第92話 混乱の中の反乱
一方、王都の城の中では兵たちが忙しなく動いていた。
大声が飛び交い誰一人表情に余裕はない。
「残っている兵は全て都門に向かえ!! 一匹たりとも王都への侵入を許すな!!」
騎士の中でも一段と輝かしい鎧で身を包んだ男が叫ぶ。
腰には三本の剣を携えており険しい山のように大きい存在感を醸している。
この男こそデストリーネ王国が随一の実力を持つ騎士団長ハルザード・カタルシスだ。
しかし、そんなハルザードでも声色に余裕がなかった。
走って戻ってきた兵士にハルザードは苛つきを隠せずに半ば怒鳴るように尋ねる。
「おい。避難はまだか終わらないのか!?」
「ハッ! 兵士の数が少なくまだ全てに手が行き届いていません。もうしばらく時間が必要です!」
それを聞いたハルザードの顔がさらに険しくなる。
「早くしろ!! 王都に魔物が雪崩れ込んでくるのも時間の問題だ!!」
「ハッ!」
兵士はハルザードの命令を聞くなり急いで走って行った。
ハルザードはその場で深く考える。
国王であるハイルと王女のフレイシアは謁見室に避難をしている。
しかし、王子であるジュラミールの所在が不明であり現在王城の中を兵士たちが手分けして探し回っていた。
「兵の数が足りない! 大多数の魔物が同時に襲い来るなんて考えすらなかったぞ! くそっ! デルフと三番隊がいればいくらでも手は打てたものを。……無いものをねだっても仕方がない」
ハルザードは吐き捨てるように呟く。
そして、謁見室に戻ったハルザードはハイルを前にして跪く。
「今の状況はどうだ?」
玉座からハルザードを見下ろしてハイルが重々しく尋ねる。
しかし、そのハイルの声色には少し焦りが混じっていた。
「ハッ! まだ王都への侵入は許してはいません。ですが、いつまで持つか……。私もすぐに出ます」
「そうか」
神妙な顔をして眉をひそめるハイル。
「騎士団長様。先程、デルフに今の王都の状況を報告しました。今頃は撤退の準備をしていると思います」
ハイルの隣に立っているフレイシアがハルザードに語りかける。
「そ、それは本当ですか!?」
「はい、デルフが何かあればと連絡手段を残して置いてくれたのです。しかし、本当に伝わっているかは確認のしようがないのですが……」
フレイシアは不安げに顔を曇らせるがハルザードの顔には輝きが戻っていた。
「いえ、ご安心を。デルフの事です。間違いなく伝わっているでしょう」
ハルザードは内心で感心する。
(流石、デルフだ。念を欠かさないな)
フレイシアからの朗報により少し焦りが緩んだハルザードは冷静になってハイルに顔を向ける。
「陛下。これで光明が見えてきました。報告を聞いたデルフは三番隊とともにすぐさま王都に引き返してくるでしょう。我らはそれまで耐え、デルフたちが到着してから攻めに転じます」
援軍がなければ籠城に意味はない。
ただ、体力を減らし続けるだけだ。
だが、三番隊が戻ってくるとなると話は別。
今の攻防から転じて防のみとすれば十分に食い止められる算段はハルザードの頭の中に既にある。
そのハルザードの自信を感じ取ったハイルは重々しく頷く。
「了解した。騎士団長、そなたに全てを任せる」
「ハッ! では、現場の指揮に向かいます」
ハルザードは立ち上がり扉に向かう。
だが、ハルザードが手をかける前に扉が開いた。
「あっ。先生」
「ウェルムか」
魔術団団長であるウェルムがハルザードの顔を見て明るくなった。
「先生に言われたとおりに魔術団の団員を前線の加勢に向かわせましたよ」
「ああ、助かる。デルフもあと少しで戻ってくるだろう。それまで持ち堪えるぞ」
「そうでしょうね」
ウェルムの言葉があまりにも小声だったので耳に入らなかったハルザードは再び尋ねる。
「すまん、聞こえなかった。なんて言ったんだ?」
「いえ、なんでもありません。防衛の件、分かりました」
そう言ってウェルムが謁見室の中に入っていく。
すると、ウェルムの後ろにはもう一人いた。
その人物の姿を見てハルザードの目は止まってしまう。
「ジュラミール様!! 今までどちらに!?」
ジュラミールはハルザードを一瞥した後、何も返さずにハイルの側まで近づき跪く。
「父上、遅くなって申し訳ありません」
「ジュラミール、何をしていた?」
「……」
ジュラミールは何も言い返さず黙ったままハイルの目を見詰めている。
「まぁ、いいだろう」
ハイルは溜め息交じりにそう言った。
そして、ジュラミールは立ち上がりフレイシアとは逆のハイルの隣に立つ。
「父上。この魔物の襲撃、どう思いますか?」
突然、ジュラミールがハイルに尋ねる。
「魔物の襲撃か。見当にもつかん。魔物がついに群れを組み始めたということだろう。年々魔物の勢いは凄まじくなるばかりだ。さらに魔物の対策の案を練らなければならないな」
そのハイルの考えにジュラミールは溜め息を返した。
「だから父上は甘いのです。なぜ、これが作為的な物だと考えないのですか! なぜ、他国が魔物の支配に成功したとは思わないのですか!」
ジュラミールは苛立って片足のつま先で何回もコツコツと地面を叩く。
「ジュラミール! 何度も言わすな! 今の研究から身を引け! 魔物は使役しようと考えてはならない。滅ぼさなければならないのだ」
そのときジュラミールの苛立っていた雰囲気が急に消えた。
なぜか穏やかな空気で室内が充満している。
「やはり、やはり……父上には任せてはおけない。父上は危機感がなさ過ぎる」
ジュラミールの声が突如冷ややかなものになった。
そして次の瞬間、ジュラミールの姿は掻き消えそれと同時にハイルの腹部から剣の切っ先が突き出る。
周囲に赤い液体が飛び散り誰もが呆然としていた。
油断していたとはいえハルザードでさえも反応ができてはいなかったほどだ。
「ぐっ!」
ハイルは何が起きたか理解できずに自分の血で濡れた剣の刀身を触る。
玉座のすぐ後ろでジュラミールが玉座ごとハイルを突き刺していたのだ。
「お父様!!」
「陛下!!」
急いでハルザードは飛び出しハイルの所に向かおうとするが剣が振り下ろされハルザードを阻んだ。
「なっ……」
ハルザードは顔に血管が浮き出そうなほど怒りに達しそのような愚行を行った人物に怒鳴りつける。
「何の真似だ!! ウェルム!!」
ウェルムはにやにやと笑いながらジュラミールを見ている。
「先生、今良いところなんです。邪魔をしないでください」
そして、ウェルムはハルザードに顔を向けた。
ハルザードは無視して潜り抜けようとするがまたもウェルムの剣に阻まれる。
「先生の相手は僕がしてあげます」
「ふざけるなよ……」
魔術団団長といえどもウェルムの剣術はハルザードが教えたものだ。
無視できるものではない。
急いでハイルの下に向かいたい気持ちをぐっと抑えハルザードはウェルムと相対した。
ハイルは激痛を感じながらも平静を装ってジュラミールに言葉をかける。
「血、迷ったか。ジュラミール」
ジュラミールはふっと鼻で笑った。
しかし、目は笑っていない。
「父上、聞きました。後継をフレイシアに譲るそうですね。父上は! 父上は!! この国を滅ぼすつもりですか!!」
「ジュラ、ミール……」
ハイルは徐々に力が抜けていく感覚に襲われていた。
既に視界も定かではない。
「父上にもフレイシアにも王は相応しくありません。大丈夫です。私が後を継ぎます。父上はごゆるりと休まれてください」
もはやハイルは声が思うように出なかった。
「よもや、こ、のような……奇行に出るとは……」
身体が脱力していく感覚の中、ハイルは精一杯力を振り絞り掌をフレイシアに向けて最後の言葉を紡ぐ。
「フレイ……シア……すま、ない。お前に、何も……してやれ、な……」
「お父様!!」
そして、ハイルは力なく項垂れた。
反応が返ってこないことを確かめたジュラミールはハイルに刺した剣を勢いよく抜き鞘に収めた。
しかし、ハイルは倒れることはなく堂々と玉座に着座したまま死んでいた。
その光景をジュラミールは侮蔑の視線で眺めて舌打ちする。
「死んでも尚、私に王位を譲る気はないと言うのですか」
ジュラミールは隣で腰を抜かしているフレイシアに目を向けた。
「お、お兄様……なぜ……」
「フレイシア、私こそ聞きたい。なぜ父上は私よりもお前を選んだのだ!! お飾り同然のお前を!! お前が王となって一体何ができるというのだ!!」
知っているジュラミールとはあまりにもかけ離れている様子にフレイシアは震えて立ち上がることも言葉を投げかけることもできない。
「お前は王に向いていない」
そのとき謁見室の前の壁が吹き飛んだ。
瓦解し瓦礫と化していく壁の先には現在の王都の全貌が広がっていた。
複数の大きな怪鳥が王都の空を飛び回り建物を破壊している。
その魔物の不気味な姿にフレイシアは呆気にとられる。
「見ろ。フレイシア、この圧倒的な力を」
ジュラミールは王都に溢れかえっている魔物の群れを見て狂気的な笑みを浮かべていた。
「お、お兄様、こんなことを……。そもそもこのような事態のときに、一体何の意味が!?」
「このような時だからこそだ。フレイシア、私が王となるのに手っ取り早い方法は何だと思う?」
いきなりの質問にフレイシアは戸惑う。
その様子を見たジュラミールは呆れたように言葉を続ける。
「救世主というのは民衆の支持を受けやすい。そして、全ての罪を押し付ける者がいるとすれば尚更。より浸透できる」
「ど、どういう意味ですか!?」
フレイシアの問いには答えずジュラミールは崩れた壁の近くに行き王都の光景を見渡す。
「それに一度ぐらい民衆にも危機感を持った方が良い。デストリーネ王国は大国の中でも頭一つ飛び抜けている。しかし、その驕りが命取りになる。事実、戦争時になっても民たちは緊張感すら持っていなかった」
そう呟いた後、ジュラミールは含み笑いをする。
「ふっ。見てみろ」
フレイシアはジュラミールが指さす方向を見る。
ウェルムを相手に防戦一方になっているハルザードがいた。
「嘘……。騎士団長様が!?」
「もはや、ウェルムの力はハルザードを越える。ウェルムの研究もついに実を結び私もこの通り力を手に入れた」
狂気染みた笑いながら言うジュラミールにフレイシアは恐怖に支配されただ黙って聞くことしかできない。
「私が王となりウェルムとともにこの世界を牛耳ってみせる」
ジュラミールは右手を強く握りしめた。
ハルザードは内心で焦っていた。
剣技の腕や力ではまだ若干上回っているがハルザードの戦い方や癖を全て熟知されているため思うように運ぶことができない。
もはやウェルムの方が強いと認めるしかない。
「先生、隙だらけですよ」
ウェルムの容赦ない蹴りがハルザードの横腹にめり込んだ。
鎧を着込んでいるのにもかかわらず鎧を破壊する勢いの蹴りにハルザードは吹き飛び壁にぶつかる。
それでも勢いは収まらずに壁を砕きさらに吹き飛び謁見室から飛び出てしまった。
ただの蹴りと思えない程の威力だ。
「ぐっ……」
立ち上がったハルザードは素早く飛び退きウェルムの追撃を躱す。
だが、ウェルムから放たれた魔力弾の衝撃により身体が硬直する。
「忘れないでください。僕の本領は魔法。剣技は二の次ですよ? しかし、その剣技も既にあなたを越えてしまった」
「馬鹿言うなよ。まだまだこれからだ!」
ハルザードは持っていた剣を全力で肩を入れて振り投げた。
さらにもう一本も鞘から抜き振り投げる。
最後の一本は両手で握りしめてウェルムに斬り掛かる。
「そんな小細工、僕には通じません」
ウェルムは飛んできた剣を防ぎその動きを止めると徐にその剣に触れた。
すると、その剣の勢いが急激に弱まってしまった。
「な、なんだと!?」
予想をしていなかった事態にハルザードは足を止める。
勢いの弱まった剣は再び力を取り戻してウェルムの隣に位置取った。
そして、飛ばしていたもう一つの剣にウェルムは乗っ取ったハルザードの剣を飛ばしお互いを弾き合わせる。
「先生の“飛繰剣”は自分の魔力を込めた武器を操る物。ならば僕の魔力で上書きすれば良い」
ハルザードの額に嫌な汗が滲む。
簡単にウェルムはそう言ってのけるがハルザードの魔力量も桁違いのはずだ。
上書きをするには剣に込めたハルザードの魔力を超えなければならない。
しかし、それをウェルムは簡単に行った。
もはやハルザードが知っているウェルムの実力とは全く違っていた。
「そうか、お前にとってこれは本当に小細工なのだな」
ハルザードは全ての力を一旦抜き、握っている剣に抜いた力の全てを注ぎ込む。
「何を企んでいるか知らんが俺の全力を持ってねじ伏せてくれる!」
ハルザードは両手で剣を握りしめて走り始める。
「残念ですが、先生。僕があなたから学べることはもうありません。名残惜しいですがここでお別れです」
そう呟いたウェルムの表情は儚げだった。
二本目の剣もウェルムに奪われ剣の数はハルザードが一、ウェルムが三と形勢逆転されている。
しかし、ハルザードは剣の数は関係ないとばかりにウェルムが飛ばした剣を力任せに弾き飛ばす。
「な……。いや、これぐらいしてもらわないと。……本腰を入れないとやられるのは僕の方ですね」
ウェルムも剣を左手で持ち右手を懐に入れてハルザードを迎え撃つ。
そして、ハルザードが間合いに入ったと同時にお互いの剣が交差し剣戟の音が響き渡った。
この師弟の死闘は苛烈を帯びた。




