第285話 決着と別れ
雲が疎らに見える透き通った青空。
丁度良い暖かいそよ風が吹き、地面に草が揺らめいている。
周囲は先が見えないほどに草原が広がっていた。
その謎の空間にウェルムが突然と出現して着地した。
「ふ、ふふ。アッハッハッハ!!」
高笑いするその姿は天神のものではなく元の魔術師姿に戻っていた。
「“同化”。確かに失念していた。だけどね、君は一つ大きな間違いを犯した。魂の強さは僕の方が上なんだよ!!」
身体はデルフに取り込まれてしまったが魂の強度は魂魄魔法の使い手であるウェルムの方が断然上だ。
だからこそ、こうして混ざることなくデルフの精神内に侵入し自我を保っている。
「取り込まれた以上、仕方がない」
だが、少し考えたウェルムは何やら思い付き悪戯な笑みを浮かべる。
「いや、むしろ好都合だ。君の精神を破壊しこの身体を僕の物にすればいい。天神の最大の防御力に加えジョーカーの攻撃力も我が力にすれば真の超常の存在となれる」
ウェルムの口から笑い声が漏れ出る。
「ふ、ふふ。良い。良いぞ!!」
そして、ウェルムは周囲に意識を向ける。
この場のどこかに存在するデルフの魂を探し仕留めるために。
「!! そこか!!」
ウェルムは勢いよく地面を蹴り走り出した。
凄まじい速度で駆けていると先程まで見えず存在すら分からなかった巨大な湖が目に入る。
そして、その畔に座って湖の遠くを眺めるデルフがいた。
その姿は昔の村人だったときの服装であの壮絶な力を持つジョーカーの面影はない。
ただの恐れることのない非力な存在だ。
「これで終わりだ!! ジョーカー!!」
右手の爪を立て勢いよくデルフの背中に向けて放った。
バチンッ!!
ウェルムは唖然とする。
「な、なぜ……」
全力の攻撃が見えない謎の壁に弾かれたのだ。
「くっ!!」
何度も何度も攻撃を仕掛けるがその全てが何もしていないデルフに届かない。
「嘘だ。精神の直接的な攻撃は防御不可能なはず。僕以外にそんな芸当ができるはずが……」
そこでデルフが初めて口を開いた。
「“精神保護”。カリーナが俺に託してくれた力だ。“真なる心臓”の支配を抵抗するために身につけた力。最終的にはその抵抗も砕かれてしまったがそれに用いた時間は十数年、言っている意味が分かるか?」
だが、ウェルムは自身の攻撃を防ぐ手段があったことより、自身の傀儡のファーストであったカリーナがデルフにその能力を渡したことよりも驚くことがあった。
「精神の世界に、意識を!?」
そんな芸当ができるのは魂魄魔法に長けた自分しかいないとウェルムは考えていた。
もし、いたとしても唯一可能性があるのは母であるケイドフィーアのみだと。
「お前は上手く潜り込んだつもりだろうが……勘違いするな。お前はここに誘い込まれたんだ!」
デルフは立ち上がりウェルムを睨む。
そして、拳を握りしめた。
「お前に翻弄された世界の怒りを感じると良い!!」
デルフは全力でウェルムを殴りつけた。
“精神保護”の障壁が逆に鈍器となってウェルムを大きく弾き飛ばしてしまう。
「がっ……この程度!」
精神の世界に意識を飛ばすことや防御方法があることなどウェルムが戸惑うことは多かった。
だが、それでも倒れながらウェルムは笑みを浮かべている。
なぜなら、依然として優位に立っていることに変わりはないからだ。
「どうやら攻撃は無視して良いようだね。いいよ、じっくり行こうじゃないか!! どれだけ時間が掛かろうと付き合ってあげるよ!!」
ばっと起き上がったウェルム。
だが、その後ろからゆっくりと歩いてくる一つの影があった。
振り向くと向かいにあった太陽の光が視界を眩まし思わず目を瞑ってしまう。
だが、その強大で不気味な魔力と威圧感に晒されたウェルムは血の気が引いた。
「な、なんだこの魔力は……この世界でこれだけの魔力を……あり得ない」
冷や汗が額から垂れる。
そして、ウェルムの目は突き刺すような太陽光に慣れていき向かってくる人物の姿が目に入る。
「デルフも粋な計らいをする。私に最後を譲ってくれるとはのう」
「……」
忘れもしない。
ウェルムの積み上げてきた全てを一瞬にしてぶち壊した元凶である破滅の悪魔の姿がそこにはあった。
黒の長髪で長身の若い娘の容姿。
傍から見れば息を呑むような美しい女性だろう。
だが、ウェルムからすればただの恐ろしい存在だ。
あと一歩で理想が現実になるこの瞬間の終わりを告げに来た存在。
「巫山戯るな。僕は全ての頂点に、平和を……僕が負けるはずがないんだ!!」
ばっとウェルムは右手を突き出し魔方陣を出現させる。
「遅い!!」
ウェルムが魔法を発動する前にリラルスが地面を蹴った。
「今の私はお前によって作られた。全てはお前が撒いた種じゃ。自身の行いを向こうで悔いるが良い。全ての因縁をここで絶ち切る! “悪魔の鋭爪”!!」
リラルスの右腕に黒の瘴気が宿りまるで獣の爪のような形を模した。
「こ、こんなところで!!」
そして、ウェルムの身体を引き裂いた。
「がああああああああ!!」
切り裂かれた胴体から黒の瘴気が噴き出しウェルムはその場に倒れてしまった。
そして、その傷口から広がった黒は徐々に侵食を始める。
「終わったな」
「ああ、本当に長かったのう。……父上、兄上、皆、仇はリラフィールが討ちました」
後ろから歩いてくるデルフにリラルスは頷き静かに涙を零す。
そして、デルフは離れたところから徐々に黒く染まるウェルムに言葉をかける。
「安心しろ。お前のしてきたことも無駄にはならない。全ての国を巻き込んだ戦乱は強固な安定に繋がる」
その言葉に疑問を感じたリラルスは尋ねる。
「デルフ、何を考えておる?」
「総仕上げ。……俺の最後の仕事だ」
「そうか」
「まだ俺に時間が残っていればの話だけどな」
デルフは笑みを浮かべて茶化したがリラルスは笑うことができずに神妙な顔付きになる。
「リラ、そんな顔をしないでくれ。俺は望んでーー」
そのとき、ウェルムから笑い声が零れた。
「くくく、時間だと? 確かに僕の、俺の、余の、望みは潰えこの身体も消滅する。 だがな、貴様もこの場で消え去るのだ!! 」
ウェルムは最後の力を振り絞りデルフに向けて飛びかかった。
「なっ……」
不意を突かれリラルスは動こうにももう間に合わない。
デルフも回避しようとした頃には目の前までウェルムが迫っていた。
だが、デルフには“精神保護”がある。
「いや、違う!」
今のウェルムは“黒の誘い”に侵食されている。
ウェルムの狙いはそれだ。
そんな状態で触れられれば、今のデルフの身体では連鎖して侵食されてしまう。
今のウェルムに対抗できる、触れられるのはリラルスだけだ。
触れてしまえばどのみち待っているのは消滅。
「……ここまでなのか!?」
デルフは命の覚悟をしたそのとき隣から何かが通り過ぎてウェルムを弾き飛ばしてしまった。
「!?」
その何かとはケイドフィーアだった。
「僕が余が俺がお前を貴様を!!」
自身の攻撃が受け止められたことに気が付いていないウェルムはもがき続けてずっとそう口にしている。
デルフは侵食の激痛に耐えきれず我を失ったと考えた。
しかし、今更ウェルムがその程度で屈するのかと疑問も生じる。
そんなウェルムをケイドフィーアは優しく抱擁した。
「ウェルム、もういいのです。過程は認めることはできませんが、あなたはよく頑張りました」
ケイドフィーアはウェルムを抱き耳元で優しくそう囁く。
「どうやら、自我が壊れたようじゃのう。何年も苦悩を抱き永劫とも言える時を過ごせばそうなるか。むしろ、今までよく保っていたと言える」
そのリラルスが導いた答えにはデルフも納得できた。
「……奴の理想が今すぐにでも切れそうな自我を必死に繋いでいた、か」
そのとき、ウェルムを抱擁するケイドフィーアの身体にも侵食が進み始めた。
「お、おい」
リラルスが止めようとするがすぐに制止の声が掛かる。
それは他でもないケイドフィーア自身からだった。
「いいのです。こんな子でも私の息子。母として間違いは正さなければなりませんでした。ですが、最後には優しく笑って許さなければなりません。それが母の務め。私も共に罰を受けます。……厚かましいかもしれませんがどうかこれ以上は」
目を瞑り頭を下げるケイドフィーア。
「……そやつは決して許すことはできぬ。じゃが、大恩のあるお前の頼みじゃ。もう手は出さぬし、好きにすると良い。……デルフも良いか?」
「ああ、もちろんだ。フレイシアのこと礼を言う」
「いえ、こちらこそ。本来ならば私が止めなければなりませんでしたのに……」
徐々に黒く染まりつつある二人の身体。
だが、黒に染まりきった部分から白い灰が宙に舞い始めた。
その間もウェルムは気が狂ったように言葉を発し続けているがそれをケイドフィーアが全て受け止める。
朽ち始めているというのにその表情は穏やかなものだった。
「魔術の母とも最悪の魔女とも呼ばれるお前がそんな顔をするとはのう」
その言葉に思わず微笑んでしまうケイドフィーア。
「私も人の子ですから」
時間はそう経たずして終わりの時を迎える。
「では、デルフさん、リラルスさん。本当にありがとうございました」
完全に灰となって消え去った二人を天まで見届けるデルフたち。
「さて、戻るか。まだ、やるべきことが残っている」
そう言って振り返ったデルフは目を疑った。
「リラ?」
デルフは戸惑う。
リラルスの身体が輝いていたのだ。
だが、当人であるリラルスはその輝く自身の手を見て笑みを浮かべていた。
さらに、輝く身体が徐々に光子にへと変わりだしたのだ。
「な、何が起きている? ウェルムに何かされたのか!? 今すぐ“黒の誘い”で……」
「案ずるな。これは攻撃を受けたからではない。……元から決まっていたことじゃ。」
「ど、どういうことだ?」
「長年離れていた“同化”が戻った。それはつまり、止まっていた精神の同化も始まったということじゃ」
「!! な……なら右手を取れば」
「もう、遅いのう。始まってしもうたからのう」
なぜか焦りが何一つないリラルス。
対してデルフは目が泳いでいた。
必死にどうすれば良いかを考えていくが何も思い付かない。
そのとき、リラルスが安心させるようにデルフの肩にポンと手を置いた。
「だから案ずるなと言っておるじゃろう。何も先に逝くわけではない。私はいつまでもお前とともにじゃ」
そうこれはあくまで“同化”だ。
デルフとリラルスが一つになるのであって死ぬわけではない。
だが、理屈では分かっていてもデルフは動揺を消すことができなかった。
「ヨソラには悪いことをするのう。じゃが、あの子なら大丈夫じゃろう」
身体がどんどんと光となって消えていくリラルス。
それを見て涙が零れるデルフ。
だが、リラルスは笑顔を見せた。
「泣くことでもあるまいし」
「お前がいなくなったら俺は……」
「大丈夫じゃ。お前の信じた道を突き進め! お前の師匠も言っておったじゃろう」
デルフはもはや遠い昔に死別した師匠であるリュース・ギュライオンの顔を思い出す。
今のこのみっともない姿を見せたらどう思うだろうかと考えると胸が痛くなる。
だから、必死に感情を抑えていつも通りの口調で頷いた。
「ああ。そうだな。しばらくの別れ、いや違うか。なんと言えばいいんだ?」
リラルスはクスクスとそんなデルフを笑う。
そして、最後の言葉を残す。
「お前と出会えて楽しかった。こんな感情もう持てないと思っておったからの。実に愉快な旅じゃった!! では、また向こうでな。 ん? これでは死ぬみたいじゃの。ふふふ」
そして、リラルスは笑いながら光となって消え去ってしまった。
いや、“同化”を完全に終えたのだ。
涙を零していたデルフの心が温かくなっていく。
そのとき、村人だったデルフの姿は今までのジョーカーの姿に変貌する。
身体だけでなく精神も完全に同化したという表れなのだろう。
自然と涙が止まりデルフは右手を自身の左胸に置く。
「特等席で俺の総仕上げを見物しててくれ」




