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作者: ぱせり

『私、もうあなたから離れたいの』

橙色に染まった日差しが図書室に差し込んでいた。彼女は一人、窓際の椅子に座り読書をしている。

その後ろにいた私は、彼女にそう告げたが、彼女の耳に私の声は届くことはなかった。

『お願い、気づいて……』

その言葉は私の口から出るわけもなく、虚しく心に響くだけだった。

図書室のドアが開き、彼が入ってくる。

「お待たせ」

その言葉と笑顔は、私に向けられたものではない。それを向けられた彼女は嬉しそうに立ちあがった。

彼女の元に彼が歩み寄るのと同時に、あいつが私に近づいてきた。その姿をずっと眺める私がいる。目を逸らしたても、それは許されることではなかった。

「じゃあ、帰ろうか」

彼の言葉に彼女が頷く。付き合いたての二人は、ぎこちないながらも、どこか幸せそうだった。

そんな二人の後ろをあいつと私が並んで歩く。

『まだ帰りたくないな』

『仕方ねえだろ』

私の呟きにあいつはぶっきらぼうに返事をした。

部活をしている生徒たちを横目に、一人分の距離をあけて帰る、彼と彼女。知り合いにはやし立てられ、照れながらも否定はしない二人を見て、うんざりした。

一瞬だけ、彼女がグラウンドの奥に目を移す。捕らえた先はわかっていた。そこには、私の好きな人がいた。

校門を出ると、彼は手を無言で突き出した。彼女はその手をそっと握る。二人の頬が赤く染まっているのは、きっと夕焼けのせいじゃない。

二人だけの空間が広がる帰り道。その数メートル後ろには私とあいつが手を繋いで歩いている。ひっそりと私の好きな人のことを思い出してみた。もうしばらく会っていない。ほんの三ヶ月前には一緒に帰っていたはずだったのに。決して手を繋ぐことはなかったが、それでも、好きな人と並んで歩いているだけで幸せだった。昨日、一緒に帰るようになってから、義務的に、ぶっきらぼうに手を繋ぐあいつを見て、うんざりした。

あいつが私の顔を覗く。その視線から逃れるように、私は俯いた。

「じゃあ、ここで」

前にいる二人が立ち止まる。やっと彼女の家に着いたのだ。

「かざり、すきだよ」

そう言って、彼は彼女に歩み寄る。お互いがお互いを求めて唇を求めあうのは、いまどきの高校生として当たり前のことだろう。

つられてあいつも私に歩み寄る。そっと頭を撫でられる。好きでもない人とキスをするなんて、嫌だ。

『やめてっ!』

渾身の力を振り絞って、あいつを押し飛ばした。普段ならそんな力、出るわけもないのに、気づけば私はあいつを押し飛ばしていて、彼も巻き添えを食らっていた。

 ――プツン。

私の中で、何かが切れる音がした。足元を見ると、私の足が彼女から離れている。手足が自由に動く。今しかなかった。

私は、逃げた。決して許されることのない、影の掟を、やぶった。先ほどまであいつと手を握って歩いていた道をとにかく走った。

「かざり!」

彼の叫ぶ声が聞こえ、振り返ると、かざりが倒れているのがわかった。気を失っているのだろう。そんな彼女をみて、悪いと思いながらも、走るのをやめなかった。そんな私を、あいつはただ、見ているだけだった。

学校に戻る。部活をしていた生徒はもう片付けをしていた。野球部はまだ練習をしているようだ。大会が近いからだろう。

グラウンドの近くの、野球部の練習がよく見える位置にあるベンチに腰を下ろす。と言っても、他からは人の影が重なっただけに見えるだろう。ここは、かざりのかつての定位置だった


私の好きな人は、かざりの好きな人だった。もちろん影が人間に恋したところで、なにかを出来るわけがない。でも、かざりが私の好きな人と一緒になれればそれでいいと思っていた。好きな人の影なら、きっと好きになれる気がした。

かざりと私の好きな人――かずき君は、付き合うまではなくとも、一緒に帰るほどの仲であった。初めて好きになったときはよく覚えている。かざりが、野球をしている彼を捕らえると同時に私もそちらに目を向ける。いままで、知らなかった感情というものが芽生えた。すべてかざりに動かされるがままだった私が、初めて自分でかずき君に近づきたいと思ったのだ。

かずき君の影には積極的に話しかけた。気の抜けたような返事ばかりされていたが、それでもよかった。いつか、彼の影も、かざりのことを好きになってくれればいいと思った。

ある日突然、かずき君とかざりは、全く話をしなくなった。影は、影のでない時間には存在することが出来ない。存在しない時間に起きたかざりの出来事を干渉することは出来ないのだ。私が知らないうちに、二人が喧嘩をしてしまったのかもしれない。始めは、そんな安易にしか考えていなかったが、かざりの様子がどうもおかしいのだ。遠くでかずき君を見つけると、明らかに目を逸らしている。かずき君がどんな顔してかざりを見ているのかも、私はわからなかった。

しばらくして、かざりと彼が仲良くなりだした。彼がかざりを好きなことは私から見れば一目瞭然だった。彼がかざりを好きだとしても、私には構わなかったが、あいつが感情をもって私に接してくるのが、どうも嫌だった。かずき君によって、やっと手に入れた感情を、あいつはいとも容易く手に入れていたのだ。私には好きな人がいる、かざりと同じ好きな人だ。だから、彼がかざりを好きだとしても、かざりが彼を好きになることはない。何度もそれをあいつに説明をしたとしても無駄だった。あいつはそれを聞こうとしないのだ。

そして、二週間前に、かざりと彼は付き合ったのだ。

告白の瞬間はよく覚えている。帰り道にたびたび寄っていた公園で、彼とかざりが並んでいる。夕焼けがとても綺麗で、私たち影はよく伸びていた。彼の顔が真っ赤に染まっていたのがよくわかった。返事をする彼女も、同じように頬が染まったのもわかった。あいつが得意そうに私を見つめる。

感情をもって初めて、涙が流れるなら、泣いてしまいたいと思った。


もうすぐ日没が迫っている。影が離れて、日没になってしまえば、影の存在は消えてしまうだろう。はやくかざりの元へ戻らなくては。そう分かっているはずなのに、初めて自由に動ける体を手に入れてしまってからはそれはどうも気が進まないことだった。

野球部は練習を終えたようだった。制服姿のかずき君が部室から出てきたのがわかった。帰路に着くかずき君の数歩後ろを歩く。かつての私の定位置だった。かざりの家のほうまで、一緒に行ってしまおう。かずき君が曲がったら、そこまで。どこまで一緒に歩けるかはわからないが、そうやって帰らないと私はいつまでも帰れないような気がした。

「かずき!」

校門を出たところで、女の子が歩み寄った。かざりと彼よりも近い距離で歩く二人。自然に絡み合うお互いの手。それだけで、二人が付き合っていることは言われずともわかってしまった。私は、それ以上足を動かすことが出来なかった。

気づけば、彼とかざりがよく行っていた、公園に来ていた。自由に動ける体になってもなお、行くところは結局、一緒だった。もう、影が消えかかっている。それでいでも、動く気にはなれなかった。

『探したよ』

振り向かなくとも、その声の主はわかっていた。

『どうやって、来たの?』

『力技だよ』

そういって笑うあいつがいつもより優しい気がした。

『多分お前は見てないんだろうけどさ、俺、偶然見ちゃったんだよ。かざりが、かずきってやつに、振られるの。それで、俺がむりやり、あいつにかざりを好きにならせようと動かしてたんだ。結構大変だったんだよ』

『どうして、そんなことしたの?』

決まってるだろ、そういってあいつは笑うだけだった。

『人間に恋をするようなおかしなやつがいるな、くらいにしか思ってなかったんだけどさ』

あいつの気持ちを初めて聞いた気がした。私が生身の人間だとしたら、頬は赤く染まっていただろう。

『ねぇ、私、このまま消えちゃったら、かざりはどうなるのかな』

『朝になったら、きっとまた、お前とは別の新しい影が生まれるんだと思う』

悪くないなぁと思った。きっとその新しい影は、かざりがかずき君を好きだったことも知らなくて、隣にいるあいつとも、仲良くなれるだろう。

『もう、帰りなよ。私は、もう少しここにいたいから』

いままで嫌いだったはずなのに、つい優しくなってしまうのは、自分がもう消えることがわかっているからだろうか。

そうだなぁと呟きながらあいつは戻ることはなかった。

『かずきってやつのところに、行かなくていいのか』

『もうすこし、ここにいたいかなぁ。わがままなのはわかってるけど』

そういって、あいつの肩にもたれかかるように重なった。真似じゃないその行為はなんだかとても心地よかった。

徐々に消えてきている。意識も朦朧としてきた。

『次に生まれ変わったらさ、今度はちゃんと人間になろうぜ。そんで、あいつとかざりよりも仲の良い恋人になろうな』

まどろみのなかで、あいつの声が聞こえた。

それを聞いて、笑いながら、やだ、と答えてみた。



目がさめると、私はかざりという女子高生の影だった。彼女の隣には、素敵な恋人がいた。彼の影もまた、私と同じように途中から新しく生成された影のようだった。

『お互い、不安なことだらけだけど、頑張ろうな』

胸の鼓動が早くなる音がした。

了(原稿用紙十枚分)


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