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今日は、わたくし、シンディ・カスターの11歳の誕生日……の翌日。
本当なら、方々からもらったプレゼントのお礼に手紙を書いたり、ポーリンやリチャードと『お茶会ごっこ』をしたりしているはずだったのに。
だけど、今は、1人で自室のベッドに横になっている。
どうしてかというと……食当たり。
お母さまは、恐らくローストチキンが生焼けだったんだろうと言っていた。わたくしも、そう思うの。でも、食べちゃったから仕方ないものね……。
「ついてないなあ。よりによって、こんな時じゃなくていいじゃないの……」
ぽつりと呟くと、じわじわと妙な感覚が湧き上がってきた。吐き気? ううん、違う。美味しいものを楽しく食べていたはずなのに、気持ちが悪くなって。1回吐いてしまったけれど、今は吐き気は収まっている。
それだと、この感覚は何かしら。そう、違和感だわ。こんなこと、前にあったような……ずっとずっと昔に。だけど、思い出せないの。
その瞬間、自分の体が自分のものじゃない気がした。
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(これ、私の体? わたくし? 私は、シンディ・カスター? いや、違う、違わない、……)
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一瞬、ぐらりと視界が傾いだ。瞬きすればすぐに意識はクリアになり、ふと自覚が生まれる。
わたしには、前世がある。シンディ・カスターとして生まれてくる前、別の人生を生きていたのだ。
そう、『私』は、日本の女子高校生だったんだ。
そのことを理解するのと同時に、前世の記憶ーー意識が、急激に戻ってくる。
今までの常識では考えられないような文化、全く違う世界だけれど、そう、そういえばそうだった……と、知識というよりは記憶としか言いようのないものが、自然に受容されていく。
それはまるで、忘れていたことをふっと思い出したように、ストンと私の中に収まった。
その中に、ふと引っかかるものがあった。
私の名前の『シンディ・カスター』や、幼なじみ達の名前だ。
前世では確か、お気に入りの少女漫画があって――タイトルは『王国と炎』――、今の私がいるこの世界は、その漫画の世界なのではないだろうか?
『王国と炎』の主人公は、幼なじみの伯爵令嬢ポーリン・スローン。名前だけでなく、容姿も記憶と一致している。恋愛漫画の主人公に相応しい、美しく聡明な少女だ。
そして、私は、彼女の未来を拓くキーパーソンだということも思い出す。
あの漫画を1話だけでも読んだことがあるならば、きっと誰でも知っている。
――私たちが暮らすカスター邸は、2年後に火事になり、私も家族も一切が燃えてしまうのだ。
そして、それこそが、彼女の物語が始まるきっかけなのである。
――現在絶賛連載中の少女漫画である『王国と炎』。
少女漫画にカテゴライズされてはいるが、現在主流である学園ものの恋愛漫画というよりは、母親世代に流行したような歴史ファンタジー系の少女漫画に近い。
17〜18世紀頃のヨーロッパをイメージした架空の王国・ロードウィンを舞台に、主人公ポーリンと王子サミュエルが身分違いの愛を成就させるまでの物語である。
そして、その2人を出会わせるのが、カスター邸の火事である。カスター家の葬儀でポーリンと王子が出会うのだから、必須イベントという他ない。この火事すらも、実は政争の煽りをうけたものらしいが……私は完結よりかなり前に死んでしまったようなので、よく分からない。
私が死んでから、日本ではどれくらい経っているのか……それとも、平行世界のようになっていて、まだそこまで経っていないのか。
もしも『王国と炎』が完結しているならば、ぜひ結末を確かめたい。ポーリンの愛が成就するエンディングなのは明記されているのだが、その過程はやはり気になるのがファン心というものである。
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さて、王国を舞台にしているだけあって、この漫画の登場人物は貴族ばかり。キャラクターとしての知識だけでなく、シンディとしての経験の中でもよく知っている人も多い。
そう、まず、主人公のポーリン・スローン。シンディと同じ伯爵令嬢で、聡明な、この世界でも珍しいプラチナブロンドが輝く美しい少女だ。ただし、少女漫画のご多分にもれず、若干お転婆が過ぎるところもある――ただ、引っ込み思案なシンディにとっては、そんなところも頼もしい存在である。
もう1人の幼馴染であるリチャード・カーターは、2つ歳上の侯爵令息。優しいお兄ちゃんという感じで、シンディにとっては良き理解者、ポーリンにとってはある意味保護者のような存在だ。
そして、物語のヒーロー、ポーリンが恋に落ちる王太子がサミュエル・ペーター・ロードウィン。リチャードと同い年にして友人で、王子様らしい正義感の強さと冷静さを併せ持っている。
サミュエルには会ったことはないが、シンディの記憶によると、ポーリンもリチャードもまさに漫画から抜け出したかのようにかわいらしい美少年・美少女なのだ。さすが漫画のキャラクター、と今なら唸ってしまいそうだ。サミュエルも好青年として設定されているから、とにかく美形が多い世の中である。いや、モブキャラに相当する立場の人は普通の顔立ちやスペックなのだと思う。……ただ、序盤で死ぬとはいえ、シンディもネームドキャラの末席である。
鏡に顔を向ければ、すべすべの肌にふわふわと波打つ黒い髪。真ん中分けの髪に縁取られた丸顔には、お母さま譲りの緑眼が瞬いている。年齢よりも幼く見える、年寄り受けしそうな女の子だった。
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「シンディ、シンディ? 具合はどう? 大丈夫だったら降りていらっしゃいな」
扉がノックされ、シンディの母ーーもとい、お母さまの声が廊下から聞こえた。
はい、お母さま。と答えて、私はちょっと考えた。
いつものシンディって、どんな感じの振る舞いだったっけ。