第259話 正義ノ虎拳
上空まで立ち昇る魔力を放出し続けるアクルガ。
やがてその魔力は形を変化させ虎の全身を形作りアクルガの身体を覆った。
先程までの出力はないがそれでも荒々しい動きを見せる虎の魔力をアクルガは維持し続ける。
「なんて魔力だ。今まで以上じゃないか!?」
傍で見守っているノクサリオを吹き飛ばそうとするほどの風圧が駆け抜ける。
“虎光拳・青虎”は防御特化の型であり、この虎光拳・猛虎“は攻撃特化の型。
全てにおいて青虎の比ではない。
しかし、それは身体の負担においても同じだ。
アクルガの皮膚から血管が浮き上がり息もかなり切れている。
消費魔力においてもこの状態を保つのは数分が限度だろう。
(一発で終わらせル!!)
地面につけた手を伸ばし腰を上げるといった奇妙な構えを取るアクルガ。
魔力の形もあり、本物の虎が構えたように見えてもおかしくはない。
そして、アクルガは地面を大きく蹴った。
「!!」
凄まじい速度で接近してくるアクルガにヴィールは目を剥く。
瞬きをする余裕すらない。
ヴィールはすぐさま四つに分裂した空切りの刀身を一斉に迫り来るアクルガに向けて放つ。
加速するアクルガが急に動きを止めて回避することは不可能だ。
だが、アクルガは鋭い瞳が揺れることなく極めて冷静に左手を大きく振り上げる。
いや、冷静と言うのは相応しくないかもしれない。
ただ、本能に従っているだけなのだろう。
振り上げたその手には虎爪の形を模した魔力が伸びており甲高い音が鳴りながら飛んでくる空切りの破片に合わせて振り下ろした。
「!?」
ぶつぶつと取り憑かれたように呟き続けていたヴィールはようやく口を止めた。
バチバチと火花を散らしながら空切りの破片に対抗するアクルガの虎爪。
だが、その力比べもすぐに決着がつき、アクルガが手を振り切った。
流石に地面に叩きつけるまではいかなかったが破片の軌道が逸れアクルガの真横を通り過ぎていく。
「ぐゥ……」
ただでさえ出血が多いアクルガの身体から血が噴出する。
空切りの欠片の周囲に飛び交っている空気の刃が通り際に傷付けたのだ。
(猛虎の魔力でも防ぎきるのは難しいカ)
先程までの威力ならば確かに猛虎ならば防げていた。
つまり、ヴィールの魔力も止まることなく増大し続けているということだ。
「構うものカ! この程度の痛ミ! ガンテツ、そしてヴィール、お前たちの痛みに比べたら痒くもなイ!!」
噴出は収まったが、その後も傷口からはじわじわと血が流れ出ている。
勘違いしてはならないのは空切りによる斬り傷は普通に剣で斬りかかられた傷と大差がないことだ。
それがたとえ周囲に飛び交っている空気の刃でもだ。
並みの精神力ならば痛みに悶えて呻き声を上げているだろう。
いや、そもそも命を落としてもおかしくはない。
だが、アクルガは顔色一つ変えずに突き進む。
むしろ、感じる激痛で意識を保っていると言っても過言ではない。
ヴィールは怯みもせずに迫ってくるアクルガに信じられないと言うように瞳を揺らす。
焦りながらもどこからか隠し持っていた短剣を取り出した。
しかし、空切りの破片と比較するとその何の魔力も感じないただの短剣はアクルガにとって壁にすらならない。
ヴィールは短剣を構えるがアクルガは構わずにその速度のまま突き進む。
間合いに突入するなり、アクルガは虎爪を模した魔力を宿す右手をぎゅっと握りしめた。
突然、アクルガが纏っていた全ての魔力が消失する。
いや、全ての魔力を右手に集約させているのだ。
青の魔力は次第に赤に変化し輝きを放ち始める。
「ヴィール、今、お前を縛る闇を打ち砕いてやル!」
そのもはや眩しすぎて白く輝いているとも言ってもいいアクルガの右拳を見てヴィールは咄嗟に取り出した短剣を防御に回してしまう。
だが、それは大きな間違いだった。
そんな短剣では盾にすらならない。
「“正義ノ虎拳”!!」
放ったアクルガの右手はヴィールが構える短剣を容易に打ち砕きそのまま左胸に直撃する。
「がっ!!」
ヴィールの口から濁流のような黒血が飛び出る。
その瞬間、ヴィールの背から右拳から放たれた赤の魔力が貫通し後ろに通り過ぎていく。
いや、単なる魔力の波動ではなくそれはまるで野原を駆けて獲物を追っている獰猛な虎のように見える。
その口には何やら黒い靄を咥えているがすぐに飲むように中に消え、やがて姿までも消失した。
そして、置いてきぼりになっていた衝撃が口元が黒く濡れているヴィールに襲いかかった。
何の抵抗もなくヴィールはその場から吹っ飛んでいく。
「ハァハァ……」
アクルガは全ての力を出し切り視線を地面に向けて息をかなり切らしていた。
(全てを出し切った。これで……!?)
そのとき、自身の背に鈍い音と小さな衝撃が数回。
それぞれ同じ回数だ。
衝撃を感じた部位からは急にじわじわと熱が籠もり始め装着している鉄のマスクの隙間から赤い血が漏れ始めた。
「な、なんだ……」
アクルガが左手で背を触れると温かくぬめっとした感触があった。
さらに、コツンと何やら硬い物がアクルガの背に生えていた。
いや、違う。
背にヴィールが必死の抵抗で呼び寄せた空切りの四つの破片が突き刺さっていたのだ。
その破片から悲鳴のような音が鳴り始めてアクルガの左手を切り裂きながら弾く。
さらにアクルガの背を抉り始めた。
「ぐッ……」
だが、それは一瞬だけで欠片は急に動きが止まり地面に落ちた。
恐らくヴィールの最後の抵抗だったのだろうとアクルガは考える。
その抵抗はアクルガの不動を貫いていた身体を蹌踉めかせた。
しかし、アクルガはまだ倒れない。
下がっていた視線を上げてヴィールに向ける。
「くっ、本気でやっタ……つもりになっていたカ」
アクルガが目を向けた先ではヴィールが立つことはできていないが起き上がっており呆然としていた。
ただ、意識も混濁しているのか頭がゆらゆらと動いている。
「あれで……倒れないのか」
ノクサリオは驚きを隠せずに呟く。
だが、倒れないのは必然と言える。
確かにアクルガは全魔力を込めて奥義を放った。
しかし、アクルガもヴィールの実力から死ぬことはないという確信はあれどかつての仲間に対しては全力でやりきれていなかった。
ヴィールに拳が衝突する寸前、無意識に力を抜いてしまったのだ。
それはアクルガ自身も気が付いたがそれはヴィールの状態を見てからであって全くの実感はなかった。
だが、それでもアクルガにとっては狙い通り、ヴィールに明らかな変化があった。
先程まで瞳は色褪せていたが片目は元に戻っていたのだ。
止まっていたぶつぶつと念仏のような独り言を再び呟いているが、“真なる心臓”による支配が解かれようとしていた。
これをデルフが見れば深く驚いただろう。
“真なる心臓”の支配の魔力はかき消したとしてもヴィールの魔力を用いて復活する。
だが、ヴィールの心臓からは新たな支配の魔力が生まれる気配がなく、残った支配も極僅かとなっていた。
原因はウェルムとカハミラ、術者の違いによるものなのか。
はたまた、カハミラが実験として間違った記憶を植え付けて感情を表に出したため制御が甘くなったのか。
それともアクルガの奥義である“正義ノ虎拳”がヴィールを蝕む支配を殆ど喰らい尽くしたからなのか。
アクルガたちにそんなことが思い付くはずもなくそもそも“真なる心臓”についてもそこまで詳しくはない。
しかし、良く知っている者でも思い付く可能性のある理由は多いがどれが正解なのかは分からないだろう。
ただ、言えることはヴィールがあと少しで支配から抜け出そうとしているということだ。
しかし、アクルガはもはや力を使い果たし肩で息をしてふらついている状態だ。
身体に負った無数の斬り傷、腹部への刺し傷、出血量などを考えると立っていることがそもそもおかしい。
それでもアクルガは鉄のマスクの中で笑みを浮かべた。
そして、一歩を踏み出す。




