第233話 悲しき運命
真っ白に染まっていた視界は徐々に色味を帯び気が付くとファーストと戦っていた正方形の空間に移り変わっていた。
「!? 俺は……ぐっ」
急に頭の奥深くに響く鈍痛が襲いかかってきた。
いや、急ではなくそれが自然。
今まで忘れていたファーストによる頭突きの鈍痛を身体が思い出しただけだ。
『デルフ! 寝過ぎじゃ!』
(リラ! 良かった。急にいなくなって心配したんだぞ)
『はぁ? それはこっちのセリフじゃ!!』
リラルスの言葉の勢いがあまりにも凄まじすぎてたじろいでしまうデルフ。
『突きを外したのは気持ちが分からなくもないから何も言わんが、反撃をくらいおって。そしたら急にお前がいなくなって、慌てて身体を動かし距離を取って……とにかく心配していたんじゃぞ! なのに、開口一番に「心配したんだぞ」じゃと?』
しかし、どうやらデルフが自身の身体から離れていたのはほんの僅かな間だったらしい。
デルフとしては数日はあの暗闇を彷徨っていた感覚だった。
(……それは悪かったな)
『はぁ……お前に振り回されるのは今に始まったことではない。それで何があった?』
デルフはリラルスの質問に答える前に視線を前方に移す。
『お前に頭突きを食らわしてからずっとこの状態じゃ。ピクリともせん』
ファーストは立ったまま項垂れていた。
手も力なく垂れており一切の動きがない。
(そうか。……リラ)
『何じゃ?』
(信じられないかもしれないがカリーナと会ってきた)
『……それは中々、興味深い話じゃのう』
(多分、もう大丈夫だ)
『? どう言う意味じゃ?』
そのとき、ファーストの手がピクリと動く。
それをデルフは見逃さなかった。
しかし、デルフはそれを見てもリラルスと話を止めない。
(俺はカリーナの心の中に行ってきた。いや、誘われたとうべきか。そこでウェルムの支配を打ち壊してきたんだ)
現にファーストの心臓部には先程までは鮮明に見えていた蛇のような魔力が消えていた。
『まさか、そんなことが』
(だから、目を覚ませばカリーナに戻っているはずだ)
だが、デルフの予想と反してファーストの右拳には虹色の輝きが宿った。
ファーストの必殺技である“羅刹天”だ。
その魔力が収束させたことで発生した引力はデルフの身体をも引き寄せていく。
魔力を使い果たしたとは到底思えないほどの魔力量だった。
『どこにこんな魔力を……。デルフ! どうなっておる』
だが、リラルスよりも驚いているデルフにはその声は届いていない。
「な、なんでだ。確かに壊したはずだ!」
右拳だけでなくさらに左拳にも虹色の輝きが宿る。
そして、ファーストは顔を上げた。
相変わらず視線がどこに向いているか分からない虚ろな瞳だ。
「ッッ!」
デルフはその瞳を見て支配が壊せていなかったと悟った。
そうデルフが絶望に打ちひしがれている間にファーストは地面を蹴る。
左の拳に力を込めて振りかぶりデルフの顔に目掛けて振り下ろした。
デルフの意識は躱す、防ぐといった考えが追いつかないほど頭の中は混濁している。
それでも長年の戦闘経験によって身体が勝手に動き右の義手の掌を向かってくる拳に向けた。
(!!)
我に戻ったデルフの脳裏に義手が砕け散って拳が顔に直撃する未来が見えた。
しかし、そんな未来は現実にはならなかった。
「え?」
デルフは素っ頓狂な声をあげた。
視線は自身の義手に向いている。
そこにはデルフの予想に反して吸い込まれるように義手に収まったファーストの拳があった。
遅れて義手にファーストの拳が衝突した際の衝撃が駆け抜けていく。
ピシッと音がして無数の罅が入る義手。
もはや形を保っていることが不自然なほど罅だらけになっている。
ファーストの拳を握りしめ押して押されるという攻防を繰り広げる両者だがデルフの頭は疑問で埋まっていた。
(威力が少ない? 魔力が残っていないのか?)
先程まではファーストの“羅刹天”の前には義手は一瞬で砕け散って壁にすらならない有様だったはず。
しかし、今は寸前だが形を保っている。
『デルフ! 余所見をするな!』
その声に我を取り戻しデルフはばっと再びファーストに視線を向ける。
だが、そのときにはファーストが右拳を振り上げている瞬間だった。
虹色の輝きは左拳のときよりも激しい。
「本命はこっちというわけか!」
「ふふっ」
デルフが急いで対処しようとするがそれを笑う声が聞こえてきた。
「?」
この場にはデルフとファーストの他に誰もいない。
リラルスも今は魔力の制御に徹しており言葉を発していない。
そうなるとこの声の正体は一つしかなかった。
(まさか!?)
デルフはファーストの拳から顔に視線を向ける。
すると、そこには笑みを浮かべたカリーナの顔があった。
虚ろな瞳には色が戻っている。
しかし、それは片目だけでもう片方にはウェルムの支配が残っているのかまだ虚ろなままだ。
だが、それでもカリーナに戻っていることには変わりはない。
「悪い。遅くなった」
顔の半分だけ笑顔を作るカリーナ。
「カリーナ……戻ったんだな」
デルフの目頭が熱くなる。
そして、カリーナは微笑みを浮かべたままポツリと呟く。
「本当に強くなったな。デルフ」
そう呟いた後、カリーナは信じられない行動に出た。
振り上げていた右拳を手刀に変え自身の左胸に勢いよく振り下ろし貫いたのだ。
「え……」
カリーナとの再会に涙を零していたデルフは言葉を失う。
笑みを浮かべて崩れ落ちるカリーナをただ呆然と眺めることしかできていない。
それも眺めてはいるが実際に何が起きたか理解できるまで時間がかかった。
倒れたカリーナから流れ出た黒血がかなりの速度で地面を埋め尽くしていく。
「何をしているんだ!!」
ようやく何が起きたか理解したデルフは黒血に構わず地面に膝を突きカリーナを抱きかかえる。
「ハハ……」
色褪せていた片目の色も戻り完全にウェルムの支配から抜け出したカリーナが力なく微笑みを浮かべる。
「なんで、なんでこんなことを!!」
「言った……だろ。自分のけりは自分で付けるって。お前には……もう、迷惑をかけたくない。ゴホッ! ゲホッ!」
カリーナの口から黒血が飛び出す。
「支配なら壊したはずだ!」
『やはりそうか』
その答えにはリラルスが辿り着いたようだ。
『外から支配の魔法を壊せばそれは表面上が壊れる、中から壊せば全体が壊れる。それは間違いない』
(なら!)
『聞け! それでも心臓が魔法の発生源という事実は変わっていない! いくら壊しても心臓がある限り魔法は蘇る。全体を壊したとしても今のように自我が少し戻るのが限界じゃろう!』
(!! ……そんな。……そうだ! 陛下なら! 陛下なら治せるはずだ)
もしかするとフレイシアの治癒魔法ならば新たな心臓を作り出せるのではないかと期待を抱くデルフ。
だが、フレイシアがそんな神にも等しい魔法を使えたとしてもそもそもそこまでカリーナは持たないだろう。
それはデルフも既に気が付いている。
だが、微かな希望にも縋らないと平静を保つことができない。
『デルフ、最後に言葉を聞いてやれ』
そのときカリーナが悲痛に塗れたデルフの顔を見て黒血に染まった右手を上げてデルフの頬を撫でた。
「……カリーナ」
「そんな……顔をするな。あのとき……私は、死んでいた。それが……少し、伸びた、だけだ」
「でも、僕は!」
「ハハ、その顔。大人に、なったと、思ったら……やっぱりデルフはデルフだな。全く変わらない。……私は嬉しいぞ。また、こうしてお前と話せて……」
またもカリーナの口から濁流のような血がこぼれ落ちる。
既にいつ意識が途絶えてもおかしくない出血量だ。
そもそも、こうして喋れていること自体が普通ではない。
これが天人の身体能力によるものなのかは定かではないが今はそんなことデルフは気になっていない。
そのとき、デルフの頬を撫でていたカリーナの拳が光った。
「!」
その光は拳からデルフの身体の中に入っていき消え失せた。
「……餞別だ。今まで私を守ってくれたものだ。……必ずお前の力になってくれる」
デルフは漏れ出る感情をぐっと抑えて口を開く。
「……それは心強いな」
デルフは精一杯笑顔を作るが流れ出る涙までは隠すことができていない。
カリーナは瞼が落ちながら最後に大きく息を吸い込んだ。
「デルフ! 死ぬなとは言わない! だが、諦めて死ぬことは許さないぞ! やりきってこい!」
デルフの頬に乗せていた右手をぎゅっと握りしめてデルフの胸をこんっと叩く。
「大好きだぞ! デルフ!」
ニカッと最後に精一杯の満面の笑みを浮かべるカリーナ。
そして、カリーナの伸びていた腕は力をなくして落ち、次第に瞼も完全に閉じて首が傾いた。
「……頑張ったな」
デルフは力が抜けたカリーナを抱きかかえたまま立ち上がり端の床に寝かせる。
そのとき、デルフの瞳から涙はもう出ていなかった。
リラルスはデルフの心情を汲み取り一言も喋ってきていない。
そのことにデルフは深く感謝をする。
それによって気持ちを整理することができたからだ。
デルフはカリーナの口元から吹き出ていた黒血の跡を拭き取り微笑みを向ける。
「行ってくるよ。カリーナ。少しだけ待っていてくれ」
デルフは立ち上がりカリーナに背を向ける。
「俺もすぐにやることやってそっちに行くから」
そして、デルフが言葉を出さずともルーが手元に移動して小刀に姿を変えた。
デルフはそれを握りしめて地面を蹴る。
凄まじい勢いでこの空間の奥にあった鉄扉を灰に変えて最奥の部屋に踏み入れる。
地面を蹴ったときの勢いは衰えないまま突き進み目の先で座って瞑想しているウェルムを捉えた。
「ウェルム!!」
既にデルフの侵入には気が付いているはずだが悠長にウェルムはゆっくりと目を開いた。
そして、側に置いていた三本の剣を掴み立ち上がる。
腰に剣を差し一本の剣を抜く。
「やっと来たようだね! 待ちわびたよ!」
「俺はお前を絶対に許さないぞ!!」
「それは……今更だね!」
両者の剣は大地を揺るがす程の勢いで激突した。




