第235話 喜怒哀楽(1)
グローテが感情によって変化する現象を“喜怒哀楽”と呼ぶ。
そして、現在はその怒の状態になっているグローテ。
「ウオオオオオオ!!」
大穴の中で雄叫びをあげ大きく地面を蹴って飛び出した。
グローテの快進撃の後、この場に残っている天兵の数はおよそ三十。
強化型、変化型、放出型の三種がそれぞれ均等に十人ずつだ。
ちなみに強化兵で立っている者はもはやいなかった。
木っ端微塵に吹き飛んだ者と倒れて虫の息の者しかいない。
多くはグローテの“劫火の鉄槌”の巻き添えとなっておりたとえ虫の息でも命があるだけで奇跡に近いだろう。
大穴から飛び出したグローテは辺りを一瞥する。
すると、天兵たちは自分たちの同胞が瞬殺されたことに驚き固まっている姿が目に入った。
強化兵がグローテに歯が立たないことにも驚いていたがまさか天兵までもが瞬殺されるとは予測できていなかったのだろう。
グローテはどしどしと無防備に歩き始める。
そして、怯んでいる強化型の天兵の頭を素早く掴んだ。
全力で握りしめた拳は天兵の頭をあっさりと握り潰す。
そして、同じく固まって立っている遠方の放出型に向けて豪速に放り投げた。
強化型の骸が一人の放出型に激突しその上半身が軽く吹っ飛んだ。
「コロス、コロス、ウオオオオオ!!」
「ぐっ……怯むな!! 撃て!!」
背中に翼を生やし飛んでいるリーダー格の天兵が叫ぶ。
それに合わせて変化型による光線がグローテに放たれた。
無数の光線が迫りグローテの視界が真っ白に染まる。
逃げ場など一つもない。
そして、グローテの太い足や腕を光線が貫いた。
「グッ!」
光線は続々と放たれグローテの身体を貫いていく。
グローテが反射的に後退りをしている内に先程自分で作った大穴にまで戻ってきてしまった。
そのときグローテの仮面に光線が直撃する。
首が仰け反り一瞬だったが意識を奪われた。
だが、すぐに顔を正面に向ける。
一瞬とはいえ意識を奪われたことに怒り心頭のグローテの身体に不気味な雰囲気が包み込む。
仮面に描かれた可愛らしい怒り顔も見る人によってはまるで般若の仮面に見えてしまうだろう。
そのとき貫かれはしなかったがピシッと仮面に亀裂が入った。
怒りが頂点に達したが力を思うように発揮できずグローテの快進撃はすっかり止まってしまった。
近距離ならば思ったように力を発揮できるが遠距離からの攻撃では光線で足止めされてしまう。
「……ググググ」
思うように動けずグローテは唸り声を上げている。
身体が貫かれた痛みよりも不機嫌の方が大きい。
怒の状態は一度動き出したら手が付けられない暴れ馬だが一度止まってしまうと再び動き出すまでに時間がかかる。
要するに打たれ弱いのだ。
その様子を見て天兵たちに少しばかり余裕が生まれる。
彼らからすれば巨体のグローテは狙い撃ちの格好の的だ。
躱そうにもグローテの速度では間に合わない。
既にグローテの身体からは紫の血で染まってしまいこれ以上流してしまうと出血死の恐れもあった。
いや、そもそもこれで死んでいない方がおかしいぐらいだ。
そのとき天兵はグローテの血の色に気が付く。
「紫……まさか、俺たちと同じ!? いや、だとしても天兵にすらなれない出来損ない。俺たちが負けるはずなどない! 全力で撃て!!」
リーダー格の天兵の叫びで放出型の天兵たちは頷いて動き出す。
放出型の天兵の全ての触手をその前方に一つに集める。
全ての触手が重なり合いそこに魔力が収束し巨大な球体が出来上がった。
「ハッハッハ!! 良いぞ!! 撃て!!」
そして、その球体から全てを消し去る光線が放たれる。
名付けるとすれば“多重光線”。
地面を削り周囲に散らばる強化兵の肉塊を消し去りグローテの存在自体も消し去ろうと迫り来る。
いくら、グローテでも直撃すれば消滅してしまうだろう。
だが、その光線の太さはグローテの周囲を軽く越えている。
避けようにも今からだと間違いなく間に合わない。
「グッ……カワレ」
そのとき、グローテの身体の奥からパリンと鎖が壊れる金属音が響く。
それと同時にグローテは光線に飲み込まれてしまった。
光線はすぐには止まずしばらくの間放たれ続ける。
そこには万が一をなくす、天兵の油断のなさが見られた。
そして数秒後、光線は徐々に消えていき代わりに砂埃が光線の跡を覆う。
天兵たちは勝ちを確信した。
まともに直撃して生き残れるはずがない。
そう考えていた。
確かにグローテに多重光線を躱す以外に生き残れる道はなかった。
ただ、それはグローテが怒の状態だった場合だ。
身体の力の全てを攻撃に回している怒では直撃すれば間違いなく消滅している。
そして、戦場に大きな風が通り過ぎ砂埃を吹き飛ばした。
「なっ……」
天兵たちは驚きに染まる。
砂埃が吹き飛ばされ何も残らないはずだった場所に一人の純白の鎧を身につけた騎士が立っていたからだ。
天兵は生きていることにも驚いていたがそれ以上にグローテのその姿に驚いていた。
「……誰だ?」
天兵が別人だと戸惑うのも無理はない。
成人男性の平均的な体躯だが筋骨隆々とした大男の身体と比較するとかなり痩せて縮んでしまっている。
そして、ひび割れた仮面に描かれた絵も微笑みを浮かべているものに変わっていた。
唯一の類似点は仮面を付けていることだがそれ以外の変化が多すぎた。
これで気付かないことを責めるのは酷だろう。
「失礼、自己紹介が遅れましたね。私はグローテと申す者です。短い間ですがお見知りおきを」
優雅に一礼する喜の仮面のグローテ。
そして、グローテは自身の身体に視線を向ける。
「かなり痛めつけてくれましたね。まぁしかし彼の防御力では仕方ないでしょう」
そう呟くと鎧の間から流れ出ていた紫の血が逆流しグローテの身体に戻っていく。
さらに少量の血は傷口に止まり固まって止血まで済ませてしまった。
無傷に戻ったとまではいかないが現状でできる完璧な処置だ。
だが、天兵たちの思考はそこまで追いついていない。
まだ、目の前の敵の正体に理解ができないところで止まっていた。
「いつの間に入れ替わった!?」
「? なに簡単なことを。見ての通り先程の眩しい光が私を包んでいるときですよ」
「そんなことを言っているんじゃない! あの大男はどこに行ったと聞いているんだ!! 庇っても良いことはないぞ」
「? 私とあなたたちで何かがずれているようですね」
グローテはその言葉の意味が分からず心の底から首を傾げてしまう。
その所作が天兵の怒りにさらに火を付ける。
「もういい!! どのみちお前は死ぬ運命だ!! お前たち! 撃て!」
その言葉に再び身体の至る所から伸びた触手に魔力を収束させる放出型の天兵たち。
だが、先程と結果が違った。
「は?」
天兵の素っ頓狂な声が光線が連続して放たれる音を掻き分けて響く。
その目の先にグローテが直撃しているのにもかかわらず立っていたからだ。
逆に弾き消されているのは光線の方だった。
グローテの鎧に触れた瞬間、何もなかったかのように光線が弾けている。
そんな中、グローテはただ首を捻っていた。
そして、ようやく閃いた。
「あっ、そういうことですか。あれは私ですよ?」
だが、その声は天兵たちに届いていない。
空から見下ろす天兵はしきりに撃ちまくれと放出型の天兵たちに命令を出している。
しかし、最大出力の多重光線にも何事もないように無傷で耐えたグローテの身体にそれよりも威力のない光線が通じるはずがない。
「無視ですか……」
「なぜだ……!! もっと放て!!」
無数の光線をその身に受けて微動だにしないグローテに天兵は動揺を隠せていない。
「……どうなっているんだ」




