第217話 待ち伏せ
東方面ではタナフォスは天兵と戦い、西方面では人知れずドリューガが一番隊とグーエイムの侵攻を阻んでいる。
しかし、デルフたちにそのことを知る由もなくひたすらデストリーネ本国を目指していた。
既に出発点の林を抜け岩場を走っておりこのまま何事もなければ昼頃には王城に辿り着くだろう。
身体を冷やす乾いた夜風がひゅーっと通り過ぎる音が聞こえるほどここは物静かだ。
ただ、何もいないわけではない。
岩の影にはデストリーネとは関係がない野生の魔物が潜んでいる。
しかし、魔物は走っているデルフたちを岩陰から除いているだけで動こうとしていない。
その理由はデルフの懐から顔を出しているリスの姿のルーにある。
ルーから魔物であろうと物怖じさせるほどの殺気が放たれているからだ。
デルフはチラリと後ろに視線を向ける。
ウラノとナーシャは大丈夫だろうがフレイシアがこの速度に付いて来られているか確かめるためだ。
「陛下、大丈夫ですか?」
フレイシアはその問いかけに頷いてみせる。
「デルフがいない間、アリルに鍛えて貰いましたからこれぐらいでは音を上げてはいられません。大丈夫です。私に構わず走り続けてください」
フレイシアの状態を確かめ十分だと判断したデルフは頷く。
「了解です」
しばらくデルフたちは道なりに走っていた。
だが、岩場もあと少しというところで前方から不気味な気配が漂ってきた。
デルフはその場で立ち止まり後ろのフレイシアたちに手を向け制止させる。
「どうしましたか?」
「敵です」
デルフは簡潔に答えだけを告げる。
「ウラノ」
「ハッ!」
ウラノがデルフの下に近づいたのを見計らい小声で指図をする。
「陛下を連れて後ろで身を隠してくれ」
「承知しました!」
ウラノはすぐさまデルフが言った通りフレイシアを連れて後ろに下がろうとする。
フレイシアも何も言い返すことなくその指示に従った。
二人は十分に距離を取り後方にある岩の陰に隠れた。
その二人の気配はデルフでもようやく察知できるほど無に近い。
意識しなければまず見つかることはないだろう。
(この気配……まだ陛下が共に向かっていることは知られてはならない)
そして、前方の岩から派手なローブに身を包んだ男が姿を見せた。
「やっぱりこの道を通ってくると思っていたよ」
「ウェルム。……まさかお前が出迎えてくるなんてな。まぁ分身だろうが」
「ご名答」
不敵な笑みを浮かべるウェルム。
「デルフ、本当にあれがウェルムなの? 見た感じは前と同じだけど雰囲気が全然違うじゃない」
ナーシャはハルザードの弟子、魔術団長としてのウェルムしか知らない。
その反応は当然のことだ。
「あれがあいつの本性だ。昔のあいつだと思ったら一瞬でやられると思った方が良い」
「どうやら……そのようね」
ナーシャはウェルムの姿を見たのは何年も昔のことだ。
だから、ウェルムがこの騒乱の首謀者だということもにわかに信じがたかっただろう。
だが、その考えはこの一瞬で変わった。
「ん? ナーシャさんまで一緒だとは。まさかジョーカー、君がナーシャを決戦の場に連れてくるなんてね」
ナーシャはむっと顔を顰める。
デルフはその言葉を無視して尋ねる。
「それで……この場を決戦場とするのか?」
「ああ、勘違いしないで。僕はただ挨拶しに来ただけさ。君の読み通り本体は城の中さ。だけど、ただ挨拶だけというのも失礼と思ってね」
そう言ってウェルムは指を鳴らす。
すると、ウェルムの背後から続々と全身鎧の騎士たちが姿を現した。
その数はおよそ十。
「こいつらが君の相手をするよ」
「……強化兵か」
デルフはその騎士の内に宿る魔力からそう判断したがウェルムは顔を顰める。
「そんな出来損ないと間違えないで欲しいな。天兵。強化兵の完成形さ。君といえど苦戦すると思うよ」
そのとき、天兵の一人が剣を抜いて地面を蹴った。
デルフ目掛けて剣を突き刺そうとさらに加速する。
迎え撃とうとデルフは短剣を作り出し振ろうとするが動きを止める。
ナーシャがデルフの前に立ったのだ。
「姉さん?」
デルフの前に立ったナーシャは既に愛刀を抜いて構えている。
大きく息を吐いて天兵が間合いに入った瞬間、目にも止まらぬ無数の剣線が放たれた。
天兵の兜や鎧にへこみが出来るほどの威力だがダメージを与えるまではいかず全てを弾かれてしまう。
そして、天兵の剣と刀が交差する。
天兵はナーシャが相手になったためかその太刀筋から油断が感じられた。
それがこの天兵の最初で最後の失敗だ。
しばらく力の押し合いになっていたがすぐに決着がついた。
「“神速・十連”」
そのとき、さきほど刀が触れた鎧と兜の箇所それぞれから十回の斬撃が繰り返される。
「なに!? ぐっ……がぁぁぁ!!」
バキッと五連撃目で鎧と兜はねじ曲がりさらにもう五連撃が残っている。
既に鎧はねじ切れてしまいついに生身に斬撃が届き残った斬撃が襲いかかる。
刻まれ続けた結果、僅か数秒でその天兵は紫の液体と塵となってしまった。
「で、ウェルム。どこの誰が足手まといなのかしら?」
刀を肩に乗せて見下してそう述べる。
「……能なしが。女だから油断するなんて。しかし、まさかリュース・ギュウライオンの神速を受け継いでいるとは。クク、足手まといは撤回するよ」
そして、ウェルムは天兵たちに目を向ける。
「君たち分かっているね。本気で行くんだ」
ウェルムの冷ややかな声が残った九名の天兵たちを身震いさせる。
それからの天兵たちの動きは迅速だった。
全員の魔力は急激に増幅し始めた。
その勢いに耐えきれなくなった鎧や兜はいとも簡単に弾け飛んでしまう。
強化型はデルフたちが知っている脂肪が膨れ上がった状態ではなく洗練された筋肉となっている。
放出型においても触手の量が強化兵のときと比べものにならない。
変化型は両手を剣に模して刀身としており鋭利な魔力を纏わせている。
それだけでなく背には翼が生え宙に飛んだ。
「なんか見たことあるわね。だけど、強化兵よりも整った感じ、完成形というのは本当のようね」
ナーシャは先程よりも警戒して刀を構えるが今度はデルフが前に出ようとする。
「姉さん。今度は俺に任せてくれ。少し肩慣らしをしたい」
「そうね。それじゃ任せるわ。久しぶりにあなたの戦いぶりを見させてもらおうかしら」
ナーシャは軽く頷き道を譲る。
(リラルス、久しぶりにやるぞ。……身体の調子はどうなっている?)
『ふん、絶好調じゃ。せっかく安定してきたというのに』
(このときのために抑えていたんだ。ウェルムの前の肩慣らしだ)
『お前は好きにやるといい。制御は任せよ』
デルフは身体にぐっと力を入れて久しぶりに“黒の誘い”を発動した。
黒の瘴気がデルフの両拳に集中させすぐさま地面を蹴る。
それに合わせて天兵たちも全員でデルフを迎え撃つ。
デルフはまず、正面にいる強化型の天兵に対して大きく振りかぶった正拳を放った。
「“黒点・羅刹一打”」
超高速の正拳は強化型が反応する隙もなく鳩尾に突き刺さる。
だが、強化型は怯む様子がないどころかさらに筋肉を増幅させてデルフの拳を引きずり込もうとする。
そして、拳を握りデルフを地面に叩きつけようとする。
しかし、そもそもその時点で勝負は付いている。
「!? な、なんだ……」
そのとき強化型の身体はデルフの拳が突き刺さった箇所から黒に浸食されていき最後の言葉を言い終わらないうちに塵となってしまった。
その強化型の最後を見た天兵たちは目を疑うが彼らに逃げるという選択肢はない。
逃げたところでウェルムに始末されているのは目に見えているからだ。
天兵たちはウェルムの恐ろしさは身を持って体感している。
まだ、デルフのほうが天兵たちの感じている恐怖はまだ少ない。
それでも突撃を躊躇させるほどの恐怖心はある。
天兵たちは恐怖心を何とか抑えて次々とデルフに襲いかかった。
変化型は空高くから急降下して肉の刀身にへと変化させた自身の右手をデルフに突き出す。
だが、デルフはそれを軽く躱しガラ空きとなった脇腹に掌を乗せる。
「“黒点・羅刹掌波”」
掌から黒の魔力が天兵の身体を突き抜ける。
すると、その天兵は何も分からず一瞬にして灰となってしまった。
放出型は変化型を倒した今が隙だと考えて無数の触手から光線を放ってくる。
だが、デルフにとってその光線の速度は遅く避けることに集中しなくても避けきれてしまう。
「ルー」
デルフが呼ぶとルーが懐から飛び出して黒の煙と共に短剣に変貌した。
ルーを握ったデルフはすぐさま無造作に離れている放出型に向けて放った。
放出型は何も反応せず短剣をその身に受ける。
短剣ごとき何の傷にもならないと判断したのだろうがそれは大きな間違いだ。
ルーには“黒の誘い”を纏わせている。
その意味の想像は難しくない。
短剣を受けた放出型は徐々に黒に染まっていき灰と散ってしまった。
すぐ横で同胞が消えてしまったことにもう一人の放出型の天兵はほんの僅かの間だがデルフから目を離してしまった。
「どこを見ている?」
その声で視線を元に戻したときにはデルフの足が目の前に広がっていた。
そして、その蹴りは天兵の頭を吹き飛ばしてしまう。
力なくその場に倒れる天兵。
その後、天兵たちはデルフに為す術なく全滅してしまった。
とことことリスの姿に戻ったルーがデルフに駆け寄り懐の中という定位置に戻る。
その結果に一人残ったウェルムの分身は驚きもせずに立ち尽くしている。
「やっぱり、天兵たちじゃ時間稼ぎにもなりやしないね」
ウェルムは何も驚かずやれやれと言うように呟いた。
「……本当にあんた出鱈目よね。もう私じゃ足下に及ばないわ。……弱かったあんたが懐かしいわ」
味方であるはずのナーシャも苦笑いをしている。
「それで、お前もやるか?」
デルフはウェルムに向けて尋ねる。
「ククク、そうだね。せっかくだからやろうかな。君の体力でも削っておこう」
ウェルムは懐から魔法札を取り出す。
だが、そのとき二人が臨戦態勢に入ったとき突然後方から輝きが灯った。
「なんだ?」
デルフが後ろを向くと西方で大きな爆炎が煙と共に昇っていた。
「西方、奇襲か? いや、あの方向には陣を張っていないはず」
デルフは戸惑っていたがウェルムの驚きはそれ以上だった。
「なっ!!。まさか……」
あまりの驚きように持っていた魔法札を落としているほどだ。
そして、何も言い残さずウェルムの姿は瞬く間に消え去ってしまった。
「何だったんだ?」
デルフは辺りに意識を向けるがもはや敵の存在は感じられなかった。
後方にいるウラノに向けて合図を出し戻ってくるよう指示をする。
そして、再び視線を未だに残っている爆炎に向ける。
「この魔力……まさかな」
その後、デルフたちは再びデストリーネに向けて走り始めた。




