第67話 リュースの過去
約二十年前のある日、リュースは一人で王都の大通りをぶらぶら歩いていた。
昼前と言うこともあり大通りは人で溢れかえっており活気が籠もっている。
その中をを頭半分、宙を彷徨わせながら足が勝手に進む。
(私は一体何をしているんだ?)
同じ師の下で育ったハルザードは騎士団に入りその実力から既に副団長の座にまで昇っている。
それに対してリュースは何をするわけでもなくただ時間を浪費していた。
リュースの剣技は平均以上ではあるものの特に秀でたものはなかった。
師の下で得たのは基本だけにもかかわらず自分だけの技を見出したハルザードとは根本が違う。
ハルザードはいわゆる天才と呼ばれる者に当たるだろう。
そんな才能がないリュースはひたすらに鍛練を繰り返すうちにハルザードには決して追いつくことさえできないと直感した。
ハルザードは騎士団に誘ってくれもしたが横に並ぶこともできない自分に何の価値があると一笑に付して断った。
(今、私が本当にしたいことは何か……)
それを考えると頭が混乱して考えが定まらず迷走する。
腰に携えた剣を無意識に握りしめていることに気が付き逃げるように歩いている足を速めてしまう。
「ねぇ、ちょっと」
その声に気が付かずリュースは足を止めることなく人混みを掻き分けながら進んでいく。
「お兄さーん? 聞こえてるのかな? ……ちょ、ちょっと無視しないでよ!!」
肩を掴まれたことでようやく気が付いたリュースは振り向くと小汚い服を着た女性が不機嫌そうな表情をしてリュースを睨み付けていた。
「すまない。私を呼んでいたのか……」
「ちょっといいからこっちに来て! ここ、人がいっぱいで気分が悪く……うっ……」
女性は半ば強引にリュースの手を引っ張って足早に人混みの中から抜け出す。
大通りの端に連れてこられたリュースは足がようやく止まったことに息をつく。
女性は苛ついているのか腕を組みながらとんとんと右足のつま先を何回も地面を叩いている。
そして、はっと何かに気が付いたように後ろを振り向いた。
「姫様! 探しましたぞ! 何も言わず姿をくらますのはあれほど申し上げたはずです!」
赤備えの鎧を身につけた大柄な男が突然その女性の後ろに現われた。
「ちっ! 早い。腕を上げたわねココウマロ」
リュースは姫様と聞いて見窄らしい服装から想像ができなかったがよく見ると汚れているだけであって新品の場合を考えるとそれなりの気品さが伺える。
そして、腰にはその服装に似合わない剣を携えていた。
女性とココウマロと呼ばれる騎士がまだ言い合っているのを見て溜め息が零れそうになる。
「それで、私に何か用でもあるのか?」
リュースの問いかけで女性はココウマロに「あんたは後よ!」と言いリュースに向き直った。
「まず、私はエレメアよ。よろしく〜」
「リュース、リュース・ギュライオンだ」
うんうんと頷くエレメアは早速本題に入った。
「それであなたを捕まえたのは他でもない。私にこの王都を案内して欲しいわけ。今日ここに着いたのだけど道が分からなくてね~」
リュースはなんとなくエレメアの素性について理解した。
(なるほど。デストリーネではないどこかの国の貴族といったところか)
そして、エレメアは後ろにいるココウマロを指さす。
「それでこれはココウマロと言って、まぁ別に覚えなくていいわ」
ココウマロは何も反論せず無表情でエレメアの後ろに控えている。
「それでどうなの? いや、文句は言わせないわ!! もう決定事項よ!」
「……悪いが他を当たってくれ」
「嘘でしょ!! あなたならいけると思ったのに!!」
エレメアはリュースの言葉が予想外だったらしく独り言を続けている。
その言葉がリュースに引っかかった。
「私ならいける? どういうことだ?」
「んー、だってあなたの目から何というか意志がない? ように感じたから。暇なんでしょ? それに顔は私好みだし、丁度良かったもの。いわゆるナンパよ。ナ・ン・パ」
「……」
意志がない。
その言葉がリュースの心の奥に響いた。
「それに話してみていい人だとも分かったから。もちろん! 明確な理由はないわ!」
ここぞとエレメアは決まった顔をする。
「だけど、駄目なら仕方がないわ。無理強いはしない。あっ、これ私の座右の銘だから」
「それならば拙者にも……」
「ココウマロは別よ!!」
ココウマロの発言は一蹴された。
「いや……考えが変わった。私で良ければ案内しよう」
意志がない。
その言葉をよく吟味するにはこの女性が必要に感じた。
もしかしたらこの自分の現状を覆すことができる答えを得ることができるかもしれない。
「本当に!? よかった〜。本当にどうしようかと思ったわ。これで右往左往せずにすむわ」
その後、エレメアを案内したがどうやら金はそこまで持っていなかったらしく日雇いで稼いだリュースの貯金を使った。
エレメアは気を遣って遠慮をしてくれたが答えを得るきっかけがあるなら安いぐらいだ。
まずは貴族であるなら身なりぐらい整えた方がいいとリュースは考え洋服屋に向かい好きな服を選ばせていた。
なにやら物珍しく物色しているエレメアを外で見守りながら息を吐く。
「今頃、ハルザードは戦場か……」
ココウマロはいつの間にか消えていなくなっていた。
しかし、姿を隠しているとはいえフレメアに向いている視線を感じ抜かりがない。
「リュース〜。ちょっとこっちに来なさい!!」
自分を見ていない事に気が付いたエレメアは腹を立ててリュースを呼ぶ。
リュースは静かに微笑みながらエレメアの下に歩いて行く。
それから王都の各地を回りエレメアは十分にデストリーネ王国を堪能したらしく上機嫌の様子だ。
「やっぱり大国と呼ばれるだけあって凄いわね。私の故郷とは大違い」
「それで君はなんで家出なんかしているんだ?」
そう問うと目を丸くしてリュースを見詰めた。
「やっぱり気付いた?」
リュースは何も答えずエレメアの言葉を待つ。
「私の両親は過保護なの。子どものときは良いんだけど、この歳になっても続いていたわけ。このままじゃ私駄目になると思ったの。だから家を出た。他の人が聞いたら不愉快に思うかもしれないけど私は普通の暮らしをしたかった。それだけよ」
途中は真剣な表情だったが最後は濁すように微笑んだ。
「そうか。家に帰るつもりはないのか?」
こくりとエレメアは頷いた。
固い決意を感じる真剣な表情だがリュースにはとても輝いて見えた。
「もうすぐ日が暮れる。どうせ行く宛もないのだろう。私の所に来るといい。部屋は一つなら空いている」
リュースは王都にある小さな家にエレメアを迎えた。
「これは……綺麗な家ね」
「世辞はいい。俺も汚いと思っている。だが、無職の私にはこれが精一杯だ」
「えっ? 無職? てっきりこの国の武士か何かだと思っていたわ」
「な、なぜそう思う?」
エレメアはリュースの腰にある剣に視線を移動させる。
「その剣、鞘の上からでも分かるわ。丁寧に手入れされている。あーわかったわ。あなた意志がないのじゃなく無意識に心の奥深くに押し込めているのね」
「なっ……」
リュース自身もその考えに至らなかった。
否定しようにもまごつくだけで言葉が出ずできない。
(当たっているから……何も言い返せないのか? 私は自分を騙し続けていたのか?)
つまり、エレメアの言う通りリュースは自身の気持ちを押し殺していただけ。
しかし、リュースはそれを認めることはできなかった。
「ち、違う。私は騎士に向いていない」
「答えになってないわ。向いていないじゃなく、したいかどうかよ。未練があるから無職のままじゃないの?」
リュースは何か言おうとするが上手く言葉が出なかった。
「なるほど、あなた……自信がないのね」
そしてエレメアは熟考した後、リュースに言葉を突きつける。
「よし! わかった! 私が稽古つけてあげるわ! 遠慮しないで今日のお礼よ!」
「えっ?」
リュースが何か言う前に言うだけ言ってエレメアは案内した部屋の中に入っていった。
次の日の朝から特訓の日々が始まった。
場所はこの何年か先にできるログハウスの場所だった。
エレメア曰く王都から離れて多少遠いが人が少ないしここは落ち着くとこの場所に決めたのだ。
それで肝心のエレメアの剣の腕はリュースを遙かに上回り攻撃の速度が追いつけないでいた。
「あなた、基本は完璧よ。だけど応用ができていない。そして、決め手に欠けるわ。あなたの目標は今さっき私が見せた技を習得すること! いいわね! さぁ、いくわよ!!」
そして、エレメアとの鍛錬が始まって一年後。
リュースは地面を蹴り木刀を振りエレメアは木刀でそれを防ぐ。
本来ならばそこからまた駆け引きが始まるのだが、そのときエレメアが持っていた木刀はその衝撃を繰り返した。
その技を熟知しているエレメアは咄嗟に木刀を手放してその様子を見守る。
木刀はさらに衝撃が続いていき宙を舞っていく。
「一、二………………十回。ふへぇ〜やっぱり見込み通りだったわ。十回までいくなんて大したものよ。私でも五回が限界なのに」
悔しそうに言っているがエレメアの表情は笑顔だ。
「うん! 免許皆伝よ!」
「一年も稽古を付けてもらって礼を言う」
「ふふ。あなた、顔付きが前と大分変わっているわよ。自信が付いたようね。この技は”神速”って名付けているわ」
「……もう少しマシな名前にしたら」
「ん? なんか文句あるのかしら?」
「い、いや、なんでもない」
エレメアに睨まれてリュースは何も言い返せなかった。
「あなたはもう前よりも格段に強くなっているわ。特にスピード。神速、うん。やっぱりあなたにピッタリだわ!」
「しかし、これは君の技だ。私は君の真似事をしているに過ぎない。それは果たして私の実力と言えるのだろうか」
そんなリュースの言葉をエレメアは溜め息で返す。
「本当にあなたって真面目ね。だけど、ちゃんと鍛錬を積まなければ神速は使えないわ。れっきとしたあなたの実力よ」
上機嫌なっているエレメアはぴんと指を立てた。
「さぁて、そんなあなたにもう一つプレゼント」
エレメアは鞘の付いた刀を腰から抜く。
そして、刀身をリュースに見せつけるように鞘から抜きすぐにしまうとそれをリュースに差し出した。
リュースは目を丸くする。
それにエレメアは微笑みを返した。
リュースは頷き刀を手に取るとまるで今まで自分が使い続けていたかのように手が馴染んだ。
「……いいのか?」
恐る恐るリュースは尋ねると笑顔で「ええ。もちろん」とエレメアは答える。
「それに私にはもう必要が無いものよ」
そう言ってうーんと背伸びしながら後ろを向く。
「?」
「だって何かあってもあなたが守ってくれるんでしょ?」
顔だけ振り向いて笑顔でエレメアはそう言った。
「そ、それってどういう……」
「なに? 嫌なの?」
エレメアの肩が残念そうにがくりと落ち、声は細くなる。
「い、いやそんなことは」
「それじゃ、決まり!」
先程の落ち込みようが嘘のように取って代わり朗らかな笑顔を見せる。
「お前……」
リュースの冷ややかな視線を無視してエレメアは周囲を眺めながら横に回転する。
「あなたがそれなりに稼いだらここに家を建てましょう。ここは静かで暮らしやすそう。買い物は一苦労だけどそれもまた一興よ」
「ははは。それは……努力しなければならないな」
「期待してるわよ。旦那様。……あーそうだ。ココウマロは暇そうにしているから好きに使って構わないわ。存分にこき使ってあげて」
そう言うとココウマロが突然エレメアの背後に現われ言い争いを始めたが結局ココウマロが根負けした。
その光景をリュースは微笑ましく眺めた後、貰った刀に視線を当て自分の新たな使命を胸に込める。
その翌年にリュースは騎士となった。
久しぶりにハルザードと再会したとき「いつか来ると思っていた」と驚きもせず心から歓迎された。
そして、愛娘であるナーシャが誕生した。
(そのときは泣きながら喜んだものだ)
ハルザードが騎士団長に昇ったとき実力差のあるドリューガを差し置いてリュースが副団長に任命された。
それを機にエレメアが願っていたあの思い出の場所に引っ越しを決めた。
せっかくだからとリュースも木造建築の風流のある感じにしたいと自分の要望をエレメアに突きつけ三日三晩によるその良さを語り続けた結果、ついにエレメアは了承をしてくれた。
エレメアが根負けするのは珍しかったらしくココウマロが目を丸くしていたほどだ。
しかし、そんな幸せな日々もそう長くは続かなかった。
ナーシャが生まれて十年近く経ったときのことだ。
任務で遠くに出ていたリュースの下にエレメアが倒れたとの知らせが届いた。
急いで戻ったときにはエレメアは床に伏せっており見るからにお転婆な面影はすっかりとなくなっていた。
ベッドの近くには心配そうに眺めているナーシャが看病している。
目は隈ができており涙を流しすぎて腫れていた。
リュースはナーシャの頭を安心づけるように撫でると椅子に座る。
エレメアもリュースに気が付いたようでベッドから身体を起こした。
「大丈夫か?」
エレメアはリュースの言葉に答えずナーシャに目を向けた。
「ナーシャ。お母さん。少しお腹すいたわ。何か作ってきてくれる?」
ナーシャは目を輝かせ頷き小走りでキッチンに向かっていった。
それを見届けるとエレメアはリュースに視線を戻して口を開く。
「ココウマロが言うにはもう長くはないって」
予想はしていたがその中で最悪の状態であったためリュースは衝撃を受けたがあまり実感が湧かなかった。
「……そうか」
「もし、私がいなくなったらナーシャのことお願いね」
その言葉でエレメアの死が直前に迫っているとようやく実感が湧き身体に重りがどんとのし掛かったように感じる。
「……もちろんだ」
リュースは言葉を捻りだして答えるがその声は掠れていた。
エレメアは微笑むがその儚い笑顔がリュースの我慢の限界を壊して思わず涙を流してしまう。
「すまない。俺はお前を守れないようだ」
その顔を俯かせるリュースの頭を優しくエレメアが撫でる。
「その気持ちだけで十分よ。私は本当に幸せ者だわ」
その言葉でさらにリュースの顔は歪んでしまう。
しばらくして落ち着いた後、エレメアがぽつりと呟いた。
「あなた、私の実家なんだけど……本当に限界と思ったときココウマロが言ってくれると思うから。何かあれば頼って。ナーシャを見たら絶対協力してくれるわ」
「今、言ったらどうだ?」
そう言うとエレメアは顔をしかめる。
「嫌よ。こんな親不孝な娘、もう顔も見たくないんじゃない? 私も自分から頼るなんて考えられない。本当はこう言い残すことも恥なんじゃないかと思うけどナーシャのためならそれだけは受け入れるわ」
「……そうか。わかった」
リュースはエレメアの意志を尊重し心に刻み込んだ。
「最後に……」
エレメアはたどたどしく自分の腕を動かしてリュースの手を握りしめる。
「しつこいけど、ナーシャのこと本当にお願い。それとあなたも自分を殺しちゃ駄目よ。何か迷ったら自分の選択を信じるの。自分を信じることができないほど悲しいものはないわ」
リュースは「わかった」と返事する。
「あ~本当に良い人生だった。あのとき家を抜け出したのは正解だったわ」
リュースが疑問の表情をするとエレメアが悪戯な笑みを向けてくる。
「だって素敵な旦那様と愛する娘と巡り会えたのだもの」
「……ッ」
そのとき、扉が開きナーシャが料理をいそいそと持ってきた。
エレメアはそれを頬張ると笑顔になる。
「うん。美味しいわ! ナーシャ、あなた良いお嫁さんになるわよ〜」
わしわしとできるだけ力強くエレメアはナーシャの頭を撫でる。
それを食べ終わった後、エレメアは嬉しそうに眠りについた。
これ以降、日に日にエレメアは弱る一方だった。
そして数日後、エレメアは静かに息を引き取った。
今でもたまに思い出す。
エレメアが旅立ったときのことを。
最後までエレメアはナーシャのことばかりで自分のことには一切目もくれていなかった。
(あのときは自分の心配をして欲しかったが……。そうか、いざ死を前にするとこんな気持ちになるのか)
ようやくエレメアの気持ちを理解した自分の未熟さに呆れてしまう。
(ふっ、本当にいつまで経ってもエレメアには敵わない。……私は彼女の期待に応えられただろうか。いや、まだだ。まだやり残したことがある。まだ死ぬわけにはいかない……。私が学んだこと全てあいつらに伝えなければ、ならない!!)
たとえ、「戦場で死んだ方が良かったのではないか」、「無様に生にしがみついた」と罵られようともこれが私の最後の使命である限り果たさなければならない。
戦場の美学など糞食らえだ。
そうリュースは意気込む。
(あと少し、あと少しだけでいい。耐えてくれ)




