第238話 哀の葛藤
目を開くと周囲が真っ暗の中、四つの光が地面を照らしている。
グローテに見覚えはもちろんある。
強化兵の軍勢との戦い前にグローテが違う自分と入れ替わるために訪れた世界だ。
顔を上げると目の前の光の中に仮面の表情や体躯が自分とは違う三人の男たちが立っていた。
前に訪れた時とは違いその三人は鎖に縛られてはおらず哀のグローテを見詰めている。
「貴方自身が一番分かっているのではないのですか?」
喜の仮面の青年が全てを見透かしたようにグローテに問いかける。
「何を……」
グローテはそう答えるが頭ではその意味を知っている。
「モドルトキガキタノダ」
怒の仮面の大男も重々しく呟く。
「というよりは戻り始めているんだけどね。アハハハ」
満面の笑みの仮面の少年も続いて暢気な声でそう言った。
グローテの言葉を待たずに言葉を発していく男たち。
だが、目の前の男たちは自分自身だ。
本体である哀のグローテも身体の変化について気が付いている。
たとえば喜の自分が天兵に対して怒りを向けたこと。
怒りに支配されているはずの自分が武士たちを気遣う余裕があったこと、
楽の自分もデルフとの戦いを思い出して懐かしがるなんてことは今までなかった。
グローテは確信する。
感情が混ざり合いつつある。
普通に戻ろうとしている。
だが、あと一歩のところでそれを邪魔しているのは他ならない本体である哀のグローテ自身だ。
「今もまだ怖がっているようですね。ですが、今の貴方ならもう大丈夫です」
「モハヤ、オレタチハ、ムヨウダ」
グローテの四つの人格はシュールミットにて悪魔の心臓を移植するという悍ましい実験の際に生まれた物だ。
想像を絶する苦痛によって壊れかけていた精神を守るため、感情ごとにその苦痛を分散することで自我を保っていた。
だが、今となってはその人格が生まれた原因もなくなっている。
「今の君、楽しそうだもん。アハハ」
確かにフレイシアと出会ってからの毎日は昔のことを忘れてしまうぐらいに心地が良かった。
だが、それでも哀のグローテは躊躇ってしまう。
一つに戻ると言うことは前まで耐えることができていなかった苦痛も一つに戻るということ。
そしてもう一つ、今までの自分ではなくなってしまう。
後者の方がグローテが一つに戻ることに躊躇する理由だ。
「粗方、察しますが今更違う自分に戻ったところでフレイシアが見捨てるはずはありませんよ」
さも当然のように答える喜の青年。
そして、それに同調する怒の大男と楽の少年。
「なっ……」
グローテはなぜ分かったんだと唖然とする。
「はぁ……私たちは元は貴方なのです。分からない方が不自然でしょう。……しかし、本体のあなただけのようですね」
「……なにが?」
グローテはその先の言葉を無意識に恐れて息を呑む。
そして、喜の青年は口にする。
「フレイシアを信じていないのは」
「ッ!!」
グローテの目は大きく見開く。
実際は仮面をしているため外からは見えないが確かに驚いていた。
「……フレイシアを信じていない?」
心の奥底に隠れて自分でも理解できていなかった真実を突きつけられてグローテは後退りをしてしまう。
だが、光の中から足が出ようとすると見えない壁にぶつかり押し戻される。
しかし、今のグローテにそんな壁なんて気にはならない。
顔が下を向きブツブツと小言を始めた。
「僕は、皆を守るために……戦って……違う。最初から僕は自分の居場所を守ることしか考えていなかった。良いところを見せてフレイシアから見捨てられないように。でも違う!」
グローテの仮面の下から涙が零れ落ちていく。
「僕は間違っていた。フレイシアは簡単に見捨てるような人じゃない。分かっていた……分かっていたはずなのに。心のどこかで役に立たなければ見捨てられると考えてしまっていた」
グローテはまるで懺悔するようにどんどん言葉を発していく。
「そもそも僕はここまで何もしていない。最後まで隠れ続けていた。他の僕に任せていただけだ。……最後まで恐怖から逃げ続けていた。皆が頑張っているのに僕だけ逃げていた」
グローテはぐっと拳を握る。
「それでどうするのです? このまま死にますか? ずっと隠れ続けていますか? 本体のあなたがそう言うなら反対はしませ……!!」
グローテは喜の青年が話し終わる前に歩き始めた。
だが、光の中から出ようとしたとき見えない壁がその動きを阻む。
「この壁は僕の弱さ。あのときからずっと殻に閉じこもって何も見えない様にしてきた」
グローテは握りしめた拳を振り上げる。
「僕は戦う。戻ることが怖い。今の自分ではなくなってしまう。……もう隠れる理由はたくさんだ」
グローテは振り上げた拳に勢いを付けて全力で放つ。
見えない壁に衝突し罅が入り割れてしまった。
そして、何事もなかった様に足を進め三人の目の前に立つ。
自分の目線を三人の目線に合わせて口を開く。
「……もう一回言わせて」
そこでグローテは大きく深呼吸する。
そのときグローテの泣き顔が描かれている仮面に亀裂が入る。
構わずに息を整え決心したグローテが口を開く。
「改めて……力を貸して」
グローテは右手を大きく伸ばす。
その右手を見て三人は微笑み混じりに手を伸ばして重ねた。
「自分のためにももう出会わないことを祈りますよ」
「サラバダ」
「アハハハ」
四つの光も重なり一気にこの真っ暗の世界を照らし始めた。
あまりにも眩しくて目を開けていられない。
「くっ……」
目の前の三人はいつの間にか消えていたが決していなくなったわけではない。
ようやく一つに戻れたのだ。




