第120話 情報収集
宿屋を後にしたウラノとデルフは市場を歩いていた。
「ああ言ってしまったが二泊で足りるか?」
「ヒューロン様がご不在の点を除けば容易でしょう」
「そうか。あと、これを」
デルフは残りの金貨が入った袋をウラノに渡す。
宿代などで消費したがその重さは大して変わらずそれなりの量がある。
「馬車の相場はどれくらいだ? これで足りるか」
「十分でしょう。少しは余ると思いますよ」
「そうか。その調達は任せる。それまで情報収集は俺がしておく」
「分かりました」
そこでウラノと分かれデルフは取り敢えず酒場に向かった。
木の扉を開き入ると傭兵と思わしき強面の人が多数飲んで騒いでいた。
デルフは一直線にカウンターに座り酒を一杯注文する。
そして、すぐにガラスのコップと酒瓶を差し出された。
コップに酒を流し入れて眺める。
色に濁りはなくコップ越しから向こう側が見えるほど透き通っておりその酒独特の香りが鼻腔をくすぐる。
(そういえば酒も久しぶりだな)
デルフはコップに入った酒を一気に呷った。
(?)
デルフは再び酒を口に含む。
(おかしい)
デルフは口を付けた酒を見詰めてそう思った。
『そうか、やはり味がしないか』
リラルスは覚えがあるのか即座にデルフの疑問を看破した。
そういえばアリルと王都を出た後に食べた焼き魚も味をしなかったことを思い出した。
(そうか、これも天人もしくは“黒の誘い”の副作用か。酒精も感じない、酔うことはもうできないか)
これでは酒を嗜むことはできないと残念な気持ちになったデルフは仕方がなく耳を澄ます事に集中する。
そもそも酒場に来た目的は情報収集であり酒を楽しむために来たわけではない。
そんなことは絶対にない。
これがウラノの耳に入れば説教ものだ。
デルフはそれを想像して苦虫を噛みつぶしたような顔をする。
酒の場では口が軽くなり色々な情報が飛び交うものだと推測しデルフはここを選んだ。
しかし、しばらく経ってそれが間違いだったかとデルフは味のしない酒を口に含みながらそう思った。
仕事の文句、誰かの愚痴などが殆どでデルフにとって有益な情報が全くなかったからだ。
(そろそろ出るか)
瓶に残った酒を注ぎながら次はどこに行こうかと思案しているとようやく気になる話が耳に入ってきた。
その発信源は傭兵の頭と思わしき丸刈りの人物からだった。
「お前たち、安心しろ。陛下がついに覇を唱えたらしいぞ」
その言葉に傭兵達はどよめく。
「本当か!? 頭!」
「ああ。王都での演説で高らかに宣言されたらしい。何やら全ての貴族を召集し王国建国以来の盛大な演説だったらしい。これで俺たちにもついに仕事が回ってくるぞ!!」
前王のハイルは攻めることは考えず防衛だけに兵を割いていたため傭兵が駆り出されることはなかった。
この国での傭兵の仕事は賊からの村の護衛や凶暴な動物の退治などでいわゆる便利屋みたいなものだ。
流石に魔物の退治は危険すぎるため引き受けてはいないと思うがそれでも傭兵たちの実力は侮れないほど強い。
傭兵たちはさらに先程を越える勢いで飲んでは騒いでを繰り返す。
「退屈な仕事からおさらばできるのか!」
「大暴れしてやるぜ!!」
そして、傭兵頭は隣にいる同僚に小声で呟いた。
「ここだけの話、まず手始めにジャリムを攻めるらしいぞ」
「それじゃ俺たちも参戦しましょうか」
「いいや、俺たちは次からだ。まずは様子見よ。勝たなければ意味はないからな。ただ働きだけは御免だ」
「なるほど流石、頭だ」
「第一、今からじゃもう間に合わねえ。もしかするともう始まってるかもな」
小声で話しているがデルフからにしたら筒抜けも良いところだ。
デルフは立ち上がり傭兵頭に近づく。
「すまない」
デルフが言葉をかけると傭兵頭は訝しげにデルフを睨み付ける。
「なんだ? 兄ちゃん」
その声は明らかに敵意が籠もっておりデルフを射貫く勢いで威圧してくる。
恐らく商売敵だと思っているのだろう。
デルフは持っていた金貨を一枚、机の上に置く。
「今の話、詳しく聞かせてくれないか」
傭兵頭は金貨とデルフを交互に見てにやりと笑う。
「同業……じゃなさそうだな」
そう言って金貨を握って懐にしまうとしかめ面が消え去り打って変わって笑みを見せた。
「いいぜ。まぁ飲みな」
傭兵は酒瓶をそのままデルフに向かって軽く投げる。
それを一気にデルフは飲み干すと傭兵たちは口笛を吹いて大笑いした。
酒場を後にしたデルフは深く考えながら歩を進める。
(気になるな……)
傭兵頭から聞いたジャリムとデストリーネの戦闘の概要はそこまで詳しくはなかった。
要約するともうすぐで戦争。
聞き耳を立てていたときので傭兵頭の話は全てだったようだ。
(気になるのは全貴族を召集しての演説か。貴族全員、ジュラミールに忠誠を誓ったと言うことか?)
『いや、まだ決めつけるには早計じゃぞ。嫌々従っているだけという線も捨てるわけにはいかん』
(やることは変わらないか)
『それよりも気になるのは五番隊じゃ』
そのリラルスの言葉で思い出した。
ジャリムとの戦争の前にデストリーネには大きな障壁がある。
それはデストリーネとジャリムの間にあるデンルーエリ砦、そこを拠点とする五番隊の存在だ。
五番隊はこの一年間、王国の召集命令に従わずにデンルーエリ砦に籠もり続けていた。
(ウェルムらにとって五番隊はジャリム討伐には邪魔な存在だ)
王国が痺れを切らせば五番隊の討伐命令を出しかねない。
いや、この際敵か味方か分からない存在を放置するとは到底思えない確実にするだろう。
名目は召集を無視していることは王国を蔑ろにしゆくゆくは裏切りを企てているに違いないとでもいえば十分だろう。
デルフとしても五番隊がウェルムたちの味方にならないでほっとしたがこちらの味方に引き入れたいという気持ちがあるため少し迷った。
たとえ魔物の軍勢を用いたとしても隊長であるイリーフィアならばそう易々と負けるとは思えない。
それに加えてイリーフィアの妹であり軍師でもあるクルスィーもいるのだ。
(リラルスはどう思う?)
『ふむ、私もあの娘がそう簡単にやられるとは思えぬ。しかし、兵力差は多勢に無勢と言える。考えるだけ無駄じゃろう。急ぎ調べた方が早い』
リラルスもデルフと殆ど同じ考えで迷いは消えた。
デルフは取り敢えずウラノとの待ち合わせの場所に向かう。
待ち合わせの場所は先程、ウラノと分かれた場所の市場だ。
ウラノは既に到着しておりデルフの姿が見えると大きく手を振っていた。
「お疲れ様です。殿」
「どうだった?」
「無事買うことができいつでも出発できる準備は整えております」
「そうか」
それからデルフも自身が得た情報をウラノに与える。
「ではこれよりその真偽と結果、調べて参ります」
「頼む」
速度を考えれば情報収集をすぐに行えるのはデルフかウラノそしてアリルの三人しかいない。
しかし、アリルは極度の人見知りで情報収集どころではなくデルフは顔が悪い意味で広まっていることから迂闊な詮索は適さない。
ウラノもそれを承知で快く請け負ってくれた。
というかそもそもそれは自分の仕事だというふうに意気込んでいる。
ウラノは明日までには帰ってくると言い残して去って行った。
デルフももう少し酒場にて情報を集めようと歩を進めた。
次の日の朝、あれから良い情報は集まらなくデルフは市場を歩いていると人集りができていることに気が付いた。
この都市に存在する人の全てが集まっているかと思うほどの人数だ。
(なんだ?)
デルフは建物の屋根に乗り顔をあげると先には壮年の男性が演説していた。
その姿を見てデルフは察した。
(この方がヒューロンか。これだけの人が集まっていることから信頼は厚いと考えるべきだな)
デルフはそのままその演説に耳を傾ける。
「我らが王であるジュラミール様はついに決心された。これより我がデストリーネ王国は覇の道を進むことを!! 大国一の強さを各国に見せつけるときがきたのだ! 私も叔父として存分に力を貸す所存だ! 皆も非才な私に力を貸してくれ」
その様子を見てデルフは顔を渋くさせる。
「これは……そうか。しかし、確かめておく必要はあるな」
デルフはしかめ面で考え込む。
そして、デルフはあることに気が付く。
(もしかするとフテイルも狙われるかもしれないか)
今までフテイルには使者を送り味方するようにと命を出していたデストリーネだがこの進みの早さから実力行使に出ても可笑しくはない。
息を潜めていたデストリーネがついに大きく動き始めたのだ。
この歩みは滅びるまで止まらないだろう。
その事実はあることに繋がる。
(ウェルムを縛っていた鎖が解けたということか。もう少し潜んでくれても良いのにな)
デルフは大きく息を吐く。
「本番はこれからだな」
デルフは保険をかけてヒューロンに会うのは全ての準備が整ってからにすることを決める。
そして、演説の途中でデルフはその場を後にした。
それ以降、情報を集めたが大した情報はなくデルフは装備を調えていた。
あれこれとしている内に早くもウラノが戻ってきた。
「相変わらず早いな」
「恐れ入ります」
ウラノは頭を下げる。
「早速聞かせてくれ」
「はい。まず、五番隊と王国は既に衝突していました」
やはりというようにデルフは顔を暗くさせる。
「それで?」
「結果は引き分けと言ったところでしょうか。巧みな戦術により魔物の軍勢は罠に嵌められほぼ全滅しました」
「それだと、五番隊の快勝じゃないか?」
「いえ、その策というのが……」
ウラノが口詰まるのも無理はなかった。
その策はデンルーエリ砦に誘き寄せ全てが押し寄せたのを見計らい砦ごと爆破させるというものだった。
「その後の五番隊の消息は掴めていません」
「思い切ったことをするな。恐らくクルスィーの策だろうな」
一度追い払ったとしてもジャリムの間にあるデンルーエリ砦にはまた敵は押し寄せてくる。
しかし、いつか五番隊が根負けしてしまうのは自明の理だ。
たとえイリーフィアが強大であったとしてもそれは覆らない。
人である以上、疲労をすぐになくすことなど不可能である。
そこでデンルーエリ砦を爆破することでジャリムとの壁をなくしてしまうのと同時に王国軍に打撃を与える。
そして、自分たちは雲隠れ。
王国軍は行方が分からなくなった五番隊よりも障壁を失いいつ攻めてくるか分からないジャリムに兵を割かなければならない。
ようは自分たちがいなくなることで標的を本来のものにしてあげたということになる。
「一年もあれば別の拠点を用意しているだろう」
「もしこの策がばれても王国軍には打開策は何も生まれない。それもジャリムと和議を結ぶしか」
「覇を唱えた以上はそれはないだろう。徹底的に潰すつもりだ。何よりジュラミール様が一番ジャリムに敵対心を向けておられたからな」
見せしめとしてデストリーネを散々攻め寄せてきていたジャリムを滅ぼすのは都合が良いだろう。
「この一件がどう転ぶか。ウラノ、明日の朝にはここを発つ。準備を進めてくれ」
「殿はどちらに?」
「俺はヒューロンの真意を尋ねに行く。もし、敵になるのであれば……ここで退場してもらうつもりだ」
デルフは念のため自分に“感覚設置”を使うように促す。
「不測の事態に陥ったときは連絡する。聞き逃すな」
「承知しました」
そして、日が沈み夜が顔を出し始めた。
このときこそデルフが行動を起こすとき。
「さて、行くか」
デルフは軽く伸びをした後、神経を研ぎ澄ます。
その雰囲気の変化にウラノはゴクリと息を呑んだ。
「お気を付けて」




