第237話 格の違い
「アハ……ハハハ」
グローテの仮面の下から紫血が溢れるほど流れ落ちる。
だが、グローテの笑い声は尽きない。
「全く、誤算ばかりだよ。天兵たちを出せばすぐに片が付くと考えていたんだけど、まさかたった一人に壊滅してしまうなんてね。こればかりは君を褒めるとしようか」
溜め息交じりに呟くウェルム。
グローテは表面上、笑みを絶やしていないが内面はかなり動揺している。
しかし、その動揺が何なのか、興奮が強く思考が定まらない楽の状態のグローテでは辿り着くことができない。
「まぁ、いいや。天兵がいなくてもこの戦力差なら問題ないね。……手っ取り早く終わらせて僕はデルフとの戦いに集中するとしようか」
そして、ウェルムの足下に巨大な魔方陣が浮かび上がる。
だが、その魔方陣はすぐに消え失せてしまった。
「ふぅ……さてと」
「?」
笑みを浮かべながら首を傾げるグローテ。
だが、考える暇はなく気が付くとウェルムは片腕を上げてグローテに指を突きつけていた。
その指に魔力が収束し一気に熱線が放たれる。
グローテも何度も受けることを容認するはずがない。
躱すため足を動かそうとする。
だが、足が動かなかった。
「!?」
簡単に考えれば先程の熱線の不意打ちによって受けたダメージがグローテの身体の動きを鈍くさせた。
しかし、それは間違いだ。
それだけのダメージでは楽の状態のグローテを止めることができない。
冷静さの欠如の引き換えに普通なら意識がなくなるほどの激痛すらも笑い飛ばして攻撃を行うほど楽のグローテは鈍感だ。
なら、なぜ動けないのか。
そのときグローテは足下の地面に何かが刺さっていることに気が付いた。
「?」
それは長方形の厚紙だ。
そこには何やらグローテには理解ができない文字の羅刹がびっしりと書き込まれている。
「“精神拘束”。精神が安定していないのは楽でいいね」
ウェルムは左の掌を突き出しながら笑みを浮かべている。
そして、再びグローテに向けて右手の人差し指を突きつけた。
魔力が収束していくがグローテは動くことができない。
「アハハ、動かないや」
絶体絶命のこの状況でも笑い続けるグローテ。
そして、ウェルムの人差し指から熱線が放たれた。
だが、その瞬間にグローテの身体に変化が起こる。
急に身体が全体的に大きくなり始め青年の体躯となった。
その身体にはどこから出現したのか純白の鎧が装着されている。
さらに仮面の描かれている表情も満面の笑みから微笑みへと変化した。
防御に秀でている喜のグローテだ。
「意志が強くなった?」
ばちっと突き出していた手が弾かれ蹌踉めくウェルム。
それでも放った熱線は真っ直ぐグローテに向かっている。
グローテは即座に守りの姿勢に入る。
だが……
「がっ……」
グローテの口から苦痛が混じる声が漏れた。
恐る恐るグローテは視線を自身の身体に向ける。
すると、鎧には周囲に焦げた跡を残した小さな丸い穴ができていた。
その穴からは紫の血がどくどくと流れ出る。
熱線は貫通しており鎧の後ろ側の背からも同じ穴ができており同様に血が流れ出ている。
「私の装甲を……こんなに容易く……」
喜のウェルムの自慢の防御力がいとも簡単に貫かれてしまったのだ。
さらにウェルムは熱線を幾度も放ちグローテを穴だらけにしていく。
熱線に貫かれ続けているグローテはまるで踊っているかのようだった。
「はぁはぁ……くっ!」
全ての攻撃を弾いてきたという自信を一瞬で砕かれてしまったグローテの動揺はかなりのものだ。
「はぁはぁ……」
しかし、喜のグローテは他の自分よりも冷静沈着だ。
動揺を一瞬で払拭し現状の理解に頭を回す。
(なぜ、この人が……。いや、……なるほど)
目の前の存在の正体は戦前の会議で把握していたためウェルムだと言うことはすぐに分かった。
それと同時に戦場にウェルムの分身が参戦している可能性をデルフが口にしていたことを思い出す。
(……それならば納得です。しかし、分身は本体の力を全て模しているとか。……それでも、確実に本体よりはどこかは劣っているはず。私にも勝ち目はある)
そもそも勝機にかかわらずここでグローテが逃げる選択肢はない。
ここで分身とはいえウェルムを自由にさせてしまえば戦線は一気に瓦解するだろう。
天兵の軍勢よりもこの分身一人の方がよっぽど脅威だ。
「ん?」
そのときウェルムはグローテを見詰めて何かに気が付いた様子を見せる。
「その血の色……そして、左胸に巨大な魔力。まさか君、天兵かい?」
「ふふ、私をそのぼんくらたちと同じにしては欲しくありませんね」
「……確かに、天兵とは少し違うようだ。一つの型に縛られていない」
「敵が前にいるというのに……油断しすぎではないですか!!」
グローテは腕を全力で振ることで垂れていた紫血をウェルムに放つ。
放たれた血は棘の形に変わっていきウェルムに向かっていく。
だが、ウェルムは思考に耽っており避ける動作や防ぐ動作を一切見せない。
そして、呆気なく直撃してしまった。
「!? ふふ、そうですか。私の攻撃など眼中にないのですね。ですが、その油断が命取りですよ。さあ、弾け飛んでください!!」
だが、ウェルムは何も変わらずに考え込んでおりようやく顔を上げたと思ったら笑みを浮かべていた。
「なるほど、試してみるか」
「なっ……なぜ」
ウェルムはそんなことを構わずに片腕を再び伸ばして魔方陣がその掌に浮かび上がった。
だが、グローテの身体には何の異変もない。
そんな結果を目の当たりにしたウェルムだがその瞳は嬉しそうに輝いている。
「僕が作った天兵なら支配が効いているはず。ということは別の誰かがこれを作ったのか。……ふふ、全ての型を一つにした本当の成功作を。先を越されたのは少し複雑だけど、ここは受け入れることにしよう。……ん?」
ウェルムはようやくグローテが驚きで固まっていることに気が付く。
そして、自分の身体にある小さな傷にも気が付いた。
「ああ、いつの間に……この身体だと痛みを感じないからちょっとした攻撃だと分からないんだ。良いこともあるけど痛みは自分の身体からの危険信号だから気付かないのはちょっと不味いんだと思うのだけどね。ちょっと話しすぎたね。……それでこれがどうしたの? まさか攻撃だった?」
全く異変のないウェルムの様子についにグローテは声を荒げる。
「な、なぜ私の猛毒が効かないのですか!!」
混乱しているグローテに対して余裕な表情を一切変えないウェルム。
「ああ、そんなことか。まぁ、いくら成功作って言ってもね。さらに上である天人には敵わないよ。これはもう決まっていること、どう頑張っても変わらない」
ウェルムの傷口から滲み出た黒血がローブを濡らしていく。
黒血を見たグローテはデルフとの戦いを思い出す。
「くっ……そうでしたか。失念していました。あなたはあの方と同格。やはり……がっ!!」
ウェルムが一瞬にして距離を詰めてグローテの腹部に拳を突き出した。
拳が鎧に触れた箇所が粉々に砕け散りそのまま腹部に直撃する。
「僕が魔法だけと思ったら大間違いだよ。天人は全てにおいて人間を凌駕する。たとえ体術に秀でていなくても鎧を素手で破壊するぐらいはできるよ」
(……だとしても私の鎧は他とは違う。それをこんなに容易く……私ではこの男の攻撃は防げない!)
グローテは苦し紛れに血で剣を作り出しウェルムに振る。
ウェルムは容易く躱して振った後、無防備になっているグローテに拳の連打を浴びせる。
「がっ……」
その拳の一つがグローテの顎に完全に入ってしまった。
首が傾き意識が飛んでしまう。
しかし、同時にグローテの姿が再び変わり始めた。
身体の増大に耐えきれなくなった鎧は弾け飛びウェルムを見下ろすほどの大男になった。
仮面には怒りの表情が描かれている。
「ウオオオオオオオオ!!」
「これは強化型? 一気に全部の型は発揮できない?」
筋骨隆々とした腕を大きく振り上げてウェルムに放つ。
ウェルムは腰に差していた剣を引き抜きグローテの拳に突きつける。
すると剣の先から小さな魔方陣が浮かび上がった。
「直撃すれば僕でもただでは済まない。だけど遅いね。……“反射”」
その魔方陣にグローテの拳が触れた瞬間、その勢いのまま拳の方向が反転した。
全力で放っているため自分に返ってきた拳を途中で止めることはできず自身の仮面に直撃してしまった。
首が後ろに仰け反りパリッと仮面に罅が入る。
「どうやら完璧な成功作とは言い難いね。まぁそれは生け捕りにしてから後々に考えるとしようか」
その間、グローテは楽の状態になり目にも止まらぬ速度でウェルムの回りを笑い声を上げながら走っていた。
「アハハハ」
隣を横切るときローブごとウェルムの身体を爪で切り刻んでいく。
だが、ウェルムは何一つ顔色を変えていない。
「速いとはいえそんな攻撃、掠り傷だよ。何も怖くない」
ウェルムは足を地面に叩きつけそこに魔方陣を浮かび上がらせる。
すると、その魔方陣が輝くとウェルムを中心として全方位に衝撃が放たれた。
速度だけで踏ん張りをする力もない楽のグローテは簡単に吹き飛ばされる。
「がっ! ……アハハハハハ」
一瞬、視界が真っ白になるほどの勢いでグローテは地面に身体を叩きつけられた。
「アハハハ!!」
起き上がろうと力を入れるが思うように身体が動かない。
ただ、笑い声を上げることしかできていなかった。
強化兵の軍勢からウェルムへと休む暇もなく戦い続けていたグローテの体力に余裕は残されていない。
ウェルムから受けたダメージも大きい。
一見すると、姿が変わるごとに傷が治っているように見えるが着実にダメージは蓄積されている。
そして、一番の問題はグローテの攻撃が何一つウェルムに通用していないことだ。
これでもウェルムはグローテを生け捕りにするため殺さないよう手加減をしている。
そして、笑い続けていたグローテの声もついに途切れた。
身体も変化し楽の状態よりもさらに縮み仮面も泣いている表情が描かれている。
戦闘力が皆無の哀のグローテに戻ったのだ。
(……フレイシア、ごめん。僕はここまでのようだ)
だが、その諦めに叱咤するのは紛れもない自分自身だ。
『本当にそれで良いのですか』
(?)
そのとき、グローテの意識は自分の心の奥底に誘われた。




