第243話 紫末の綻び
フテイル本陣と前線の間の平原。
タナフォスは目の先で奇妙なポーズを取って立っている男に警戒を絶やさずに木刀を構えている。
その男こそ天騎十聖の一人である“滅国”ヒクロルグだ。
見た目こそデストリーネ王国騎士団の元四番隊隊長だったソルヴェルだ。
タナフォスが昔に出会ったときの印象は強面だが根の優しい男だった。
しかし、その奇妙なポーズが全てをぶち壊しにしてしまっている。
本人は格好いいと思ってやっているのだがタナフォスたちに伝わるはずもない。
そんなはっきり言って変という言葉が似合うヒクロルグだが決して油断をしても良い相手ではない。
現にそんなポーズを取っている最中もヒクロルグに一切の隙はなくタナフォスは攻めあぐねていた。
タナフォスはさっと移動して刀を構えつつも顔色が悪いサロクの下に着地する。
「!? サロク……その傷」
「ご心配なく、まだまだ戦えますぜ。せっかくの決戦、この程度でへばってられやしません」
心配させないように無理に笑みを浮かべてみせるサロクだがタナフォスに対してそれは逆効果だ。
普段のサロクならば両手で刀を握りしめているところ今は右手だけで持って構えている。
肝心の左腕は紫に腫れ上がり見るに堪えない見た目となっており力なくぶら下がっていた。
誰もが一目見ただけでその腕は折れているどころか骨が粉々に砕かれていることが分かるだろう。
これは天騎十聖の一人である“喧嘩屋”クロサイアがすれ違い様に放ってきた攻撃で負った外傷だ。
それもたったの一撃を浴びただけでここまでの重傷となっている。
(サロクがこんな簡単に……)
もちろん、サロクは攻撃を受ける前には魔力で覆って守りに入っていたはずだ。
しかし、それでも防ぎきることはできなかった。
(“喧嘩屋”クロサイア……もちろん天騎十聖は全て警戒していたがそれでも過小評価をしていたのかもしれぬ)
クロサイアはタナフォスたちを横切ってフテイル本陣に向かって行った。
後ろに少しばかり視線だけを向けフレイシアに扮しているフレッドの身を案じる。
(いや、今は目の前の敵に集中すべきだ)
フレイシアが敵の本拠に向かうことに危険だと考え反対したかったが今のタナフォスは安堵していた。
逆にフレイシアが本陣に残っている方が危機的状況だっただろう。
あくまで結果的にだが、フレッドを囮とした策は見事に嵌まった。
これで本陣に待機になっていたフレッドもクロサイアと戦うことにより白夜の天騎十聖の足止めという役目を全うしている。
本陣の強襲は前線で戦う味方の士気に関わるがそれで敗北濃厚と逃げ出す兵などフテイルにはいない。
むしろ、ここで敵将を討ち取れば味方の士気は大いに上昇するだろう。
勝つか負けるか、根本の戦争の本質は変わらない。
ならば、とタナフォスもやるべき事は一つ。
すぐにタナフォスは現状の把握に努める。
幸い、ヒクロルグは薄笑いを浮かべて余裕の表情でポーズを取り続けていて動きはない。
その時間を有意義に使いヒクロルグを倒すための策を考える。
しかし、土壇場で緻密な策など浮かんでも実行できる可能性は極めて低い。
あくまでどう攻めるかなど簡単な行程を考えるだけだ。
(サロクは前に立つことは不可能か)
元々、タナフォスがサポートに回りサロクを基軸に戦うつもりだった。
サロクはフテイルの侍大将で序列一位の武将だ。
攻撃力に関してはタナフォスも文句の付け所はなく頼りにしている。
しかし、サロクの左腕は使い物にならないと状況は変化した。
戦えはするだろうが全力の半分を出せるかどうかだろう。
そのとき、ヒクロルグは口を開く。
先程までころころとポーズを変えていたが今は右手を額に付け見下ろすように顎を上げていた。
左手は腰に置いている。
そのポーズがしっくりきたのか動くことなく固定したままだ。
「ふっ、お前たちは我の手によってすぐにあの世に送ってやろう。さらにお前たちの希望もクロサイアのやつが摘み取るだろう。これは覆ることなく確実となる」
普段、すぐに喧嘩をしているヒクロルグとクロサイアだがお互いに力は認め合っている。
だからこその自信満々の発言だ。
「そして、奴は我よりも強い。身体能力のみならば我が主をも超えるだろう。我らがここに立つ以上、万が一にも貴様らの勝ちはない!」
つまり、クロサイアが敵の首魁であるウェルム・フーズムに匹敵する実力を持つと言うこと。
(……急ぎフレッドの援軍に向かいたいが、難しいだろう)
目の前の男を天兵と比べようとするがその気配だけで比較にもできないことは自明の理だ。
倒して援軍に向かうどころかそんな他の事に気を取られていると命を落とす危険さえある。
「さて、これ以上言葉を飾るのはこの戦場に似つかわしくない」
ヒクロルグはゆっくりと腰に置いていた左手をあげてタナフォスに人差し指を向けた。
タナフォスとサロクはそれぞれ武器を構える。
そこに油断の欠片もない。
「我が敵を貫け。“紫末の綻び”!!」
突き出したヒクロルグの人差し指に魔力が収束し紫の光が周囲を照らす。
そして、紫の光線が放たれた。
光速と同等の速度の光線を目で捉えることは不可能だ。
それでもタナフォスほどの実力者になれば直感で対処することは容易なこと。
光線を弾こうと木刀を動かすがその動きを見てタナフォスは戸惑う。
「……!?」
光線は目の前に来るなり直角に折れ曲がりタナフォスを避けて行ったのだ。
これはタナフォスが何かの技を使ったというわけではない。
だが、そうなるとヒクロルグが外してしまったか故意に外したのかいずれかになる。
そこでタナフォスは気が付いた。
「まさか……サロク!!」
折れ曲がった光線が向かう先、そこにはサロクが立っている。
サロクも光線の軌道を読み切れていなかった。
だが、もう既に回避可能な距離を超えて向かってきている。
サロクは歯を食いしばり右手一本で持った刀に魔力を込めて“気光刀”を発動する。
そして、光線を両断しよう全力で振り下ろした。
だが、光線に刀が触れた瞬間のことだ。
「何だと!? 魔力が……」
サロクが驚きを隠せず声を荒げるのも無理はない。
刀に纏っていた魔力が突然パリンと音を立てて砕け散ってしまったのだ。
そして、魔力が失ったただの刀と光線が衝突した。
「我の前に魔力など無意味!」
「魔力を打ち砕く魔法だと……」
タナフォスも前例のない魔法に戸惑いを隠せなくなっている。
いや、前例はあるにはあるがそれはデルフで、あれは例外なのでタナフォスは数に入れていない。
タナフォスは我に戻りサロクの救援に向かうべく地面を思いきり蹴る。
「ぐっ……」
ギチギチと刀を震わせながらも踏ん張って光線を食い止めるサロク。
ヒクロルグの“紫末の綻び”は魔力を砕くだけでなく貫通力も凄まじい。
ただでさえ気光刀を用いて防げるかどうかの威力なのに魔力が意味を為さないとなると耐えられる時間もそう長くはない。
それも今のサロクは片腕しか使えないのだ。
既にサロクの右腕は限界に近かった。
しかし、限界はサロクではなく先に武器の刀に訪れた。
ピシピシと罅が入りへし折れてしまったのだ。
「サロク!!」
タナフォスは光線が当たる寸前のサロクを突き飛ばした。
そして、代わりに光線を前にしたタナフォスは技を繰り出す。
「“鏡月”!」
木刀は流れるように動く。
そこまで高速に動かしていないはずなのだが通った跡には木刀の残像が残っている。
その動きのまま光線の真下から木刀を衝突させる。
すると特に抵抗する様子もなくすんなりと光線は上空に向かっていった。
「ほう……我の“紫末の綻び”を弾くとは」
“紫末の綻び”は魔力を砕く。
つまり、タナフォスの今の技は魔力を用いていないことになる。
ヒクロルグは自慢の技を弾かれても薄笑いを浮かべたままだ。
「面白い。そうこなくては我が前に立つ資格なし!!」
そのときヒクロルグから前方、フテイル本陣から轟音が立て続けに鳴り響き始めた。
「……始まったか」
冷静に呟くタナフォスだがヒクロルグは唖然とフテイル本陣に目を向けていた。
「ん? どういうことだ? 敵陣には王女しかいないはず。……まさか、クロサイアと互角に戦っているだと!?」
フレイシアがクロサイアと戦うとなると戦いにすらならないだろう。
“再生”の紋章を持っているとしてもそれは死なないだけで戦闘能力は皆無に等しい。
こうして戦闘音が鳴り響いているのはヒクロルグにとって不自然でしかないだろう。
だが、その不自然は戦っている者がフレイシアだからだ。
ヒクロルグにはクロサイアが戦っている相手が白夜の一人であるフレッドだと知る由もない。
その動揺を隙にタナフォスはサロクに声をかける。
「サロク、まだいけるか?」
「もちろんですぜ。奴の常識外れの魔法には驚きはしましたが逆にやる気が出るというもの。燃えるってやつですぜ」
タナフォスはゆっくりと頷く。
もはや、サロクが戦える身体ではないことは一目見れば分かる。
しかし、人を殺すことができないタナフォスはサロクを頼みにするしかなくその虚勢に甘える。
「……あの光線はできるだけ回避に専念しろ。防ぐときは魔力を用いるな。無駄に消費するだけだ」
魔力を砕かれる以上、ヒクロルグの魔法である“紫末の綻び”を防ぐ手段は魔力を使わずに行うしかない。
先程、タナフォスが使った“鏡月”という技は相手の攻撃の勢いを利用して弾いたり跳ね返したりするものだ。
まさにこの光線に打って付けの技だと言える。
(だが、跳ね返すまでには至らなかった。……何という威力だ)
タナフォスは跳ね返すつもりで木刀を振ったが結果は先程の通りだ。
真上に弾き飛ばすことで精一杯だった。
さらにこの光線の脅威が分かる。
それはタナフォスの木刀に表れていた。
鏡月は相手の攻撃の勢いを利用していることから殆ど受け身同然の技だ。
だが、それでも完全に受け流すことはできず木刀の刀身に微かに罅が入っていた。
サロクの鎧もまるで食い千切られたように右腹の部分が欠けている。
幸い、身体には掠ってもいなく無傷に済んでいた。
このことから直撃を受けてしまえば身体にかけた強化の魔法も打ち砕いて生身の身体を簡単に貫かれることが容易に想像できる。
サロクは腰に差していた予備の刀を抜いて立ち上がる。
「サロク、奴の光線は自在に方向を操れると思え。決して躱したからと言って油断をするな」
「御意」
「お前の思うように動け。某は合わせる故」
そして、サロクとタナフォスは同時に走り出した。
無数の紫の光が飛び交い二人の男がその小さな穴を掻い潜り攻撃を仕掛けていく。
それが戦いの中ではかなりの時間、実際には一分も経っていない中に行われていた。
ヒクロルグも二人が同時に攻めてこられると対処が難しい。
目の前のサロクの攻撃を防ごうとするといつの間にか背後に回っているタナフォスの攻撃を受けてしまう。
さらにその攻撃に気を取られてしまうと目の前のサロクの攻撃の対処が疎かになる。
「貴様よりも厄介なのは貴様か!」
ヒクロルグはタナフォスに人差し指を向ける。
「ふっ……それでいい。某はこうやって貴公の意識を向けることにある」
この一瞬の油断をタナフォスは待っていた。
地道な嫌がらせとも言える攻撃をし続けていたのはこのためだ。
全てはサロクの攻撃に繋げるために。
「ハッ!?」
そのタナフォスの声でヒクロルグはサロクの存在を思い出した。
すぐに背後を振り向こうとするが遅い。
「“気光刀・鬼月”!!」
右手に持つ刀に魔力が纏いその出力が数倍に跳ね上がり刀の大きさもそれに合わせて増大する。
サロクは右腕に血管が浮き上がるほどの力を込めて全力で振った。
ヒクロルグが魔法を無効化にできるのは“紫末の綻び”の効力だ。
もちろん、ヒクロルグの身体自体にはそんな効果は宿っていない。
つまり、このまま直撃すればヒクロルグは上半身と下半身に両断される。
「ちっ、止むをえん」
ヒクロルグは片足を一歩進めて地面を踏みつける。
すると、足下から無数の何かが飛び出した。
それはサロクの攻撃を阻むためヒクロルグの前に並びまるで壁のようになっている。
勢いを増した刀はその壁に振り下ろされた。
最初は斬り進んでいたが量が多すぎて刀は途中で勢いを失い止まってしまった。
「……木の根?」
タナフォスはそうポツリと呟くと同時に足下から微かな揺れを感じた。
危険を察知してすぐさま後ろに飛び退くと同時に尖った木の根がと飛び出した。
サロクにも同様に木の根が足下から飛び出し既に後ろに下がっている。
タナフォスは一先ずサロクの隣にへと移動する。
「あれは一体……」
サロクも突然の事態にまるで夢を見ている気分に陥っている。
地面に突然生えた木の根は地面の中に引っ込みやがてサロクのすぐ側に姿を現した。
そして、タナフォスは気付く。
その木の根がヒクロルグの足下から伸びていることに。
「そうか、これが能力か。なるほど、想像以上に化け物染みた力だ」




