第256話 一瞬の隙
跳ね飛んだ左腕がべちゃっと音を立てて地面に落ちる。
「ぐあああああ!!」
久しぶり実感した激痛に耐えきれずクライシスは後退りをする。
二の腕の先の切断面からポタポタと黒血が垂れていた。
「……よくもやってくれたな!」
それでもクライシスは反撃に大きく息を吸い込み火炎放射をジャンハイブに浴びせた。
「ぐあっ……」
ジャンハイブは何とか身を捩るがそれでも顔の半分が炎に埋め尽くされた。
もはや倒れるだけのジャンハイブ。
だが、クライシスは鼬の最後っ屁ごとき一撃で痛い目を見たばかりだ。
たとえ倒れるだけとは言え足下に敵がいるのは快く思わないだろう。
だから、強烈な蹴りを放ちジャンハイブを弾き飛ばした。
「はぁはぁ……くっ、ここまで追い詰められるなんてな。左腕は餞別だ。くれてやる」
クライシスは地面に落ちた剣を右手で拾う。
その際、剣を握ったままの左手を見て眉を顰める。
だが、すぐに払い退けて地面に落とした。
右手で握った剣を仰ぎ見て静かに構える。
そして、大きく息を吐きだして鋭い瞳を立っている者たちに向けて一言声を張り上げる。
「“天騎竜王”!!」
クライシスの魔法剣に空気の膜が覆ったと思うやその刀身は青く輝いた。
まるで雲一つ無い晴天の青空が広がっているかのようだ。
全員は鮮やかで透き通った剣に目を奪われていたが、いち早く気が付いたのは何もできずに見ているだけのサフィーだった。
「? え……?」
始めは周囲の空気の流れが一方に向いていたがそれはまだ天候の変化と思えば理解できる。
だが、身体が徐々にその方向に向けて引き寄せられていたとなると別だ。
そして、その方向とはクライシスが構えている魔法剣だった。
「? 思うように、動かない」
駆けているイリーフィアも同様に引き寄せられ速度が落ち始める。
さらにイリーフィアは気が付く。
「……まずい」
イリーフィアの視線は鮮やかな刀身に向いている。
いち早く引き寄せられた礫がその刀身に触れるなり粉々に砕け散ったのだ。
もし、人間があの剣に触れればどうなるのか。
考えるまでもなく身体の原形を保つことができないのは明らかだ。
「流石はイリーフィアだ。もう気が付いたのか。だが、気付いたからってどうにもならないぞ!」
魔法剣は徐々にイリーフィアたちを引き寄せている。
そう時間が経たないうちにクライシスの間合いに到達してしまうだろう。
しかし、クライシスはそれまで待つ気は無い。
イリーフィアに向けて斬り掛ろうと地面を蹴る。
もはや、一秒ですら反撃の猶予を与えるつもりはないのだ。
だが、またもクライシスの身体は動かなかった。
「また、お前か。サード!」
全員がクライシスの奥義に目を奪われていたがヨソラだけは違った。
奥義を発動しようとしたときの抵抗のない絶好の機会を狙ってクライシスの動きを念動力で固定していたのだ。
「かんぜんに……とらえた。おわり」
勝利を確信しぐっとヨソラは勢いよく掌を握ろうとする。
だが、その手は完全に握る前に止まってしまった。
「……すすまない!」
「危なかった。冷や汗を掻いたぞ」
大怪我こそ負っているがクライシスも天騎十聖の一人でありそう簡単にはいかない。
ヨソラが完全に握る刹那に念動力を押し返す形で“騎士王の威光”を発動させ危機を逃れることができたのだ。
だが、“天騎竜王”に大半の力を回しているためその効果範囲はクライシスの身体を纏う程度と今までに比べるとかなり狭い。
それでも威力自体は本調子と引けをとらずに徐々に念動力を押し返し始める。
「……ッ!」
握りしめようとして拳の形を作りかけていた手が再び開きつつある。
今までのヨソラの攻撃パターンからはこの状態になったとき即座に力を抜いて立て直していた。
力勝負をするとそれだけ魔力を消費してしまうからだ。
しかし、今回は引かずにさらに魔眼に魔力を集中させる。
今までの積み重ねに加えさらなる魔力の込めすぎでドクドクと今まで以上の速度で黒血が魔眼から流れ続けていた。
傍から見れば両者は黙ったまま突っ立っているだけだがその実は沈黙の力比べが繰り広げられている。
だが、このままでは先に限界を迎えるのはヨソラの方だ。
今も徐々に力が抜け始めておりクライシスは少しずつじりじりと前に進んできている。
イリーフィアが光の矢を放つが魔法剣の引力で引き寄せられ当てることすらできない。
ジャンハイブは全てを出し尽くして倒れている。
何とか身体を動かそうとしているが震えているだけでもう立ち上がることすらできないだろう。
そもそも、ジャンハイブが負った負傷では立ち上がったところで戦うことは叶わないが。
イリーフィアはそんなジャンハイブの元に移動してしゃがみ込んだ。
「借りる」
「……ああ、存分に使ってやってくれ」
ジャンハイブは倒れたままゆっくりと口を動かして掠れた声で言葉を紡ぐ。
じりじりと迫ってくるクライシスにヨソラは息切れが激しくなりながらも踏ん張る。
「弱まってきたな。もう、限界だろ。能力は凄まじい威力の半面、多大な魔力を消費する! それはお前も同じだ。サード!!」
「それは、そっちもおなじ!!」
ヨソラは強い言葉を返す。
だが、サフィーが支えていなければ今にもヨソラは倒れてしまう程、とうの昔に限界が来ている。
その状態で力を使い続けることができているのは意地に他ならない。
「ヨソラ……」
必死に頑張り続けるヨソラの姿を見てサフィーは歯軋りする。
(結局、頑張っているのはヨソラじゃない。あれだけ息巻いてここまで来たけどやっぱり私には……どうすることもできない)
口ばかりの自分に嫌気が差し、親友の力にもなれない非力さを恨み続けるサフィー。
(私に、私に力があれば! 何で私は何もできないの!! ……!?)
そのとき、サフィーはこの状況の打開策を閃いた。
しかし、それは常人ならば決して実行しないような行動だ。
それでもサフィーは行おうとしていた。
(私が突進すれば流石のあいつも一瞬は驚くはず。そんな隙を作れれば……)
サフィーは自分の命と引き換えの一瞬の隙を生み出すため、ヨソラを地面に座らせる。
「……サフィー?」
魔眼の力を行使しながらもヨソラはサフィーの動きを訝しむ。
だが、すぐにサフィーが行おうとしていることに気が付いた。
「サフィー!! だめ!!」
もう覚悟を決めたサフィーにその声は聞こえない。
そして、走り出すための最初の一歩を踏み込んだ。
『なりません!! お嬢様!!』
突然、大声が脳内に響きサフィーの覚悟を揺らし動きを止めた。
(!? な、なに?)
サフィーはキョロキョロと視線を動かすがその声の主は見当たらない。
しかし、冷静になってみると深く聞き覚えのある声だ。
その声が誰のものか、理解するまでそう時間はかからなかった。
(ま、まさかフレッド? どうして……)
試しに声に出さずにそう語りかける。
すると、やはり声が返ってきた。
『時間がありません。お嬢様、念じてください。必ずやこの力は貴方様のお力になります。……ヨソラ様、そしてお嬢様のご無事を心から祈っております』
その声だけを残してサフィーの心の中に感じていたフレッドの気配は消失した。
(ふ、フレッド!?)
呼んでみるが返答はなく、感じていた気配も消えてしまった。
(念じろっていっても私には魔力が……えっ?)
サフィーは己の身体に僅かな魔力があることに気が付いた。
(これなら!)
すぐさまサフィーはフレッドに言われたとおりに念じる。
念じるとはよく分からなかったが取り敢えず頭の中にあるものを浮かべてみる。
その思い浮かべたのはフレッドがよく使っている武器だ。
気が付くとサフィーの左手には魔道銃が握られていた。
フレッドに比べると不細工な作りだがそんなこと今は関係ない。
それよりも、僅かだがヨソラの力になれることを嬉しく感じていた。
サフィーは魔道銃を握りしめてヨソラよりも前に出ようとする。
「サフィー、だめ! うしろに! はぁはぁ……」
そんなサフィーの動きを見たヨソラは強い声で止める。
酷く消耗してサフィーが支えていなければ今にも倒れそうな程、困憊している姿になってもヨソラは自分の身体の心配よりサフィーの安全が勝っていた。
(自分よりも私を……)
サフィーはぎゅっとヨソラを自分に引き寄せて力強く右手で抱きしめる。
いや、抱きしめるというよりは寄せて離れないように固定したという方が正しい。
「ヨソラ! 今助けるから! 絶対に死なせない!」
そのままサフィーは左手で持った魔道銃の銃口をクライシスに向ける。
「うおおおおお!!」
そのとき、クライシスがバチンとヨソラの念動力を力で押し破った。
「きゃっ……」
同時にヨソラの掌が見えない力に弾かれてしまう。
そのタイミングに合わせたかのようにサフィーの魔道銃から魔弾が放たれた。
発砲の際に魔道銃に発生する衝撃は子どものサフィーが耐えられるものではなく大きく左手が真上に上がる。
「サフィー!!」
そんな体勢を崩したサフィーをヨソラは右手で抱きしめたのが功を奏し、後ろへの転倒だけは免れた。
「ようやく、抜け出せた。しぶと……」
そのとき、魔道銃から放たれた魔力の塊が魔法剣の引力で減速しつつもクライシスの額に直撃した。
パンッ!
という音と共に天を仰ぐようにクライシスの頭が動く。
だが、すぐに何事もなかったかのように正面に戻ってきた。
顔の鱗には罅が入り黒血が額から流れているがその顔には笑みが浮かんでいた。
「何かしたか?」
クライシスはサフィーの全力を嘲笑するように一言を放った。
(やっぱり……私は何も……)
自身の全力が何の意味もなかった。
やはり自分には何かを為すような力がない。
そんな自責に駆られるサフィーだがそれを否定する声がクライシスのすぐ目の前から聞こえてきた。
「大丈夫、あなたのおかげ」
「いつの間に!?」
クライシスの目の前には膝をついて長弓を構えているイリーフィアの姿があった。
普通ならば何の意味も無い攻撃。
だが、サフィーが作り出したほんの僅かな硬直があってこそイリーフィアは気付かれずにクライシスの懐に潜り込むことができていた。
無意味が勝利の鍵へと化けたのだ。
「だが、お前の攻撃は……!?」
クライシスはそのイリーフィアが長弓で引いているものを見て開いている片目が見開き言葉を失った。
その長弓で矢として引いているのはジャンハイブの真聖剣ファフニールだ。
真聖剣はジャンハイブの手を離れても尚、その姿を維持していた。
「そ、それは!!」
「クライシス……ばいばい。“銀の弓矢”!!」
ゼロ距離で長弓から放たれた聖剣は容易にクライシスの鱗の鎧ごと身体を貫いた。
「がっ!!」
クライシスの口から黒血が吐き出され纏っていた“騎士王の威光”が消失した。
さらに魔法剣に宿っていた魔法も消え失せヨソラたちを苦しめていた引力がついに止んだ。
後数秒消えるのが遅ければイリーフィアは魔法剣と衝突し塵となっていただろう。
クライシスは多大な損傷から力が抜けて蹌踉めき後退りをしている。
だが、それでもまだ倒れはしていない。
「ヨソラ!」
イリーフィアには珍しい大声を透かさず張り上げた。
少しの休憩を経てヨソラは正真正銘の最後の力を振り絞って魔眼を発動させる。
「うおおおおおおおお!!」
そのとき、左の瞳も黒に染まり二つの魔眼でクライシスを捕捉した。
「ハハ、こりゃ……まいったな」
諦めの混じった声でクライシスは呟く。
そして、ヨソラは両手の掌を突き出して抵抗する時間すら与えないほど一気に握りしめた。
力を使い果たしたクライシスは次元が歪んだかと思うほど一気に押し潰されその形を失った。
残ったのは宙に浮いた極小の小さな黒い球体だ。
これが念動力によって押し潰された者の末路。
ヨソラが力を抜きその場に倒れ込んだ。
すると、その黒の球体が急にその場に落ちる。
まるで黒の液体を含んだ水風船が破裂した後のように地面は辺り一面を黒く染めてしまった。
しばらく静寂が包み込んだ後、終わったと実感した皆が急に力が抜けてその場に座り込んだ。
「終わったか……」
ようやく立ち上がることができたジャンハイブがゆっくりと近づいてくる。
顔の半分は焼けただれているが身に纏う覇気は健在だ。
そのとき、クライシスが消えた場所から光の球体が浮き上がっていた。
「な、なんだ?」
その球体に宿る不気味な魔力に全員は再び身構えるがその球体は特に何もせず何かに引き寄せられるように彼方に飛んで行ってしまった。
「一体何だったんだ?」
飛んでいった後もしばらく身構えていたが何も起きないと分かるや再びその場に座り込む。
息を吐いて休憩していたのも束の間、イリーフィアが立ち上がった。
「クライシス、いなくなった。今が攻め時」
「そうだな」
だが、そのとき砦方面から歓声が聞こえてきた。
一瞬、負けたのではないかと思っていたが馬に乗った自軍の伝令がこちらに向かってきた。
「お伝えします。味方、砦の占拠に成功。御免!」
「!! ご苦労」
一礼し去って行く伝令。
ジャンハイブとイリーフィアはお互いに顔を見合わせて笑う。
「まさか……俺らがいない間に勝つとはな」
「クルが優秀」
無い胸を張るイリーフィア。
「俺の所のブエルも負けていないと思うが」
そう呟きつつジャンハイブはゆっくりと歩きヨソラたちの前まで移動する。
「まさか子どもに助けられるとはな……。世の中、何が起きるか分からないものだ」
「何よ! 素直にお礼を言えないの!?」
「うっ……。そうだな。助かった」
ジャンハイブが手を差し伸べ、サフィーは少し戸惑うが意を決して手を取り立ち上がった。
サフィーは倒れて気を失っているヨソラを抱きかかえようとするがイリーフィアが先に抱きかかえた。
「大人に、任せる」
目元が腫れ上がっているが珍しく表情を変えて微笑んだイリーフィアにサフィーは顔を赤らめて頷いた。
「しかし、酷く憔悴しているな」
見た目だけではジャンハイブの方が明らかに重傷だがそれでも立ち上がるほどの余裕は戻っている。
こればかりはジャンハイブの自然治癒力がおかしいかもしれないが。
ヨソラは全くの逆で敵から受けた傷は一つもないが力の使いすぎによる消耗が激しい。
特に出血量だ。
「一先ず、占拠した砦に向かうとしよう」
そして、ジャンハイブたちは砦に向かおうとしたとき再び伝令がこちらに向かってきた。
その表情は酷く焦っており何か良からぬことが起きたと言うことは聞かなくても分かる。
「どうした?」
「お、お伝えします!!」
その伝令の報告はジャンハイブたちにとって動揺を与えた。
しかし、逆に胸の支えが取れた気分にもなった。
「大国ノムゲイル、大連合との同盟を一方的に破棄しこちらに向けて進軍を開始しました!! さらに大国シュールミットがそれに同調し中央戦場からこちらに進軍を開始! 御免!」
急いで戻っていく伝令。
ジャンハイブは突然の報告に驚きを超えて苦笑いをする。
「ノムゲイルにシュールミットもか。やはり、そう来たか。しかし、シュールミット。あの王女は裏切るとは思っていなかったが」
「とにかく急いで砦に戻る。まずは、傷の手当て。作戦を考えるのはそれから」
そして、ジャンハイブたちは占拠したばかりの砦に急ぎ向かっていく。




