第111話 新たな力
デルフは祠を飛び出した後、騎士たちがいる場所に向けて森の中を走っていた。
身体を慣らすためにゆっくりと走っていたため時間は既に夕暮れとなってしまっている。
走っている最中に横目で自分の黒くなった長い髪が揺れているのが目に入った。
(髪も長くなったな。それに黒か)
リラルスの姿を思い出させるその髪にデルフは少し微笑む。
『切らぬのか? 男にとって長い髪は邪魔だと聞くがのう?』
(いや、いいさ。この見た目だとあまり俺だと分からないだろう。俺が世間の存在に知らしめたいのはデルフではなくジョーカーだからな)
デルフは道とは言えない場所を走り続け障害物となっている木々の枝を巧みにかわしながら騎士の存在を探す。
「しかし、得体の知れない力が身体を蠢いている感覚だ」
デルフは自身の身体に渦巻いている力の根源を認識してそう呟く。
『それが魔力じゃよ』
デルフは自分の意志で義手の右腕を動かす。
(また右腕が使えるなんてな。思ってもいなかった)
デルフは魔力を右腕に集める。
とは言ってもデルフはまだ魔力の扱いについて未熟なためリラルスの力を借りてようやく制御できている状況だ。
リラルスはしばらくすれば慣れてくると言ってくれているがデルフとしてはまだコツを掴めてはいない。
手探りで探っている状況だ。
『デルフ、言っておくが“黒の誘い”は全力で使ってはならんぞ』
(何かあるのか?)
『この技はあまりに危険なのじゃ。多用すれば自分を滅ぼす。それだけは覚えておくのじゃ』
そして、リラルスは使っていなくても徐々に身体を蝕むとも付け加えた。
リラルスが言う全力とは身体全体に魔力を込めることだ。
つまり、この能力は諸刃の剣ということなのだろう。
極力は使わないようにしようとデルフは決める。
(時間はどれくらい残っている?)
『詳細は分からぬが、まだまだ大丈夫じゃ。悪いのう、妙な危険物を持たせてしまって』
(何を言っているんだ。お前のおかげで今の俺がある。むしろ感謝しているぐらいだ。この力も十分すぎるほどの手土産だ)
『そうか』
デルフは視線を前に向ける。
「あれか」
そこには鎧を着用した数人の騎士が祠まで続く山道を歩いていた。
その挙動は周囲を探索しているようにちらちらと首が動いている。
しかし、道を進んでいないデルフには気が付いていないようだ。
「およそ十人か。思ったよりは多いな」
『まぁ大丈夫じゃろう。肩慣らしには丁度良い』
「そうだな。見たところ実力者はいないようだ。この際、魔力の扱いの練習をするか」
そのときデルフの肩にドスンとのし掛かる衝撃が走る。
デルフは横目でチラッと見ると肩にルーが立っていた。
ルーから少し怒っている雰囲気をデルフは感じ取った。
それがなぜか少し疑問に感じているとリラルスが教えてくれた。
『どうやら置いていったことを怒っているようじゃぞ』
(あー)
デルフはルーの機嫌取りのため頭を片手で撫でる。
怒っている雰囲気を醸しながらも為すがままに撫でられるルー。
「ルー、手伝ってくれるか?」
それに応じるようにルーはデルフの左手に移動し黒刀へと変化した。
だがデルフは芳しくない顔をする。
「ルー、すまないが刀は止めてくれ」
ルーはデルフの思考を汲み取ったのか姿を変えていき黒い短刀に変化した。
『デルフ、どうしたのじゃ?』
(短刀の方がやりやすい。それに俺はもう騎士ではない。そうであると名乗ることも二度とないだろう)
ウェルムに勝利しフレイシアの王位を取り戻す。
それを為すには今までのデルフのやり方では到底不可能だ。
たとえ非難されようと蔑まれようと成し遂げることができるのならばデルフは気にしない。
そう自分に意志を託してくれた者たちに誓ったのだ。
これだとフレイシアのためにと理由付けをしているように見えるが自覚しているデルフは断言する。
(これは俺の望みだ)
フレイシアが王となりこの世を治め平和の世界を実現する。
彼女ならばそれが可能だとデルフは信じている。
だからこそ、デルフはもう迷わない。
騎士デルフ・カルストはあのとき死んだ。
そして、今の自分はジョーカーであると。
「これがジョーカーのやり方だ。恨むなら俺を恨め」
デルフはこれからする自分の行為を想像しポツリと呟いた。
それは覚悟を決めた重々しい声だった。
そこからのデルフの行動は迅速だった。
勢いよく地面を蹴り茂みから飛び出し急激に騎士たちとの距離を詰めていく。
騎士たちがデルフの接近にようやく気が付くがもはや遅い。
デルフは先頭にいた騎士の顔に義手である右腕をゆっくりと近づけ騎士が着用している鎧に触れた。
すると、デルフが触れた部分を中心に黒く染まり始める。
それは鎧を越えてその中の皮膚にまで及んでいく。
これがリラルスが天人となり手に入れた能力“黒の誘い”である。
この能力は大きく分けて三つの行程がある。
始めに魔力が触れたものを全て黒く染まるまで続く浸食期。
そして、想像を絶する痛みを与える停滞期。
リラルスが受けた実験の同じ痛みを与えるべく再現されたものだろうとリラルスは言っていた。
最後に形あるものを灰となり無に帰す崩壊期。
魔力を強く込めれば停滞期を省略することも可能らしいがまだそこまでの制御は難しい。
いまのデルフの制御力では一か百の精度になる。
鎧から肌まで浸食し黒く染まりきった騎士は絶叫を上げ地に伏せ暴れ回る。
そして、助けを求めるように隣の騎士に触れた瞬間その騎士も黒く染まり始めた。
目の前で阿鼻叫喚の図が広がっていく。
そんな光景にデルフは眉一つ動かさずに後ろで動揺している騎士の背後を取り首に短刀を付け勢いよく引く。
首から血を噴き出して騎士は何をされたか分からないまま目の色を失い力なく倒れる。
まだ戦意を失っていない騎士がデルフに斬り掛かる。
デルフはそれに感心するも手心を加えたりはしない。
短刀を振りその剣に触れると同時に剣は黒く染まり一瞬で灰となった。
(なるほど、物は人よりも早く崩壊が来るのか)
そう考えつつもデルフは振った勢いを止めることなく灰となった剣を通り過ぎ騎士の鎧も切り裂く。
ルーの切れ味は業物の中の業物であり対等に戦える武器はそうはない。
それに“黒の誘い”をルーに纏わせているため威力は桁違いに上がっている。
ルーの動きを阻む物があれば触れた瞬間に黒く染め即座に灰にしてしまうほどに。
急に現われた化け物じみた黒コートのデルフに残った騎士たちは絶叫し襲いかかってくる。
闇雲に何本の剣が降りかかってくるがデルフにとっては止まっているように感じるくらいの速度で躱すのは容易いことだ。
攻撃を躱されて無防備となった騎士たちにデルフは反撃する。
右手での鉄拳を食らわしたり短剣で首を一閃することで即死へ導いたりと。
鉄拳を食らった者はその一撃で顔が潰れてしまい生きていたら逆に同情してしまうぐらい悲惨な状態になっている。
僅か数秒で全てが終わったデルフはその場に立ち尽くす。
(やはり何も感じないな)
それがデルフの感想だった。
もしかするとこの騎士たちはどこかで出会ったこともあったかもしれない。
副団長だったデルフのことを尊敬していてくれたかもしれない。
しかし、そんな部下だったものたちを自ら手を下してもデルフは仕方がないとしか思うことができなかった。
デルフとしてもなるべく殺したくはないという気持ちは残っているがもはやそんな余裕はない。
デルフは静かに息を吐きながら下を向く。
(もう人間とは呼べないな)
やがて、地に倒れている黒い物体は灰と消えた。
デルフは一人残った、いや、敢えて残した騎士を目の前に投げる。
その騎士は腰を抜かし後退りしたのち叫び声を上げて逃げていった。
『逃がしていいのか?』
(ああ、これで敵は俺だけに集中する。フレイシア様の生死を考えにも及ぼせなくする)
『なるほどのう』
その後、この騎士の報告によりウェルムたちはより一層慎重になった。
いや、その報告の前にもたらされた王都襲撃により既にそうなっていた。
騎士たちや民たちはデルフの使った魔法とその姿からデルフのことをジョーカーもしくは黒と呼ぶことになる。
(あの騎士が伝えに戻る前に王都に向かう)
『さっきも言っていたがなにか用があるのか?』
デルフは複雑そうな表情をして答える。
(一つは少し暴れて邪魔をしてやろうかなとただの嫌がらせだ。そして、もう一つ。こっちの方が本命で、力になりそうなやつがいるから迎えに行こうかと。本当はあまり出したくないんだが。なにせ今は人手が足りないからな)
『そんなやつおったかのう? 強いのか?』
リラルスは不思議そうな声でデルフに尋ねる。
(ああ、その点は問題ないが……他の点で少し気掛かりなところがある)
『手を貸してくれるか不安に感じるじゃろうが心当たりがあるなら行かない手はないじゃろう』
(そういうことじゃないけどな……分からないなら後での楽しみにしてくれ)
デルフは短刀となったルーを握りしめ再び地面を蹴り高速で森を抜けていく。
その速度は同化以前とは比べものにならなく逃がしたはずの騎士に一瞬で追いつき瞬く間に距離を離すぐらいだ。
もはや同化による身体の変化の齟齬はなくなっている。
残るは魔力の扱い方で現在は魔力を手に集めるのが精一杯だ。
望みは魔力を引き延ばし手で触れずに効果を及ぼしたいがそれはすぐに身につくはずがなく練習あるのみだ。
しかし、この慣しでそれなりの感覚が掴めたので自由に扱えるまではそう時間は掛からないだろう。
こうやって走っている最中にでも練習するかと早速デルフは試してみる。
そうこうしているうちに王都を囲んでいる壁が見えてきた。
魔物に壊された壁も既に元通りになりそれどころか前よりも強固になっているようだ。
大きな都門も木から石に変わっておりもう一度魔物が出現しても撥ねのける様子が簡単に想像できる。
「ウラノの報告通り警備が厳しくなっているな」
『どうするのじゃ? 真っ正面から入るか?』
(まさか、俺は反逆者だ。それならそうらしく侵入と行こうじゃないか)
『面白い。賛成じゃ』
そうしてデルフは王都を囲んでいる高い壁を蹴って昇っていく。




