第50話 四番隊の攻防(2)
大蛇はソルヴェルたちに目掛けて急接近し大きく口を開いた。
木の枝、礫や土などが口に侵入したとしても気にした様子は一切なく獲物に向けて突進を続ける。
ソルヴェルは盾を構えて混乱している兵たちの代わりに前に出る。
そして、ソルヴェルと大蛇が衝突した。
さすがの大蛇もソルヴェルの盾を口で包み込めず盾に顔を思い切りぶつけたが苦痛で怯んだ様子は全く見られない。
その際に発生した衝撃音が辺りに周囲に轟き固唾を見守る兵士たちは僅かに震動を感じるほどだ。
ソルヴェルは大蛇がさらに口を開き盾を飲み込まんとしようとするのを確認すると全体重を乗せて盾ごと大蛇を木に向かって思い切り振った。
大蛇の噛みつく力はその遠心力に負け盾を離して吹き飛ばされる。
そして、頭から木に直撃するがそれで倒れることはなく大蛇はそのまま茂みの中に隠れてしまった。
「大蛇か……。まさか、魔物じゃないだろうね。この森で魔物の目撃情報は聞いたことがないが……」
こんなときの予感とは幸か不幸か当たるもので次の大蛇の攻撃で見事的中したことを確信した。
大蛇は茂みの中から素早く動き既にソルヴェルの背後に回っていた。
そして、ゆっくりと口から仄かに紫が掛かった霧状の毒の息を周囲に充満させていることに気が付いた。
ソルヴェルは慌てて大声を張り上げる。
「皆! 息を止めろ! こいつは魔物だよ! 最低危険度は六だ!」
魔物の特徴は魔力を使うことだけではない。
知性も格段に上がる。
魔法を扱うのでよくよく考えればそれは当然だった。
しかし、ただでさえ動物が魔法を使うことができないことが常識だったため魔法に注目が行き見落としてしまうのも仕方がないといえる。
その言葉を聞き、兵たちは気を引き締める者と目に怯えの色を見せる者に分かれる。
だが、明らかに前者のほうが少ない。
魔物退治は騎士並みの実力でなければ相手にもならず無駄に兵を死なせるだけと判断した騎士たちは兵士を下がらせる。
ソルヴェルは一人の伏兵の去り際の言葉が気掛かりだったが目の前の大蛇を見て合点がいった。
(確か、あれを使えと言っていたね。まさか……ボワールは魔物を操れるのか?)
そう考えたソルヴェルだったが即座に否定する。
(いや、それはないだろう。制御をできているようには見えない)
荒ぶりだったその目つきで襲いかかってくる大蛇を見て空腹でソルヴェルたちに襲いかかってきていると断定しする。
さらにソルヴェルは大蛇の首下の辺りにある何か繋がれていたと思われる痣を見逃さなかった。
(捕獲していた魔物を放ったといったところか……。しかし、驚くべき点はこの魔物を捕獲できる人物がジャンハイブ以外にもボワールにいることだね)
捕獲とは討伐よりも遙かに難しい。
隊長であるソルヴェルでさえも魔物相手となれば手加減する余裕などない。
ソルヴェルも身をもって体験していることだが追い詰められた魔物が何をするかわからないのだ。
例えば槍ボアの纏っている岩の礫を豪速で飛ばすなどまともに受ければ重傷を免れない。
だから魔物を相手にするとき、ソルヴェルは本領を発揮する前に止めを刺すことを念頭に置いている。
「急いでこいつを倒さないとこの周囲全体が毒に染まってしまうね」
ソルヴェルは重装備とは思えない速度で走り出し未だに毒を吐いている大蛇にランスの突きを入れようとする。
だが、その直後に大蛇の奇妙な動きに咄嗟に盾を構える。
(……毒を止めた!? どういう……!!)
その直後、大蛇の口元に小さな火種が生まれた。
(火? 恐らく魔法。しかし、その小さな火種で何ができると言うのかね……)
大蛇はその火種をゆっくりとその毒が充満したところ向けて放った。
(……まさか!!)
次の光景が想像できたと同時にソルヴェルは大声で叫ぶ。
「伏せろーーーー!!」
大蛇が放った小さな火種がその毒霧に触れた瞬間、毒ガスの範囲に炸裂音が轟いた。
それが小規模な爆発によるものだと兵士たちが気付いたのは全てが収まってからだった。
ソルヴェルは身に包んでいる防具によって無傷で済んでいるが耳鳴りが激しくしばらく何が起きたか理解に苦しむ。
鎧は鉄の焦げた匂いを発して熱せられた鉄板のような唸った音を出している。
思わず手で触れようものなら確実に火傷になるだろう。
やっと耳鳴りが収まったソルヴェルは被害の状況を確認する。
「む……」
肉の焦げた匂いが辺りを包み込でおりソルヴェルは思わず顔を顰めてしまう。
そして、周囲には呻き声が至る所から聞こえておりそれがまた事態の深刻さを身に染みて感じる。
回避に遅れた者の容態はもちろんのこと成功した者でも重度の火傷に陥っていた。
急いで軍勢の後方に配置している治療班を呼ぼうとしたがそう身動きをさせてくれる状況ではない。
茂みに隠れており姿は見えないが依然と向かってくる殺気が感じるためソルヴェルに狙いを定めているのは明らかだ。
そのときソルヴェルはちらっと見えた大蛇の不自然な点に気が付いた。
ソルヴェルの前方と後方に大蛇の腹部が茂みの中からはみ出ていたのだ。
いくらなんでも長すぎる。
すると、両方から腹部の先が茂みの中から現われた。
それは両方とも蛇の頭部だった。
「まさか二匹!?」
そのとき兵の中の一人が叫び声を上げる。
「ぎゃぁぁぁ!!」
反射的に振り向くと木の枝の上から頭を下ろした大蛇がその兵士の首に噛みついていた。
その兵士は最初は抵抗していたが次第にその力は弱まり痙攣してその場に倒れ込んでしまった。
「三匹目! 糞ッ!」
危険度が最低でも六の魔物が三匹いる。
これは先程の奇襲よりも深刻な事態でありソルヴェルの顔に嫌な汗が伝う。
いや、これもボワールの攻撃なのだ。
向こうにしては作戦通りなのだろう。
何もかもが裏をかかれてしまっている。
ソルヴェルは苛つきながらも迅速に命令を下す。
「騎士は大蛇の対処に当たれ! 手が余っている者は負傷者の手当てだ!」
叫んだ後、ソルヴェルは自分の前方にいる大蛇に向けて走り出す。
ランスを上に振り上げて一匹の大蛇に目掛けてそのまま叩き下ろした。
しかし、その大蛇はその巨体に似つかわしくない速度でそれを避ける。
それでも頭部を躱しただけであってソルヴェルのランスは大蛇の腹部に命中した。
息が擦れるような悲痛の音が発しながら大蛇は動き回る。
そして、尾を鞭のように撓らせて放った。
ソルヴェルの腹部に衝撃が襲うがその程度のことではダメージにすらならない。
「ふん!」
その尾をソルヴェルは掴み自分と一緒に回転して速度を保ったまま地面に叩きつける。
地面に大きな穴ができ大蛇は埋まってしまった。
ソルヴェルは追い打ちをかけようと重い身体を縮めて宙に飛び上がった。
その高さは木の高さまで達し頭を下に向けた。
そして、ランスを倒れている大蛇に向けて構える。
その対空時間は僅かで構えた直後に急降下した。
重力によって加速したランスがその威力を数倍にも底上げし大蛇に急接近する。
大蛇はせめてもの抵抗として毒の霧を吐いたがソルヴェルは盾を全力で振り風圧で掻き消した。
そして、ソルヴェルは全力の突きを放つ。
もはや大蛇に為す術はなく頭を串刺しにした。
始め、大蛇は頭を貫かれたにも関わらず必死に抵抗し動いていたがそれも弱まっていき次第に動かなくなった。
着地したソルヴェルは刺さったランスを引き抜き少しの間も開けずに次の大蛇へと走って行く。
ソルヴェルが走ってきたのを感じ取った騎士たちは道を開けるべく足止めしていた大蛇から離れる。
一度も足を止めずスピードを募らせてソルヴェルは一直線に大蛇を目指す。
頭を上げた大蛇は先程と同じく毒霧を辺りに撒き散らして火種を放つ。
その動作を確認してもソルヴェルの足は止めることはない。
そして、その霧の中が爆発して黒い煙が立ち込める。
大蛇は自分に迫ってきていた男は死んだと判断したらしく別の獲物を探すため踵を返す。
だが、それが大蛇の一番の失態だった。
大蛇はその煙の中から変わらずに突進を続ける男が飛び出したことに気付いていない。
爆発の揺れが収まり徐々に近づいてくる足の振動を察知してようやく気が付いた時には既に遅かった。
突き進むソルヴェルは大蛇の頭部に左手で持った巨大な盾を突き出して直撃させる。
大蛇はその衝撃により打った球のように後方に素っ飛び木に衝突した。
そして、その木は罅入り次第に壮大な音を立てて倒れていく。
大蛇はそのままへばりついたように倒れたきり動かなくなっていた。
ソルヴェルの盾での打撃が大蛇の脳に響き脳震盪を起こした結果だ。
ソルヴェルには特に自分だけの必殺技という技を持っていない。
いや、逆にソルヴェルの全ての攻撃が必殺技となり得る。
身体に固めた防具は身を守るための最大の防であるとともに最大の攻にもなるのだ。
先程の盾での打撃でさえ頭部に入ればひとたまりも無く、敵は攻撃をしようにもソルヴェルにとって大抵の攻撃はダメージにすらならない。
これがソルヴェルの最大の強みであり要塞と呼ばれる由縁だ。
遠目で大蛇が動かなくなったことを確認しソルヴェルは最後の大蛇へ向けて持っていたランスを思い切り振りかぶって投げ飛ばす。
そのランスは対処に当たっていた騎士たちを通り抜け一瞬にして大蛇の胴体を貫くがその勢いは衰えることなく大蛇を連れて突き進み木に刺さる。
それを機に周囲にいた騎士たちがランスによって木に固定されて身動きが取れなくなった大蛇の首を斬り落とすため剣を振り下ろした。
だが、その大蛇の鱗は固く剣を弾くためたとえ無力化された大蛇と言っても一苦労だ。
毒についても気をつけなければならないのもあり緊張感が張り詰める。
そして、ついに大蛇の首を斬り落とすことに成功した。
「これで終わったか……」
辺りを見渡してようやく全ての大蛇を片付けることができたことを確認したソルヴェルはゆっくりと息を吐く。
こう見れば騎士たちが弱く思えてしまうかもしれないがその一般の騎士たちの上に行く者が隊長という存在なのだ。
普通の騎士とは明らかな実力差がある。
ソルヴェルは汗を拭うため手を顔に触れると汗とは違うぬめっとした感触を鼻辺りに感じた。
それに目を向けると血が付着していた。
「全て避けることができたと思っていたけど少し毒をもらっていたようだね」
急いで治療班を呼び寄せ自分を手当てさせる。
魔法とは便利で回復魔法の中に解毒魔法というものがある。
使える術者は少数であるが幸運なことにこの治療班の中にそれを使える者がいたことが幸いしそれほど重傷にはならなかった。
解毒薬での回復という方法も取れるには取れるが効果が出るまで少し時間が掛かる。
隊長であるソルヴェルが今倒れるわけにはいかないので即効性のある解毒魔法を選択した。
治療を終えたソルヴェルは自分の身体を動かして何の違和感もないことを確かめると疲労困憊した兵たちに目を向ける。
騎士でもこの魔物の相手は厳しかったらしく死傷者はいないものの重傷者は少なくない。
一番酷いのは大蛇に巻き付かれて骨を砕かれた者だ。
回復魔法はそれほど便利な代物ではない。
自分の自己治癒力を僅かに強めて普通よりも治りが早くなる程度だ。
傷が一瞬にして消えるようなものではない。
デストリーネ王国の随一の回復魔法の使い手である王女フレイシアならば話は別だがあのような術者は稀であり早々はいない。
(まさかボワールがここまで念頭に策を巡らせているとはね。ジャンハイブだけに目を取られすぎたようだね。……取り敢えず皆の疲れも分かるがここを離れることを先決にした方が良さそうだ)
さすがにこれ以上の追い打ちはないと考えたが姿を隠すに打って付けの森の中では危ういと判断し隊を動かせる。
一番の後方に負傷者を置きソルヴェルが先頭に立って馬を歩かせる。
(まさか、魔物まで用いてくるとはね……。いい加減驚くことも疲れてきたよ。しかし、ボワールの本軍とぶつかる前にここまで被害が甚大になるとは思う通りに動かせてはくれないね)
長い森の行軍は終わり目指す荒野まで後、一日ぐらいの距離までたどり着いた。
そして、暗かった夜空にも明かりが差し太陽がゆっくりと顔を見せ始めた。
少し歩いた先で少し遅い休息を取るため陣を張る。
被害の確認と王都への伝令の用意をした後、ソルヴェルは腰を下ろして一息入れる。
「先程の戦いの疲れがこれで取れるとは思わないけどないよりマシか……。それよりも」
ソルヴェルが頭に過ぎったことは兵士はもちろん騎士までの著しい実力の低下についてだった。
「平和とは良いものだけどこれほど人を弱くさせるものなのは悩みものだね。しかしこればかりは鍛錬ではどうしようもないね。命のやり取りで得られる経験は高い。訓練では死なないという甘えがありどうしても真剣さを欠いてしまう。戦争を続けていた他の国より我が国は先を離されたということか。大国一番という肩書きも古くなったのかもしれないね……」
しかし、今更悔やんだところで詮無きこと。
ソルヴェルは頭を切り替え先のことを考える。
取り敢えず、作戦会議を行うため四番隊の部隊長たちを呼び出した。
「このまま荒野を目指しそこに陣を構えボワールを牽制しつつ迎え撃つ。当初の予定通りこの策しかないか……。だが、この被害の状況を考えると長くは持たないかもしれないね。状況に応じて退却することも懸念しておこうか」
四番隊の士気も下がっており本来ならば撤退をしたいところだがそうもいかない。
このまま撤退したところでボワールは攻め寄せてくる。
ボワールの全軍がナンノ砦に攻め寄せて来られると援軍が到着するまで間に合わないかもしれない。
ソルヴェルはここが踏ん張りどころと奮起する。
部隊長たちも異論はなく頷きで返した。
休息も終わり兵たちの準備が完了したのを見計らい行軍を再会させる。
幸運なことに森の奇襲以降、ボワールによる攻撃は一切なく早朝には目的の場所まで到着した。
さらに、まだボワールの軍勢は目が届く範囲には到着していなかった。
「これは僥倖だね。今のうちに急いで陣を構えるよ! それと偵察部隊を編成し状況を定期的に報告するように!」
「「ハッ!」」
それから瞬く間に陣は完成し後はボワール軍を待つだけになった。
ソルヴェルが陣を構えた位置は周りより少し標高が高く目立ってしまうが逆に言えば敵の位置が把握しやすい場所だ。
そして、既に退路も確保しており守るにも逃げるにもうってつけの場所にもなっている。
「後は待つだけか……。実際は来て欲しくはないのだがね」
しばらくすると偵察部隊の定期報告が来た。
しかし、ソルヴェルはその内容を聞く前から分かっていた。
なぜなら既にソルヴェルは前方に舞い始めた砂埃を視界に捕らえていたからだ。
「ついに来たね……」
ポツリと呟いたソルヴェルの言葉には落胆の色が含まれていた。
ソルヴェルもどこか心の中ではボワールが途中で撤退してくれることを願っていた。
もちろん、そんなことは夢物語のように思えるかもしれない。
今までの奇襲ならただの小競り合いと言える。
だが、今から始まるのは戦争。
当然、死傷者は数え切れないほど出ることだろう。
できることなら戦争なんて御免というのがソルヴェルの率直な意見だ。
しかしながら、騎士団の隊長の一人として自国の安全を脅かすものを見て見ぬ振りなどできるはずがない。
「皆、引き締めよ!」
そして、次第に高らかに掲げられたボワールを意味する旗印が鮮明に見えてきた。
ボワール軍はソルヴェルが構えた陣より徒歩で半刻ほど離れた向かい側に陣を作り始めた。
それから睨み合いがしばらく続いた。
いつ始まるか分からなかった衝突ももうすぐ始まる。
ソルヴェルは思い出していた。
このピリピリとした空気の重さを。
「もうすぐ始まるよ」
そのとき、その空気はボワール軍が鳴らした太鼓の音によってはち切れた。
ボワール軍は陣から全軍飛び出しソルヴェルたちの陣へと一直線に向かってくる。
「我らも行くよ!!」
ソルヴェルも既に準備させて隊列を組ませていた兵に向かって叫び、馬に乗り陣を飛び出す。
これによりデストリーネとボワールの戦争がついに開戦した。




