第272話 業雷
うつ伏せに倒れるウラノの視界に見覚えのある後ろ姿があった。
「……アリル?」
すると、アリルは首を少し回し横目でウラノを眺める。
「……いつまで寝ているのですか? これで終わりなのですか? しかし、その傷では立ち上がれないのも無理もありませんね」
いつもと変わらない容赦なく心を抉ってくる小言にウラノは思わず笑みを浮かべてしまう。
そして、全身に力を込めて一気に立ち上がった。
「笑わせないでください。この程度で死ぬほど小生はやわではありません」
「……その意気です。これでも僕はあなたを認めているのですよ」
ぼそっと呟くアリルにウラノは歩いてその隣に立つ。
「何か言いましたか?」
「い、いえ何も……」
歯切れの悪いアリルを訝しみ横に視線を向けたときようやくウラノは気が付いた。
「アリル……あなた」
アリルの息は荒く顔色も悪くなっていることに。
ウラノは視線を下げるとその原因が見つかった。
アリルの腹部のドレスは裂けておりそこは大量の血で滲んでいたのだ。
既に乾いておりその負傷を受けてから時間は経っているようだが傷自体は完全に塞がっているはずがない。
ウラノと同じくアリルも重傷を負っていたのだ。
そのとき、前方に動きがあった。
シフォードの両隣には動屍となったココウマロとウェガが立っている。
その二人が同時にアリルたちに向かい始めたのだ。
後ろにはシフォードが動屍に命令を出している姿がある。
「一人増えたところで何も変わらない。精々頑張ってください」
そして、シフォードも片足でとんとんと地面を叩き自分自身も攻撃の準備を始めた。
向かってきた動屍に目を向けてウラノはアリルに尋ねる。
「……大丈夫ですか?」
「もちろんです。余計な心配しないでチビは自分の役割に集中しなさい」
言葉は強気なアリルだが表情には余裕はない。
だが、それでも言葉と行動だけは強気を貫く。
それはウラノを思ってのことだった。
「僕が二人を相手します。少しばかりなら時間は稼げますので。その間に済ませてください」
「あなた気が付いて……」
「……身内は大切にした方が良いですからね。ですが、遅れないでくださいよ。時間は厳守なので。“風神”!!」
アリルは全身に荒れ狂う風を纏い動屍の一人であるウェガを迎え撃つ。
「あなたには恩があります。投獄されたとき、頻繁に様子を見に来てくれた優しさ。一生忘れません。……今、僕なりの恩を返します!」
両手に持った短剣にも風を纏わせてウェガが攻撃を行う前に横を一瞬にして通り過ぎた。
「!?」
これにはシフォードも驚きを隠せなかった。
アリルが通り過ぎてすぐにウェガの身体と二本の剣は瞬く間に細切れとなってこの場から消失したのだ。
「……どうか安らかに」
視線を落としアリルは呟くがそれはほんの一瞬のこと。
すぐにシフォードを睨み付ける。
そして、勢いを保ったままアリルはシフォードに突撃した。
「凄まじい魔力だ。しかし、恐れる程ではない」
アリルの短剣二本をシフォードは片手の鉤爪一つで受け止めた。
シフォードの立っている地面がピシッと罅が入る。
そして、どーんと風圧が周囲に駆け巡っていく。
受け止められたアリルの短剣だが、振っただけ終わりではない。
短剣に纏っていた風がシフォードの腕を蝕み切り裂き始めたのだ。
「ちっ、そう簡単にはいかないですか」
「しばらくは僕一人に集中して貰いますよ!」
アリルたちが戦闘を開始した一方、ウラノはココウマロと向かい合っていた。
左手に持っていた毒針から手を離し小刀のみに集中する。
死んでいるとはいえ最後のこの機会にココウマロに自分の成長を伝えようと考えたのだ。
言葉が届かないことは分かっているが小刀を構えてゆっくりと告げる。
「参ります」
そして、一瞬にして距離を詰めたウラノは“気光刀”を発動した小刀を振り下ろす。
ココウマロは帯電した刀で受け止める。
バチンと火花が飛び散りながら衝突し合う刀。
そこから何度もお互いに攻撃をぶつけ合っていく。
そこに一つの小細工もなく、ただの剣技のみの勝負となっていた。
「おじじ様の剣技。忘れもしません!!」
動屍は身体に染みついた生前の動きを模している。
死んでいるということはそこから進歩することはない。
そして、ウラノはココウマロの剣技やその癖を知り尽くしている。
つまり、一対一になった時点でウラノの勝利は確定しているに等しい。
戦う前は悲しみが大きかったがこうやって剣を交えると喜びの方が勝った。
目の前に立つのが自分の知る祖父ではなくなっているにしろ叶わないと心に秘めいていた望みが叶ったのだ。
自分が受けた傷の痛みを忘れるほどこの戦いに没頭している。
だが、そんな時間も終わらせなければならない。
今もアリルはシフォードと戦っている。
いくらアリルとはいえ一人でシフォードに勝つのは不可能だろう。
ウラノを待ち持ち堪えているのだ。
「……名残惜しいですがおじじ様。小生は行かなければなりません。再び剣を交えることができたこと、楽しゅうございました」
そして、ウラノは振り下ろされたココウマロの刀を大きく弾く。
そのとき帯電していた電気が飛び散りウラノの着物を裂き腕を焼くがもはやその程度の傷では気にはならない。
「うおおおお!!」
ウラノは無防備となったココウマロの首に目掛けて小刀を横に振るった。
ココウマロは硬直しており動くことができていない。
間違いなく首を跳ねるはずだった。
だが、そのときウラノの予想外の事態が起きたのだ。
ビシッと自分の手元から音が聞こえる。
そして、パリンと小刀の刀身が砕け散ってしまった。
「なっ……」
ココウマロの首を跳ねることなく空振ったウラノは大きく体勢を崩して地面に転がってしまう。
「ぐあ……! はぁはぁ……!?」
顔を上げたときには逆に体勢を整えて刀を振り下ろしていたココウマロの姿があった。
ウラノはすぐに動こうとするが回避は間に合わないことを悟る。
ならばと防御しようにも小刀は折れてしまった。
「不覚……小生はまだ……」
ウラノは自分の死を悟る。
それでも目は瞑ることなくココウマロを見詰めていた。
どう考えても現状を打破する手段を思い付かなく歯噛みする。
「アリル、申し訳ありません!!」
だが、そのとき近距離で轟音が鳴り響く。
思わず振り向きたくなるほどの轟音。
しかし、目を瞑ることなくココウマロを見続けていたウラノは全てをその眼で捉えていた。
「雷?」
目の前には全身を電撃で包んでいるココウマロの姿があった。
ウラノが見た光景とはココウマロの身体に、いや持っている刀に雷が落ちた瞬間だった。
バチバチと電撃は地面に逃げることなくココウマロの身体に止まり続けている。
ウラノはその光景に驚き固まることしかできなかった。
「おじじ様……?」
ココウマロの身体は揺れ倒れそうになるがそれでも握っていた刀を振り下ろした。
気が抜けてしまったウラノは思わず目を瞑ってしまう。
しかし、その刀はウラノに襲いかかることはなかった。
恐る恐る目を開けるとすぐ前の地面に刀が突き刺されていたのだ。
そして、刀から手を離したココウマロは蹌踉めいて後ろに下がって行く。
その最中に腰に差していた鞘が地面に落ちる。
未だ身体に電撃が纏わり付いており発散する様子はない。
「……電気に喰らいつかれている?」
ウラノは昔、ココウマロから聞いた話を思い出す。
それは目の前に突き立てられた刀の話だった。
「確か……おじじ様はこの刀の全てを扱いきれないと話されていた。理由までは知りませんでしたがまさかこれのこと?」
そのとき、ずっと無表情で虚ろな瞳であったココウマロが電撃を纏いながら口元だけを吊り上げて見せた。
電撃によってそう筋肉が動かされただけかもしれないがそれでもウラノは笑みをココウマロが自ら浮かべたと信じたくなった。
そして、確信ではなく単なる勘だがその意味を理解する。
「……もしかしてこれを小生に?」
だが、返事をくれるはずもなくついにココウマロは電撃に身体を焼き尽くされ塵となって消えてしまった。
立ち上がったウラノは突き立てられた刀を前にして躊躇なく抜き取った。
「“業雷”。荒々しい魔力を制御できなければ自分に電撃が返ってくる名刀。……確かに受け取りました」
そう呟くウラノの目尻に涙が溜まる。
だが、その涙を零すことなくウラノは顔を上げ今も尚、続いている戦闘を捉える。
握っている柄に魔力を込めると電撃が身体を駆け巡る。
暴れる馬のように容赦なく身体を焼き始めたその電撃にウラノは戸惑う。
これを制御しなければ先程のココウマロの身体のように消し炭になってしまうのだろう。
だが、戸惑ったのは一瞬だけですぐにウラノはあることに気が付いた。
「この感じ……小生の魔法に似ている?」
人間の身体にも電気が流れている。
その電気によって身体は動いているのだ。
そこでウラノの感覚を制御する魔法は身体の中に流れるその電気を操るものだ。
つまり、“業雷”の電撃とウラノの感覚魔法の実質的な扱いは殆ど同じ。
ウラノは完璧にその電撃を制御して見せ刀身に集中させた。
そして、地面を蹴った。
向かう先はもちろんアリルとシフォードの間だ。
アリルが押され始めてきて後ろに下がるタイミングでウラノが前に躍り出た。
そして、業雷を全力で振り下ろす。
「!?」
追撃を行おうとしていたシフォードはウラノが急に出現したのを見るや無理やりその動きを止める。
そして、ウラノの攻撃を右の鉤爪で受け止めた。
だが、ウラノの攻撃はそれで終わらない。
追撃するように業雷から電撃が飛び散ってシフォードの顔近くでバチッと弾けたのだ。
「ぐっ……」
シフォードは思わず後ろに下がる。
右手で顔の半分を押さえており手を退けるとそこは焼けただれていた。
「その刀……やはりこの能力は使えないですね。まさか、敵に力を与えるとは。……この傷の代償は大きいですよ」
頬の傷だけでなく業雷を受け止めたシフォードの右腕のスーツは破け皮膚も焼けただれている。
だが、そんな重傷を負ったのにもかかわらず顔色一つ変えずに平然としている。
そこからシフォードの精神力の異常さが嫌になるほど窺える。
さらには心なしか徐々にその傷が治りつつあるように見えた。
(これも天人とやらの恩恵ですか……)
そう考えつつウラノも後ろに下がり息を整えているアリルの横に立つ。
「ナイスタイミングでした」
「いえ、こちらこそ遅れて申し訳ないです」
「ちゃんと、別れを告げてきましたか?」
ウラノはそのアリルの言葉に驚く。
短くはない仲となっていたがそんな言葉を言う人柄ではないはずだ。
それを察したアリルは横目で睨み付けてくる。
「何ですか?」
「いや、珍しいこともあると思っていただけです」
「……身内が亡くなる痛みは分かりますから。……談笑はここまでです。今は前に集中してください」
シフォードは右手の鉤爪に目を向けている。
だが、その鉤爪は折れ曲がっていた。
「これではもう使えないですね」
そう言って右の鉤爪を地面に落とし右手を開いたり閉じたりを繰り返す。
「やはり僕一人では勝てそうにない。危ないところでした。本当に僕が来るまでよく持ち堪えられましたね」
「敵に雑念があったおかげです」
アリルは大きく深呼吸して精神を研ぎ澄ませる。
そして、シフォードを睨み付けた。
「ここからは二人で行きます」
「あなたは僕に構わずに自由に動いてください」
その言葉にアリルは戸惑いを見せる。
「鍛錬のとき、僕の動きに付いてこれなかったじゃないですか? 僕が合わせます」
「いえ、今の小生ならば大丈夫です。必ず合わせて見せます」
その自信が漲っているウラノの様子にアリルは口を尖らせてポツリと呟く。
「……チビのくせに」
そして、アリルは大きく頷いた。
「期待していますよ。ウラノ」
「!? 今、名前を……」
だが、アリルはその声を自身の声でかき消した。
「“風神”!!」
風を纏うアリルにウラノは笑みを浮かべるがすぐに自分も引き締める。
「その技、参考にさせて頂きます!」
業雷を構えるとどこからともなくバチンとウラノに雷が落ちた。
その雷は先程、ココウマロの身体を焼き尽くしたものだ。
同様にその電撃は地面に逃げることなくウラノの身体に保ち続けている。
だが、ウラノの顔には余裕が見えた。
そして、ウラノはその魔法名を口にした。
「“雷神”!!」
ウラノは本来ならば襲い来るはずの電撃を完全に制御し逆に己を守る鎧にへと変貌させる。
こうして、後にデスリーネの双璧と呼ばれることになる”風神雷神”が誕生した。




