第105話 消失
「以上が事の顛末です」
ケイドフィーアが話を終えても皆は黙ったまま呆然としていた。
ただ、ウラノは途中から外の警戒に当たり席を外していた。
だが、“感覚設置”で話は聞いているだろうが。
「そうか」
リラルスは静かに一言だけそう言う。
「ウェルムは能力を持ち人間を越えた存在を天人と称していました。さらに複数の能力を宿した自分を天神とも」
しばらく沈黙が続いたがリラルスが何か諦めたように溜め息をつくことで破られた。
「……おぞましいあの実験を自分でもしていたというのは耳を疑ったが、信じるほかないようじゃの」
冗談染みた話でもケイドフィーアの様子から嘘をついているとは思えなくなにより納得している自分がいる。
リラルスは冷や汗を流しながら無理やりその事実を落とし込む。
「それが本当だと私も天人やらになるのか……そんな神神しいものじゃないと思うがのう」
リラルスは苦笑いをして吐き捨てる。
「少し聞いて言いかのう」
「はい」
「昔、私が戦っていたときお主はルーの中で見ていたわけじゃな」
「は、はぁ、そうですが?」
「つまり、私が戦っているときもルーの中でのんびりと観戦していたと」
それを聞いたケイドフィーアはすっと顔を青くしていく。
いや、身体は光っているのでそうかどうかは定かではないがリラルスはそう感じた。
「そ、それは……そう、そうです! 準備ができていなかったのです」
リラルスはケイドフィーアが視線を逸らしたのを見逃さなかった。
「それは本当かのう?」
鋭いリラルスの視線が突き刺さり責め垂れているように感じたケイドフィーアは観念した。
「そうです、そうですよ。私の怠慢ですよ。だってあのときのリラルスさん凄かったですし。あれなら勝てるかな〜って呆けて見ていましたよ!!」
「なるほど、それで気が付いたら」
「はい。ここでした。まさか私が遊び心で仕掛けた魔法に苦しめられるとは」
なぜか責めている方のリラルスが申し訳なくなるような残念さだ。
「そ、それで話を続けますと」
そして、ケイドフィーアは言葉を詰まらせながら雰囲気を正して再び話し始める。
「不幸中の幸いとしてウェルムは力の元である紋章を自身に取り込むことはできませんでした。たとえ復活したところでウェルムは力を取り戻す術はありませんでした」
ケイドフィーアは「しかし」と言葉を続ける。
「デルフさんの村を襲ったときウェルムは手に入れてしまいました。デルフさんの右手にあった同化の力を。自分の身体に移植したことで。そしてこの力により紋章を自身に取り込むことを可能にしました。つまり紋章の制限を破り能力として力を取り戻すことができたのです」
「それがあの分身の力か」
「はい」
リラルスはデルフが分身と戦っていたときの事を思い出す。
(ハルザードやらがウェルムを消耗させてくれたおかげでデルフもなんとか善戦できていたが……恐ろしい能力じゃの)
しかし、ウェルムとの決戦は避けることはできない。
デルフならばそう決断するだろうとリラルスは考えそれまでに対策を講じておくことにした。
「それでこれからのウェルムの動きはどうなるのじゃ?」
「恐らくですが魔物を組み込んだ軍を編成し各国に攻め込むと考えます。ウェルムの目的は平和……ですが、いえ殆ど確実にウェルムはこの世界に見切りを付けています。全てを滅ぼすまでその進撃は続くでしょう」
「それがあやつの平和の道か。敵は根こそぎ滅ぼしその後に自分たちの世界を作ると言ったとこかのう」
「そして、進撃と並行して紋章の収拾でしょう。自分の力を取り戻せる手段を得た今、それに躍起になるはずです」
ケイドフィーアはさらに続ける。
「ウェルムの研究が魔物の創造だけだとは考えにくいです。そして、ファーストと呼ばれる少女。あの人からはとても嫌な感じがしました」
「そうじゃの。やつはあれが完成形じゃと言っておった。どういう意味かは知らんが」
何か見落としているような嫌な予感を感じたがケイドフィーアの言葉により思考の中から戻される。
「リラルスさん、ウェルムに紋章を全ての紋章を渡してはなりません」
真剣な表情でリラルスの視線を直視しながらケイドフィーアはそう言った。
それを感じ取ったリラルスは尋ねる。
「もし、やつが全ての能力を取り戻したら?」
ケイドフィーアは視線を下に向けた後、ゆっくりと口を開いた。
「そのときはもはや為す術がありません。ウェルムの世界が出来上がるだけです。あのとき不意を突いて封印できましたが真っ正面から戦えばあの天神となったウェルムには足下にも及びません」
ケイドフィーアはそう迷うことなく断言した。
「そうか、ならば紋章の確保を優先か……」
「いえ、真っ先に優先するべき事はフレイシアさんを守ることです」
「えっ……私?」
フレイシアは突然の自分の名前が出てきたことの驚きのあまり声が出てしまう。
驚いたのはリラルスも同じだった。
もちろん、フレイシアを守ることはデルフにもリラルスにも大事なこと。
しかし、ケイドフィーアがそう口にするとは思ってもいなかった。
「はい。リラルスさん。フレイシアさんの左胸を見てください。私は感じることしか出来ませんがリラルスさんなら見えるはずです」
なぜ知っているとリラルスは思ったが話の腰を折るのは気が引け言う通りに集中して見てみると。
「途方もない魔力が渦巻いておるのう」
「それが紋章の魔力の大きさです」
「……ということは」
「はい。フレイシアさんには紋章の力、その中でも最も強力な“再生”が備わっています。見て分かるとおり紋章はフレイシアさんの心臓に記され気付くことはなかったはずです。かくいう私もあのときフレイシアさんが生きていたことで確信しました。」
当の本人も気付いてはおらなかったようで驚いている。
「しかし、なんで私を優先に守れと念を押すのですか?」
「ウェルムは紋章を身体に取り込み能力を戻そうとしているのは言ったとおりです。しかし、それは“再生”ありきの話です」
「再生がなければ紋章を集め取り込んだところで早い内に滅びるというじゃろう」
「はい。その通りです」
リラルスの言葉でその場にいた全員が納得して息を漏らす。
リラルスは目を瞑り熟考する。
「ようは最悪、フレイシアを守り切ればなんとかなる。ところじゃろうか」
「はい。これ以上、紋章を集めたところでそれはウェルムに扱えません」
「それでも厳しい戦いになるじゃろうな。しかし、一つの懸念は消えたと安心するべきじゃな」
ケイドフィーアはこくりと頷く。
(厳しい戦いか……一つ言っておかなければならないの)
リラルスは指を立ててケイドフィーアに忠告する。
「私がこれを聞いたからと言ってまだ行動を起こすと決めたわけではないぞ?」
突然、放たれたリラルスの言葉にケイドフィーアの動きが止まる。
リラルスは安心させるように言葉を続けた。
「言い方を変える。私が決めることではないということじゃ」
「それは……どういう?」
リラルスはこれでも分からぬかと長くなった髪を左手でときながら答える。
「この身体はデルフの物じゃ。ならば私がこの場で勝手に決めていいことではない。この場にはデルフがおらぬからのう」
それでようやくケイドフィーアは合点が言ったのか頷いている。
「その通りですね。少し、私も焦っておりました」
「気持ちは分かるが私はデルフが目覚めるまで動くつもりはない」
それでもケイドフィーアは不安に思っているのか不承不承に頷く。
「フレイシアが手の内にある以上、最悪の事態にはならず、ウェルムの奴も魔力が思うように使えなければ迂闊に動くことはないじゃろう。今は双方、力を蓄えるときじゃ」
「しかし、デルフさんが動くとまだ決まったわけじゃ……」
そう呟くケイドフィーアにリラルスは目を細めて呆れたように言葉を返す。
「何言っているんじゃお主は……。ルーの中で本当にデルフを見てきたのか」
何を言っているか分からないというような戸惑いの視線にリラルスは口は開く。
「デルフは必ず動く。安心せよ」
「それでなぜ私の身体について知っておる?目については話したこともないのじゃが」
リラルスの目は天人となったおり黄色の鋭い瞳となっている。
そして、その瞳で良く凝らして見れば魔力の流れが可視化するようになっていた。
人が魔力を込めれば白い靄のようなものが込めた部位に蠢いている。
そして、フレイシアの左胸には途轍もない大きな靄が見えた。
紋章の存在を強調するように。
「それはルーとリラルスさんが繋がっているからですよ」
「どういうことじゃ」
リラルスの表情が疑問になり首を傾げる。
「ルーを助けたときにあなたを噛んだことがあったでしょう? そのときにルーはあなたの血を舐め契約状態になったのです。そして、ルーはあなたの魔力を使い傷を癒やしたのです」
「そうじゃったのか。道理で治りが早いと思った」
「それであなたが天人となったときその影響はルーにも及ぼしました」
それはリラルスも驚き「なんじゃと?」と身を乗り出した。
「そのときですよ。ルーが黒刀へと変貌したのは。元は純白の剣でした。まぁ形は好きなように変えることができるので剣ではないのかもしれませんが」
「そうじゃったのか」
「そして、ルーにも一つ能力が宿りました。それが“死の予感”です。相手に自分の死の様子や死と等しい苦しみの様子を相手に見せるという能力です。まぁ、それであなたとルーの魔力は殆ど同一の物ですのであなたの魔力がルーに害を与える可能性はありません」
リラルスは今まで考えていた疑問が悉く解消され深く頷く。
そのときケイドフィーアの身体の光が徐々に粒となって昇って行き始めた。
「ふふふ、そろそろ……時間のようですね。もう少し楽しいお話をしたかったのですが重い話になったようで申し訳ありません」
「いや、おかげで大体の状況は理解した。礼を言う」
「元はと言えば私がまいた種。それをあなたがたに頼ることしかできないのは心苦しいです」
ケイドフィーアは雰囲気を変えてリラルスに言う。
「私でも分かったのです。もしフレイシアさんが生きていると分かればウェルムも“再生”の存在に確実に気付きます。十分に注意してください」
「心得ておる。念入りに準備を整えるとしよう」
そう話しているうちにもケイドフィーアの霧散は近づき既に下半身はなくなっていた。
フレイシアとナーシャはそれを見て悲しそうな表情をしている。
それを見たケイドフィーアは優しく微笑みかける。
「そんな表情をしないでください。私は既に死んでいます。こうして普通に話している方がおかしいのです。あるべき場所に帰って行くだけですよ」
そこで何か閃いたのかケイドフィーアは頷いている。
「フレイシアさん。一つ餞別をあげます」
そう言ってケイドフィーアは消えかかっている片腕を差し出しそれは光となって消失した。
だが、その光はすっとフレイシアの中に入っていく。
「なけなしの残った魔力です。力は大したことはないですが必ずフレイシアさんを守ってくれます。お守り代わりだと思ってください」
「は、はい。ありがとうございます」
ケイドフィーアは大きく頭を下げるフレイシアを見て微笑み再度リラルスに向き直り口を開く。
「それではリラルスさん。デルフさんによろしくと言っといてくださいね」
「うむ。ここで聞いた話を全てデルフに伝えると約束する」
「……私が言うのは烏滸がましいですがどうかウェルムを、あの子を救ってください」
ケイドフィーアの目からは涙のような光が零れ落ちそれと同時に静かにその身体は光の粒となって昇っていった。
「行ったのう」
リラルスは昇っていった光を目で追い完全に消失するとそう一言呟いた。
「私、いや私たちが受けたあの実験が始まりではなかったのじゃな」
リラルスは近づいてきたルーを撫でて視線を合わせる。
「お前も災難じゃったのう……」
ルーの悲しげな瞳に対してリラルスは言葉が零れた。
(さて、これからどう動くかじっくりと考えなければ。敵は遙か強大。その取り巻きたちも。デルフの回復を急がなければ)
そして、リラルスはそっと上を向きケイドフィーアが昇っていた方向を見る。
(ケイドフィーア……私は少しあやつが言っていた天人とは少し違うかもしれん)
そのときリラルスはウェルムに言われた言葉をふと思い出した。
(失敗作か……まさにその通りじゃ)
リラルスは鼻で笑った。




