込んでいく。
「私の“治癒の光”は怪我しか治せません。体力は戻りません。ですが、デルフならば立ち上がることができるはず! 錯覚している今のうちに、デルフ! 行ってください!!」
デルフは頷き刀を握る手に力を入れる。
そして、勢いよく立ち上がり地面を思い切り足で踏みつけ加速を始めた。
急速に突き進むデルフの目はただウェルムのみを捉えている。
もう“死角”を使う必要もない。
ただ突き進み攻撃を放つだけだ。
ようやくウェルムは急接近するデルフに気が付いたがもう遅い。
「あああ!! もう! しぶといよ!!」
「ウェルム!!」
デルフは刀を全力で引き、すぐに突きを放つ。
だがそのとき、ウェルムの前に何かが立ち塞がった。
大きな光の球だ。
「関係ない! そのまま突き刺す!!」
もう横槍を入れてくるのにデルフは慣れてしまった。
立ち塞がる光の球など気にもせずデルフは突きを続行する。
邪魔をするならばそれごと突き刺せばいい話だ。
突きは光の球を貫きさらに突き進んでいく。
デルフはさらに力を入れそのままウェルムを突き刺そうとする。
だが、デルフの思いを砕くように刀は途中で止まってしまった。
そこからいくら力を入れてもビクともしない。
そして、光が霧散するとその中にローブを纏い猫の仮面をした人物が刀の刀身を握りしめていた。
デルフは絶句する。
いくら残り少ない力を絞り出したとは言え全力は全力。
防がれるならまだしも受け止められるとは到底思いもしていなかった。
握りしめると言うことはデルフの突きを完全に見切っている証。
今この場に来てその突きを初めてみた人物がだ。
「ククク……間に合ったようだね。ファースト」
ファーストと呼ばれる怪しい者は返事もせずに真っ直ぐデルフを見ている。
いや、お面をしているためどこに視線を向けているかは分からない。
そもそもファーストからは生気が感じられない。
よって気配も全くない。
ファーストは刀を握っている手に魔力を集中させると拳に光が集まり出す。
その拳を力強く握りしめると乾いた音とともに刀の刀身がへし折れた。
「くっ!! まだ敵が増えるのか!」
デルフは折れた刀を手放して後ろに下がる。
ファーストは折れた刀身を一瞥してから興味なさそうにその場に落とした。
「フレイシア様! 今すぐにお逃げください!! 追う者は私が引きつけます!」
「で、デルフは!?」
「お願いします!! 言う通りにしてください!!」
無礼を承知でデルフはフレイシアに怒鳴りつける。
そんなデルフの様子を見てフレイシアは戸惑う。
「デルフを見捨てるなんて……」
それでも何か言おうと口を動かしていたが項垂れ力なく頷いた。
「フレイシア様! 今から目を瞑って五秒後、全力で走り出してください!」
「……分かりました。私はなんて無力なんでしょう……」
フレイシアの最後の言葉はあまりにも小声だったためデルフには届かなかった。
「……今だ!!」
デルフは左手で義手の拳を捻り取り地面に投げ捨てた。
その瞬間、デルフの義手から光が急激に放ち始め当たりを埋め尽くす。
それに合わせてデルフを置いてフレイシアは走り出した。
デルフは少しでもフレイシアが逃げる時間を稼ぐため動こうとするが自身の異変にすぐに気が付く。
「身体が……動かない!?」
そして、数秒もせずに周囲を灯していた光は収束し消え去った。
デルフは閉じていた目を開けると身体が動かない原因が目に入った。
「な、なんだ……これは……」
デルフが見た物、それは義手から伸びた光の鎖だ。
それがデルフの身体に巻き付いている。
必死に動き逃れようとするが鎖も一緒に動いてしまい抜け出すことができない。
それどころかさらに強く巻き付いてきて身体が締め付けられる。
「きゃあ!!」
そのとき背後からフレイシアの悲鳴が聞こえてきた。
デルフは反射的に唯一動かすことができる首を背後に向ける。
そこにはフレイシアが倒れており着用していたドレスは裂かれてしまい素足が晒されていた。
それを見てデルフの目が揺れる。
フレイシアの両足が青く腫れ上がっていたのだ。
「危ない、危ない。逃がさないよ。君は僕の計画に綻びを生む残り一つの種だからね」
ウェルムが掌をフレイシアに向けていた。
恐らく魔力弾を放ちフレイシアの動きを止めたのだろう。
そして、ウェルムはデルフに目を向けた。
「ククク、やっとそれを使ったね。いつ使うか今か今かと待っていたよ」
「ウェルム……いつの間にこんな魔法を……」
「デルフ、何かを忘れているようだね。その義手を作ったのは一体何処の誰だい?」
「……まさか」
「そのとおり、そこには発光以外にもう一つ魔法をあらかじめ仕込んで置いたのさ。“無限呪縛”。義手に込めた魔力が尽きない限り解けることはない」
ウェルムはにっこりと笑う。
その笑顔が不気味で嫌な予感しか感じなかった。
「君はそこで見ていなよ」
「……何をする気だ?」
「しぶとい君が絶望する方法を僕なりに考えてみた。君の行動は一貫している。全てはあの娘のため」
ウェルムの口に笑みが浮かぶ。
デルフは嫌な予感がした。
今すぐにでも飛びかかりウェルムの口を塞ぎたかったが無限呪縛がそれをさせない。
金属ではないはずなのに輝く鎖がじゃらじゃらと音を立てる。
「自分は何もできずに主君が死ぬ瞬間を目の当たりすればさすがの君も…ククク」
「や、やめろ! ウェルム!!」
「ファースト、やれ」
そのウェルムの声と同時にファーストが動く。
「やめろ!!」
ファーストが高速で走りその際に右手に込めた魔力が変形し刀身を形作る。
フレイシアは今まさに自分の命を奪いに来るファーストを見ずにデルフに顔を向けた。
「で、デルフ……。今までありがとうございました……あなたは生きて……」
笑顔で涙を零しながらフレイシアはそう呟いた。
「ふ、フレイシア様……」
(また、俺は見ているだけなのか……。違う! 俺は変わったはずだ!! 俺は強くなったはずだ!! 動け!! 動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け!!)
そのときデルフに巻き付いていた鎖に罅が入り砕け散った。
「なに……?」
ウェルムは僅かに動揺する。
デルフは走りながら右手の義手に仕込んである刀を思い切り後ろに引く。
ファーストはまだデルフに気付いてはおらずフレイシアの前に立って今まさに魔力で作った刀身を突き刺そうとしていた。
「やめろ!! 羅刹一突!!」
デルフが渾身の突きを放った瞬間、その殺気にようやく気付いたファーストは振り向いた。
だが、既に遅くデルフの突きがファーストの仮面に直撃する。
その衝撃で空気が揺れファーストが纏っていたローブが吹き飛び戦闘服が露わになる。
機動力重視の身軽な格好に金色の長い髪をしていた。
だが、デルフはそんなこと気にもなっていなかった。
「ふ、フレイシア様……そんな……」
ファーストの伸びた魔力の刀身はフレイシアの腹部を貫いていた。
フレイシアは血を流して動いていない。
笑顔のまま目を瞑っており既に意識はなかった。
「間に合わなかった……。……何が騎士だ。何が強くなっただ。何も守れていないじゃないか!!」
デルフは涙を零しながら呆然としている。
「俺は……強くなんかなっていない……」
デルフは歯を食いしばり義手の右手を強く振る。
「よくも……よくも……!!」
デルフは義手の仕込み刀で目の前にいるファーストを突き刺そうとした。
そのとき、ファーストの仮面に罅が入り砕け散った。
ファーストに迫っていたデルフの義手は急に動きが止まる。
デルフは何か信じられないものを見たような目で身体が固まってしまった。
口は動いているが何も言葉が出ない。
「な、なんで……カリーナ……」
デルフの思考は固まり後退ってしまう。
ファーストの正体はデルフの幼なじみのカリーナだった。
あれから随分と時が経ち容姿も顔も大人びているがデルフが見間違うはずがない。
「か、カリーナ。僕だ! デルフだ」
しかし、カリーナの目に光が灯っておらず一切の反応も見せない。
意識はないに等しい、まさに人形のようなカリーナの様子にデルフは戸惑う。
ようやくファーストは視線をデルフに向けた。
見ていると言うより眺めていると言ったほうが正しいだろう。
ファーストの拳に魔力が収束しそのままデルフの腹部に放った。
「がっ!!」
デルフはわけも分からず後ろに吹っ飛んだ。
壁に衝突しそうになったときファーストは既にデルフの背後に回っており蹴りを放ちさらに吹っ飛ばした。
そして、デルフは壁に衝突し力なく地面に落ちてしまった。
吐血が止まらなくもはや考えがまとまらない。
今の攻撃だけでどれだけの骨が折れ、内臓がどれだけ損傷したかわからないがデルフの余力を奪うのには十分すぎるほどの攻撃だった。
さらに精神的な面の傷も甚大に損耗している。
デルフの鋼のような意志ももう粉々に砕け散っていた。
今、この瞬間にデルフにとって許容できないことが続きすぎたのだ。
止めはカリーナが目の前に現われたことだった。
それによってデルフはカルストの悲劇についての記憶が鮮明に蘇ってしまったのだ。
「か、カリ−ナ……なぜ……あのとき……ど、どういう……」
「”精神拘束”」
その声と同時にデルフの身体の自由が失った。
力を入れようにも全く動かない。
「ようやく効いたよ。しぶとかったね。本当に。せっかくの再会で悪いけど邪魔させてもらったよ」
「ウェルム……カリーナに……何をした……」
「まだしゃべれるんだ。本当に凄いよ。ククク、良い実験体だったよ。不出来なジョーカと違いあれが僕が目指した成功体だよ。天人の完全な支配下に置く。これが僕が追い求めていた研究の結果さ」
ウェルムが歩きながらデルフの下まで歩いてきながら話し続ける。
「何度も言うよ。君には感謝している。あの実験体も、この紋章の力もだ。特にこの力は一番欲しかったものだ。紋章を見つけても自分の身体に取り戻すことはできなかったからね。この“同化”の力は本当に良い贈り物だったよ」
そして、目の前まで来たウェルムは顔をデルフのすぐ近くまで近づけた。
「デルフ、もう少し話したいところだけどもうお別れの時間だ。君も最後ぐらい役に立ってくれ」
ウェルムはにっこりと笑った後、人差し指を立て滑らかに宙に動かしていく。
人差し指が通った場所には光が続いておりそれが文字の羅列となっていた。
「”精神破壊”」
空中に浮いた文字の羅列がデルフの身体に飛んできてそのまま身体に溶け込んでしまった。
その瞬間、デルフに異変が起きた。
「ががが、あああ。がががががああああああああああああああ!!」
言葉にならない絶叫を放ち白目を剥いていく。
身体に力が入らなくなりデルフはうつ伏せに倒れてしまった。
(な、なんだ? 何かが、自分の中の何かが壊れていく。……な、なにも考えることができない。……な、な)
デルフの思考は止まりかけていた。
暗い闇の中に引きずり込まれていくようなそんな感じだ。
ただ、恐怖心が募っていき身体が心が震えている。
(お、俺は……な、んだ? なにもなにも分からない……お、れは……)
そのとき心の中から何か声が聞こえてきた。
懐かしくどことなく温かい声だ。
『ようやく出てこられたのじゃ! 進めたのは良かったがこうも時間が……ん? ……これはちと不味いのう。デルフ、交代じゃ。お前はしばらく休んでおれ』
優しい温もりで包まれるのを感じたと同時にデルフの意識はそこで途絶えてしまった。




