第245話 世界樹
倒れたサロクに対して魔力を溜めた五本の指を向けるヒクロルグ。
「消えるがいい」
だが、ヒクロルグは同じミスをしてしまう。
それはヒクロルグの意識が完全にサロクだけに向いていることにある。
彼が戦っている相手は一人ではないのだ。
「油断したな」
五本の“紫末の綻び”を放つ瞬間、背後からそんな声がヒクロルグの耳に入った。
「!? ちょろちょろと!!」
サロクが渾身の一撃を放ったときには既に背後に回っていたのだ。
ヒクロルグはすぐさまサロクに向けていた先端が輝く指をタナフォスに向ける。
だが、その腕は跳ね飛んだ。
「!?」
跳ね飛んだ自分の腕を呆然と見るヒクロルグ。
しかし、攻撃を受けていないはずのタナフォスも無事では済んでいない。
口からは赤い血が垂れていた。
それでも攻撃の手は緩めることはない。
瞬時にヒクロルグは左腕を再生しようするがその前に木刀を振り右腕も跳ね飛ばす。
「サロクが与えてくれた好機。決して逃しはしない!」
その冷ややかな声を聞いた瞬間、ヒクロルグは初めてタナフォスに恐怖を抱く。
今までタナフォスからは微塵も殺意が感じられなかった。
しかし、今は違う。
抑えようとしているのかかなり小さな殺気だがそれでもヒクロルグにとってはひしひしと感じていた。
「これほどの……」
ヒクロルグは腕の再生をする隙を得るため地面から伸びた無数の木の根をタナフォスに放つ。
目の前という超至近距離で放たれたとなるとこの木の根を避けることができればまさに奇跡だろう。
しかし、それを可能とするのがタナフォスだ。
目にも止まらぬ速度で木刀を振って根を切り落としてしまった。
「一瞬でも怒りに染まった時点で貴公の勝機は失った!」
胴体に木刀をぶつけるが強固な木の身体は侵入を許さなかった。
(ぐっ……木刀では本体を切り落とせないか)
だが、それでも衝撃は絶大でヒクロルグは蹌踉めいた。
その隙にタナフォスは後ろに飛び木刀を構え直す。
(身体がどこまで持つか。されど、ここで退くことはできぬ!)
ヒクロルグが再び前を向いたときタナフォスの身体と持っている木刀に纏っていた魔力を見てヒクロルグは驚きの声をあげる。
「何だ……その魔力は!!」
「二の罪“憤怒”」
タナフォスの魔力が急に数倍に膨らんだ。
それでも止まることなく増大し続けている。
「なぜ……ただの人間にそこまでの……」
ヒクロルグは立ち昇るタナフォスの魔力に衝撃を受けて後退りをしている。
「参る!」
そして、タナフォスは一直線に迫り全力の袈裟斬りをヒクロルグに浴びせた。
木刀がヒクロルグの身体に簡単に侵入し、一瞬で真っ二つにその身体は切断される。
しかし、舞った上半身からヒクロルグはタナフォスを睨み続けていた。
意識が残っているどころか殺気を放ち続けている。
さらに切断された上半身と下半身の断面からは一切の血が流れていない。
断面から見えるのは黒く染まった木目だけだ。
タナフォスの全力の一撃でさえヒクロルグに決定的なダメージを負わせることは難しかった。
宙に舞う上半身の断面から木の根が飛び出し下半身の断面に突き刺さる。
そして、上半身は下半身に引き戻され重なり元に戻ってしまった。
「……僅かだが肝を冷やしたぞ。だが、これがただの人間と天人の明確な差だ」
「はぁはぁ、真に能力とは何でもありであるな」
息切れの激しいタナフォスの口からは濁流のように血が溢れている。
さらに右腕の着物の上には輝く文字が浮かび上がっていた。
(ぐっ、呪いが……)
その光が急激に輝きタナフォスの身体に激痛が走る。
「がっ……」
だが、それだけで右腕の輝きは失われた。
(どうなっている? 破れば某の命は今すぐに……人を殺めるまでは発動しない?)
しかし、タナフォスもその呪いについてはそこまで詳しくない。
この呪いは自分でかけたのではなくとある魔術師にかけさせたのだ。
もちろん、その効果については聞いていた。
だが、聞いた効果とは少し異なっておりタナフォスは戸惑っているのだ。
(何にせよ。身体が蝕まれているのは事実。遅いか早いかの違いであろう)
そのとき回復を終えたヒクロルグが笑みを浮かべる。
「何やら勝手に損耗しているようだが。ククク、全てが無駄に終わったな」
「さて、それはどうであろう」
ヒクロルグがタナフォスの言葉の意図が掴めずに首を捻ろうとした。
だが、突然ヒクロルグの攻撃を受けた上半身と下半身の境目から凄まじい勢いで黒血が噴き出し周囲を黒く染めていく。
さらに口元からすーっと黒血が漏れ出た。
「な、なぜ、この我が、傷を……再生はしたはずだ。一体何が……」
戸惑うヒクロルグにタナフォスは笑う。
「ようやく底が見えてきた」
「底? ……まさか!!」
そのとき、ヒクロルグの木に変化していた身体が徐々に戻っていく。
「ま、まさか我の魔力が尽きただと……」
今の今まで自身の魔力の残量に気が行っていなかったヒクロルグはかなりの衝撃を受けている。
魔力が尽きることなどヒクロルグにとっては初めての経験なのだろう。
確かに膨大な魔力だがそれでも無限ではない。
だが、ヒクロルグが間抜けというわけではない。
これもタナフォスの策なのだ。
「一の罪“怠惰”」
タナフォスが発動していた“怠惰”は相手が動けば動くほどその魔力消費と体力が加速する。
それもありヒクロルグの予想よりもずっと早く底が訪れたのだ。
(しかし、植物化の消費魔力が大きいことが助かった)
正直なところ、“紫末の綻び”のみであったならばここまで速く追い詰めることは出来なかっただろう。
それほどに紫末の綻びは消費魔力が少量でヒクロルグ本人の動きもないに等しかった。
能力である“植物化”がかなりの魔力を消費し、さらに激しい動きをしてくれたことによって急激に魔力を消費させることができたのだ。
ただ、植物化がなければヒクロルグも命を落としてしまっていただろう。
使いにしろ使わないにしろどの道、この結果になっていた。
いや、もしもヒクロルグが魔力の消費量に違和感を持てばまた違う結果になっただろうがそれも今となっては過ぎたことだ。
身体の植物化の解除に続き地面に生えていた根も枯れて萎み消え去ってしまった。
「はぁはぁ、貴様ら……」
ヒクロルグは残った魔力を集中させて“紫末の綻び”を放とうとする。
だが、先程までと比べると遙かに魔力の収束速度が遅く身体の動きも遅い。
ヒクロルグは魔力だけでなく体力も限界に近かった。
タナフォスも消耗しているといえどもそんな攻撃に反応できないわけがない。
残る魔力を木刀に込めて振り下ろし切り落とす。
今度こそ右腕は跳ね飛び、その断面から黒血が流れ出る。
「ぐああああああ!!」
ヒクロルグが堪らず左手で右腕の断面を押さえて数歩後ろに下がる。
「クソが!! なぜ、こんな蠅どもに……この我が!」
もはや、ヒクロルグが抵抗できる魔力はない。
後は止めを刺すのみだ。
タナフォスは木刀を構えて魔力を込める。
だが、タナフォスの動きが止まってしまう。
先程は奇跡的に耐えることができたが殺してしまえば確実にタナフォスは命を落としてしまう。
だが、それが理由ではない。
元々タナフォスの不殺の呪いは自らかけたものだ。
死など恐れていない。
自身の命を担保にしてまでかけた呪いを破ろうとしている。
それがタナフォスを僅かに躊躇させてしまった。
(それでも悩んでいる暇はない! フテイルのため某は自らの誓いを破る!)
葛藤の時間は瞬きすらできない程の極僅かな時間。
それでも覚悟が遅かった。
「我が! 我が! 敗北はあり得ないのだああああ!! 全て、全て!! 壊してやる!!」
そう叫ぶヒクロルグの身体は急激に変化していく。
「なっ……魔力は既に尽きたはず」
足が完全に巨大な木の根となり、さらに身体や顔もうねうねと変形し太く巨大な幹となって上空に伸びていく。
無数に伸びた枝からは黒の葉が生えて揺れ動いている。
こうしてヒクロルグは城の大きさに匹敵するほどの巨木となってしまった。
「“世界樹”! ハッハッハ!! これぞ天人の力の全てを持ってこそ到達できる我の真の姿だ!!」
完全に巨木となり口がなくなったヒクロルグがどこから声を出しているのか分からないが大声が周囲に轟く。
タナフォスは木刀を構えるが敵はあまりにも大きすぎる。
見上げても頂点は見えなく天にまで届くほどの大きさだ。
それにどこを攻撃すればダメージが入るのかすら全く見当も付かない。
「抵抗せず身を差し出せば良かったものを。我らに楯突き怒りに触れたことを悔いて死んで行くが良い!!」
タナフォスは嫌な予感がしてすぐ側で倒れているサロクの腕を掴み全力で放り投げた。
雑な投げ方だが仕方がない。
この場に止まり続けていれば確実な死が待っているからだ。
サロクを放り投げた後、タナフォスは上空に目を向ける。
すると、無数の枝が揺れ動き真下に立つタナフォスに向けて急速に伸び始めた。
その枝の先端は鋭く尖っている。
さらに枝とはいえその大きさは巨大だ。
並の木々ぐらいの大きさはあるだろう。
直撃すればタナフォスの身体など簡単に弾け飛んでしまう。
その大きさに似合わず凄まじい速度で迫ってくる。
それでもタナフォスは向かってくる枝を躱して切断していく。
だが、数が多すぎる。
切っても切っても枝は降り注ぎ続ける。
さらには切った枝もすぐに伸び始め再び攻撃に加わっているためきりがない。
「このままでは……!」
そして、そのとき枝の一本がタナフォスの横腹を僅かに掠めてしまった。
「ぐっ! はぁはぁ……」
掠めただけなのだがその衝撃は凄まじく弾き飛ばされ地面を転がっていく。
どくどくと横腹から血が流れ出る。
木刀を杖にして何とか立ち上がるタナフォス。
そして、踏ん張って複数の斬撃を飛ばし巨木に衝突する。
人を簡単に両断してもおかしく大きさの斬撃だ。
だが、巨木からすればその斬撃はあまりにも小さかった。
掠り傷にもならないほどの小さな傷しか付いていない。
「もはや貴様は相手にならん! 宣言通り全てを終わらしてやろう!!」
巨木の枝が揺れ動き花粉が周囲に舞っていく。
先程見せた花粉とは色が違いこれは黒い。
「フハハハハハハ。教えてやろう! この花粉を身体に取り入れた者は自我を失いただ呆然と立ち尽くす人形となる。そして、我の養分となるのだ!」
勝った気になっているヒクロルグはわざわざ種を教えてくれた。
しかし、種を聞いたところで現状では為す術がないのも確かだ。
いくらタナフォスの強力な攻撃でも大きさの差は超えられない。
それでもタナフォスは諦めない。
戦意を絶やすことなく木刀を構える。
だが、構えた木刀はついに罅が完全に入り粉々に砕け散ってしまった。
それでもタナフォスに驚きはない。
(これだけ酷使し続ければ当然だ)
タナフォスは木刀の柄をその場に落として自身の腰を見る。
残るはソナタに直してもらった真剣のみ。
これを使えば殆どの確率でタナフォスは命を落とすだろう。
先程みたいな奇跡は起きないと考えた方が良い。
さらに、真剣を使ったところで勝てるかも怪しい。
いや、そもそもここで使わないという選択肢はない。
逃げようとしても逃げ切れないだろう。
タナフォスの頭には逃げるという選択は思い浮かべてすらいないが。
そう、使うしかないのだ。
覚悟もヒクロルグが巨木になる前にできている。
だからこそ迷うことなくタナフォスは腰に差した真剣に触れようとした。
しかしそのとき、「待ってください!」と聞き覚えのある女性の声がタナフォスの動きを阻んだ。




