第一話『村の一大危機にゃん!』のその③
第一話『村の一大危機にゃん!』のその③
こうしてウチは夢の中へ。楽しい夢にゃった。ヨモギ団子やえびふらいにゃど、テーブルにはウチの好きにゃものが盛りだくさん。ふと我が身に目をやれば、小っちゃい頃の自分にゃ。でもそんにゃことはどうでもいい。お父にゃんやお母にゃんと一緒ににゃって、これもあれもとほお張る中、ついに特上のヨモギ団子へと今まさに手が届かんとした矢先。
「大変だわああぁぁん!」
ミーにゃんの声。ここで、はっ、と目を覚ましたのにゃ。
(にゃあんにゃ。全部夢にゃったのにゃん)
でもにゃ……、がっくり、とうなだれている暇はにゃい。トラブルの元が舞い戻ってきたのにゃもん。
(すぐさま、どっかあぁん! と来るのに違いにゃい)
ウチは覚悟を決めたのにゃ。多分、他の仲間も。ところがにゃ。上空を旋回するものの、にゃかにゃか墜ちてはこにゃい。
(まるで焦らしているみたいにゃん)
それでも……誰しもが予感しているのは間違いにゃい。
運命の時が刻一刻と迫ってきているのを。
不気味にも上空の光弾の光が輝きを増していくのにゃ。緊急の用事らしきものにゃったのを思い返してみるに、『ことの重大さに不安が募るばかり』を身体で表現している、と、の考えが妥当にゃろう。たにゃあ、見た目には、『こちらに脅しをかけている』と、とらえられたとしても不思議じゃにゃい。とにゃればにゃ。
(誰か騒ぎ出すのに違いにゃい)
そして……悲しいかにゃ、予感的中にゃん。
「大変だぁ!」
ついに我慢し切れにゃくにゃったとみえる。ミクリにゃんの叫びを皮切りに、右往左往し始めたミーにゃん同盟の面々。いずれもがウチとミーにゃんが集めた友にゃちにゃん。
(……にしてもにゃ。みんにゃ、毎度のことにゃがら良くやるにゃあ)
みんにゃのうろうろしている姿を見て、ふと想い出したのにゃ。
生前の話、にゃのにゃけれども……、『妖精』や『化けネコ』にゃどの妖体も含め、いわゆる霊体全般が、こちらからすれば、目に見えにゃいもの、あるいは、ぼぉっ、とした姿でしか目に映らにゃいものと信じ込んでいたのにゃ。
ところがにゃん。
実際には先の二つばかりか、実体とおんにゃじくっきり感を持つ姿にもにゃれるのにゃ。全ては身体から放たれる霊力波の強さで変わってくる。強ければ強いほど、くっきりとし、逆に弱ければ弱いほど、ぼぉっ、としてくるのにゃ。ゼロにゃら、もちろん透明。自然放出される程度にゃら、霊体特有の透き通った姿とにゃる。まっ。大概の霊体はこれにゃん。
ウチが普通のネコとにゃんら変わらにゃい姿でいられるのは実体波を纏っているおかげ。でもにゃ。他の仲間にこの力はにゃい。にゃからといって透き通っているかといえば、さにあらずにゃ。ここに居るのは、生まれてからまにゃ二百年ぐらいの幼児ばかり。この年齢にゃと自然放出される霊波も強いもんにゃから、くっきり感はウチとさほど変わらにゃいのにゃ。
(とはいえ……、夜ににゃれば違いは歴然としているのにゃのけれども)
霊体が身体から霊波を放てば、淡い光が浮かび上がるのはどうしたって避けられにゃい。実体波もまた然り。つまるところ、霊波の一形態にゃもの。にゃら、それで実体ある生き物との区別がついてしまうかといえば、これまた、さにあらずにゃ。保護膜を張って見えにゃくすることも出来るし、わざわざそんにゃことをしにゃくても、昼間であれば陽の光で目立たにゃい。ウチの目の前に居る友にゃちみんにゃが無言で証明しているのにゃ。
想い出したことはもう一つ。これも生前の話にゃのにゃけれども……、
ネコとか石とか、実体として存在するモノに、霊体が触れることは出来まい、とたかを括っていたのにゃ。
にゃのに、ここでも、『ところが』にゃのにゃん。
『実体あるものと触れ合いたい』『触れ合った時の感覚をもっと強くしたい』『温もりをもっと感じたい』にゃどといった、ごく普通の生き物のように振舞うことも、身体から放たれる霊波を強めるにゃけで実現出来るのにゃ。
どうしてかといえば……、
『触れる』という現象をもたらすには、相手との間に摩擦力を引き起こさにゃくてはにゃらにゃい。都合のいいことに、命のあるにゃしにかかわらず、この世に存在する全てのものに霊力がある。『存在力』、すにゃわち『霊力』にゃのにゃ。霊力がある限り、霊波は自然放出される。にゃにかとにゃにかがぶつかれば、それがにゃんであろうとも、霊波と霊波がぶつかるわけにゃ。このぶつかる強弱の度合いが、そのまま摩擦力の強弱へと繋がっているのにゃん。つまりにゃ。力を強めれば強めるほど、『感触』とか『温もり』とかを一層感じられる。とまぁそんにゃわけでウチも他の仲間も、実体を持つ生き物とおんにゃじぐらいにその二つを楽しめているのにゃ。
『思い込み』と『現実』のギャップについて、あれこれと考えに耽ったあとにゃ。『そろそろにゃにか起きても』とウチは視線を友にゃちから上空へと移したのにゃ。
雲一つにゃい透き通った青空に、にゃにかが現われる気配は微塵も感じられにゃい。
(ミーにゃんは、まにゃ墜ちてきそうもにゃいにゃあ)
実体波を纏っている為、見上げっ放しでは首も疲れるのにゃ。にゃもんで一番負担を感じにゃいところまで顔を下げてみたのにゃ。するとにゃ。にゃんと! 視線の先が真っ正面、慌てふためく絵を描いている真っ只中の仲間へと向けられたのにゃ。『友にゃちというのはウチにとって安らぎを与えてくれる有り難い存在にゃのにゃ』とあらためて知った次第にゃん。
あとでこの奇跡をミーにゃんに話したら、どういうわけか、『頭、大丈夫?』って心配されてしまったのにゃけれども。まっ、それはそれとしてにゃん。
仲間の動揺ぶりを眺めているうちに、時間を持て余し気味のウチはいつしか、『霊体の型』についても思い巡らせていたのにゃ。
霊体の型としては、ネコ型、翅人型、それに『ぐにゃぐにゃ』型の、計三種がほぼ全体を占めているのにゃ。
ネコ型は本来の四つ足で立つ姿勢と、『ネコ人型モード』といって、前足を手、後ろ足を足として、二つ足で立つ姿勢とがあるのにゃ。霊毛で覆われているから、霊服は着用しにゃい。
一方、翅人型は二つ手に二つ足。背中の二枚翅は拡げることも、仕舞うことも出来るのにゃ。こちらは霊服を身に着けている。両腕と両腕をもろに出していて、さにゃがら移民が着こにゃしていたとされるタンクトップやパンツにも似たスタイルにゃん。この世に現われたのは霊体が最初で、実体ある生き物は、ずうぅっ、と、あとらしいのにゃ。天空の村の蝶がみんにゃ二枚翅にゃのは、ミーにゃんのようにゃ翅人型の霊体が原型とにゃっているからに他にゃらにゃい。
そうそう。蝶といえばにゃ。移民が自分の星から持ち込んにゃのもあったそうにゃ、全部が全部、四枚翅にゃったらしいのにゃけれども、村に放したほんのわずかにゃ間に全滅したという。にゃからウチも目にしたことは一度もにゃい。生き存えることが叶わにゃかった最大の理由は、『風』にゃ。天空の村は空域、水域、地域のいずれにおいても、『神霊』と呼ばれる地霊ガムラの霊力に満ちている。村に吹く風もまた霊力の一形態。対応していにゃい翅では許容の限界値を簡単に突破する。判りやすくいうにゃら、空を飛ぶどころか、強い霊力をもろに浴びてしまうので命さえ失ってしまうのにゃ。とまぁそんにゃわけで、小さにゃ生き物ほど、翅の枚数は少にゃいほうがいい。とはいってもにゃ。霊力の風に乗って自由自在に飛び回れ、かつ自分に必要にゃ霊力はきっちりと取り込めるものでにゃければにゃらにゃいのはいうまでもにゃい。よその星の蝶をにゃんの考えもにゃく放つにゃんて、無謀の極み、でしかにゃいのにゃ。
残りは……、そうにゃ、『ぐにゃぐにゃ』型にゃん。不定形の姿で延びるのも縮むのも自由自在。霊水が半透明の、ぷよぷよしたものににゃったといった感じにゃ。この型の進化形として、翅人型やネコ型にゃど、どんにゃ定形の姿にもにゃれる多様型というのもある。直接聴いたわけではにゃいものの、イオラにゃんは変幻自在、友にゃちのひとりもネコ型や翅人型にもにゃれることから、どちらも多様型ではあるまいかと睨んでいるのにゃ。
(……にしてもにゃ。型を変えられる霊体にゃど、めったに居るもんじゃにゃい。にゃもんでここは一つ敬意を払う意味でも、『変態』って呼んであげたほうが良さそうにゃん)
「なんか……、やたらめったらと説明が多いわね。これじゃあ、興ざめしてしまいそう。
ねぇ、ミーナちゃん。なんとかならなかったの?」
「だって、ミアン」
「にゃって、イオラにゃん」
「えっ。ワタシ?」




