第116話 ぎりぎりの脱出
「これぐらい暴れ回れてくれればいいだろう」
デルフは既に地下牢獄から抜け出ており刑務所と外を隔たる壁の上から刑務所の有様を座って見下ろしていた。
その目下では同じく地下牢獄を抜け出した囚人たちが武器を持って看守たちと戦っていた。
『騒ぎも起こし私らはそれに乗じて脱出する。見事じゃの。まぁ、あやつらは使い捨てで悪いがの』
リラルスはすぐに囚人たちが鎮圧されること確信している。
今は数で押しているがそのうち騎士が駆けつけそうなれば囚人たちの命運は尽きる。
いくら死刑囚とはいえ騎士たちには足下にも及ばない。
デルフは無表情で人が次々と倒れ続けている様子を眺め続ける。
時刻は既に深夜を迎えており辺りは静寂が包まれているためこの騒ぎは良く響く。
そのため気が付いた住民たちもチラホラと様子を見に来ている。
「少し急いだ方が良いか。アリルはまだ時間がかかるか?」
デルフは首を上げて白い光を放つ満月を眺める。
『デルフ!!』
リラルスの大声が頭の中に響きデルフは反射的に飛び上がった。
「どうしたリラ? なっ……」
デルフの目に先程まで座っていた場所がすっぱりと斬れている光景が映った。
滑らかな断面を見せその剣撃は壁を両断している。
デルフが動揺している内に下から一つの影が上って来た。
その影は壁の上に降り立ち静かに上空にいるデルフに視線を向ける。
「また、仮面か……」
デルフの前に現われたその人物は兎のお面を付けていた。
しかし、頭には何も被ってはおらず短い茶髪が見える。
纏っている雰囲気は何も感じず性別がどちらかは分からない。
それどころか生きているのかすら怪しく感じた。
鎧姿の兎仮面は両手で一本の剣を持っている。
デルフはその剣にどこか見覚えがあった。
しかし、思い出す時間は与えてくれず兎仮面は躊躇なく地面を蹴る。
だがそれに真っ正面から応じる程、デルフは素直じゃない。
デルフは短刀を握り兎仮面に向かっていくと見せかけそのまま通り過ぎ地上を目指す。
(あんなやつ相手にしていられるか)
相当な実力者と認識したデルフは逃げる一択で行動する。
デルフは少し焦る。
強敵と対峙したからではない。
戦えば勝つ自信はある。
だが、自分の居場所がばれている以上は即座に王都を離れることが先決だ。
一人ならまだしも次々と強敵が現われでもすれば体力が持たない。
デルフは地面に着地すると同時に地面を蹴り撒こうとする。
だが、兎仮面はその速度に食らいついてくる。
(くそ。まさか見つかるとはな。仕方がない。ルー)
デルフの呼ぶ声と共に懐から飛び出たルーは再び黒の短刀に変化する。
短刀を握りしめたデルフは即座に後ろに身を翻す。
追ってきていた兎仮面は何の動揺もせずにデルフに剣を振り下ろした。
それをデルフは短刀で受け止める。
鍔迫り合いが拮抗しお互いは足を止め押しては押されを繰り返す。
(埒があかないな)
デルフは全力を出そうとしたそのとき。
敵の剣に変化が生じた。
小刻みに揺れ初めそれが次第に高速になっていく。
そして、頭を突き刺すような不愉快な騒音が鳴り響いた。
ルーから苦痛を訴える感情が頭に響くがデルフもそれどころではなかった。
その振動に合わせてそれに近いデルフの腕は空気中に漂っている何かに抉られていく。
あまり痛みはないがそれでもその感触は愉快な物ではない。
デルフは目を凝らしてみると剣の一定の周囲に無数の魔力の刃が飛び交っていた。
(これは……)
考えている間にもデルフの手を抉り続ける。
ル−の“死の予感”は既に発動させているが兎仮面に何の反応も見られない。
鈍感なのかそれとも死を恐怖と感じていないのか。
デルフは短刀を滑らせてその剣を流し地面に衝突させる。
尚も止まることなく地面を抉り続ける剣。
デルフは即座に兎仮面のガラ空きになっている脇腹に蹴りを放つ。
そのときに“黒の誘い”発動するのも忘れない。
しかし、触れる寸前で躱された。
(なるほど、避けると言うことは触れればくらうと言っているに等しい)
先程、騒音が鳴り響いた際に“黒の誘い”を発動させていたが効果はなかった。
いや、実際にはあったが剣自体には効果が及ぼされなかった。
無数の魔力の刃が邪魔をして短刀を直接剣に触れさせることはできなかったのだ。
つまり、その量は“黒の誘い”でも全てを対処することはできなかったということになる。
(思わぬ弱点を知ることができた。不幸中の幸いだけどな。しかし、厄介だな。あの剣……。待てよ、どこか見覚えがあるぞ……まさか?)
デルフはある事実に勘づいた。
(いや、まだ決めつけるのは早い)
そのときまたも兎仮面は斬り掛かってくる。
(ちっ! 受けるのは危険か!)
考えを後回しにしてデルフは寸前で躱し即座に“死角”を使う。
デルフの身体能力は騎士だったことを遙かに凌駕しており“死角”の速度も前と比較にならないほど上がっている。
瞬く間に兎仮面の背後に回ることができた。
しかし、それでも兎仮面には反応された。
デルフが突き出した短刀を正面に顔を向けたまま剣で防がれた。
だが、それはデルフも対策済みだ。
何回も死角を防がれたのだ。
その後に繋がる流れを考えていた。
デルフは腰を地面すれすれまで落として兎仮面の足に回し蹴りを放つ。
しかしその攻撃には“黒の誘い”は宿っていない。
宿らせているのは短刀だ。
同時に発動すればいい話だがデルフにまだそれほど正確に魔力を扱えるほどの器用さはない。
即座に切り替えることもできない。
けれども。流石の兎仮面もそのデルフの攻撃は直撃した。
体勢を崩し地面に身体を倒した兎仮面。
それに間髪入れずに踏みつけようと踵を振り下ろした。
だが、そこでデルフは自身の犯した間違いに気が付く。
兎仮面は前のめりに倒れておらず仰向けに倒れていた。
そして振動している剣を握りしめている。
(不味い!)
“黒の誘い”を発動させているがその剣に対しては届かない。
下手をすれば足を両断される可能性がある。
しかし、動かした足はもう止まらない。
デルフとしても一か八かの賭に出るしかなかった。
押し勝つ可能性を信じて。
だが、足が剣と衝突する寸前にデルフのすぐ横から足が飛んできて兎仮面の頬の部分に直撃した。
そしてそのまま足は振り抜かれ兎仮面は剣を持ったまま建物に衝突し突き抜けていく。
さらに追い打ちをかけるように兎仮面の姿を隠すように瓦礫が落ちてきた。
「我ながら驚くほど飛びましたね」
デルフが顔を向けるとそこにはドレスを身にまとったアリルがいた。
「デルフ様。遅くなって申し訳ございません」
アリルは顔が地面に着きそうな勢いで腰を曲げ頭を下げる。
「いや、丁度良いタイミングできてくれた。助かったぞ」
その言葉を聞いたアリルは目を見開き硬直してしまった。
「で、デルフ様が僕をお褒めに……これは夢ですか」
アリルは明後日の方向を向いて黄昏れてしまった。
「喋っている暇はない。今すぐ王都を離れるぞ。今はもうここに用はない」
「はい! デルフ様!」
デルフが走り始めると嬉しそうにアリルが付いてくる。
走りながらデルフはアリルに尋ねる。
「ところで、その服装はどうした?」
先程とは全く違う服装に耐えきられずにデルフは質問したのだ。
上はドレスのようで下はゆったり膨らんだ黒と赤のスカート。
昔とは想像もできない服装だ。
「あの身なりではお目障りかと思いまして服を探したのですがこれしかなくて。似合っていないとのことでしたらどこかで時間頂ければ即座に調達してきます」
「いや、その必要はない。少し気になっただけだ」
そうデルフが言うと真面目な表情をしていたアリルの顔が徐々に赤みを帯びてくる。
「どうした?」
「い、いえ……ふふふ」
デルフは知らぬことだがこの一件によりアリルはこのファッションを積極的にするようになった。
デルフとしては何気ない一言のつもりだったのだが。
「アリル。少し速度を上げるぞ」
「はい!」
少し緩めの速度に顔を曇らせずに付いてくるアリルを見てデルフは速度を上げることにした。
そして、デルフとアリルは無事に王都を脱出する。
兎仮面は瓦礫を押し退けて剣を握り直しデルフたちの後を追おうとする。
「セカンド、止まりなさい」
兎仮面、セカンドはその声により無理やり動作を中断させるがその反動で何の痛痒も感じていない。
そのとき、セカンドがしていた兎の仮面が地面に落ちる。
セカンドの後ろに立っていた女性、カハミラがその仮面を拾いセカンドに付け直す。
「あれ相手になかなかの成果ですね。これならば実戦に出すこともできましょう」
カハミラは嬉しそうな表情の反面、難しそうな表情もする。
「あれから一切動きを見せないので死んだと思っていましたがついに出てきましたか。侵入者と聞いて丁度良い実験の機会だとセカンドを向かわせましたが危なかったです」
カハミラはセカンドに視線を向ける。
「危うく壊されるところでした」
カハミラはほっと胸をなで下ろす。
セカンドはデルフを押していたがそれも短い間だけだっただろう。
多少の手傷は与えられただろうが最初の攻撃で仕留めきれなかったところで敗北は必至だった。
カハミラが加勢すれば勝てた可能性もあるが無闇な危険は冒せない。
「実験結果とジョーカーの再来をウェルムに伝えましょうか。そして、至急計画を始動させましょう」
そして、カハミラは横目で再びセカンドに目を向ける。
「もう少し改良してみましょうか。ふふふ、感情と記憶を戻すのも面白いですわね」
カハミラは悪戯でありつつも可憐な笑顔をしながらセカンドを引き連れて闇へと消えていった。




