第239話 戻りし者
倒れているグローテを見て一息つくウェルム。
「まぁ、まだ未完成だからこの程度か」
ウェルムはグローテの回収にゆっくりと歩いて向かう。
そのとき前線を超えてフテイル本陣ではしきりに爆音が鳴り響いていた。
ウェルムはそれだけでその戦闘の激しさを容易に想像する。
「あの三人は特攻を選んだようだね。クロサイアの案かな。ふふ、クロサイアらしいね。さぁて、デルフの駒はクロサイアたちを止められるかな。恐らく無理だろうけど……」
そこでウェルムの頭の中にクロサイアたちに指揮権を任せている全身鎧を身につけた騎士が浮かんだ。
「彼とファースト、どちらをデルフにぶつけるか迷ったけど……デルフなら洗脳を解かれかねなかったし戦場に送り出して正解だね」
そして、ウェルムは視線を足下に倒れているグローテに戻す。
「よーし、手っ取り早く戦争を終わらせようか。……いや、クロサイアたちの楽しみを奪うのも悪いな。うん、これを地下牢に入れてから発動するとしようか」
ウェルムは暢気に呟きながらグローテに手を伸ばす。
だが、そのときグローテの身体がビクッと僅かに動いた。
気が付くとウェルムはグローテからかなり距離を取っていた。
「? なぜ……」
ウェルムは戸惑う。
もはや、倒れているグローテは脅威になり得ない。
警戒する要素は何一つないはずだ。
だが、身体は思考を差し置いて警戒をしている。
「何が……」
その原因を探るためウェルムは目を離すことなくグローテの動きを注視し続ける。
すると、そのときグローテは蹌踉めきながらも立ち上がった。
だが、やはりその見た目から全く脅威は感じない。
罅が入った仮面には泣き顔が描かれており身体は今までの姿よりも小さく子どもの見た目をしている。
むしろ、色々な姿を見てきた中で一番貧弱に見えるぐらいだ。
戦闘力皆無のその姿にウェルムは戸惑う。
「……僕はこれのどこに警戒を?」
だが、その警戒が正解だというようにグローテに変化が起こった。
突然、脈動を打つように身体が小刻みに跳ね始めたのだ。
すると、急に身体が一回り大きくなった。
具体的に言えば楽のグローテの体格へと変化したのだ。
だが、今までの変化とは違い仮面の表情は変わらずに泣き顔が描かれていた。
さらにそう時間が経たないうちにグローテの身体はさらに増大する。
喜のグローテの体格に変わり服装も布の服から純白の鎧に変わった。
ただ、仮面の表情は相変わらず哀のままだ。
「なんだ……」
ウェルムはその変化に固唾を呑んで見続けることしかできていない。
実際はこの変化の最中に攻撃をすることはいつでも可能だ。
しかし、ウェルムの頭の中はこの先どうなるのかという好奇心の方が勝っている。
そして、さらにグローテに変化が起こった。
「ガアアアアア!!」
急激な身体の増大に耐えきれずパリンと音を立てて純白の鎧が弾け飛んだのだ。
しかし、それで止まらず筋肉が膨れ上がり続けていく。
この傾向ならば次にグローテが見せる姿は怒の状態のはず。
しかし、そうはならなかった。
膨れ上がり続けていた筋肉は急にその動きを止めて縮み始めた。
だが、単に縮んでいるわけではない。
その筋力を高密度に収束させた結果、縮んでいるように見えるだけだ。
そして、完全に変化が止まったときのグローテの姿は平均的な青年の姿になっていた。
喜の状態よりはやや背は小さいぐらいだ。
ただ体付きは喜の状態よりも引き締まっている。
さらにグローテの髪色が白に染まり長さも背中まで伸びていく。
「終わった?」
グローテの動きは止まり顔を俯かせている。
そのとき半裸となった身体を包み込むように布の服が突然出現した。
「ククク、なるほどこれが完成形か」
そして、グローテは顔を上げた。
「アハハ、嬉しいな。フレイシアと同じ色だ。だけど、ちょっと長いね」
そう言ってグローテは手刀を作り目にも止まらぬ速度で振った。
すると、髪がパラパラと舞っていく。
「フフフ。凄いね。見違えるほどの魔力量だ」
目の前のもはや雰囲気も見た目も別人と言えるグローテに対してウェルムはそう呟く。
「これは……天騎十聖にも匹敵するかもね。ちょっと誤算かな」
そのときグローテの泣き顔の仮面に入っていた罅が端に達する。
「!?」
そして、パリンと音を立てて仮面は完全に割れてしまった。
縦で真っ二つに割れてしまった間から露わになったグローテの顔を見たウェルムは苦笑いする。
白っぽい肌に紫の瞳、白の髪は先程切ったためかなり短くなっている。
「アハハ、これぐらいかな」
そのグローテの表情は涙を流しながら笑っていた。
だが、その紫の瞳の奥には殺気が宿っている。
全ての感情がその顔一つに表れていたのだ。
その異様なグローテの顔にウェルムは自分でも気付かず後退りしてしまっていた。
「“戻りし者”。……思ったよりも清々しいな」
そして、グローテは気が付いたようにウェルムに視線を向ける。
「待ってくれてありがとう。アハハ、遊ぼっか。次は僕が鬼だね」
全ての変化を目に焼き付けたウェルムは狂気染みた笑い声をあげる。。
「良い。良いよ! まさか、この戦い中に完全体になるなんてね! 君を解体して調べれば最強の兵が出来上がる!」
「集中しないとすぐ死ぬよ」
グローテはウェルムの笑い声を無視して素早く地面を蹴る。
そして、一瞬でウェルムの前に現われた。
ぐっと拳を握り魔力を集中させ振り上げる。
「素早さは申し分なし。だけどそれはさっき見たよ!」
ウェルムは片足を地面に踏みつけるとそこに魔方陣を浮かび上がらせた。
「“衝撃”」
魔方陣が輝き全方位に向けてその名の通り凄まじい衝撃が駆け巡る。
その衝撃波大岩さえも粉々にして吹き飛ばすほどのものだ。
無防備に直撃すれば人の骨など軽く砕いてしまう。
だが、ウェルムがグローテに視線を向けるとびくともせず拳を振り上げたままの姿が目に入った。
「なっ……」
そして、拳が振り下ろされる。
吹き飛ばしたと思い込んでいたウェルムに回避を行う時間は残されていない。
すぐさま腕を交差させて防御の構えを取る。
ドンッとまるで鉄の塊が豪速で衝突したような衝撃がウェルムの腕に襲いかかった。
拳を放つ速度もありその威力は怒のグローテを軽く越えている。
とてもグローテの細い腕から放たれた一撃だとは思えない。
両腕が痺れて顔を顰めるウェルム。
だが、それだけで済んでいるだけでもウェルムが屈強なことは窺い知れる。
それでも何度もこの凄まじい一撃を受けるわけにはいかない。
ウェルムは距離を取ろうと足を動かして後ろに下がる。
だが、それに合わせてグローテも動きぴったりと付いてくる。
「ぐっ……」
「アハハ、休憩する暇も魔法を使う暇も与えない!」
グローテは両手それぞれに紫血で長剣を作りだして握りしめ振り下ろした。
縦に左右から振り下ろされるグローテの剣。
「僕を……魔法だけと思わないことだね」
ウェルムも右手に持っていた剣を上げて向かってくる二つの剣を受け止める。
そして、巧みに剣を動かして不利な状況から対等な鍔迫り合いにまで持って行く。
さらにウェルムはその状況を保ったまま空いている左手で腰に差したままの二本の剣を軽く触れた。
すると、二本の剣は小刻みに震え始め自ずと鞘から飛び出した。
「“飛繰剣”」
空中に浮かんだ剣は豪速でグローテの左右を通り過ぎる。
その際にグローテの両頬を掠め小さな斬り傷から紫の血が垂れる。
「!! ……いいね。そうこなくっちゃ」
そして、剣は旋回しグローテの背後を貫こうと加速した。
グローテの両腕は血で作った剣を持っておりその動きをウェルムの剣が抑えている。
十中八九、グローテの背中に剣は突き刺さる。
だが、それはその剣が普通の剣だった時の話だ。
「どうしよっかな」
グローテの頭に鍔迫り合いを続けながら剣を背後に伸ばして防ぐ案が思い浮かぶ。
だが、グローテはその案をすぐに捨てる。
理由は簡単で伸ばして防ぐまではいいがその後の動作が遅れてしまうからだ。
そして、グローテは握りしめていた剣から手を離した。
「馬鹿だね。それで攻撃を躱したつもりかい!」
グローテの考えは剣を手放したことでウェルムの虚を突き地面に伏せてやり過ごすことだ。
だが、それは相手が怯むことが前提で成り立つ。
この動作の予測をしていたウェルムは素早く剣の向きを下に変える。
その伏せたグローテを串刺しにしようと剣を突き落とした。
しかし、グローテは地面に伏せるなり片手を軸にして回転し寸前の上から迫る剣を躱してしまった。
「!?」
流石のウェルムもそこまで予想にしていなかった。
グローテはその体勢のまま地面を蹴って地面と平行に後ろに飛んでいく。
「すばしっこいね」
飛繰剣により飛んでいた剣はウェルムの左右に戻った。




