第161話 ご老公
ウラノの試合が終わりアリルは溜まった息を吐き出し肩に入った力を抜く。
「全く、あんな雑魚相手に手こずり過ぎです」
ぼそっと呟いたつもりだったがアリルは隣のフレイシアの視線に気が付く。
妙な笑みが含んだ瞳にアリルは嫌な顔を隠しもせずに横目で睨む。
「……なにか?」
「い〜え。いつも喧嘩ばかりなのになんやかんや心配しているのですね。喧嘩するほど仲が良いと言いますし案外、良い仲だったのですね」
ふふふと笑うフレイシア。
「そうではありません。デ、ジョーカー様の一番の臣下を名乗っている以上、武器がないとはいえあんな相手に負けるなんて許されることではありませんので。ジョーカー様の名を汚すことになりますから」
ぷいっとそっぽを向きながらアリルは饒舌になって言う。
それがまたフレイシアの笑みを増やしてしまう。
「本当に素直じゃないですね。それがまたアリルらしいですけど」
「……俺、出なくてよかった。出てたら恥欠くところだった」
グランフォルのそっと呟く声に誰も気が付いていない。
「ふぅ〜ん。あなたの仲間も中々やるようね。まぁ、フレッドには劣るけど」
偉そうで自慢げなサフィー。
しかし、あの身のこなしや魔力の扱いを見る限り自慢げになっても仕方がない実力をフレッドは持っている。
「ふん。チビはともかくジョーカー様が負けることは万に一つもありません」
「大口を叩いたわね。だけどすぐに分かるわ」
「どちらが叩いているのですか……」
そう言っている間に三回戦が始まろうとしていた。
入場してきたのはチンピラっぽい若者とかなり年配の老人だ。
特に注目すべきは老人の方だ。
皺だらけの顔に細い腕と足。
どこからどう見ても戦える身体ではない。
身長差も若者と頭一つ分も違い一方的な戦いだろうと確信する。
「本当に戦えるのですか? あの人」
しかし、アリルの言葉と裏腹に周りの反応は違った。
「おい、あの人。ロールドか!?」
そんな声が辺りにそこら中に広がっていた。
「ロールド?」
当然ながらアリルに聞き覚えはない。
フレイシアとグランフォルの顔を見るがやはり二人とも同様に知らないようだ。
だが、サフィーは知っているのか暗い表情で考え込んでいた。
「まさかロールド様が出ていらっしゃるなんて……」
そう深刻な声色でそう呟いている。
「誰なのか知っているのですか?」
「えっ?」
サフィーは正気か?と言うような表情で見詰めてくる。
だが、すぐに納得したらしく頷いた。
「そうか。あなたたちは外から来たのね。道理で見ない顔だと思ったわ」
「今頃、気が付いたのですか……」
アリルは呆れた顔で言葉を返す。
「とにかく、あの御方はこの国で武術の祖と呼ばれるくらいに強い御方よ。お父様の兵に一度稽古付けに来て貰ったことがあったけどまるで子ども扱いよ」
あのサフィーが敬称で呼ぶことからも脚色や嘘などは混じっていないだろう。
「武術の祖ですか。なるほど、手強そうです」
あの見た目からは全くそう見えないが達人であるほどその爪は隠すものだ。
ただの老人に見えること自体が既に技なのだろう。
そう考えると初見で実力を見誤ったアリルはロールドという老人の術中に嵌まっていると言える。
「今は軍で指南役をしていると聞いているわ」
「つまり、あのご老人がジャンハイブの隠し種並びに目玉ということか」
グランフォルが納得したように頷く。
そして、試合開始のゴングが鳴り響いた。
若者はロールドに丁寧な一礼をして構えを取った。
お互いが隙を探りながら何か会話しているようだ。
しかし、どこか楽しそうに見える。
「どうやらあのお二人お知り合いのようですね」
「聞こえたのですか?」
「何となくですが……」
アリルが聞こえたのは稽古を欠かしていないか、最近はどうだなどの他愛のない会話だった。
「どうやらあの老人の弟子。いや、軍の指南役を務めていると考えるとまたも軍人である可能性もありますね」
しかし、アリルはどちらにせよどうでもいいことだと思い考えるのを止める。
それよりも二人の戦いに集中したかった。
二人の世間話も終わり構えたまま睨み合いがしばらく続く。
だが、それも痺れを切らした若者が先手を打ち殴りかかったことで破られる。
若者の拳をロールドは簡単に受け流し目の前に来た若者の身体にそっと掌を置く。
すると、どん!と大きな音が鳴り響き若者は力なく倒れてしまった。
一瞬の決着だった。
若者が倒れて数秒経ちようやく時間を取り戻したように試合終了のゴングが鳴り響く。
それで観客たちも声を取り戻して大きな歓声が闘技場中に轟き始めた。
「本当に爪を隠していましたね……。闘気を出したのは攻撃のほんの一瞬。無駄がありません。これが武術ですか」
「俺は何したか全く見えなかったぞ……」
「とにかく、強敵だということですね」
平然そうに言ったように見えるがアリルはフレイシアの少し曇った表情を見逃さなかった。
「ウラノ。見えたか?」
「辛うじてですが……」
三回戦のロールドという老人のあの一瞬の動きはデルフも目を見張っていた。
「思えば俺の周りは力押しばかりであのような洗練された力の必要のない技を見るのは初めてかもしれない」
初戦を勝ち抜けば次の相手になるであるためデルフは警戒を怠らない。
「殿、お時間です」
「ん? そうか、行ってくる」
「ご武運を」
デルフは前に進みながらひらひらと手を振る。
『それでデルフ。今回は私の出番はあるのかのう?』
(すまないが今回はなしだ。“黒の誘い”は危険すぎる。殺して反則負けになってはせっかくのチャンスが不意になってしまう)
『それもそうじゃな。では私は観客気分を味わうとしよう』
(いつもだろ……)
『特等席じゃ』
どうやら外に出てくるのではなく中から見るらしい。
一人称視点の方が迫力があると言っている。
(確かに特等席だな)
そのとき審判と思わしき人物が舞台に上がりデルフに近づいてきた。
話を聞くとデルフが付けている義手は武器に相当するため規則違反ということだった。
しかし、この義手はリラルスの“武具錬成”という魔法によって作り出した物であって決してルールを逸脱しているわけではない。
デルフは義手を出したり消したりを繰り返し魔法だとアピールすると丁寧に謝罪をして立ち去ってくれた。
そうしている間に対戦相手も舞台に上がってきていた。
デルフよりも少し上ぐらいの強面の男だ。
(兵士、に見えるな。どうやらジャンハイブはどうにかして兵士を勝ち昇らせたかったのだろう……がくじ運が悪かったな。兵士同士で当たればどちらかが勝ち昇れただろうに)
『なぜもう勝った気になっているのじゃ? もう始まっておるぞ』
(は?)
デルフが気が付いた時、既に目の前一杯に拳が見えていた。
常人ならばかなりの速度でありこの状態から避けるのは至難の業だ。
だが、それは常人という前提において成り立つ。
デルフにとっては緩やかな速度であり目で見てからの行動を可能にするほどの合間がある。
完全に虚を突いたと考えていた兵士は酷く驚く。
しかし、長年軍人を務めきたと思わせるその風貌は伊達ではなくそこで怯まずさらに攻撃を続けてきた。
それでもデルフはその攻撃を躱し続ける。
もはや、兵士の攻撃がデルフに当たることはない。
隊長時代のデルフならばまだ良い勝負ができただろうが今のデルフ相手では実力差が目で見えるほど表れている。
デルフには力がないという弱点があったのだがリラルスとの“同化”により魔力だけではなく身体能力も大幅に増加している。
相手の攻撃を躱し続けている間も玉座に座るジャンハイブの様子を確かめる余裕さえあった。
(笑っているな。これも予想の範囲内……いや、そんな回りくどい男ではない。俺との戦闘を考えて胸を躍らせていると考えた方がいいか)
平然を保ち続けていた兵士だがついにその顔が焦りで歪み始めてきた。
デルフが若者の攻撃を躱し続けていると言ったがそれはその場でずっと行っていたのだ。
つまり、デルフはまだ一歩も動いていない。
その事実が焦りとなっているのだ。
だが、勘違いしてはいけないのは若者が決して弱いわけではない。
ジャンハイブの出場者の選別で選ばれただけあってそれほどの力を有しているはずだ。
デルフとの力は大きくかけ離れていたというだけなのだ。
相手が悪かったと思うしかないだろう。
あまりの実力差に観客席からは歓声ではなく沈黙が続いていた。
(極力目立ちたくなかったが……これは仕方がないな。長引かせるのは相手に悪いしできるだけ早く終わらせるか。そうだな、あの爺さんが使っていた技はこんな感じか?)
デルフは若者の攻撃を躱しながら左の掌をぽんっと身体に乗せる。
そして、思い切り吹っ飛ばした。
豪速の球となって飛んでいく若者はその速度が落ちることなく壁に衝突する。
しかし、どうやら衝突寸前に“強化”で防御力を底上げしたらしく重傷には陥っていないようだ。
だが、それでも受けた損傷は酷く立ち上がることができていない。
それでもデルフはボワールの兵士に感心を抱く。
(意識があるか。中々、やるな。これは是非ともボワールには陛下の味方について欲しい)
そして、ゴングが鳴り響きデルフは踵を返して歩き始める。
「それにしてもあの技はどうやるんだ? 今のはただ吹っ飛ばしただけだ。あの爺さんと比べると雲泥の差だ」
デルフはロールドの技が自分の更なる飛躍に繋がると確信し先程の技を再現できるように試行錯誤を続けながら戻っていく。
玉座に座るジャンハイブは芳しくない顔を隠せずにいた。
「まさかボワールの兵士全員が初戦落ちか。軍の面目が立たないぞ……。それにカルスト、今はジョーカーか。あいつ、あんな簡単に圧勝してくれやがって。あれでも軍の上位に食い込む奴だぞ」
「そう言う割には楽しそうに見えますが?」
護衛として隣に立っている軍団長ブエルが仄かに笑みを浮かべながら呟く。
そう言われてジャンハイブは慌てて顔を引き締める。
「それにまだご老公がいらっしゃるではないですか」
「あの爺はもう現役を退いている」
それで思い出しように苛つきが込み上げてくる。
「あの爺さんも爺さんだ。良い歳こいてまだしゃしゃり出てくる。優勝したときに何をねだってくるか分かったものではないぞ」
「しかし、文句は言えませんよ。指南役にとお願いしたのは俺たちですから」
「むむむ。確かに……あの爺さんに鍛えて貰った兵士どもの実力は増している。現に俺も学んだ身だ。指導者としての能力もあるにはある。やり方は最悪だが……」
「まぁあの方も何か考えがあってのことでしょう」
なんとか自分の感情を押し殺すジャンハイブ。
「しかし、どちらにせよ。この大会は大盛況です。入場料は無料としましたが売店による収益は無理な改革で費やした費用を多少は賄えるでしょう。当面の問題はデストリーネになります」
その言葉を聞いてジャンハイブは重々しく頷く。
「そうだな。魔物の軍勢とあのジョーカーでさえも危険視する天騎十聖、無視できるわけがない」
「ですが、協力関係を結ぶのはジョーカーが優勝したときと言ったのでしょう?」
「その通りだ」
ちなみにブエルはジャンハイブとデルフの密談の内容を全て把握している。
勝手に兵を動かしたことで詰問され耐えきれずに全てを吐いてしまったからだ。
(俺が王なのになぜ責められるんだ……)
ジャンハイブにその疑問が渦巻く。
ブエルはジャンハイブの肯定の言葉を聞いて呆れたように笑みを浮かべた。
「ジョーカーの強さを見て、いえ、もう出会ったときからお心は決まっているのでしょう?」
「ああ、フレイシアの味方に付くのが最善の道だ」
「では、なぜそのようなことを。いいえ、分かっています。どうせ、あの者と戦う口実が欲しかったのでしょう?」
ジャンハイブは笑みを浮かべることで返答する。
「……ですが流石と言うべきご決断です。妙なプライドを持つ王や貴族ならば敵国の王女の味方につくなどいくら最善と分かっていても決断しないでしょう。この時点でもあなたが王になって良かった」
「俺は元々平民だからな。元々そんなもの持ち合わせていない」
「だからこそあなたが王に相応しいのです。民を導く御方は正しい判断を続けていかなければならない。それが私事で変化するようなら王は務まりません」
「そこまで分かっているならお前が王をやったら良かったんじゃないかブエル」
ブエルは静かに首を振る。
「俺にはカリスマ性がありませんよ」
「それもそうか」
大笑いするジャンハイブ。
「それで笑われるのも癪に障りますが……」
「そう怒るな。さてさて、大会はこれからが盛り上がる。せっかくだ。忙しくなる前に楽しもうじゃないか」
「……はい」
そうして準決勝一回戦が始まろうとした。




