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……噂話は、所詮噂話か。
さっきの衝撃からわずか数分後、ご婦人方は、既に全然違う話で盛り上がっている。
思わず嘆息する私に、2人がずいっと顔を近づけ、異口同音に「気持ち悪い?」と聞いてきた。
「ううん、全然。2人ともいつも優しいなあ。ありがとう」
手に持っていたクッキーを口に入れて、咀嚼して、飲み込む。
すると、バラの香りがフワッと広がった。バラのクッキーだろうか?
「美味しい……」
ごく小さな声で呟くと、2人はしばし無言になった。どうしたのだろうと思っていると……2人して、いたずらっ子みたいにニヤリと笑う。おてんばポーリンはともかく、紳士リチャードも悪ガキの顔である。
「お母さま、私たちお腹いっぱいになっちゃった。お庭に出てもよろしいかしら?」
「あら、よく食べたのね。あまり走り回ってはだめよ、いってらっしゃい」
ポーリンが、最後だけ取ってつけたような敬語でスローン夫人に頼んでいた。夫人は、まだ社交界入りまで猶予があるからかキツくは叱らない。
玄関でそれを見守っていた私とリチャードは、食当たりの感想やらポーリンのおてんばが相変わらずなことやらを話していた。
「行こ!」
すごいスピードでやってきて、そのまま駆け出していくポーリンを、私たちはゆっくり追いかけていく。
「2人とも、なにごと……?」
小さいながらも壮麗さで有名だというスローン邸の庭園の、かわいらしい噴水の縁に座って水をぱちゃぱちゃやっていると……
2人はどうもニヤニヤしながら私を見てくる。何かおかしいのだろうか?
シンディでないことが、まさかバレている?
上目遣いでポーリン、リチャード、ポーリンと交互に見てみる。
「シンディ、なーんかちょっと違う。なんだか大人みたい」
ポーリンがつまらなそうに言うと、
「そうだね。いつもなら、僕に会うとすぐ笑顔になってくれるんだけど……」
リチャードも困惑したように言う。
「お庭に出ても、はしゃがないし……」
「病み上がりだろうけど、そういう大人しさとも見えないし」
言い募られ、既に冷や汗ダラダラの私に、ポーリンがトドメを刺してくれた。
「シンディ……前、ローズジャムのクッキーが苦手なんだって、言ってたよね? どうして食べたの?」
前世で17歳まで生きてきた私としては、小さい子供の直感は侮れないと、そう思う。
下手に誤魔化すより、正直になるべきかもしれない。……いや、2人は私より(中身は)だいぶ年下だ。ポーリンは11歳だし、リチャードも13歳だし。いけるか?
疑惑を打ち消すべく口を開こうとして、
「……シンディ、わたしたちといるの、楽しくなくなっちゃった? もしかして、無理、してない?」
ポーリンの言葉で我に返った。彼女の細い指先は、リチャードの上衣の裾を心細げになぞっていた。
こんなちっちゃい子を、怯えさせているらしい……気づくと急速に罪悪感が湧き出てくる。
「実はね……」
やっぱ、本当のことを言ってみよう。
……すると、私が続きを言うよりも早く、スローン家の使用人らしい男性が駆けてきた。すごい速さだ。
「申し訳ございません、……は、はやく、お戻り頂けますか?」
息切れを起こしているが、よほどのことらしい。リチャードが静かに立ち上がり、ポーリンの頭を撫でて、私に微笑みかけてくれた。
「戻ろうか、……2人とも、一緒にね」
□■□
屋敷の中に戻ると、顔面蒼白の大人たちが、激しくざわついていた。
使用人たちにあれこれ尋ねていたお母さまとスローン夫人が、私たちに気づいて珍しく小走りしてくる。
ただならぬ雰囲気を感じてか、ポーリンがそっと私にくっつく。疑われていたのも忘れ、思わずポーリンの頭を撫でてしまう。
「……お母さま…………」
私が言うと、困った顔でお母さまが教えてくれた。
「ついさっき、王宮で火事があったそうよ……」
スローン夫人が続ける。
「誰かが火をつけたようなの……王太子殿下のお部屋を狙って」
ポーリンとリチャードが息を呑むのが分かった。王太子とは、もちろんサミュエルのことだが……なぜ?
この火事、原作では聞いたことがない。今はまだ物語の開始前だから、スルーされたのだろうか。
それに、そう、火事…………
唐突に思い出す。
この火事は、たしかに原作の中でも起こっていたのだ。しかし、はっきりとは触れられていない。恐らく、伏線ということだ。
それを匂わせるのは、カスター家の葬儀での、サミュエルの発言のみ。
「僕は、まだだなのか……? あれは必然か、偶然か? 次は、あるのか……」
その台詞は、ファンを大いに沸かせた。
憶測が飛び交って、SNSで議論が交わされた。
きっと、『あれ』はカスター家の火事ではなかったのだ。
カスター家の火事について、王宮の時と同じ『放火』を疑ってーーいや、確信だったのだ。
私は、自分が内側から焼かれるようか恐怖を覚えた。
あの火事……私たち全てを焼き尽くす惨事は、確実に訪れると思った。
「スローン夫人、また後日、楽しくお話しましょう? とても美味しいお菓子をいただいて嬉しかったわ。ありがとう」
「こちらこそ、来ていただけて楽しかったわ。またいらしてね」
こんな時でも、淑女2人は丁寧に挨拶を交わす。すごい。
玄関には既に迎えの人力車が来ていた。リチャードも一緒に乗って、カスター邸に着いた後、リチャードだけを乗せてカーター邸に送るそうだ。
お母さまとリチャードに挟まれて、少し安心した私の頭の中では、色々なことが渦巻いていた。そのせいか、ほんのちょっとの道のりなのに……
つい、眠ってしまった。