第127話 凶悪な進化
フテイルを出立して一日過ぎた昼頃。
迎え撃つために出撃したフテイルの軍勢二万はデストリーネに立ち塞がるように平野に陣を張り待っていた。
「そろそろか」
陣地に建設した櫓の上に立っているタナフォスはそう呟く。
しばらくすると目の先に報告通りおよそ一万の軍勢が顔を見せた。
タナフォスは手を上げると銅鑼の音が響き渡る。
立ち塞がるフテイル軍に気付いたデストリーネ軍はおよそ三キロ離れた地点で止まった。
両者睨み合いの時間が続く。
タナフォスは昨日丁度届いたデストリーネからの文を思い出す。
[再三にわたる協力要請を拒むのは裏切る兆候に違いなく我が国を軽んじていることに他ならない。もはや我が国との同盟関係を破棄されたことと同義。天下の名の下に成敗する]
という内容だった。
タナフォスは隣に立っているデルフに確認を取る。
「それで本当に良いのか?」
「ああ、今しかない。あの御方こそ正統な後継者だ。もう隠れる必要はない。正々堂々とお立ち頂く」
「ならば新デストリーネとフテイルの同盟を今ここに名乗り上げることにしよう」
そして、フテイルの陣地に二本の旗が高らかに上がった。
一つはフテイルの国旗、もう一つは新たに作った真っ白な生地にフレイシアのサインを金色で刺繍を施した旗印だ。
これでフレイシアの生存が明らかになりフテイルが味方に付いたことを宣言したと同意になる。
フレイシアの生存が分かれば確実にウェルムは紋章の能力である“再生”を狙い可能な限りの戦力を割いて身柄の確保を目論むだろう。
前ならばそれに対抗する力は無かった。
そのため今まではその事実を伏せていた。
しかし、フテイルが味方に付いたことによりフレイシアの勢力は大幅に増大したと言っていい。
だがそれだけではウェルムは無理をしてでも攻めてくるだろう。
それでもフテイルに対して全軍を送り込んでくれるならデルフとしては好都合だ。
即座にデルフは王都に乗り込むことができる。
フレイシアの生存が分かってもウェルムは準備なしに攻めてくるようなことはしないだろう。
そもそもデストリーネは全世界に宣戦布告しフテイルだけに全戦力を投入することは不可能だ。
そして、並の軍勢ではフテイルを打ち破ることはできない。
それを今から実演してみせるというわけだ。
だからこの戦いは快勝しなければならない。
「兵力的には容易に見えるが……」
「油断は禁物だ。どんな手札を持っているか分からぬからな。まずは探ってみるとしよう」
タナフォスは手を挙げると法螺貝の音が鳴る。
そして静かに挙げた手を大きく前に振った。
同時にフテイルの騎馬隊が突撃を開始した。
三キロの距離は瞬く間に縮まっていく。
それに合わせてデストリーネの槍隊が走り始める。
しかし、その挙動は少し遅く戸惑っている節がある。
「どうやら、フレイシア様の旗を見て混乱しているようだな」
敵には“洗脳”を使う者がいると断定したがそこまで効果は強くないようだ。
「だが、敵である以上遠慮はなしだ。躊躇すれば某たちが敗れると考えなければならぬ」
両軍がぶつかる寸前でフテイル軍は華麗に敵軍を避けて引き返し始める。
それに動揺したデストリーネ軍の動きが止まってしまうがそれが狙いだ。
騎馬隊が退いたすぐ後ろに迫っていたフテイルの足軽たちが突撃した。
槍を持つ足軽たちが破竹の勢いで攻め寄せていく。
硬直しているデストリーネ軍は持ち直す前に次々と数を減らし混乱状態に陥ってしまった。
この場に指揮官らしき姿はなく立て直しはもはや不可能だろう。
フテイルの軍勢の足軽は皮の鎧を装着しているがその中でも上位に存在する武将と呼ばれる者は赤備えの甲冑を身につけている。
武将はデストリーネで言う騎士のような存在でフテイルの実力者上位百名に与えられる称号だ。
その中の頂点が侍大将のサロクである。
勇猛果敢に馬に乗り敵陣に向けて走っている姿は侍大将と呼ばれて不思議はない。
「某はただ最良の手を打つのみ。後はサロクが上手くやってくれるだろう」
そこには確固たる信頼関係がある。
サロクはタナフォスよりも一回りほど年上だがそんなことは些細な問題。
いや、問題にすらなっていないだろう。
軍勢の衝突は圧倒的にフテイルが数、勢いにおいて全てがデストリーネに勝っている。
そして、フテイルの残りの軍勢が横に周り側面を奇襲しようと迂回していた。
「何事もなければこれでしまいであるが……どうする?」
だが、奇襲部隊はわざと敵に見えるように動いていた。
それも敵が隠している手札をあぶり出すためにある。
タナフォスは顔をしかめる。
「やはり……あったか」
敵軍の僅かな変化に気付いたタナフォスはそう呟く。
予め奇襲部隊には敵にどんな些細な変化でもあれば退くように申しつけている。
そのため功を急く者などおらずタナフォスの言いつけに従い奇襲部隊は敵との距離をとる。
すると、デストリーネ軍の歩兵がその場から左右に退いた。
その真ん中から始めに出てきたのは魔物化した槍ボアの数百に及ぶ軍勢、その後ろには数十頭に及ぶ黒猿もいる。
だが、さらに後ろにそんな魔物たちが霞んで見えるほどのゆっくりと歩いて来る異形の姿があった。
とてもじゃないが本当に実在する生き物か疑いたくなる姿だ。
しかし、目から発する赤い光やその存在感からそれが生き物だと訴えてくる。
「あれは泥?」
その異形は泥沼をそのまま纏ったかのように全身が隠れていた。
その泥は身から溢れ続けているようで身体をどんどんと肥大化させている。
泥自体は自身で生み出したものであり歩いた振動で一滴も地面に落ちることなく全て身体に塗れているようだ。
デルフはその魔物を見て少し狼狽える。
「もう元の姿の原形が……ないな」
異形は大きく欠伸をするように口を開けた。
「まさか河馬か?」
「あの姿、名付けるなら”泥沼の河馬”とでも言ったほうがよいだろうな」
「まだ、いるぞ」
さらに後ろには炎を纏う獅子が味方の魔物を燃やしながら堂々と闊歩していた。
明らかにデルフが知る魔物とは全くの別物だ。
「タナフォス、一回下がらせた方がいい」
「いや、あれが敵の切り札だとすると今ここで叩いた方がいい」
「勝算はあるのか?」
「無論。一つ気掛かりなのはあれだけの軍勢が報告になかったことだが……」
そのとき槍ボアを先頭に魔物たちが一心不乱にフテイルの軍勢に目掛けて走り始めた。
槍ボアならばフテイルの兵ならばおよそ五人、黒猿は十人もいれば有利に戦えるが後続に続く二頭の魔物には歯が立たなかった。
兵士たちが泥塗れの河馬に応戦し刀を振り下ろすがさらに増えた泥によって勢いを奪われてしまう。
それだけではなくその泥は刀を泥の中に沈ませる。
さらに対応が遅れた兵士の刀を握っていた拳に泥がまとわりつきあっという間に身体を引きずり込み始めた。
絶叫をあげる足軽はそのまま飲み込まれるように泥の中に消えてしまった。
底なし沼のように人が一人すっぽりと入ってもたいして大きさは変わっていない河馬は何事もなかった様にどしどしと歩みを再開した。
まるで歩く鳥黐のようにその巨体に触れた兵士たちを泥の中に飲み込んでいく。
しかし、警戒すべきなのはそれだけではない。
泥に目が行きがちだが河馬そのものの顎の力は強力であり正面に立った兵士を軽く鎧ごと噛み砕き飲み込んでしまった。
炎を纏う獅子は自分が進んだ道を燃やし尽くしながら向かってくる。
間近で息を吸い込めば喉を焼き尽くされるほどの熱気により近寄ることすら難しい。
獅子の周りには既に倒れた兵士が複数人いる。
「どうする? タナフォス、俺がいこうか?」
次々とやられていく兵士たちを見て焦ったデルフはそう言うがタナフォスは至って冷静に様子を見守っていた。
「多少の犠牲が出たのは心苦しいがまだだ。そなたはこちらの切り札なのだ。安易にでてはならぬ。しかし、心配は無用だ。先程説明したが武士の中でも武将と呼ばれる者がいる。武将は百名のみ存在するが認められるための前提条件としてフテイルに伝わる秘技を会得しているかどうかにある」
そのとき赤備えの甲冑を身につけた武将たちが走って行く姿をデルフは見た。




