本物の奏操曲
君の方から私に話をしたがるとは珍しい。何かあったのかね?
……ふむ。人の心を操る曲、奏操曲の楽譜か。君もろくでもない物を手に入れるものだ。これでは君だって吉とは言えなくなってしまうだろう。
ああ、その通りだ。この曲は本当に、人を操るだけの力を持っている。もし一度も失敗する事なく、全ての音を拾って演奏する事ができたのなら、曲が終わると共に聞き手は演奏者の意のままになるだろう。
けれど、この奏操曲は本物ではないのだ……いや安心してくれ、さっきも言ったがその楽譜にある曲は人を操れる。その目利きと真贋に間違いはないが、しかし楽譜の力はあくまでも複製。誰でも演奏し使えるような形に書き直して作曲されただけだ。実は別に、大元の本物が存在しているのだよ。
本物の方は、私の知人でもあってね。とにかく笛を吹く事に命を懸けている、気ままな旅人だ。彼は笛を愛し命を賭けるあまり、笛に魂を売ってしまった。人を操るその能力から、悪魔と呼ばれすらしているらしい。というより正確には、笛の悪魔になってしまったのだろうね。
彼の力は本物だよ。曲目や音程に関わらず、どんな音楽でもどんな楽器であっても、必ず人の心を操る事ができる。まあ彼は笛を愛しているので、笛の他にはほとんど演奏しないのだがね。それに笛の他は別に上手でもないから、わざわざ聞きたいとも思わないさ。
けれど、人の心を操る恐ろしい力があるとはいえ、彼自身はかなり素直な人格をしている。何かしなければ、恐れる必要はないだろう。むしろ気の良い奴で、頼めば快く、能力を使わず普通に、一流の笛の音を聞かせてくれる。さらには依頼を請け負って、心を操る能力を活用しているらしいよ。
ただ素直なだけあって、正当な対価を払わなければ恐ろしいがね。複製であれ奏操曲ですら人の心を操れるのだから、本物の彼は、人間どころか生物全てを操れる。聞くところによると病原菌すら操れるらしいから、敵には回したくないね。悪魔が来たりて笛を吹かないよう、素直な態度で接するべきだろう。
……え? その楽譜や彼の能力も、脳科学や心理学で説明できるだろうって?
まあ、その発想も分からなくないよ。人の心を動かす旋律も演奏法も、科学に沿って、一応の答えを出す事ができるだろう。
けれど、それは完全な答えではない。
この楽譜や彼の力は人の心を操る……だが、そんな大層な物に頼らずとも、本当の音楽ならば人の心を動かして当然ではないか。そして音楽に誘導されたという事実は観測できても、脳内物質が働いた結果が分析されても、その人が感動するか否かというのは主観でしかない。
だからこそ悪魔の吹く笛は科学で解明できない、魔法の一種というわけさ。