第268話 黒鎧の正体
デストリーネ王国北側にある祠の近く。
その祠は十年ほど前までは破滅の悪魔と呼ばれる化け物が封印されていた。
だが、今ではその役目を終え見張りがいなくなりもはや誰も寄りつかない場所となっている。
そんなところに満身創痍の魔術師カハミラが突然地面から少し浮いた状態で姿を現した。
普段ならば軽やかに着地するところだが蹌踉めき杖を地面に突き刺し支えとすることで何とか耐えた。
「……はぁはぁ」
息を整えようとするが既に自分の意志でも息切れを止めることはできない。
足を引きずりながら必死に目の先に見える魔方陣に一歩一歩ゆっくりと近づいていく。
彼女が通った道には太い黒の血の跡が引かれていた。
周囲に漂っている四つの球体もカハミラの速度に合わせて付いて行っている。
そして、魔方陣のすぐ近くに辿り着いたカハミラは握りしめていた杖をその場の地面に突き刺した。
「私の命は持って後数分。ウェルムのためにもせめて敵の数だけは減らさないと……」
カハミラは自分の腹部に刺さったままの剣の柄を両手で握りしめた。
そして、一気に引き抜いた。
「がっ……ゴホッ!」
剣という栓が抜けたことにより腹部から勢いよく黒血が噴き出した。
さらに口からも絶え間なく溢れている。
だが、カハミラはそれに気にした様子はなく引っこ抜いた勢いのままその剣を放り投げる。
むしろ、流れ出た血が魔方陣に触れたのを見て微笑んだ。
「フフフ、黒血とは天人の魔力の源」
カハミラは再び両手で地面に突き刺した杖を握りしめた。
すると、魔方陣が不気味な紫色で輝きを放ち始めたのだ。
「私の命などどうでもいい。この命と黒血、私の残る全てをこの魔法に注ぎ込む!」
カハミラですらどうなるか想像もできない程の魔力を巨大な魔方陣に注ぎ込んでいく。
次第にカハミラの身体から黒の蒸気が立ち昇り始めた。
あの妖艶な雰囲気を纏っていた面影は既になく、目元には隈ができ整っていた髪は乱れ不気味に揺らめいている。
「ふふ、どんな威力になるか見ることができない。それだけが残念でなりません。……ウェルム、後の事は任せましたよ!」
ウェルムのこれからに対しての心残りや心配はない。
カハミラはウェルムの勝利を確信しているからだ。
そして、ウェルムさえ生きていればまたやり直すことが可能。
「アハハハハハ! ええ、勝負の敗北は認めましょう! ですが、戦争自体の勝利は譲りません!」
そして、魔方陣に込められた魔法が発動する。
その魔法の名は“超隕石”。
開戦前に使ったときの周囲一帯を押し潰す魔法だ。
だが、込められた魔力はそのときの比ではない。
この場からは見ることは叶わないが威力と範囲が桁違いに増大しているのは間違いないだろう。
それを想像するだけでカハミラは笑みが止まらなくなる。
「フフフフ………!!」
そのとき、カハミラの身体が揺れ支えにしている杖から崩れ落ちそうになった。
寸前のところで腕に力が戻る。
「危ない。……意識が飛びかけましたわ。この……魔法を終えるまでは、まだ死ねません!」
そんなカハミラの後ろから忍び寄る影が一つあった。
いや、本人は忍び寄っているつもりは微塵もないだろう。
コツコツと足音を立てながら近づいていた。
しかし、カハミラは魔法に集中しすぎて気付いていない。
そもそも、この場に転移したときから周囲に意識を向けるほどの余裕はなくなっている。
足音はどんどん近づいてきて、ピタリと止んだ。
「はぁはぁ、あと少しで全てを……ハハハハ、あ?」
そのとき、カハミラの視界は傾いた。
ゆらゆらと回転し、最初は目眩かとカハミラは考えた。
しかし、すぐに頭に衝撃が走り地面に倒れたのだと考えを改める。
だが、それも誤りだとすぐに悟る。
答えは視界に映った光景が教えてくれた。
(私の……身体?)
大きく見開いた目に映ったのは自分の身体だった。
その首からは上は何もなく、黒血が勢いよく噴き出している。
(ど、どういうこと?)
カハミラの口は動いているが声は出ていない。
そのとき、どこからか声が聞こえてきた。
「助かった。お前とウェルム・フーズムだけはどう足掻いても僕の実力では対抗できなかった。そんなお前をここまで追い詰めてくれるなんて。流石は、師匠が集めた精鋭だ」
カハミラは言葉の方向、自身の身体の後ろに目だけを向ける。
(お前は……)
そこにはクロサイアとヒクロルグと共に中央戦場に向かっていたはずの黒の全身鎧に身を包んだ騎士が立っていた。
黒鎧は無造作に右手を突き出して眩く輝く光線をカハミラの身体に放つ。
すると、光の粒子となって身体は消滅した。
「何が何だか分からないと言った顔だね」
そして、黒鎧は兜を脱ぎ顔が露わになった。
「僕はクローク。君たちがジョーカーと呼んでいるデルフ・カルストの弟子だ。恥ずかしい話、君たちを倒すつもり攻め込んだけど僕一人じゃ敵わなかった。呆気なく捕らえられてしまった。そのときは命の覚悟をしたさ」
自分自身の嘲笑混じりにクロークはそう呟く。
だが、次の瞬間には目を鋭く尖らせてカハミラを睨み付ける。
「だけど、ウェルム・フーズムは一つミスを犯した。僕を生かし、操り人形にするというミスを」
「……」
カハミラは疑問を声にしたかったがもはや二度と声を出すことはできない。
だが、その疑問はクロークに伝わった。
「ああ、見ての通り洗脳なら始めから効いていないよ。操られているよう振る舞ったんだ。見事に騙されてくれたようだ。僕の光はそんな靄程度なら容易に晴らす。……話はここまでだ」
クロークは剣をカハミラの残った頭に突き刺そうとするが途中で動きを止める。
「……もう死んでいるようだね」
カハミラの目の色は色褪せて生気が感じられなくなっていた。
だが、クロークは油断しない。
カハミラの身体を消滅させた光を頭にも浴びせ消滅させる。
宙に浮いていた四つの球体は力をなくし地面に落下した。
その後、粉々に砕け砂となって消え去ってしまった。
ウェルムは横目を輝く魔方陣に向ける。
「凄まじい魔力だ。死にかけでもこんな魔力を残しているなんて。……やっぱり真っ正面から挑むのは止めて正解だった」
そして、右手を巨大な魔方陣に向けて光を放つ。
魔方陣はパリンと砕け散り地面には何も残らなかった。
「これで終わりと」
静かに息を吐きだしクロークはこの場から立ち去ろうと踵を返しながら目を瞑り各戦場の気配を窺う。
「どうやら、僕の妹弟子はやり遂げてくれたようだ。いつか、師匠から改めて紹介してくれると助かるな。……切羽詰まった状況だったから強く当たってしまったし第一印象は最悪だろうな。……!?」
クロークの背後から突然強大な魔力の気配を感じた。
ばっと反射的に振り向くとそこには謎の光の球体が浮かんでいた。
その場所とは消滅させたカハミラの胴体があった場所だ。
「……何だ?」
すぐさまクロークは剣を抜き構える。
だが、その球体はクロークを無視してすぐ横を通り過ぎデストリーネ本国の城に向けて飛び去っていってしまった。
「あれは、一体……」
しかし、考えても答えは出ない。
すぐに切り替えて自分がすぐできる行動を考えることに集中する。
「……王城か。行こう」
全てはデルフの助太刀をするために。




