第269話 忍び寄る者
デストリーネ王国王城。
その一室、ではなく長く幅広い廊下の上。
そこに息を切らし小刀を握っているウラノの姿があった。
身につけている胸当てには切り裂かれた大きな痕があるが幸いなことに身体までは届いていない。
目の先に立つのは天騎十聖の一人である“暗殺王”シフォード。
埃一つ付いていないスーツ姿に両手には鉤爪が装着されている。
先に進むデルフを見送った後、ウラノは自分の役目であるこのシフォードの足止めを行っていた。
もちろん、足止めだけでなく隙があれば攻撃をし倒すつもりでいる。
しかし、それはあくまで“つもり”で実際にはできずにいた。
シフォードの攻撃は無駄が一つもなくウラノは防ぐだけで精一杯で防戦一方を強いられているのだ。
(……分かっていましたが、ここまでとは)
再びシフォードはコツコツと足音を立てながら歩き始めた。
ウラノは即座に小刀を構える。
その構えた小刀は次第に輝きを放ち始め鋭利な魔力を宿した。
小国であるフテイルに伝わる秘技“気光刀”を発動したのだ。
そのとき、歩いてこちらに向かってきていたシフォードの姿が突然掻き消える。
ウラノはその場で目を瞑り周囲の様子を探る。
足音も完全に途絶え気配も一切感じない。
一瞬にしてこの場は静寂に包まれていた。
だが、ウラノはばっと勢いよく目を開き小刀を背後に回す。
すると、静寂に包まれたこの空間に金属音が急に出現した。
小刀と衝突したのはシフォードの右の鉤爪だ。
「ちっ……」
不服そうに舌打ちをするシフォードはさらに残った左の鉤爪でウラノの顔に突きを放つ。
ウラノは寸前で顔を横に逸らして躱すが、それでも掠めて頬からは赤い血が垂れる。
「ぐあっ……」
頬に走る痛みがウラノの動きを鈍くさせるが無理やり身体を動かし闇雲に蹴りを放った。
適当に放ったことが功を奏し、シフォードの意表を突き後ろに吹っ飛ばした。
転がることもなく容易に着地はされダメージにすらなっていないが。
しかし、これで追撃の一手を潰すことができ命を繋ぐことができたことに取り敢えずウラノは安堵する。
シフォードは自身の鉤爪を眺めながら首を捻る。
「どうやら偶然、ではないようですね。……初めての経験です。格下にこう何度も受け止められるのは」
シフォードは今のように気配も音も完全に消失させて敵に防ぐ余地どころか気付かれることすらなく命を取りにくる。
この自分が発する情報を完全に消す技を“忍び寄る者”と呼んでいる。
似ている技と言えばデルフの“死角”だ。
だが、死角は単純に相手の視界外に飛び出てからの高速移動で背後を取るというもの。
相手に攻撃をする瞬間には誰もが殺気を放つ。
その点から“死角”は完全には気配を消すことはできていない。
しかし、“忍び寄る者”は完全に気配を殺している。
“死角”と“忍び寄る者”は似ているようで全く違う技と言えるだろう。
さらに驚くことに“忍び寄る者”は魔法ではなく技だ。
つまり、魔力を用いていない。
シフォードが積んだ長年の鍛錬と経験によって身についたものだ。
だが、ここで一つ疑問がある。
シフォードも驚いていたことだがそんなどこから来るのかも予測ができない攻撃をウラノは寸前でとはいえ防いでいることだ。
しかし、その答えは簡単だ。
ウラノもまた“気光刀”以外に魔法を使っている。
“感覚加速”
自身の感覚を最大限まで研ぎ澄ませる魔法だ。
シフォードは自身の足音や気配を消すことはできるが周囲の状態の変化までは影響を及ぼせない。
つまり、ウラノはシフォードが移動したことによって生じた空気の揺らめきを察知することで位置を予測しているのだ。
ただ、自分の技や魔法をペラペラと話す性格ではない二人は相手が使う技の実際の効果を知る由もなく推測しかできない。
(……ぐっ、掠ってしまいましたか。不覚)
ウラノは自身の頬が熱を帯びていることを感じ取る。
まるで酸を浴びて溶かされているかのような激痛だ。
反応速度を大幅に増大させる“感覚加速”だがもちろんデメリットもある。
感覚が最大限に研ぎ澄ませたことにより痛覚が何倍にもなっているのだ。
今のような僅かな掠り傷でさえも重傷と思わせるほどの激痛が身体に駆け巡る。
もし、その激痛で蹌踉めきでもすればシフォードがそんな大きな隙を見逃すはずがない。
ウラノは顔に出さないように激痛を耐えて見せる。
“感覚加速”を行使している現状では掠り傷でさえも受けることは許されない状況だ。
(とはいえ相手は完全な隠密。掠り傷を受けないというのは我が儘ですね……根気で耐えるしかないですか)
そこで解除してすぐに発動するという策を思い付くがすぐに頭から消し去る。
(“感覚加速”で戦闘が成り立っている今では一瞬でも解除してしまえば気付くこともなく命を落とすのは明白)
それに解除したところで負った傷が治るわけではない。
解除してすぐに発動したとしても結局は同じ痛みを味わうのだ。
解除する意味はない。
(所詮は浅知恵でしたね)
ウラノは激痛に耐えながら再び構えを取る。
右手には小刀、左手は懐に忍ばせている数本の毒針を握る。
(気光刀でもあの鉤爪ごと斬りつけることはできなかった。間違いなくあの武器は強化されているでしょうね……)
ウラノもただ時間稼ぎをしているのではなく隙があれば即座に狙おうとしている。
(しかし、その隙が見当たらないのですが)
自分から攻撃しようにも隙が一切なく見せる立ち振る舞いを目の当たりにすると身体を動かすことができない。
結局のところ相手の攻撃を待つ後手になる。
だが、“感覚加速”を使っているとはいえ相手の攻撃が分かるのは寸前。
反撃を行える時間もない。
(くっ……)
いくら考えてもシフォードに勝つ手段は思い付かない。
威力はもちろん、身のこなしすらもウラノを遙かに凌駕している。
考えれば考えるほど圧倒的な実力差を思い知らされるだけだ。
(いえ、これは殿からも指摘があった通り既に分かっていたこと。小生はただ自分の任を全うするのみ!)
そのとき、シフォードは再びゆっくりとウラノに向かって歩き始めた。
「あなたばかり好きに攻撃はさせません!」
とウラノもそれに合わせて走り出す。
そして、ウラノは懐に忍ばせてあった毒針を数本シフォードに放つ。
だが、シフォードの姿は先程と同様に掻き消えた。
「速い!!」
ウラノはすぐ左に小刀を向かわした。
カキーン!!
そんな金属のぶつかりあう音が響く。
手に伝わる衝撃が感覚を最大限にまで増幅させた身体に激痛となって襲いかかる。
それでもウラノは力を緩めずに踏ん張った。
「それが本気ですか?」
さらにシフォードの力が増大した。
耐えきれなくなったウラノはそのまま吹っ飛ばされる。
「これしきのことで!!」
勢いに身体が持って行かれていたウラノだったがすぐに身を持ち直し軽やかに着地する。
そして、再び小刀を構える。
そんなウラノの様子にシフォードは不快感を表情と態度で露わにする。
「全く……鬱陶しい。私は一刻も早くウェルム様の下へ馳せ参じなければならない。貴様のような雑魚に構っている暇はない」
「だからこそ小生はそんなあなたに用があるのです! 我が殿が勝利を収めるまでは通すわけにはいきません!!」
「……そちらの事情は聞いていませんよ」
そのとき、シフォードから初めて走リ出した。
廊下の地面、壁、天井を凄まじい速度で駆け回るシフォードにウラノの目では追いつかない。
残像が見えているはずなのだがそれからは気配や音が一切ない。
ウラノは先程と同じように右手に小刀、左手に毒針を持っていた。
隙があれば毒針を放つつもりでいたが凄まじい速度で駆け回っているシフォードを当てるのは至難の技と諦め小刀のみに集中する。
そして、シフォードは背後に回り鉤爪を突き出した。
「くっ!!」
ウラノは即座に小刀を移動させそれを防ぐ。
だが、今回はそれだけではなかった。
左手の鉤爪で突きを入れ、それもまた防ぐと再び右手の鉤爪で攻撃を仕掛けてくる。
防ぐ度に何度も何度も怒濤の連撃を繰り出してきたのだ。
「なっ……」
ウラノは自分の身体の直感を信じて手を動かしその全てに対処していく。
「まだ、仕留めきれませんか!」
ウラノは完璧には防ぎきれずに頬や身体に掠り傷を増やしている。
だが、シフォードからすればそれで納得はできておらずその声は驚きが含まれていた。
ウラノはウラノで先程からずっと命を賭けた綱渡りをしている状態だ。
シフォードの連撃はもちろんだがそもそも一発の威力が重くそれだけでウラノの手は痺れてしまうほどだ。
それが何発も続いている。
一発だけならば“感覚加速”を行使している今も耐えられる。
だが、衝撃を逃がす暇を与えてくれず既に気絶してもおかしくはないほどの激痛にへと変貌している。
だが、防いでいる間に一瞬だけ光の筋が見えた。
「これでどうですか!!」
恐らくシフォードにとっては自分の攻撃をこれほど受け止められたのは初めての出来事だったのだろう。
その驚きからほんの僅かな隙が生じたのだ。
ウラノは小刀で鉤爪の軌道を逸らして身体を横に一回転させる。
「まさか……」
ウラノは右足に魔力を集中させる。
そして、シフォードの首に本気の蹴りを放った。
どーんと風圧が周囲を駆け巡り廊下の壁や地面が軋みを上げるほどの衝撃が発生する。
「があああ!!」
そう呻き声を上げたのはシフォードではなく攻撃を放ったウラノ自身だ。
凄まじい激痛に顔が歪んでいる。
“感覚加速”はまさに諸刃の剣。
自身の身体での攻撃は小刀による衝撃よりも大きい。
それが何倍にもなって自分にも返ってくるのだ。
もちろん、ウラノはそんなことを分かっているがようやく生じた千載一遇の好機に攻撃をしないという手段はなかった。
(直撃ならばいくらあなたでも無事では済まないはず!!)
だが、目を向けるとシフォードは何の痛痒も感じていない真顔でウラノを眺めていた。
その視線は何かしたか?と言っているようだ。
傍から見ればウラノの足がシフォードの首に押し付けているように見えるだろう。
「ま、まさか小生の全力の蹴りを……」
「蹴りを選択したのは誤りですね。刀ならばもしかすると致命傷まではいかなくても掠り傷ぐらいは与えられたかもしれませんよ」
そのとき、シフォードの右手の鉤爪が消失した。
そして、その右手で未だに自分の首に触れているウラノの足を握りしめる。
「があ!!」
人とは思えないほどの握力で骨が軋みを上げる。
そして、シフォードは足を起点にウラノを振り上げて全力で地面に叩きつけた。
城自体が揺れ、叩きつけた地面はその衝撃に耐えきれなくなり砕けてしまう。
ウラノは地面の瓦礫とともに叩きつけられた勢いのままさらに落下を続けていく。




